続)都会の男と田舎の男

『精神的マスナヴィー』3巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー

 

続)都会の男と田舎の男

はなしが脱線し過ぎた。撤退だ、わが勇敢なる友よ、元いたところへ引き返そう。あなたがたもすでに承知の通り、田舎の男は都会のフワジャを自宅へと招いたのだった。サバアの人々の話はひとまず置こう。いかにしてフワジャが村へ到着したかを話そう。フワジャが思慮分別を失うまで、田舎の男はありとあらゆる媚をふりまいた。

415. 言伝てに次ぐ言伝てが届けられ、フワジャはすっかり動転してしまい、彼の思慮分別の清い水もすっかり濁ってしまった。加えて彼の子供たちも(田舎の男の)招待にすっかり乗り気になっており、楽しげに「行かせてください、楽しく遊びましょう(コーラン12章12節)」の大合唱。これはヨセフの身の上に起きたのと同じこと。(神の御手による)不可知の定命により、「行かせてください、楽しく遊びましょう」の一言が、父(ヤコブ)の(庇護の)陰から彼(ヨセフ)を引き離してしまったのだった。これは決して(楽しい)遊びなどではない。否、その「遊び」にはひと一人の人生がかかっている。狡猾、裏切り、欺瞞の洪水。何であれ、あなたがたを「友」から切り離すものに耳を傾けてはならない。もたらされるのはこれ全て無駄、無駄。

420. 仮にもたらされるのが百倍、千倍の利だとしても受け取ってはいけない。黄金を手に入れんがために、黄金の管理者との絆を手放してはいけない、おお、デルヴィーシュよ!神が預言者の朋輩たちに送り届けたもう、時に優しくまた時に厳しい叱責の御言葉すべてに耳を傾けよ。旱魃に見舞われたある年のこと、(カラヴァンの到着を告げる)太鼓の音を聞くやいなや、彼らはたちまち駆け出して金曜の礼拝を放棄した。「こうでもしなけりゃ」、彼らは言った、「他の連中に出し抜かれてしまう。持ち込まれた品物の中でも安くて良いものを先に買ってしまわないと、売れ残りをつかまされたのでは損をする」。とどまったのはたったの二、三人。預言者は貧しく信仰あつく、祈りと願いを山ほども抱えた者たちと共にその場に残された。

425. 御方は告げたもう、「汝らはいったいどういうつもりなのか、太鼓の音や憂さ晴らし、損得勘定ごときのために神の代理者から離れるとは。汝らは(礼拝のために)立つ預言者を置いて、小麦の方へと闇雲に(駆け出して)消え去った。汝らは小麦欲しさに虚栄の種子をまき、神の使いを見捨てたのだ。一時の気晴らしや富よりも、彼との友誼にこそ価値がある。汝らが捨てたものが何であるか、目をこすってしっかりと見るがいい!本当に、汝らが確たる信仰を持てずいるのは汝ら自身の強欲さゆえである –– いったい汝らを養う者のうち、最も優れた養いの主を誰だと考えるのか?」。

430. 御方こそは小麦をも養いたもう主、小麦を養う糧もまた御方の御手の中にある。そのような御方が、あなたがたが主に託した信頼を無駄になさるはずがあろうか?だがあなたがたは時として小麦を欲し、小麦を欲するがゆえに小麦をもたらしたもう御方から離れ去ってしまう。