*別のところに書いためもをこちらに保存しました。
東洋文庫併設の東洋文庫ミュージアムでの企画展示「もっと知りたいイスラーム展」にお出かけしました。展示も興味深かったですが、「ミュージアム・アテンダント」と呼ばれるガイド役の方のお話も面白く、とても楽しかったです。
展示物そのものの中でこころひかれたのは、やはり15世紀 の羊皮紙に書かれたという契約書のパネルでしょうか。果樹園の共同経営だとか、遺産の相続についてだとか、婚前契約書であるとか、白く薄くなめしをかけられた羊皮紙にびっしりと書き込まれています。全く読めませんでしたが。でもガイド役の方のお話によると「購入してはみたものの、今のところ当文庫でもこれを解読できた者はおりません」とのことなので、まあ当然と言えば当然でした。
壁面のあちこちに解説パネルがかけられており、見応えもさることながら読み応えのある展示だったわけですが、一点、気になったものがあったの でそれについて以下に記しておこうと思います。「「六信五行」とイスラームのおもな規範 」と題されたパネルの、「その他、コーランに書かれている主な規範」の最後尾にある
女性は家族以外の男性に髪や肌をみせないように隠す
という一文です。
これがイスラム的規範としてムスリム一般に広く実践されていることは事実として否定しません。ですが、コーランには女性に髪を隠すようにとは書かれていません。以下に女性の服装に関するコーランの節、24章31節を代表的な邦訳から三種、引用します。まず日本ムスリム協会の三田了一訳:
信者の女たちに言ってやるがいい。かの女らの視線を低くし、貞淑を守れ。外に表れるものの外は、かの女らの美(や飾り)を目立たせてはならない。それからヴェイルをその胸の上に垂れなさい。自分の夫または父の外は、かの女の美(や飾り)を表わしてはならない。なお夫の父、自分の息子、夫の息子、また自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子または自分の女たち、自分の右手に持つ奴隷、また性欲を持たない供回りの男、または女の体に意識をもたない幼児(の外は)。またかの女らの隠れた飾りを知らせるため、その足(で地)を打ってはならない。あなたがた信者よ、皆一緒に悔悟してアッラーに返れ。必ずあなたがたは成功するであろう。
次に中公クラシックスの藤本・伴・池田訳:
また、女子の信者にはこう言え、「目を伏せて隠し所を守り、露出している部分のほかは、わが身の飾りとなるところをあらわしてはならない。顔おおいを胸もとまで垂らせ。自分の夫、親、夫の親、自分の子、夫の子、自分のきょうだい、兄弟の子、姉妹の子、身内の女、あるいは自分の右手が所有するもの、あるいは欲望をもたない男の従者、あるいは女の隠し所について知識のない幼児、以上の者を除いて、わが身の飾りとなるところをあらわしてはならない。足を踏み鳴らして、隠している飾りを知られてはならない」。信者たちよ、一同悔い改めて神に帰れ。かならずやおまえたちは栄えるであろう。
最後に岩波の井筒俊彦訳:
それから女の信仰者にも言っておやり、慎みぶかく目を下げて、陰部は大事に守っておき、外部に出ている部分はしかたがないが、そのほかの美しいところは人に見せぬよう。胸には蔽いをかぶせるよう。自分の夫、親、舅、自分の息子、夫の息子、自分の兄弟、兄弟の息子、姉妹の息子、自分の(身の廻りの)女達、自分の右手の所有にかかるもの(奴隷)、性欲をもたぬ共廻りの男、女の恥部というものについてまだわけのわからぬ幼児、以上の者以外には決して自分の身の飾りを見せたりしないよう。うっかり地団太ふんだりして、隠していた飾りを気づかれたりしないよう。ま、なにはともあれ、誰もかれも、みんなアッラーにお縋り申すことだ、お前たち信仰者。そうすれば、きっと、行く末いい目も見られよう。
「ヴェイル」「顔おおい」「蔽い」と出てきましたが、これらはすべて当時のアラブで日よけ/砂よけ的に頭部から被るのに使用される布を意味するkhimarにあてられた訳語です。ムハンマド・アサド(タラル・アサドのお父さん、と言った方が分かりやすいでしょうか。あるいは更に分かりにくくなるでしょうか)の解説によれば当時のアラブの女性には胸元を隠す習慣がほとんど無かったそうで、
……名詞khimar(ヒマール、複数形khumur)とはイスラム教出現以前から以降にいたるまでアラブの女性たちが慣習的に使用している頭部の覆いを意味している。多くの古典的解説者によれば、それはイスラム前時代にはほとんど装飾を目的として使用されており、背中の方へゆるく垂らす形で使われていた。そして当時の一般的な服装として、女性のチュニックの上部は正面に広く大きな開口部があり、着用する女性の胸は裸のままさらけ出されていた。つまりkhimarによって胸をカバーするようにという規範は、必ずしもkhimarの使用法に関するものではなく、むしろ女性の胸がその身体の中では「外に表れるもの(露出している部分)(外部に出ている部分)」とされる部分に含まれておらず、従って露出してはならない部分であるという意味であることは明白である。
(”The Message of THE QUR’AN : Translated and Explained by Muhammad Asad”, comment #38, on Surah 24, p601 published by THE BOOK FOUNDATION )
khimarはイスラム教の勃興以前から主にファッションとして使用されていたものであり、コーランにおいて言及されたために、実際的あるいは実用的な意味合いが生じた、くらいのことは言えるかもしれません。いずれにせよコーランにおいて、khimarで覆うよう命じられているのは胸であり髪ではありません。
服装規定としてはこの箇所以外に「長衣を着用せよ」というのがありますが、これはそもそも預言者ムハンマドの妻たちにあてた啓示ですし、そこでも「髪を隠せ」とは書かれていません。
ご参考に。
イスラームの国家と統治の原則 (日本比較法研究所翻訳叢書)
メッカへの道 (文化史選書)
どちらもM.アサドですがそれにしても『メッカへの道』、知らぬ間にこんなお値段に…….。でも読んでおくといいのは『イスラームの国家と統治の原則』の方です。『メッカへの道』も面白い御本ではありますが、読者を選ぶと思う。
The Message Of The Qur’an: The Full Account Of The Revealed Arabic Text Accompanied By Parallel Transliteration
M. アサドのコーラン訳は解説が肉厚ですごいです。頻繁に参照先として挙げられているのはラーズィーとザマフシャーリー。
世俗の形成―キリスト教、イスラム、近代
息子アサド。これ、もともと定価6200円のところを古本屋さんで3000円くらいで求めたものが手元にあります。いよいよどうにもならなくなっても、どうにかなりそうな気がしてきました。
追記:ところでガイド役の女性によれば「平凡社の東洋文庫さんと当館は全く無関係なんです」とのことでした。よく間違われるんです、と仰っていましたが、むしろ全く無関係ということの方が間違いなのではなかろうか、と思われなくもありません。
そのうち「もっと知りたい東洋文庫展」@東洋文庫ミュージアム、など開催して頂ければと思います。