あれからがんばっていちぢくのシェルベトを作りました。「がんばる」などと、えばるほどのことではないですけれども。ペクメズのシロップを使いました。ドライ・フルーツの「感じ」と、ペクメズのシロップの「感じ」がお互いにとても良く似ていて楽しい飲み物になりました。
いちぢく×ぶどうの組み合わせですが、どちらもなまのくだものだったときの酸味がうっすらと遠くの方に蜃気楼のようにかすんでいる「感じ」が似ているのです。結果「え?いいの?ほんとに?」っていうくらいふわふわと甘い。おいしゅうございます。
甘いものを口にした後は、
Sufi Cuisine
カフヴェ(コーヒー)
何とゆたかな土地か、わたしたちの王国は
第九の天から注がれるカフヴェを飲み
友と集えば、アーモンドのヘルヴァが雨とふる
(『ディーワーン』より)御婦人よ、わたしのカップにカフヴェを注いでおくれ
何度も、何度でも注いでおくれ
しらふのまま貴女を訪ねる男ほど不幸な者はない
しらふは避けるべきだ 彼も、そしてもちろん貴女も
(『ディーワーン』より)
メヴラーナはコーヒーについて語るのに、アーモンドのヘルヴァをお供にしています。それ以前のコンヤでは、コーヒーといえばロクム(ターキッシュ・ディライツ)と水を添えるのが伝統的な楽しみ方でした。現代ではコーヒーはチョコレートをはじめ、様々なお菓子と一緒に楽しまれています。
コーヒーを淹れるときは表面に浮かぶ泡が消えてしまわないよう、前もって細かな注意を払い、用心して淹れなければいけません。あなたが淹れたい杯数分の量を淹れるのにふさわしい大きさのジェズヴェ(トルコ式コーヒーを用意するのに使われる、把手のついた金属製の小鍋)を準備しましょう。二人分のコーヒーを淹れるのに三人用のジェズヴェを使うようでは、コーヒーは美しく泡立ちません。あまり強くかき混ぜても、泡はこわれてしまいます。さらにコーヒーが沸き立ってからあわててジェズヴェのふちや把手をつかんで火から降ろそうとしたり、ジェズヴェを火にかけたままゆすったりしていては、確実にコーヒーが吹きこぼれてしまうことでしょう。
砂糖抜きのコーヒーを「サーデ」と呼びます。甘いコーヒーには、小さじ2杯の砂糖が入ります。わたしのコーヒーのレシピは「オルタ(ミディアム)」です。最高においしいコーヒーを味わうには良質のコーヒーカップを湯をわかした小鍋に沈め、弱火で少なくとも8分は温めてください。
[材料]1人分
水 トルコ式コーヒーカップに1杯
上白糖 小さじ1/2杯
トルコ式コーヒー 小さじ2杯
[作り方]
ジェズヴェに水をそそぎ、砂糖を加えて火にかける。温かくなったらコーヒーを加え、すっかり水と混ざるまでかき混ぜる。沸騰したら表面にできた最初の泡をスプーンですくいコーヒーカップに移す。ジェズヴェに残るコーヒーも、5、6回同様に繰り返し、最後に泡の上から注いでできあがり。
私、確実に吹きこぼしちゃうクチだわー。
本当はもう2篇ほど『ディーワーン』の抜粋が添えられているレシピですが、ちょっと力尽きたので省略。私は「サーデ」のコーヒーに角砂糖を添えてもらうのが好きです。舌の上に角砂糖を乗せてからコーヒーをすすります。ほん、とう、に美味しいです。
それにしてもあの小さなカップに、こんな手間ひまかかっていたとは知りませんでした。飲むのにも手間ひまがかかりますが……さらさらに挽かれてすっかり水に溶け込んでいるコーヒーの粉にむせないように液体の部分だけを優雅にすするというのが私にはなかなか難しい。餌も何もぜんぶひとからげにぶかぶか飲み込んでしまう池の鯉のように無様な感じになります。
コーヒーについてふらふら、なんかないかと検索してたらarchive.orgに“All about coffee”というなんだかすごい御本が収められているのを見つけました。編者はThe Tea and Coffee Trade Journal(という業界専門誌?)、発刊は1922年となっています。ふらふら、なんかないかと検索してたらひっかかったからふんじゃあぺらっと読んでみようか、と言うにはなんだかいろいろとすさまじい。コーヒーの歴史から生産地から、生産地別の特徴から焙煎の仕方だの道具だの、800ページ超の大書です。挿絵や写真もたくさん盛り込まれていて(もちろん時代がかっているところも含めて)とても楽しい。農園で育ったコーヒー豆を摘んで発酵して焙煎して、船に乗せて運んで、そういういろいろなプロセスを経てコーヒーになるまでのチャートに「一杯のコーヒーの進化(The evolution of a cup of coffee)」なんていうタイトルがついているのも、あー、「進化」「進化論」がバズワードの時代があったんだなという感じで楽しいです。
に、してもこんなすごい御本なら邦訳も出てるんではないか?と著者名などで検索してみたところ、ありましたありました。これです、『オール・アバウト・コーヒー (コーヒー文化の集大成)』。31,456円。31,456円!!密林のマーケットプレイスでは48,400円ってなってます。ひい。
あー、でも同著者の『ロマンス・オブ・コーヒー』シリーズの表紙ときたらえらいかっこいいですね……
(もうひとつ、これは国会図書館の書誌サーチで見つけたのですが著:板寺規四『珈琲全書』上下巻。該当書ではなさそうな感じもしますが、これはこれでちょっとのぞいてみたい。)
で、さて”All about coffee”と名乗るくらいの御本ですから、もちろんわれらがシェイク・オマールの逸話もこんなすてきな挿絵入りで紹介されています。第3章、”Early History of Coffee Drinking”から。
『信心深いアラブ人の年代記』によれば1258年ごろ、モカの町の伝説的な英雄であり守護聖者のSheik Abou’l hasan Schadheliの弟子Shaik Omarが、ある罪を犯してアラビア半島はオウサブの山に追放された際のこと。食料もつき、彼もその弟子たちも飢えに苦しんでいたところ、木々が赤い実をつけているのを見つけた。……
他に何も食べるものもなく、彼らはこの実を小鍋にいれて水で煮出した汁を飲むとたちまち飢えから回復した。優れた医者でもあったShaik Omarは、これを用いて多くの病人をいやした。魔法のようなこの木の実の話はたちまち都にも伝わり、Shaik Omarは再びモカの町に招かれた。町の有力者たちは彼と彼のタリーカのための修道場を建立して歓迎した。……
これ以外にも別バージョンの伝説によれば、デルヴィーシュのHadji Omarは敵によってモカの町から砂漠に追放されてしまう。敵たちは彼が砂漠で餓死するだろうと目論んだのだが、彼は赤い実のなる木を見つけてこれを食べる。しかしあまりにも苦く食べられたものではないので、今度はこれを火に焙ってみる。しかし火に焙っても相当に固い。そこで今度は水で煮てみる。実そのものは固いままだったが茶色い煮汁ができたので少しでも滋養があるのではないかとこれを飲んでみると、不思議と活力がわいてきた。疲労も消え、落ち込んでいた心も軽くなった彼は意気揚々とモカの町へ帰ってきた。人々は彼の生還を奇跡と考え、彼が持ち帰った飲み物はたちまち大評判となり、彼はモカの町の聖者となった。……
この他にもAbd-al-Kadirの語ったオマールのコーヒー発見伝が有名である。これによればHegira暦656年、mollah Schadheliがメッカ巡礼に出かけた。エメラルドの山(オウサブの山の別名)に着いたとき、彼は弟子のOmarを振り向いてこう言った。「わしはここで死ぬようだ。わしの魂が抜け出したとき、ヴェイルを被った者がおまえのところへやって来るだろう。その者が命じた通りに行うように」。……
自ら予言した通り、Schadheliはその場で息絶えた。その夜中にOmarが目をさますと、ヴェイルを被ったまぼろしの巨人があらわれた。「誰だ」とOmarが問うたところ、まぼろしの巨人がヴェイルを外した。何とそれはかつての師Schadheliであった。その姿は死後に10キュビットも大きくなっていたのである。……
驚いているOmarの目の前で、師は土を掘り返しはじめた。すると奇跡のようにこんこんと水が湧き出てきた。師の霊は鉢に水を汲んでOmarに持たせ、「水面が揺れなくなるところまで、決して立ち止まらずに進め」と命じた。「あちらの方角だ。そこで偉大なる運命がおまえを待っている」。……
そこでOmarは旅立った。イエメンはモカの町にたどり着くと、水面がぴたりと動かなくなった。ここが彼の目的の地であったらしい。モカは美しい町だったが、人々は疫病に苦しんでいた。Omarが人々のために祈ると、まるでマホメットの近親者が祈ったかのように人々が病から回復した。……
しかしそうこうしている間にも、とうとうモカの王の娘が疫病にかかってしまった。そこで王は、祈りによって人々を疫病から救ったと評判のデルヴィーシュ(Omarである)のところへ娘を連れてやってきた。王の娘は疫病から回復したが、王の娘があまりにも美しかったため、善良なデルヴィーシュは恋に落ちて王の娘を奪おうとした。……
だが王は娘を褒美にすることなど全く考えていなかった。追放されたOmarはオウサブの山へ逃げた。「ああ、わが愛する導師Schadheliよ。モカの町で起きたできごとが私の運命だったと言うのですか。どうして私に、水を汲んだ鉢など持たせたのですか」。彼がそう嘆くと、不思議な声でさえずる鳥の歌が聞こえてきた。鳴き声の聞こえる方へと走ってゆくと、鳥の姿はなくただ赤い実をつけた木の枝がゆれている。……
Omarはその赤い実を摘んで食べてみると、それはとても美味だった。そこで彼はポケットにいっぱい赤い実を摘んで持ち帰り、ふと思いついて師からもらったあの鉢に湯をわかし、そこに実を入れてスープにした。たちまち素晴らしい香りがあたりにたちこめ、飲んでみるとそれがコーヒーだった。……
Schadheliとあるのはシャーディリーヤあるいはシャーズィリーヤ・タリーカの先生のお名前ですね。こういうお話は本当に好きです。
あとお話というのではないけど、こういうのとか:
第35章、”World’s Coffee Manners and Customs”から。トルコのカフェの店員が着てたから「カフェタン(カフタン)」っていう説は初耳。