“Open Syllabus Explorer”を眺めて一言ふたこと(5年ぶり2回め)

5年と半年ぶりにOpen Syllabus Explorerを開いてみました。ときどき見に行くとおもしろいですね。5年が「ときどき」の範囲に入るかどうかは別として。

主に英語圏の大学が公開しているシラバスを、当初からすでに100万超あつめてらっしゃったのですが、その後もどんどんアプデされて今や700万超の教室を横断するというなんかすごい規模になっていた。あといろいろ見やすくなった。最初に見に行ったとき、分野に関係なくアサインされているテキスト全体上位50位の邦訳探しというのをしてみたのですが、今回もそれをやってみました。母数が増えているので順位にもいろいろと入れ替わりがあるだろう。基本Open Libraryにリンクしますが、ないときはProject Gutenbergとか出版社にリンクします。順位の横の()内は5年前との比較です。

 

1位(同→)The Elements of Style:『英語文章ルールブック』、変わらずの首位です。

 

2位(圏外↑)A Writer’s Reference:5年前は同著者の別著作が35位&49位に入ってました。

 

3位(30位↑)A Manual for Writers of Term Papers, Theses, and Dissertations:『研究論文執筆マニュアル』、順位を上げてきました。文章読本が金銀銅と表彰台を占拠する結果になった。2016年11月以来、悪い夢だと思いたい4年間を経てみんな語彙力大丈夫そ? っていう感じ。まあ母数が増えたのでこうなるんだとも思いますが、それもそれでなるほどです。

 

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読み下し:「クルアーンの植物」より きゅうり

第6章 11. きゅうり

クルアーンにおける名称:Qiththa(キッサー)

通称:Khiyar (Arab. & Pers.), Concombere (Fr.), Cetriola (It.), Gurke (Ger.), Cucumis (Lat.),  Sikvos (Gr.), Kishium (Heb.), Kakri (Hindi & Urdu), Karkati (Sans.), Ogurets (Russ.), Pepino, Cohombro (Sp.), Kankur (Beng.), Kaakri (Mar., Guj), Mullu-dosikai (Tel.), Mullvallarikai (Tam.), Ville-Rika (Mal.), Ketiman (Indonesian), Dictiotos (Gr.), Acur, Shamam (Turk.), She xing tian gua (Chin.), Slangen Meloen (Dutch), Cocomero (It), Kita (Turk)

学名:Cucumis Melo var. utilissimus Duthie & Fuller (Syn. C. utilissmus. Roxb.)/C. melo L. subsp melo var. flexuosus (L.) Naudin(科名:Cucurbitaceae, ウリ科)

クルアーンにおける章句:2章 雌牛の章 61節

「ムーサーよ、わたしたちは、一色の食物だけでは耐えられないから、地上に産するものをわたしたちに与えられるよう、あなたの主に祈って下さい。それは野菜、胡瓜、穀物、れんず豆と玉葱である。」・・・

アラビアとエジプト全土においては、古代より何種類かのウリが栽培されていた。ひょうたん、マスクメロン、スイカ、カボチャ、キュウリなどがその一般的な例である。上記の節では、レンズ豆、タマネギ、ニンニク(注)と一緒にキュウリへの言及がなされている。これらは預言者モーセと共にシナイの砂漠をさまよっていたイスラエルの子らが、彼らが逃避してきた地エジプトに住んでいた頃によく食べていた野菜であった。

きゅうりは生食のほかに調理することも可能である。90パーセント程度の水分と3パーセントの炭水化物を含み、タンパク質は1パーセント未満、脂肪分はごくわずかである。きゅうりには冷却作用と利尿作用がある。サラダの材料として高く評価されている。

サヒーフ・ブハーリー、サヒーフ・ムスリムといった伝承(ハディース)によると、聖アブドゥッラー・ビン・ジャッファールが、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)が熟れたなつめやしをきゅうりと一緒に食べているのを見た、と伝えている。

・・・食べたり飲んだりしなさい。だが度を越してはならない。本当にかれは浪費する者を御好みにならない。(クルアーン6章31節)

読み下し:「クルアーンの植物」より またはこの季節になると読み返したくなる御本再び

しばらく離れていたあいだに wordpress がめちゃくちゃ面変わりしててちょっとどうしたらいいのかわからなくなっています。インターフェイス、選べないのかな。

以下にこの季節になると読み返したくなる御本の、

Preface – Maulana Syed Abul Hasan Ali Nadvi
Foreward – Dr. S.K. Jain
Introductions – Prof. A. Rahman & Dr. P.V. Sane
Author’s Note – Dr. M. I. H. Farooqi
第1章 マンナ
第2章 スギ または スィドラの樹
第3章 ヘンナ または カンファー(樟脳)
第4章 ザックーム
第5章 クルアーンに登場する果実 – ナツメヤシ、オリーブ、ぶどう、ざくろ、イチジク
第6章 イスラエルの子らの食べもの – レンズ豆、玉ねぎ、にんにく、きゅうり
第7章 クルアーンに登場するその他の植物 – タマリスク、ミスワーク、しょうが、アカシアあるいはバナナ、瓜、バジル、いばら、トゥーバ、バラ
第8章 様々な植物の部位、植物由来の産物 – 木々、果実、葉、穀物、農作物、飼料、野菜、野草、樹脂、油
補遺-I クルアーンに登場する植物の一覧
補遺-II 解説の追加および最新の研究動向について
補遺-II 聖書における、クルアーンの植物
参考書一覧
本書の書評一覧
預言者の伝承において言及のある薬用植物の一覧

を読み下したものの中から、第5章のイチジクの部分を貼っておこうと思います。合間あいまに入るわりにフォロできてないはちょっと目ざわりかもですががまんしてください。ああ! カバのルリカちゃんほしい。玄関前をそうじして場所を作ってお迎えしよう。


第5章 5. イチジク

クルアーンにおける名称:At-Tin(At-Teen アッ・ティーン)

通称:Teen(アラブ), Sekil(トルコ), Figue(フランス), Feige(ドイツ), Ficus-Carica(ラテン),  Teenah(ヘブライ), Inzhir(ロシア), Fico(イタリア), Suiko(ギリシャ), Higo(スペイン), Anjir(ペルシャ, ヒンディー, ウルドゥー, パンジャーブ, マラーティー, ベンガル), Seemai Atti(マラヤーラム), Dumur(ベンガル), Kakudumberika(サンスクリット), Anjur(カシミール), Ara(インドネシア、マレー), Wu hua go(中国), Smokva(クリー), Vijg(オランダ), Ichijiku(日本), Figueira(ポルトガル), Smoka(セルビア), Fikon(スウェーデン)

学名:Ficus carica Linn. (科名:Moraceae, クワ科)

クルアーンにおける章句:104章 イチジクの章 1節から4節

無花果とオリーブにおいて、シナイ山において、また平安なこの町において(誓う)。本当にわれは、人間を最も美しい姿に創った。・・・

クルアーンにおいて、ティーン(アッ・ティーン, イチジク)の名が言及されるのは上記の一か所のみである。しかしこのたった一か所のみの言及に、実に大きな意味が込められている。アッラーが、人間はこの地上において可能な限り最良の形態と条件をもって創造された、と、イチジク、オリーブ、シナイ山、そして聖なる町(メッカ)に誓った上で告げているのである。マウラーナ・ウスマーニー注105は、イチジクの章の宣誓においてイチジクとオリーブが挙げられているのは、事実としてどちらの果実も非常に有用であるというのがその理由であると述べている。この章句にはシナイ山に対する言及がある。預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)がアッラーの召命を受け、イスラームのメッセージを伝えた地である聖都(メッカ)が、この章句においては「平安なこの町」と呼ばれている。同様に、預言者モーセが召命を受けた地であるシナイ山も、ここでは聖域とその重要性を象徴している。

マウラーナ・マウドゥーディー注71は、アッラーの宣誓がなされたクルアーンの言葉としてのイチジクとオリーブは、実際にはそれらの果樹が育つ大きな果樹園を擁し、また複数の預言者が誕生した地でもあるシリアとパレスチナという二つの都市を指すものであると述べている。

マウラーナ・ハワーイーの見解注46によれば、ティーンとは現在ではダマスカスと呼ばれる都市の名称であり、また初期のエルサレムはオリーブと呼ばれていたともいう。その他の神学者の中には、ティーンとザイトゥーン(オリーブ)はアラビア北部に実在した二つの丘の名前であったと述べる者もいる。ティーンは天国のイチジクの樹を指すともされており、その葉はアダムとイヴの身体を覆うために用いられたとする意見もある。また別の見解によれば、ティーンとはノアの方舟が出土した地の名称であり、またザイトゥーンについては、ノアが放った小鳥がオリーブの小枝をくわえて戻り、大地が再び現れたことを知らせたという故事が、その重要性を示しているともされている。

マウラーナ・マジード注28,29によると、複数のウレマー(宗教学者)が、イチジクの章に言及のある植物や地名は、実際には当時の四つの宗教の重要性を指しているとする解釈を示している。すなわち、ティーンはイチジクの樹の下で天啓(ニルヴァーナ)を授かったゴータマ・ブッダを象徴している。またザイトゥーンは、オリーブの樹の下で啓示を伝えた聖キリストの宗教を意味する。トゥール(シナイ山)は明らかに預言者モーセの信仰を指しており、バラド・アルアミーン(聖都メッカ)はイスラームの宗教と、預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)とを表しているという。この「四宗教」説についてはアッラーマ・ユースフ・アリ注1も詳細に論じておりNote Nos. 6194, 6197, 6198、マハトマ・ブッダがニルヴァーナを会得したのはFicus indicaの樹の下であった、というのが彼の説である。

ティーンやザイトゥーンが樹木を指すにせよ、あるいはそれらの樹木が生育する地を指すにせよ、いずれにしても事実としてこの二つの名はクルアーンの章句の中で言及されている。それはこの二つが、人類の文明において重要な役割を果たしているからだろう。

イチジク、学名Ficus caricaはおそらくシリア、パレスティナ、エジプトの原産であり、当地では栽培されているものと同様、野生のものもある。高さは平均しておよそ30フィートである。年に2回、実を結ぶ。その果実は、イチジクコバチと呼ばれる昆虫のいる樹木でしかみのらない。この昆虫がいない場所では受粉が不可能なため、実を結ばないのである。新たにイチジクの植樹を始めようという地域には、イチジクコバチも移送する必要がある。さもないと、木を植えても果実はまったくみのらない。

イチジクは非常に栄養価の高い果実である。含まれる繊維もわずかなため、長期の疾患から回復し始めた人には、特に食すよう勧められる。約60パーセントの糖分とは別に、相当な量のクエン酸、リンゴ酸、加えて数種類の無機塩を含んでいる。さらに重要な酵素であるフィシンも含まれる。

その本質からして、イチジクの果実は消化の良い健康的な食品である。医学的には腎臓や膀胱の結石の除去にたいそう効果的であり、亜急性の場合であれば肝臓や膵臓の閉塞を除去するのにも役立つ。果実は痔疾や痛風の治療薬としても与えられている。乳幼児の肝臓にも有益である。あるハディース(伝承)では預言者ムハンマド(彼の上に平安あれ)が、痔疾を患っていた病人に定期的にイチジクを食べるよう勧めている。

イチジクはシリア、パレスティナ、エジプトを原産としているが、2000年以上も前にイタリアに渡るとたちまちその地に帰化し、ギリシャを含む南ヨーロッパ全域に急速に普及した。ギリシャでは、おそらくプラトンの時代における最も人気のある果物となったのがイチジクである。一説にはプラトンは大のイチジク好きであったため、人びとは彼をPhilosokosと呼ぶようになった。これはイチジク(Sokos)を愛する者 (Philo)を意味する。それで哲学を愛する者、Philosopher(哲学者)という言葉が生まれた、というのである。

「ごますり」「おべっか使い」を意味するSycophantという英単語も、Sukos(イチジク)に由来している。その昔、アテネのあちらこちらにイチジクの効能をふれて回る人びとがおり、そうした人びとは「イチジクの宣伝屋」すなわちSukophantaiと呼ばれたという。この言葉が、のちに英語のSycophantという単語になったのである。

Ficus carica(イチジク)は、インドではありふれた植物ではない。とはいうものの、同じ種に属する植物は全土に野生している。真にイチジクを指すサンスクリット語はない。これはインドでのイチジク栽培が最近の出来事であるのを意味している。

インドで一般に見られるイチジク属の植物としては、Ficus bengalensis(ベンガルボダイジュ、ガジュマル。ヒンディー語:Bargad), Ficus racemosa(うどんげ。ヒンディー語:Gular), Ficus religiosa(インドボダイジュ、テンジクボダイジュ。ヒンディー語:Peepal), Ficus rumphii(ボダイジュモドキ。ヒンディー語:Pakar), それにFicus elastica(インドゴムノキ)がある。最後にあげたイチジクの一種Ficus elasticaは、17世紀から18世紀の間はアッサム(インド)の良質なゴムの供給源として利用されていたが、ブラジルの植物Havea brasiliensis(パラゴムノキ)が、よりすぐれた商業用ゴムの原材料として発見されると、その価値も失われてしまった。しかし同じ種類の植物のいくつかは、今でも観賞用植物として一般にゴムノキの通称で栽培されている。

真にイチジクと呼べるのはFicus cardiacであるのを明記しておくことは重要ではあろう。だがそれ以外のFicus属の植物もイチジクと呼ばれており、あるものは野生のイチジクとして、またあるものはインドイチジクとして知られている。ゴータマ・ブッダがニルヴァーナを得たのは、正しくは、インドではピーパルと呼ばれる樹木Ficus religiosa(インドボダイジュ)の下でのことである。つまり、これをFicus indica(フィカス・インディカ、ウチワサボテン属のサボテンの一種)であるとした、前述のアッラーマ・ ユースフ・アリ注1の説は正しくない。

さて、当のピーパルの木がインド原産であったにせよ、聖キリストの時代あるいはそれ以前からアラビア半島に存在していたことは度外視できない。したがって、セム系言語に語源を持つアラビア語のティーンが、イチジク属の植物すべてを指している可能性もある。いずれにせよティーンがパレスチナにおいても、その他の地においても重要な樹木であったことは事実である。クルアーンに言及があることからも、その重要性が知れるというものである。

完全に熟したイチジクは、口の中で文字通りとろける、絶妙この上ない果物である。保存食用に乾燥させることも多く、乾燥イチジクは主要な商業製品のひとつである。通常のイチジクは洋梨型をしており、その直径は最大で約5センチである。樹液はラテックスと呼ばれ、植物性の乳を凝固するのに用いることもできる。

イチジクの果実(乾燥重量)中の化学組成は以下の通りとされる。
タンパク質:6グラム、脂肪:1.2グラム、炭水化物:89グラム、繊維:7グラム、灰分:3.8グラム。
ミネラル:カルシウム 220ミリグラム、リン 133ミリグラム、鉄分 2.7ミリグラム、マグネシウム 9ミリグラム、ポタシウム 862ミリグラム。
ビタミン群:ビタミンA 347ミリグラム、チアミン(B1)0.25ミリグラム、リボフラビン(B2)0.25ミリグラム、ナイアシン 2ミリグラム、ビタミンB6 0ミリグラム、ビタミンC 9.22ミリグラム。

イチジクの葉の煎じ薬は胃炎に用いられる。痛みを伴う痔疾の腫れには、葉を水に入れて沸騰させた蒸気浴としても使用される。茎から取れる樹液は、足裏にできたまめ、いぼ、痔疾の治療に用いられる。また虫刺されや咬み傷に対する鎮痛効果もある。果実には穏やかな緩下剤としての働きがあり、粘滑剤として胃腸や胸部の通じを良くする。未熟な果実は母乳の出を良くしたり、または強壮剤として他の食物と組み合わせて調理される。焙煎した果実には軟化作用があり、歯茎や歯の膿瘍の治療の際に湿布として用いられる。果実で作ったイチジクのシロップは、非常に穏やかでありながら効果的な通じ薬として広く認知されており、年少者や高齢者に最適である。若い枝の煎じ薬は肺病に優れている。

重要な伝承(ハディース):イマーム・ムハンマド・ビン・アフマド・ダフビーは次のように伝えている。「預言者(彼の上に平安あれ)は、それ(イチジク)は楽園の果実であり、痔疾の治療や、関節の痛みがあればイチジクを食べるように、と語った。」
(イブン・アルサーニー、アブー・ヌアイム、アルディルミーによる。)


参照文献:1, 9, 25, 26, 28, 29, 35, 46, 58, 71, 76, 105, 107

お久しぶりなんてもんじゃない

生きております。生きております。

ずっと放置してしまっていました。前回からほぼ1.5年、終わるはずだったものは一応の区切りを経ていま後片付けをしているという感じです。

サイトの更新についてもやりたいやりたいと思っているあいだにwordpressはどんどんバージョンアップしちゃうし、「おまえの使ってるphpを更新しろ」的な警告が出始めたりするし、夏は暑いし、マスクは苦しいし、とか言ってるあいだに気がついたら2020年が終わりかけています。ほんとびっくり。ことばにならない。

このままでは2020年の備忘録をいっこも備忘しないままになりそうだったので、よし! っつって対処しました。できるひとにやっていただいた。ありがとうございました。

この1.5年の間にいろいろ変わりました。いちばん大きな変化は環境です。具体的には職場環境です。年齢が年齢なので、この種の変化としてはおそらくこれが最後になるかなと思っています。ていうか思いたい。

日常やってることも、なんとなく変わりました。ずっとアウトプットに注力していたんですが、それがまあまあ終わったところで気が抜けたみたいな時間帯があって、それを過ぎたら今まさに現在進行形で猛烈にインプットしています。具体的には読書と、あとまんが読んだりアニメ見たりです。しばらくのあいだほとんど辞書とか解説書的なものしか摂取してなくて、今わたしはひたすらドラマというか物語にひたっている。ありがとうNetflix. おとといは『8 Mile』を視聴した。あと『クラウン』もみた。シーズン5は2022年ってまじですか。待てないよ。待つけど。

それから画像の収集。ちょっと検索するとわわわっていろいろ見つかるの。

Sidewall, Persian Miniature, 1955–58

クーパー・ヒューイット国立デザイン博物館のサイト、めちゃくちゃたのしいよ。

お久しぶりです

見返したらほぼ1年ぶりくらいでした。何をしていたかというと翻訳していました。していましたというか、今もしている。でもそろそろ終わる。はずなんだ。

このサイトのドメインとってみたり何なり始めてから16年とか7年とかそのくらいが経過していました。もともとそんなにもりもりと更新はしないながらもそこそこ途絶えさせないようにしてはきてましたけども、こんなに時間が空いたのはもしかして初めてかもしれない。まあ仕方ない。仕方ない。いろいろあった。あったんだ。でもそろそろ終わる。はずなんだ。

終わったら終わったでまた何か始まることにはすでになっていて、今はなんか仕込みみたいのをやっているところです。今はそっちに自分のなかみがぜんぶ持っていかれていてあれなんですが、去年・一昨年には「ああもう無理だあ」と思っていたR. A. ニコルソンの『ルーミー詩撰』の、何とかして続きに帰ってきたいなあと思えるくらいには余裕というか欲の芽みたいなのがでてきた。あと『マスナヴィー』も。

『マスナヴィー』の方はあれですよ。そもそも『ルーミー詩撰』読んでるうちに「うーん前後の文脈がわからないとこれで合ってるのかわからん」と思ってつい手を出しちゃって、手を出しちゃうと同時になんかペルシャ語辞典だのまでもれなくついてきちゃって、かと言ってじゃあそれで前後の文脈がわかるようになったのかあんた、とか訊かないでくださいまじで。みたいな感じなんですけど。

そのようなわけでまたぼちぼち始めます。あとここに日記も書くようにしたいです。このごろとみに言語力が落ちとってのう。これ、あれ、それ、だけで会話とか意思の疎通とか、できないものかなあというくらい言葉が出てこない。そういうあれを、その、何だ。もうちょっとこう、あれにしていきたいので。あれですよ。リハビリ?