*別のところに書いためもをこちらに保存しました。
『ダイアナ』という映画が最近公開されていたそうです。
例によって例のごとく本編は鑑賞しておりませんが、物語の中にいくつか「ルーミーの詩」が栞のように挟まれていたと聞きました。
そのうちのひとつが概ね以下のような内容であったとのことです。
“Somewhere between right and wrong there is a garden. I will meet you there.”
Movie review: Diana – a Pakistani love affair
「善悪の彼岸に庭園がある。そこであなたに会おう」ですとか、「善行と悪行の彼方に草原がある。そこであなたに会おう」といった具合の和訳で紹介されることが多いこのフレーズ、一番近しいところで『シャムス・タブリーズィー詩集』からの引用と推測します。ペルシャ語版wiki sourceに全文が公開されているようです。該当部分はこちらのページに:
از کفر و ز اسلام برون صحراییست
ما را به میان آن فضا سوداییست
عارف چو بدان رسید سر را بنهد
نه کفر و نه اسلام و نه آنجا جاییست
クフルとイスラムの外側に 何ひとつなきサヘルがある
茫々たるその場所が われわれにとっては仕事場である
辿り着いたアーリフは ただひたすらにこうべを垂れる
クフルもなくイスラムもなく 何ひとつなきその場所で
「クフル」とはアラビア語でkufr、原義は「忘恩」を意味するとも言われる語ですが、ここでは「イスラム」すなわち信仰と並べてありますので「不信仰」を指すものと解してほぼ間違いではないでしょう。「サヘル」とは沙漠、また「アーリフ」とはいわゆるスーフィーを指す語のひとつです。
これが「アーリム」であれば「学者」を意味します(この語の複数形が「ウラマー」です)。これに対し「アーリフ」は少し違って、強いて言うなら「覚者」でありましょう。学問に依らず、経験に依って知を得た者の意です。
上記の試訳では「仕事場」としましたが、例えばIbrahim Gamardさんは、これを「情熱を傾ける」というふうに解されていました。また別の学者さんは「取引の場」というふうに解されていました。
このように、単語ひとつをとってもいくつもの解釈が存在します。しますが、
今は亡き義父がルーミーの著作を評して「what a smack!」と言っていたのが忘れられません。「善悪の彼岸」よりも「信と不信の彼岸」の方が、また彼岸にあるものは「庭園」や「草原」よりも「沙漠」、それも「何もない沙漠」の方が –– つまりルーミー自身の言葉の方が、義父が言うところの「痛烈な一撃」の方が私は好きです。