読んだ:『仁義なきキリスト教史』

「神学」カテゴリ1位、「キリスト教史」1位になっていました。「ひと」として大切なことを見失ってるとしか思えません。これだから現世ってやつは。


仁義なきキリスト教史

でもとてもおもしろかったので、仕方がないですね。全8章中、自分は5、6章らへんがかなり気に入りました。

4章もキモと言えばキモです。お見立てが何とも。4章の中心人物はパウロさん(ムスリムならブールさん、アラブ・クリスチャンならブールスさんと呼ぶ)。われわれムスリムは、どちらかというとブトロスさん/ペトロさん推し、もしくはペトロさん推しのキリスト教徒たちとの交流の方が歴史的には濃ゆいんじゃなかったですっけ。よく分かりませんけれども。ルーミー翁の『マスナヴィー』にも、パウロをモデルとした悪宰相の登場する物語があったりします。

7章は十字軍のお話なので、これもムスリム的には気になるところではありますけれども、この御本で取り上げられているのは第四回の十字軍、「『イスラム教徒から聖地を奪還するために組織された十字軍がなぜか同じキリスト教徒の都であるコンスタンティノポリスを占領しました』という、そのあらましを聞くだけでも、心底から残念な気持ちになることだろう(p245)」なのでわれわれの出番はあんまり、というかほとんどありません。心やすらかに高みの見物である。なるほどこれは気分がいいものだ。皆さん、いつもこういうこころもちでわれわれを鑑賞しているんですね。


キリスト教の何がどうなのかと尋ねられれば、われわれムスリムの多くは「三位一体が…」と答えるでしょう。その点、この御本に登場するイエスはどう見ても「人の子」なので、われわれムスリムも安心して読み進められますね。この御本さえあれば、われわれムスリムが「三位一体ぜったいおかしい」と口角泡を飛ばして論ずる必要も無くなります。だいたい、われわれムスリムがキリスト教はこうでああでと言ったところで聞いてる人らは一応は笑顔で「なるほどなるほど」などと言ってても腹の底では「こーの原理主義者が」くらいにしか思ってないのが見えみえじゃないか。糞。だがもう心配はいらない。この御本さえあれば、不毛な説得を試みる必要も無くなる。にっこり笑ってこの御本をおすすめすればそれで良いのだ(表紙を撫でさすりながら


問い:これがもしキリスト教ではなくわれわれの宗教に関する御本だったら?
答え:そういう心配は必要ない。『仁義なきイスラム教史』では何だか「そのまんま」過ぎて(あっ)、ひねりも何もなく面白くもなんともないので売れない。そしてここは現世なので売れない御本は書かれない。

今のところ、われわれムスリムが憂うべきは世の人々がどちらかと言うとアッラーよりもわれわれムスリムをおそれていることであって、もしも万が一にもそういう御本があったなら、それは世の人々がわれわれムスリムよりもアッラーをおそれるようになったのだ、と思うことにすれば良い。で、読んでみて面白かったら笑っとけば良いんじゃないの。

面白くなかったら「面白くないぞ!」っつって、とりあえずCNNを呼んでカメラの前で星条旗でも燃やしときゃ良いんだ。


っていうか、キリスト教史なんてちゃんと勉強したことないわたしには色々とためになる御本でした。

それと、わたしはふだん「われわれ」だの「わたしたち」だのと、主語を大にしてしゃべくっている類いの連中を目にすると非常にイライラする方なのですが、こうして連呼してみると気分がいいものですねえ。連中のきもちが、少し分かったような気がしました。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。