第37話

『スーフィーの寓話』
メヴラーナ ジャラールッディーン・ルーミー

「イーサーの逃走」1

 

マルヤムの子イーサー2が、山の奥を目指して逃げている。知らぬ者が見れば、まるでライオンに追われているかのように見えるだろう。

後ろから、追いかけてくる者達がいる。一人が、彼に呼びかける。「どうしたのですか?何があったと言うのですか?安心して下さい、敵も何もいませんよ!何だってまた、そんなに急いで逃げるのですか - まるで小鳥のように!」。

しかしイーサーは答えない。ますます足取りを速めて走り去って行く。話しかけた男も、イーサーを追って走っている。野をひとつ、ふたつも越えたろうか。男が、これ以上は無いというほどの真剣さでイーサーに呼びかける。

「お願いです、ほんの少しだけでも立ち止まって下さい!そんなに早く走られては、ついて行くことも出来ません。いと高き者よ、一体、誰から逃げているのですか?ライオンに追われているのでもなければ、敵に追われているのでもない。危ないことが何も無ければ、怖れる理由も無いでしょう?」。

彼は言った、「一度だけ言おう。私は、愚か者から逃げているのだ。さあ、放っておいてくれ!自分で自分を守ろうとしているだけだ、邪魔をしないでくれ!」。

「何故ですか?あなたは救世主でしょう?見えぬ者の目を開き、聞こえぬ者の耳を開いた方でしょう?」。

「ああ、そうだ」、彼は言った。

別の者が言った、「目には見えない世界の鍵をお持ちの方でしょう?たった一言、死者に声をかけただけで、獲物を捕えたライオンのように生き生きと蘇らせることも出来る方でしょう?」。

「ああ」、彼は言った。

また別の者が言った、「粘土をこねて、生きた鳥を造ることも出来る方3でしょう?」。

「ああ」、彼は言った。

また別の者が言った、「おお、やはりそうだったか、素晴らしい方だ!しかしそれほど素晴らしい方が、何を怖れて逃げ出したのですか?奇跡を起こしたという数々の動かぬ証拠があるのだから、あなたを愛さず、あなたに仕えない人など、世界のどこを探したっているはずが無いでしょう」。

イーサーは言った -

「神の聖なる本質にかけて。肉体を創り、永遠の魂を創られた御方にかけて。御方の本質と属性にかけて。天の襟でさえ、御方がお望みならばたちまち引き裂かれることだろう - 確かに私は、見えぬ者、聞こえぬ者に声をかけた。私が唱えたのは最も偉大な御方の名だ - それが彼らに善きものをもたらした。

同じように、私は岩山に声をかけた。山は自ら砕けて、外套を脱ぎ捨てた。

同じように、私は死者に声をかけた。死者は自ら息を吹き返した。

同じように、私は非存在に声をかけた。非存在は自ら存在に転じた。

- 同じように、私は愚か者達に声をかけた。愛を込めて、幾度となく繰り返し声をかけ続けた。しかし愚か者達には、何の効き目も無いようだ」。

 


*1 3巻2570行目より。

*2 「マリアの子イエス」の意。イーサーとはキリスト教におけるナザレのイエスを指す。イスラムにおける預言者の一人で、神の許しにより奇跡を起こしたとされる。

*3 コーラン3章49節:「……私がおまえたちのために粘土で鳥の形を造り、それに息を吹き込むと、神のお許しで鳥になるだろう。」