『精神的マスナヴィー』1巻
ジャラールッディーン・ムハンマド・ルーミー
賢い男は女にかしずくが、愚かな男は女をかしずかせる
賢い男ならば、女にはかしずいて支配されるもの。
女をかしずかせ、支配しようとするのは愚かな男のすることだ。
かつてその言葉を以て全世界を虜とした我らの預言者ですら、
妻に冷たくあしらわれれば涙を流して大声で言ったものだ、
- 「応えておくれ、フマイラよ!」、と。
勢いよく放たれた水は、激しく燃えさかる炎をたちまち消し止める。
だが水と炎が大釜で遮られていれば、水には炎を消し去ることは出来ないだろう。
炎の熱にあぶられて、大釜の中の水が沸騰し始める。
読者諸賢よ、このまま炎が燃え続ければどうなるだろうか?
- その通り。水は蒸発して消え去ってしまう。
私を理解しろ、私を見ろ、私の言う通りにしろ。
妻に向ってそのように命じる夫とは、まさにこの炎のようではないか。
夫が妻に対して様々に求め欲する限り、
表向きには夫が妻を支配しているようでも、
真に支配しているのは夫ではなく妻の方だ。
だがそれこそが、アダムの末裔である人間にのみ備わった、人間の証明でもある。
人間以外のけもの達にとって、愛と欲望は同義だ。
だが人間は違う。欲望の充足のみではなく、愛の充足をも求める。
そしてそれこそが、人間を他のけもの達よりも高貴なものとしているのだ。
預言者が、女性達について語っている -
「何とみごとなことか。知恵を覆い隠すヴェイルを、彼女達が取り去る様子を見るがいい」。
だがその一方、無知な男達はけもののような獰猛さで、
荒々しく彼女達のヴェイルを剥ぎ取ってしまう。
そこには優しさも親密さも、愛情のかけらもありはしない。
荒々しい情欲のままに行動するのは、けものに属する性質である。
彼らは自らの人間性よりも、獣性に従って行動しているのだ。
人間の価値は、愛と優しさによって決まるもの。
真に人間ならば、愛する者を前にして「この世のものとも思えぬ」と、
感じたことが一度や二度は必ずあるはずだ。
- それもそのはず、彼女達は神より直に注がれる一筋の光そのもの、
地上の何ものにも依存しない。
「神は、ただ一人の人間からおまえたちを創造し、彼からその妻を造り、彼女のもとに安住させたもうお方である(コーラン7章189節)」。
女性とは、束の間の情欲を満たすがために創造されたのではない。
むしろ女性こそが、創造の根源そのものなのだ。