粉と脂を火にかけて、60分ねりねりと練り続けるのはもう少し涼しくなるまでやめておくことにしました。人間はそもそも弱くつくられているいきものなのだそうです。しょうがないです。
それでも未練がましくページをめくっていたら涼しげ×すてき×ハードル低そうなところにたどりつきました。
飲料
シェルベトの小瓶のような色とりどりの果実、
ひとつひとつ、味も香りも違った特別なもの。
(『ディーワーン』より)きみが病をえたと聞いて、治療を与える千種のシェルベトが
きみに愛と健康を届けたがり、台所で沸騰し陶酔しているよ
(『ディーワーン』より)
13世紀から現在にいたるまで、バラエティゆたかな飲み物やシェルベトの数々はコンヤ料理の誇りです。蜂蜜のシェルベト、ミルクと蜂蜜のシェルベト、ばら水のシェルベト、いちぢくのシェルベト、ざくろのシェルベト、砂糖のシェルベト、ミルクと砂糖のシェルベト、そしてシラ(Sira)と呼ばれる、ほんの少しだけ発酵させた葡萄のムスト。以上がメヴラーナのシェルベトです。いちぢくのシェルベトを除いてどのシェルベトも、コンヤでは今でも飲み継がれています。メヴラーナの書物には見つけることはできませんでしたが、ヴェルジュースとペクメズのシェルベトもコンヤ料理のひとつに数えられるでしょう。ワインやアイラン(ヨーグルトに水と塩を加えたもの)、コーヒーなども人気があります。メヴラーナの著作のおかげで、16世紀になるまでイスタンブールにはなかったコーヒーを、コンヤでは13世紀の頃から既に飲んでいたことが分かります。
自家製のシェルベトに加えて、現代では工場製のフルーツ・ジュースやソーダ、コーラなどもとても良く飲まれているようです。
コンヤはイスタンブールより300年先をいってますのよ、と仰ってます。この御本は全体的にこんな具合の著者の郷土愛がひょこ、ひょこと顔をのぞかせてくるのもたのしい。好きです、こういうの。
シェルベトについてよい紹介になりそうな、こんな記事を見つけました:「ムスリムの街で大ヒットしたコカ・コーラ社の飲料」 フレーム使用のサイトはリンクがはりにくいですね。。
もしあなたが、果物を使った甘い飲料のホシャフやコンポート、シェルベト、そしてヨーグルト飲料のアイランといったトルコの伝統的な飲料を忘れてしまったら、外国人はそれらを華やかに飾り立て、あなたに売りつけ、そればかりか何百万ドルと稼ぐことになる。……
コカ・コーラ社は、何百年も続く伝統を2010年のラマザン月に特別に食卓に提供した。コカ・コーラ社がムスリムの街で販売したこの「カッピィ・ラマザン・シェルベティ」は(販売で)新記録を達成した。……
実は、シェルベトやシュルプといった飲料はオスマン宮廷料理にも、庶民の食卓にも不可欠な飲料である。アナトリア文化においては、客人をもてなすための必須アイテムであり、またみなでそのうまさを分かち合うことに喜びをもたらすこの飲料は、しかしながら現在では忘れられていた。もっと正確にいうと、私たちは忘れてしまったのだが、コカ・コーラ社は忘れていなかった。……
文中に登場するカッピィ・ラマザン・シェルベティというのがとても気になります。横目でちらちら見やりつつ、
砂糖のシェルベト
以下はケマーレッディン・カービーの語った言い伝えである。「メヴラーナの果てしない偉大さを知った私は、愛する親友たちに相談した。導師メヴラーナのためのセマーを主催し、その場で弟子入りするつもりだと私が言うと、親友たちはコンヤを上から下まで探しまわり、混じりけのない上等の砂糖を集めてきてくれたが、それでも30袋にしかならなかった。私はスルタンの奥方ギョメチ・ハトゥンを訪ね、彼女は10袋の砂糖を都合してくれた。しかし砂糖がこれだけでは足りるはずもなく、誰にでもふるまうというわけにはいかない。一般の見物客たちには蜂蜜のシェルベトを飲んでもらおうと私たちは考えた。そこへメヴラーナが到着し、ケマーレッディンにこう命じた。「客人が多くてシェルベトが足りないなら、水を足せばよい」。それを聞いた私はカラタイ・マドラサの水場に砂糖を全部投げ入れ、できあがったシェルベトを大きな水差しに何杯か、スルタンの毒味役に検分するよう持って行かせた。毒味役はボウルになみなみとシェルベトを返してよこした。甘過ぎるので、あちらで水を足したという。そこで私も一口すすってみたところ、先ほどよりも甘くなっている。そこで更に水場から水差し10杯分のシェルベトを汲んだが、これもとても甘い。私は声をあげて泣いた。こんなすばらしい奇跡を起こしてくれたのはメヴラーナに違いないからだ。その夜、私はスルタンとスルタンに連なる名士諸侯の全員を招待した。メヴラーナは午後の礼拝から深夜までセマーを執り行った。私は腰に奉仕係の帯をしっかりと引き締め、靴脱ぎ場にまであふれた立ち見客一人ひとりにシェルベトを配り、またセマーですっかり喉が乾いた皆にもシェルベトを運んだ。
(エフラーキー『賢者の書』より)
引用からも分かる通り、当時は砂糖がとても希少な財産でした。砂糖のシェルベトは非常に貴重な飲み物だったのです。そして蜂蜜のシェルベトの方は、大衆のためのものと考えられていました。砂糖のシェルベトはアナトリア全土では結婚式には欠かせないものと考えられており、コンヤでは婚約の際に必ず用意するものとみなされています。
[材料]4人分
温かい水 800ml、または3と1/3カップ
白砂糖 大さじ4杯(お好みで足しても結構です)
[作り方]
白砂糖を水に溶かし、ガーゼで漉す。じゅうぶんに冷やしたらグラスに注いでサーブする。
何ということはない砂糖水。13世紀のコンヤと違い、21世紀のワクワークでは砂糖よりもむしろ蜂蜜の方が貴重かもしれません。が、それはともかくシェルベトのピラミッドのようなものがあったとして、たぶん一番高いところにあるのがこの砂糖水なのであろう。そしてこの砂糖水を基本に、いろいろ展開してゆくわけですね。
ばら水のシェルベト
混乱している者の不用意な言葉は、
砂糖とばらのシェルベトに毒をたらすようなもの。
(『マスナヴィー』より)
彼は立ち止まり、お辞儀し、挨拶の言葉を述べ、
それから汚れなき純粋なばらのシェルベトを差し出した。
(『マスナヴィー』より)
[材料]4人分
香りのよい、よく咲いたピンクのばらの花びら 50g
白砂糖 150g、または2/3カップ
水 1リットル、または4カップ
[作り方]
ばらの花びらをがくから外し、端の白い部分ははさみで切る。ボウルに花びらを入れ、半量の砂糖を加えてもみ込む。1時間ほどそのまま置いておく。鍋に水を入れ、残りの砂糖を加えて火にかけ沸騰したら火からおろす。少し冷ましたら、ばらの花びらを加える。よく冷やしてからガーゼで漉し、グラスに注いでサーブする。このシェルベットは前の晩から準備しておき、翌日の朝に漉すようにするとよりおいしく頂ける。
いちぢくのシェルベト
きみがいてくれないならどんな楽しみも、
まるで未熟ないちぢくのシロップ、蛇のように胃を噛んでくる。。
(『ディーワーン』より)
1950年代からこの方、コンヤでいちぢくのシェルベトを作ったという話や飲んだという話はめったに聞かれなくなってしまいました。いちぢくはデザートやお菓子、アシュレにも使われています。以下の通りに作れば、とても簡単においしいシェルベトが出来上がります。原点の味覚を探している方であればどなたにもお勧めしたいレシピです。
[材料]4人分
干したいちぢく 4個
水 800ml、または3と1/3カップ
ぶどうのペクメズ50ml、または白砂糖を大さじ4杯(甘味は好みで加減してください)
[作り方]
なべに水といちぢくを入れ、30分から40分ほどいちぢくがすっかりやわらかくなるまで煮たら火からおろす。ボウルにこし器を置き、煮汁ごといちぢくをこし器の上からボウルへ注ぐ。いちぢくを押しつぶし、裏ごしにする(こし器がなければ、泡立て器でつぶしたり茶こしを使うなどしてもよい)。水分が蒸発してしまっている場合、グラスに4杯分になるよう水を足して再び火にかける。沸騰したら、火からおろす。ペクメズまたは砂糖を加え、さらにもう一度火にかけて混ぜる。最後によく冷やして、シェルベトのグラスに注ぎサーブする。
『アリ・エシュレフ・デデのレシピ集』からは、
ばら水入りの甘いアーモンド・ジュース
[材料]4人分
アーモンド 150g、または1カップ
アーモンドをすりつぶすのに使用する水 200ml、または1カップ
水 900ml、または3と1/4カップ
白砂糖 75g、または1/3カップ(甘味は好みで加減してください)
ばら水 100ml、または1/2カップ
粉末のシナモン
[作り方]
石臼でアーモンドをくだき、水を入れてすりつぶす。目の細かいガーゼで漉し、アーモンド・ミルクを絞る。ガーゼに残った絞りかすは再び水を足して二度絞る。アーモンド・ミルク、残りの水、砂糖、ばら水を混ぜる。火にかけ、かきまぜ続ける。沸騰したら火を弱めて10分から15分、静かに煮る。グラスに注ぎ、シナモンをふりかけてサーブする。温かくても、また冷やしても楽しめる。
よし、だいたい分かった。ばらのシェルベトは食用花を使って作るという手があるな。いちぢくのも試してみたい。そしてひとまず作ったのが、
「しょうがのシェルベト」。「いちぢくのシェルベト」を作ろうと暑い中を富澤商店まで出かけたのです。干しいちぢくも買ったし干しあんずも買った。で、店内一周してたら「麦芽水飴」というのが売られていたのでつい。
氷2個分、スルタンに勝ったような気分になりつつひやしあめ、もとい「しょうがのシェルベト」をなめながらもうひとつ。
砂糖入りのミルクのシェルベト
コンヤでは今でも、メヴラーナの時代と同じようにとても好まれている飲み物です。これはアナトリア全体でひろく飲まれていますが、それは預言者ムハンマドがミゥラージュ(翼のある馬に乗り、天へお出かけになった出来事を指します)からお戻りの際に、ご友人たちにミルクをふるまわれたと信じられているからです。アイシェ・チヴィルはこう書いています。「タリーカが閉鎖される前は、ミゥラージュ・カンディリ(ミゥラージュを記念した行事)の時期にはメヴラーナの墓廟で『ミルクの夜』を祝ったものでした。回旋の祈りの儀式(セマー)が執り行われ、それが終わると集まっている皆にミルクが配られるのです。皆ミルクを飲み干して、めいめいにファーティハを唱え、それから家に帰ってゆきました。私は最後の『ミルクの夜』にも行きました。アタテュルクも、ラティフェ・ハヌムもその場に来ていましたよ。彼らは儀式を見て、手渡されたミルクを受け取り、皆と一緒に飲み、そして去ってゆきました。ミゥラージュの夜は、ミルクの夜とも呼ばれていました」。
[材料]4人分
ミルク 800ml、または3と1/3カップ
白砂糖 大さじ4杯
[作り方]
ミルクを沸かす。少し冷ましてから白砂糖を混ぜ入れる。ゆっくりと時間をかけて冷やし、すっかり冷たくなったらグラスに注いでサーブする。