今更のように『ライラとマジュヌーン』を読みました。ちゃんと読んだことがなかったのです。タイトルだけでなんとなく分かったような気になっていたのと、あと
マジュヌーンが恋人を思い、胸を焦がしていると、
ある人がこう声をかけた。
「おい、マジュヌーン。そう嘆きなさんなって。
その恋しいライラがお前に会いに来てるぜ。
ほら、扉の向こうにさ」
しかし、マジュヌーンは顔を上げて答えたのだった。
「帰ってもらってくれよ。
ライラがいると、ライラのことを考えるのに邪魔なんだ」
カリフがライラーに言った、「汝は
マジュヌーンを狂わせたあのライラーか?
おまえは格別他の美女にまさりはせぬ!」と。
曰く、「お黙り!汝はマジュヌーンではない!」と。
これで十分という気になっていました。だって十分でしょう。十分じゃないですか。十分だと思うんですけど。読んでみました。
約4500句?程度だそうですからそれほど長いものではなく、読みはじめた日の夜には読み終わりました。でも回復するのに2日くらいかかった。すごく、すごかったです。着ている衣類、引き裂き過ぎ。落ち着いてほしい。ゆとろぎはどうした。違う。それは片倉もとこだしアラブだし。これは岡田恵美子だしペルシャだし。※片倉もとこ氏の御本は読んだこともなしに言っている※
全体的に絢爛豪華です。池田理代子の絵柄で再生される。きらっきらしています。「ぎが」、なんていう日本語があったの恥ずかしながら知りませんでした。巍峨と書いてぎが。意味はそのまんまギガでもたぶん間違ってないです。帯には「絶世の美女ライラを恋するあまり、マジュヌーン(狂人)となった青年カイスの物語」とありますが、出会いは学校の教室で、お互いまだ10歳とかそのくらいなの。勉強させようと思って通わせた学校でそんなことになっちゃったらそりゃあ親御さんが心配するのもしかたがないといえばしかたがない。
でもこの「学校で出会った」というのは著者であるニザーミーの後づけ設定で、オリジナルのアラブ伝承では「同じ天幕で育った仲」なり「いとこ同士」なりなのらしい。
ニザーミーというひとは現代のアゼルバイジャンにあたるガンジャという土地の出身で、当時ガンジャというのはかなりの都会であったらしく、「都市インテリの詩人ニザーミーはそれまでアラブの荒涼たる砂漠も、遊牧民も知らなかった」そうです。「都市インテリの詩人」。いいですね。非常にいい。その上で、解説によれば『ライラとマジュヌーン』は悲恋物語というよりも「神秘主義の教科書とも言われている作品」であるとのこと。見たこともない砂漠に生じた、実在したというふれこみで語り継がれてきた狂人の話を、「なんか最近『うんまあこれもこれでわるくないんじゃないの』ってえらい学者が認めたらしいよ」的に注目されていたであろう最先端思想の神秘主義/スーフィズムでパッケージしてみたよ、という一冊なのだと思うと興味深いです。
悲恋にしてもスーフィズムにしても、いずれもどちらかというと「経験」が幅を利かせてる業界(という呼び方がふさわしいかどうか知りませんが)なわけですが、ニザーミーが身につけていたのは新興都市の高等教育であって宗教訓練ではないし、もちろん彼自身は神秘主義者でもない。だから神秘主義に造詣が深いといっても托鉢とか放浪とか、高名な師に仕えて「神との合一」目指して理不尽な仕打ちに耐えてみるとか、そういうのもやったことがない。一生をガンジャからほとんど離れずに過ごしたそうなので遊学っぽいことさえしていない。そんなアーバンライフをエンジョイするインテリポエマーがおいしいとこをすくい上げたのが定本になって何百年も読み継がれて、しまいにはニザーミー「の」代表作『五部作』のひとつとしてユネスコ「世界の記憶」登録されるのだからペルシャ文学最強。
黒柳恒男『ペルシアの詩人たち (オリエント選書)』という御本のニザーミーの項には、「晩年の作『栄誉の書』の序において五部作の名を年代順にこう読んでいる」とありました。
わが舌は未だ言葉に倦きず
腕ある限り剣を恐れることなし
あまたの旧き財宝(たから)を取り出して
私はそれに新たな英知を吹きこんだ
まず宝庫(マフザン)に向う支度を整え
その仕事を立派に成し遂げた
宝庫から油と甘味を取り出して
ホスローとシーリーンに混ぜ合わせた
また宝庫から大きな天幕を引き出して
ライラーとマジュヌーンの愛の扉を敲(たた)いた
そのロマンスの作詩を終えると
私は七人像(ハフト・パイカル)の方へと馬を走らせた
いま、詩作のじゅうたんの上で
アレクサンダーの幸運の太鼓を叩こう
「宝庫から大きな天幕を引き出して」の「天幕」というのは物語のヒロインであるライラの名(layla、アラビア語で「夜」の意)とかけていると思われる。
訳者の岡田氏は後書きで、
……もしニザーミーが神秘主義にこれほど重点を置かず、ライラの心に焦点をあてて、より深い心の動きを追っていたなら、さぞかしラファイエット婦人の描いた『クレーヴの奥方』のような恋に苦しむ女性の物語となっていたことであろう。
と仰っていますが、マダム・クレーヴにしてもライラにしても「より深い心の動き」なんてものを追いかけたら何が飛び出すか分からないです。出てくるのが恋の苦しみとは限らない。物語後半のはじめのあたりにはライラ(口数こそ少ないですが、彼女も言うときは言う。あと平手打ちの威力がすごい)の、こんな台詞がありました。
このようになる以前、わたしはライラと呼ばれました。でも今は狂人(マジュヌーン)、千人の狂人よりさらに狂ったマジュヌーンなのです。あのお方も、暗い恋の星に狂ったといわれますが、わたしの方が千倍も苦しんでおります。あのお方も苦悩の虜になりはしましたが、彼は男、女のわたしとは違いましょう。男は恋の術策も心得て、怖れる者とてもなく、恋に懊悩して身をけずりもせず、思うところに行くこともできるのです。ところがわたしは女の身、一つ屋根の下に、語りあい悲しみを頒(わか)ちあう友もありません。
マジュヌーン、狂ったくるったと言われつつ動物たちに囲まれて一緒に草なんか食べちゃったりして、なんだかんだで自由にやっているし。
***
サウジ生まれのシリア系アメリカ人ラッパー、Omar Offendumの初ソロ・アルバム(2010年)に「Majnoon Layla」という1曲がある。アラブだと「Leyli o Majnun」ではなく「Majnoon Layla」つまりcrazy for Laylaなのね。『ライラとマジュヌーン』の、あらすじ紹介にはこれがいいだろうといきおいで以下に。ただまあカイスはぼく男で問題ないにしても、Omar兄貴自身はどう考えてもおれ太郎だろうなあとは思いますが。
曲の最期に女性のインタビューらしき音声が入っています。誰だろう。
ぼくたちは学校で知り合った
それが全ての始まりだった
気を失うかと思った、
きみが名前を教えてくれたとき
ライラ、夜空よりも黒い髪
気をつけろ! マジュヌーン、馬鹿げた昔話
きみの瞳について詩を書いたら
行き過ぎだと誰もが後ろ指をさした
きみの父さんもぼくの手に
きみを委ねることを拒んだ、結婚なんてとんでもないと
ぼくたちのために書かれた運命などないと
知ったときどんなに悲しかったろう
追いつめられたぼくは
メッカへ巡礼に行きもした
だけどどれほど自分に言い聞かせても
ぼくたちの仲を断ちきるなんてできなかった
ぼくはきみの心に誓った
ぼくたちは絶対に離れないと
お互い、子どもだったあの頃のように
でもきみの父さんには別の考えがあった
きみにふさわしい他の男を見つけるのだと
それまではきみを家に閉じ込めて
誰にも会わせないのだと
ぼくにはこれ以上耐えられなかった
泣き叫んで涙を流した 狂ってる
いっそ殺してくれと祈りながら
恥も、生まれ育ったこの町も捨てた
ぼくたちの住むこの世界は
いったい何がどうなってるんだ
語り古された涙の種 語り古された別れ話
語り古された昔話が ぼくの心を吹き飛ばす
忘れようとして忘れられるものじゃない
おとぎ話に胸が痛むなんて
狂ってる –– ぼくは正気じゃない
ぼくはきみのもの、どんなに遠くにいても
結ばれている 永遠におぼえているよ、きみはぼくのもの
風向きは変わらない ただきみの残り香を漂わせるだけ
鳥たちは歌わない ただきみの名を呼ぶだけ
星に見捨てられた二人の 悲しい物語
胸いっぱいの苦しみを抱え
ひとり荒野をさまよいながら
なぐさめてくれる人もいないことを知り
自分の何が悪かったのかを考える
ただ親友のナウファルだけは
とことんつきあってやると気にかけてくれて
それでもうまくいかないと知ると彼は
きみの父さんに戦いを挑んだ
ところがきみの一族が破れたというのに
きみの父さんは以前とちっとも変わらない
ゆっくりと同じ言葉を繰り返すばかり
ぼくのせいできみの名に傷がついたのだと
ぼくの書いたこと、言ったこと全てが悪いのだと
ぼくたちが一緒になるのを見るくらいなら
きみを殺したほうがましだと
結局、引き下がったのはぼくの方だった
砂漠に戻って砂の上にきみへの詩を書いた
きみが読んでくれたらと祈りながら
時は流れ、きみの許にはひっきりなしに求婚者が訪れる
誰もがきみを自分のものにしようとして
実際、そうなったときには信じられなかった
きみが誰かの妻になっただなんて
こんな哀れな人生が本当にぼくの運命だなんて
痛みがナイフのように切りつけてくる
惨めさでぼくの心が焼け焦げる
災いも争いも二度と繰り返すまいと
ぼくは誓った、もう十分だ
語り古された涙の種 語り古された別れ話
語り古された昔話が ぼくの心を吹き飛ばす
忘れようとして忘れられるものじゃない
おとぎ話に胸が痛むなんて
狂ってる –– ぼくは正気じゃない
ぼくはきみのもの、どんなに遠くにいても
結ばれている 永遠におぼえているよ、きみはぼくのもの
風向きは変わらない ただきみの残り香を漂わせるだけ
鳥たちは歌わない ただきみの名を呼ぶだけ
星に見捨てられた二人の 悲しい物語
ぼくはすっかり狂ったと誰もが言った
打ちのめされて、頭がおかしくなったのだと
そのせいで父さんは病気になった
どんどん悪くなっていった
なにしろ、ぼくは父さんのたったひとりの息子で
つまり父さんにとってはぼくが全てだったから
失意のうちに父さんが死ぬと
きみはとても悲しんでぼくに手紙を書いてくれた
ぼくのことを思っていると書いてくれた
母さんが死んでしまったときには
今でもぼくを愛しているとさえ言ってくれた
逢えない苦しみがぼくたちの心をますます引き寄せ合い
もうこれ以上は耐えられない、引き返そうとぼくは決めた
ところが何の因果か、きみの亭主も死んでしまう
しきたりがぼくをきみから遠ざける
一年、いや二年の間 きみは喪に服して過ごす
単純なぼくたち ふたりで愛を編んでいたつもりが
できあがってみれば まるでもつれて破れた蜘蛛の巣
ろくでもない人生と引き換えに
ぼくは報われるんだろうか
ぼくが授かった全てを与え返すことが
どんな罪だというのだろうか
こうしてきみの墓の前に横たわり
今ぼくも死ぬ準備をしているところだ 連れていけ
物語はこれでおしまい ライラのマジュヌーン
語り古された涙の種 語り古された別れ話
語り古された昔話が ぼくの心を吹き飛ばす
忘れようとして忘れられるものじゃない
おとぎ話に胸が痛むなんて
狂ってる –– ぼくは正気じゃない
ぼくはきみのもの、どんなに遠くにいても
結ばれている 永遠におぼえているよ、きみはぼくのもの
風向きは変わらない ただきみの残り香を漂わせるだけ
鳥たちは歌わない ただきみの名を呼ぶだけ
星に見捨てられた二人の 悲しい物語
「……翼がほしい。空を飛ぶための翼が。そしたら国境を越えて問題だらけのここから抜け出せるのに。シリアはそういう社会。分かるでしょう。女なら手を切り落とされる。男なら木に吊るされる。でも、まだ希望は捨ててない。」