趣味嗜好の問題:ハラール認証制度について

おれはまんぞくしている。ひつじ、おいしかったし。
イスラム教徒とハラールレストランに行って見えた“認証マーク”の功罪

まあ、何をどう言ってもわたしはふつうにぶたにくを食べて育ちましたからねえ。先祖代々、食べずにきたひとたちが、実際にどう感じるかとか、どう思うかとかまでは分かりません。

昔、トルコ人のおじさんが「おとうさんもおじいちゃんも、そのまたおじいちゃんも(豚肉を)食べずに何世紀も経ってるからおなかが受けつけないんじゃないかと思うんだよね」と言っていました。そういうのは理解できます。

そのトルコ人のおじさんというのは、トルコからまずアメリカに渡って米軍で4年勤務して、グリーンカードを取得して、そこから町田の基地勤務になって、それで日本人の奥さんもらって、日本に定住するようになったひとでした。人生いろいろありますですね。

ほんのときたま、絵本にまでつっかかって行って「さんびきのハラームなこぶた」とか言い出しかねない勢いのひとにも出会ったりするけど、そこまで忌避(というかもはや呪詛である)する感覚というのは、どうがんばっても分かりませんよ。

と、いうか、がんばる必要もないか。がんばる、というのの方向性を、もっとこう、かみさまを(かみさま「のみ」を)畏れることに集中させたら問題の8割、9割くらいは解決するんじゃないでしょうか。


以下は払拭です。

今年はあちこちでハラール認証に関するご意見を目にすることが多かったわけですが、そうした中で個人的に一番「ぶはw」ってなったのはこれでした→ イスラムの名を冠すぼったくりビジネス

「イスラムの名を冠すぼったくりビジネス」って。こんな御本とか、あんな御本とか書き散らかしてらっしゃるひとに言われてもね。自己紹介ですか?ってなります。

この「ハラール認証制度」というの、おおまかに分けると(一見)否定派・肯定派といると思うのですけど、

今、「(一見)否定派」と書きましたけれど、何故はっきりと「否定派」としなかったかというと、何だかんだで皆さん本気で全否定してるかというとそういうわけでもないんですよね。上記に挙げたコラムにしたって、何を言いたいのかをはかりあぐねつつ読み進めていくと、結局「いちばんよく知っているのはこのおれさまなのだ」くらいしか伝わってきません。

本気の否定派っていうのは、こういうののことですよ:
ハラル・ジャーナル –– ハラール認証ビジネスを切る!

英語だったらわんさかあるけどどうかなあ、と思ったらありましたありました、日本語でもありました。にやにやしちゃった。へっへっへ。これですよ。こうでないと。やっぱこういう、意味不明なりにせっぱつまった警戒心&危機感持ってくれないとこっちも調子が狂うからなあ(「このイスラムフォビアやろう」とか何とか、せっせと罵倒語の弾込めしながら)

うそです。うそうそ。冗談です。へいわがいちばん。

ちょっとだけまじめなことを申し上げると、↑みたいな人たちのスタンスと佐々木氏のご意見って、それなりに親和性「だけ」は高いんですよね(for ex. 「むしろ日本においてハラールを追求することは、文化的な観点からも問題があるのではないかと思っている」)。

あー、なんか払拭が払拭じゃなくなりはじめたんでこのへんにしておきます。

ひとつだけ、付け加えておくと、

「真の相互理解」というのは、がんばったらむくわれる系の何かでは全然なくって(たいていの場合は価値観vs価値観の泥仕合になるんですよね。だからって投げやりでいいということでもないだろうけど)、でもそのかわりと言っては何だけれども、それはバラカ/ギフト/恩寵の一種なので与えられるときは与えられる。だから安心して天の門へ入ろうではないか。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。