R. バダウィ『知識人、中傷、異端審問:トゥルキー・アル=ハマドの場合』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

2. 知識人、中傷、異端審問:トゥルキー・アル=ハマドの場合

サウジアラビアのイスラム主義者の活動家たちは、その多くが遠い昔に過ぎ去った時代の復活を夢見ている。彼らが夢想しているのは、中でもとりわけアッバース朝カリフのアル=マフディーや、それからウマイヤ朝のアル=マアムーン、アル=ムタワッキルといったカリフたちの時代だ。こうしたカリフたちがその敵対者を追放したり、殺害したりしたことはよく知られている。彼らは敵対者を「背教者」と中傷したり誣告したりした。そうすることで、政治的なイスラム支配の下に自分たちの行為を正当化したのだ。

現代のイスラム主義者たちは、歴史が再び繰り返すのを望んでいる。彼らにだって夢を見る権利はある、それは誰も否定していない。しかし彼らの行為はもはや夢を見るといった範疇を越え、すっかり組織立てられた協賛のシステムに変化している。宗教と信仰について、彼らは自分たち自身の見解を世間に提示してみせる。そしてその歪んだ見解を、人々に強要して苦しめる。最近では自分たちと他人をひき比べ、どちらの方がより預言者 –– 彼の上に平安あれ –– に愛されているか挑んだり争ったりするという暴挙に出るまでになった。

そうとも。21世紀にもなった今、そういうことが起きているのだ。

ハムザ2がツイートしたメッセージに拒絶反応を示した多くの人々が、当局が公的な判断を下す前に彼を断罪した。飢えた吸血鬼たちが、彼の血を求めて沢山のツイートを発した。

ハムザのツイートと啓発運動を一緒くたにした瞬間、それは中傷者たちが自分たちの低劣さのレベルを更新した瞬間だ。彼らは鈍重な魂と鋭利な口先を持っていて、文化的な暮らしや啓発のために尽力している者なら誰かれ構わず自分たちとの醜い争いに引きずり込もうと探しまわっている。彼らが争いたがるのは、啓発者たちのロビー活動を自分たちに対する攻撃であり、反宗教的な背教運動とみなしているからだ。

(ハムザ・)カシュガリとリベラル運動を関連づけようと、過激なイスラム主義者たちは疲れ知らずのありあまるエネルギーでもってせっせとやることをやり続けていた。自分たちの支持者に対して、この国のリベラリストのうち、中でもとりわけ最重要人物のひとりがカシュガリなのだと訴えた。そんなのはまったく真実からはほど遠い。カシュガリがむしろサウジアラビアのムスリム同胞団と近しい仲なのは周知の事実だ。彼がリベラリズムを認めているだなんて一度も聞いたことがない。彼自身、自由主義を支持するなんて言ったこともない。

カシュガリに対する迫害は、国王の勅令でもって布告された「印刷物ならびに出版法(Law of Printed Material and Publications)」のスキを狙おうとする過激派たちの目論みだ。間違いもいいところで、何の価値もない。彼らは自分たちに賛同せず、自分たちと違う意見を述べようとするあらゆる作家たちや自由思想の持ち主を訴追したがっている。国王の勅令でもって施行可能となっている現行の法ではなく、自分たちのイデオロギーを支える自分たちのシャリーア法でもってカシュガリを裁きたがっている。

言論の自由に対する反対運動は1998年に始まった。作家トゥルキー・アル=ハマド3が背教の罪で訴えられた年だ。過激派たちは彼を追いまわし、彼の斬首を要求した。

ここで最も重要な疑問は、こんなにも敵意に満ちた反応を引き起こすような、いったい何をアル=ハマドが言ったのか、ということだ。彼はその小説の中で、こんな一行を書いた。「神と悪魔は、同じ硬貨の表と裏だ」。たったこれだけだ。

アル=ハマドは自分の立場を、多くはインタビューの中で何度も繰り返し説明した。問題視されたその一文は、アル=ハマド自身ではなく彼の小説の登場人物の台詞なのだ、と。宗教的な話としてなら、シェイフ・ムハンマド・ビン=オスマン4によればメッセンジャーは自分が運ぶメッセージに対する責任を負わない。字義的な話としてなら答えは明瞭だ。表と裏、すなわち神と悪魔は決して相容れない、という意味なのだから。神はその栄光ある善の道の方を向いており、悪魔は悪の道の方を向いている。その顔はどちらも決してお互いの顔を見ようともしなければ、お互いの目を覗き込もうともしない。同じ道を歩むこともなければ、同じ方向を見ることもない。

小説の中でこの台詞を言った登場人物の名はハーシム。感情をひどく傷つけられた彼の心に、こうした考えが浮かんだ、という場面だ。それでも、当時の意思決定の責任者たちには理解があった。そこで彼らは賢明なやり方でアル=ハマドに対するファトワの嵐を止めさせ、公的にもこの危機に終止符を打ったのだった。

それでもイスラム主義者たちの運動は決して終わらなかった。

14年もの間、イスラム主義者たちは一般大衆に向けてアル=ハマドをあたかも危険人物であるかのように虚偽の喧伝をし続けた。彼は冒涜者であり不信仰者であると訴え続けた。彼らが握っていた唯一の証拠は小説の中の登場人物の台詞、それも文脈から切り離されて意味を失い空っぽになってしまった一行のみだった。

おおっぴらにアル=ハマドを中傷する目的で彼の敵対者たちが、勝手に改ざんした動画をYoutubeにアップロードしたこともある。動画には論争の的となった例の一文だけを残し、著者の説明を省略するという編集がされていた。アル=ハマドの敵対者たちは大成功を収めた。つぎはぎだらけのビデオに多くの人々が騙され、すっかり信じ込んでいたのだから。

ぼくはジェッダの文芸クラブで開催されたアル=ハマドのQ&Aイベントに出席したときのことを覚えている。参加していた聴衆からの質問タイムになったとき、一人の老人がステージに近づいてきた。「わしはこの人のことは良く知らんが」、彼は言った。「アルハムドゥリッラー(神よ、感謝します)。わしはこの人の書いたものはただの一行も読んだことがない。ただこの人がアッラーに背く言葉を吐いたというのは聞いていた。それで神の思し召すまま、その男の顔を見てやろうとここへ来たんだ」。

事実をねつ造して他人を利用する連中に感情面で操られてしまう人々は大勢いる。あのときの老人だってそうした大勢の、ごくふつうの人々のひとりに過ぎないのだ。

2. バダウィがこの記事をブログに投稿した当時、ハムザ・カシュガリはアル=ビラド紙のコラムニストだった。2012年の初め、カシュガリは彼が発信した3つのツイートがイスラムに対して批判的であるとみなされ、サウジ当局者の標的にされた。その間にカシュガリはマレーシアへ逃亡したが、サウジアラビアに強制送還された。それから2013年末までの約2年、彼は刑務所に収監された。ツイートはマウリド・アン=ナビー(預言者の聖誕祭)の祝日に寄せて発信されたものだった。

「あなたの誕生日、私はあなたの革命的なところが大好きだ。あなたはいつでも私を勇気づけてくれる。でも神聖視するのは好きじゃない。私が祈るのは、あなたに対してじゃない」
「あなたの誕生日、どこにいてもいつもあなたを見ている。私にはあなたの大好きなところもあれば、嫌いなところもある。そして分からないところはもっと沢山ある」
「あなたの誕生日、私はあなたに頭を下げたりしない。あなたの手にキスしたりしない。それよりもあなたの手を握りたい、対等の友人として。あなたが私に微笑んでいる間じゅう、私もあなたに微笑みたい。友人としてあなたと語り合いたい、それ以外の関係なんてあり得ない」

3. トゥルキー・アル=ハマドは著名なアラブ人作家であり知識人。主要な作品に三部作Atyaf al-Aziqah al-Mahjurahがあるが、サウジアラビアではその他多くの作家と共に発禁処分を受けている。

4. シェイフ・モハメド・ビン・オスマンはサウジアラビアの主要な宗教者の一人であり、アラブ世界における最も有力なスンニ派の精神的指導者でもあった。2001年没。


[以下、めも][随時追加]前回に続いてライフ・バダウィ『1000 LASHES』から、”2. Defaming the Intellectuals and the Inquisition Courts: Turki al-Hamad as an Example””を読んでみました。

ハムザ・カシュガル氏については「預言者ムハンマド「嫌い」とツイート、サウジ記者に死刑の恐れ(AFP)」という記事がありました。それからニューズウィーク日本版「独裁者たちのSNS活用法」など。

カシュガル氏の預言者ムハンマドに対する距離感というのは、私などにしてみれば適切という他はないように感じられるのですが、しかしそうは思わない人々がいるのも確かなことです。「そうは思わない」ことそれ自体は一向に構わないのですが、かといってそこで「その距離感けしからん」と、例えばカシュガル氏に対してそうしたように距離を詰めてこようとする人が中には若干いるのが困りものです(どうでも良いですが「距離感」と「距離」というのは大いに異なるものですね)。

個人的に一番興味深く読んだのは7段め、「印刷物ならびに出版法(Law of Printed Material and Publications)……」のくだりあたりです。現在の政治体制を力こぶでもって転覆してやろうだとか、そういう不穏な意図はないのだというのを強調しているようにも読める箇所です(そして実際にそうなのでしょう)。

めもはまたいずれもう少し追加することになるかと。