神化

『ルーミー詩撰』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「神化」1

 

蠅が蜜に落ちる。
体のどこもかしこも、部位の別なく
蜜に絡めとられて動かなくなる。

「イスティグラーク」、すなわち
忘我の境地というのは、このような状態を指す。
自意識を消滅せしめ主導権の全てを放棄した者。

その者より生じるいかなるものも、
全てその原因はその者には属さない。

水に溺れてもがいている者、あがいている者、
「溺れてしまう、沈んでしまう」と助けを求めて叫ぶ者、
そうした者は未だ「イスティグラーク」に至ってはいない。

『アナー・アル・ハック』

すなわち「われは真理(神)なり」という言は、2
この境地を象徴するのにまさしく的を得ている。

人びとは考える、何という暴言、何という傲慢、と。
人びとは考える、『アナー・アル・アブド』、
すなわち「われは神のしもべなり」、
という言こそ真の謙譲を表わすのにふさわしい、と。

断じて違う。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」こそが、
真の謙譲を表わす言である。

『アナー・アル・アブド』

「われは神のしもべなり」と言うとき、
その者は未だふたつ以上の存在を認めているのである。
しもべ、などと上辺では卑しみつつも、
しもべたる自己と神とが同等に存在する、と主張しているのである。
自己などというものを、未だ捨て切れずにいるのである。

『アナー・アル・ハック』

「われは真理なり(神なり)」と言うとき、
その者は自己を消滅し尽くしている。
そのとき、そこに自己などというものは存在しない。
ただ神のみが存在する。

これこそが真の謙譲、最大の奉仕である。

 


*1 『フィーヒ・マーフィーヒ』49.

*2 「われは真理(神)なり」については、『イブリースの告白』注釈を参照のこと。