終)何故にアリーは剣を捨てたか

『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

終)何故にアリーは剣を捨てたか

信じる者達の長アリーは戦場で相見えた異教の騎士に言った。「若者よ。おまえと剣を交え、おまえが私の顔に唾を吐いた瞬間、私の良心は砕け散り、入れ替わりに自我が飛び起きた。私の戦意の半分は神のためでも、残りの半分が私怨になってしまったのだ。

神の道にある以上、『これは神のために、これは私のために』などと分かつ事は出来ない。おまえもまた主の御手によって描かれたもの。おまえもまた神の働きの顕現、私が創ったのでもなければ、私のために創られたのでもない。神の所有を破壊するのは、神が命じたもう時のみ。『愛する者』の杯を割るなら、『愛する者』の石つぶてをもってせねばならぬ」。

これを聞くと、それまで火を崇めていた異教の騎士の胸に光が差し込んだ。彼は(異教の印である)腰帯を断ち、言った、「私は過ちの種を蒔いてしまった。あなたのことを誤解していた、あなたについて何も知らなかったのだ。あなたは、唯一の御方の本質と、実に素晴らしく調和を保っている人だ。否、あなた自身が『調和』の舌そのもの。

あなたという錘は、あらゆる秤を均衡に保つ。あなたこそ私の一族、あなたこそ私の属する者。あなたこそはわが宗教の、輝けるろうそくの灯火だったのだ。私の眼は、いつもランプの明かりを求めて彷徨っていた - そして今、探していたものを見つけた。私はこのランプに、自らを捧げて尽くしましょう。そしてあなたというランプに明かりを灯す、光の波うねる大海のしもべとなりましょう。

大海が、視界めがけて豪奢な真珠をいくつもいくつも投げかけてきます - どうか私めをおそばに仕えさせて下さい。信じる者の一人として、後の世の者達に、あなたという偉大な人のことを語り継ぎたいのです」。

やがて五十人近い彼の親族達が、揃って彼と宗教を同じくするようになった。アリーの振るう剣は慈悲の剣。アリーの慈悲の剣は、泥土の肉体に住まう多くの魂を救い出した。慈悲の剣は鉄の剣よりも鋭い。否、鉄の剣どころか、百の軍勢よりもなお多くの勝利をもたらす。 -

・・・ああ、しまった。ほんの二口ほどつまみ食いをしたせいで、頭がすっかり働かなくなってしまった。熱を孕んで泡立っていた思考が、凍り付いてびくとも動かない。全くもって小麦の粒ときたら!輝けるアダムの太陽を蝕に導き、夜空に浮かぶ満月を欠けさせるとは!

夜空の星をご覧。あれは一握りの小麦を食べてしまったアダムの、心の裡に在った美が、プレイアデスよりもはるか遠くへまき散らされて光っているのだ。パンは善きもの、精神のそれであるならば。しかし形を持った瞬間から、たちまち疑惑の種となる。

砂漠に育つ緑のアザミを駱駝が食べる、私達が小麦を食べるように。食べていられる間は良い。やがてアザミが枯れ、褐色に乾き切る時がやってくる。緑色であった頃には、ラクダに百の楽しみを与えたアザミも、乾涸びてしまえば以前と同じという訳には行かぬ。ラクダがそれを口にすれば、口蓋も頬も傷だらけになる - 滋養の薔薇が、剣となって切りつけて来る!

パンもこれと同じだ。精神の糧である間は、まるで緑のアザミのよう。しかし形を伴った瞬間に、それは乾いて動かぬものとなる。そしてこれを食するあなた方も同じだ。かつてあなた方が魂そのものであった頃、食べるものと言えば滋養に満ちた緑のアザミだった。

しかし魂が、精神が、泥土の肉体を持ったその瞬間から、食べるものと言えば乾き切った形あるものばかり。繊細な魂そのものであったのが、毎日のように乾き切ったこの食べ物を口にして、泥と干し草を混ぜ合わせた何ものかになり肉を切り刻む - ラクダよ、枯れ草を食むな!死んだ草を食むな!

コトバは土埃に汚れ、力を失い虚しく流れてゆく。水も濁ってしまった、水源を塞き止めねばならぬ。井戸を塞いで、口を塞いで待たねばならぬ、神が水を清き流れへと変えたもうまで - 御方が濁らせたもう流れなら、必ずや御方が再び清く純粋な流れと変えたもうことだろう。急がず、ゆっくりと待つこととしよう。

たとえ時間がかかろうと、忍耐だ、忍耐こそが欲するところを運んでくれるだろう。最後に充足をもたらすもの、それは忍耐だ。わが友人達よ、忍耐強くあれ - 何が正しいのかについては、ただ神が最もよくご存知である。

 

(『精神的マスナヴィー』1巻 了)