1000 Lashes: Because I Say What I Think
3. 天文学者を鞭打ちに
おもしろ系イスラム説教師の一人が、天文学者5どもは自分たちの行いの結果の重大さと向き合うべきだと命じている。「近頃の天文学者には困ったものだ」と彼は言う。「彼らはシャリーア上の見解に反している」。自分たちは天文学という科学に反対しているのではない、とイスラム学者たちは言う。「それ(天文学)は長い歴史を持つ学問だ」。そうして彼らはこう付け加える、「しかしシャリーア上の見解を疑ってかかる者は断固として拒否する」。どうやら説教師たちは、天文学者たちなんていうのは単なるアマチュアか青二才に過ぎず、シャリーアの専門家の足元にも及ばないと考えているらしい。過去30年くらい、ずっと星を観察し続けていたのは天文学者たちの方なんだけど。
実を言うと、ぼくはこういう説教師たちには全力で注目している。何しろ彼らときたら次から次へと、ぼくらがまったく知りもしなかった隠された事実を教えてくれるからね。ぼくも知らなかったけど、どうやらシャリーア天文学なんていうのがあるらしい。何て興味深く美しいコンセプトだろう。こんなの、ぼくの乏しい経験だとか宇宙や惑星に関する研究だとかからは思いつきもしなかった。さっそくNASAに電話して、望遠鏡なんか捨ててぼくらのシャリーア天文学者たちを雇うようぼくからも進言しよう。NASAのポンコツ望遠鏡なんかより、彼らの観察力の方がよほど優れてるみたいだし。
真の科学を学ばせるためにもNASAは自分たちの科学者を何人か、ぼくらの説教師のところへ派遣するべきだと思う。ぼくらのシャリーア天文学者の偉大なる教室で、NASAの連中が学生らしくお行儀よくひざまづいて講義を受けるんだ。いっそのこと世界じゅうのありとあらゆる分野の研究者たちに、オフィスもラボも閉鎖するよう呼びかけよう。全員が全員、今いる研究センターだの大学だのを立ち去って、ぼくらの栄光なる説教師たちを中心とした知的サークルにただちに加わるべきだ。世界じゅうの科学者たちは、あらゆる最先端の科学をぼくらのシャリーア学者から学ぶべきだ。医療もエンジニアリングも、化学も地質学も、物理学も核科学も何もかもだ。海洋学、薬学、生物学、人類学、とにかく何から何までぜんぶ勉強させなくてはだめだ。
もちろん肝心の、天文学や宇宙学についても学ばなくてはいけない。だってそうだろう。知っての通り、あらゆる物事についての決めゼリフを持っているのはぼくらの説教師 –– 彼らに長寿と繁栄あれ –– をおいて他にいないのだから。全人類は観念して、ためらうことなく疑うことなく彼らに心を明け渡すべきだ。
世界じゅうのあらゆる国が、あらゆる分野の科学者たちをあちらこちらから招へいし、経済的な報酬を与え、考えられる限りの技術的・実務的サポートを提供している。そうした国々はそうした科学者たちに誇りをもって国籍を付与し、知識と発展を探究する彼らのあらゆる挑戦を援助する。
その一方でぼくらは、飲酒をした者には80回の鞭打ちを宣告する。これが天文学者なら何回ぶんの鞭打ちに相当するのか、ぼくには見当もつかないけれど……。
5 保守的なイスラム学者は、物理的現象に関するコーランの節を字義的に解釈し、またそうした節はその正しさにおいて論駁不可能なものとみなしている。彼らによる解釈のいくつかは科学的知識と相反する。たとえば地球の形状については彼らは平らであると主張する。また天あるいは宇宙(彼らに言わせれば、天は多層的に配されている)、惑星の軌道についても同様である(彼らに言わせれば、太陽が地球の周囲を公転している)。現在に至るまでサウジのイスラム法学者たちは、この世界観が正しいことを特に力説しており、科学的な視点を支持しようものなら異端者として非難する。
[以下、めも] ライフ・バダウィ『1000 LASHES』から、”3. Let’s Lash Some Astronomers”を読んでみました。『1000 LASHES』は表紙を含めて60ページほどのペーパーバックで、2010年から12年にかけて書かれたエッセイを中心に15編プラス獄中記が収録されています。前書きを寄せているのは宇宙物理学者のローレンス・クラウス教授。
ライフ・バダウィってどこの誰ですか、という方はこちらの「サウジ最高裁、ブロガーへのむち打ち1000回と禁錮刑を支持(AFP)」をご参照ください。←では「市民ジャーナリスト」なんていう肩書きで呼ばれていたりしますが、まあご覧の通りで全体的にジャーナリスティックな文章ではありません。たいていは「ブロガー」とか書かれていることが多いようです。
上記の、”3. Let’s Lash Some Astronomers”は初出が2011年9月となっています。その頃に、天文学周辺に関して何かおもしろいファトワって出ていましたっけ。バダウィ氏と同様、私もこれでわりといわゆる「イスラム法学者」諸氏の言動には注目している方ですが、今ちょっとすぐには具体的に思い出せません。でもあーなんかあったなあ、という気はします。
まあ言動に注目するとは言っても、伝え聞く彼らのそれは「○○はイスラムに反している」「○○はイスラムに反している」的なのばっかりなんですけれども。始めの頃は「次は何が反してるって言いだすんだろう」なんて妙な期待をしてたりもしましたが、そのうち多過ぎていちいち全部をおぼえていられなくなるんですよ。彼らの手にかかったら、イスラムに反していないものなんて何もなくなっちゃうんじゃないか。放っておけばそのうちイスラムはイスラムに反しているとか言いだすんじゃなかろうか。
『1000 LASHES』中、特に気に入った/気になったのは”8. The Kingdom Come of the Syrian Spring”という文章。何だかとても良かったと思います。良かったというか。シリアの詩人al-Muthannal-Sheikh Attieh(知りません、どなたか教えて下さい)の小説『The Queen of Kingdom Come(もちろん読んだことありません、どなたか教えて下さい)』の引用から始まる「シリアの春」に寄せた一文なのですが、これだけ他の文章からはちょっと違った雰囲気で、続きが読みたいなあと思いました。
ええい、もう少しまともな読書感想文は書けないものか、などと思いつつこのへんで。事情が許せば、ぽつぽつ、同書に収録されている他の文章も紹介してみます。
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