“Mizan al-haqq”に追加

『天秤』、追加しました。↓

十一. ヤズィードの呪詛
十二. ビドアについて
十三. 墓参の巡礼について

読んでいて、ガッザーリーとかイブン・タイミーヤといったビッグネームを含むいろいろな人名や書名が登場するあたりもポイントになってくるわけです。とりあえず、「十一. ヤズィードの呪詛」で言及のあるガッザーリー、ハッラースィー、イブン・ハッリカーンとその著Wafayatについてなど。

イブン・ハッリカーン [Shams al-Din Abu al-Abbas Ahmad ibn Muhammad ibn Ibrahim ibn Abi Bakr ibn Khallikan al-Barmaki] 1211-82
著名な人名辞典『貴顕たちの伝記』の著者。シャフィーイー学派の法学者。ジャズィーラ地方のイルビルでバルマク家の後裔と称する家系に生れる。アレッポ、モースルなどで学んだのち1237年頃エジプトへ移り、のちエジプトの大カーディー(法官)代理。シリアの大カーディーなどを歴任。同時にカイロのマドラサでも教えた。『貴顕たちの伝記』は、教友やカリフなど以外で没年の知られていた重要人物の伝記を、著者の時代にいたるまで集成し、本名(イスム)のアラビア文字順に全855項目にまとめあげた貴重な文献。
(『岩波イスラーム辞典』)

『貴顕たちの伝記』、つまりWafayatですが、これもまたarchive.orgに英訳全4巻がありました。すごーい。
Wafayat al-Ayan (The Obituaries of Eminent Men) By Ibn Khallikan

ヤズィードについては斯様な記事がwikipediaにあった。べんりべんり。キャーティプ・チェレビーのヤズィード観(と、いうのがあるとして)と比較してみてもおもしろいかもしれない。

アル=キヤー・アル=ハッラースィーについての項は第2巻に。ヤズィードを罵ることの是非についてのハッラースィーのファトワはこんな感じでした。

……彼は教友の一人ではなく、何故なら彼はウマル・イブン・ハッターブの時代に生まれている。本件に関する初期のイマムの意見としては、アフマド(・イブン・ハンバル)によるこれについての二度に渡っての主張について述べておこう。一度め、彼は(ヤズィードに対する)悪態が暗に示されることはあり得る、と発言した。二度めには、悪態は公然と表わされるべきである、と発言している。マーリク(・イブン・アナス)も、アブー・ハニーファも同様の意見を述べている。しかし私の意見はただひとつしかない。つまり、悪態は公然と表わされるべきである。そうしない理由があるだろうか?ヤズィードはナルドに興じる遊び人で、豹を訓練して狩猟を行ない、しかも常習的なワイン愛好家だったことは彼の詩を見れば一目瞭然ではないか。その一部など、以下の通りである。

「ワインの杯を中心にわが友人たちが集えば 愛の喜びを高めんがために楽師は歌い われは告げる、存分に楽しみ喜べと どれほど長く続くものでも いつかは終りを迎えるのだからと」

……紙幅さえ許せば、この男の非行ぶりを暴くための文字を惜しむものではないのだが。
署名:アリー・イブン・ムハンマド

うーん。すごい。

著者のイブン・ハッリカーンはこの後に続けて、ガッザーリーのファトワを紹介しています。両論併記というには長い。そもそもこれはハッラースィーの項なのに、という気もしなくもないですが、しかしそれでもここでこっちのファトワも引用しておかないと絶対まずい、みたいなイブン・ハッリカーンのきもちもわかる。

……かつてイマーム・アブー・ハミード・アル=ガッザーリーが同じ主題について意見を求められた。彼の与えた返答は前述とは全くの逆であった。彼に宛てられた質問は以下の通りである。「ヤズィードを公然と罵った者はならず者として扱われるべきか、あるいは寛大に処遇するべきか?ヤズィードにはアル=フサインを殺害する意図があったのか、あるいは自己防衛としてのことか?ヤズィードについて語る際に、彼の上に神の慈悲があるよう発言するのは許されるのか、あるいは祈りは抑制されるべきか?われわれの疑念を晴らす法学者に神の報奨があらんことを!」。

これに対する彼の返答は以下の通りである。「ムスリムを罵ることは絶対的に禁じられている。ムスリムを罵る者は自らが罵られるべき者である。祝福されし預言者は以下のように述べている。『ムスリムは罵らない』。野山のけものを罵ることさえ許されていないのに、どうしてムスリムを罵ることが許されようか。われわれには、そのようなふるまいの禁止が下されているのである。

更に祝福されし預言者の明白な宣言によれば、ムスリムの尊厳はカアバの尊厳よりも大きい。さて、ヤズィードがムスリムであったのは確かなことである。しかし彼がアル=フサインを殺害したか、あるいは彼の死を命じたのか、あるいは関わったのかは不確かなことである。そしてそれらの状況が確定的でない限り、彼がそれを行なったと考えるのは許されることではない。

また全能の神が命じている以上、ムスリムについて悪く考えるのは禁じられている。(他者についての)好ましからぬ意見を受け入れるような真似はしてはならない。何故なら時にそうした意見が罪である場合がある。そして祝福されし預言者はムスリムの血、財産、そして評判は神聖なものであり、ムスリムについて悪く考えるべきではないと宣言している。更に、もしもヤズィードがアル=フサインの殺害を命じたか、あるいは関わったと主張するならば、極めて愚かしいその主張の明白な証明を提示すべきである。何故ならこれが同時代の出来事であったなら、それが自分の近隣や自分の目の前で起きたことでなくとも、かような偉大な人物、宰相、スルタンが殺害されたとなれば、実際の状況がどうであったかを解明する努力をしなければならず、誰がどのような意図をもって命じたのか、誰が反対したのかといった詳細を論じない限り、主張は成り立たないはずである。で、あるならば、どうして遠い異国で起きた、それもはるか昔の出来事の詳細をさも知っているかのように論じることができようか?またどうしてほぼ四百年も経過した今になって、(ヤズィードの行ないの)真実だの、遠く離れた場所で殺人が犯されただのを知ることができるというのか?

加えてこの出来事に関する話題は党派心に端を発しており、党派を重んじるあまりの虚偽の弁明が至るところに多く見られる点も考慮されねばならない。従って、本当の状況がどうであったのかは知られようもないのである。またこういう事情がある以上、そうするに値するムスリムについては良い方向に考えるということが、われわれに貸された義務となる。

これについてはいくらかの観察が加えられよう。一人のムスリムが別のムスリムに殺害されたという確証がある場合、正統な法学者の釈義からすれば殺害者すなわち不信仰者とはならない。不信仰とは行為それ自体にあるのではなく、神への不服従にあるからである。殺害者が死ぬ前に悔悟することも起こりえるだろう。更に不信仰者が信仰者に改まることもありうる。その場合、彼を罵ることは許されない。で、あるならば殺人を犯したことを悔悟する者を罵るなど、どうして許されうるだろうか?加えて、アル=フサインの殺害者が悔悟せずに死んだなどとどうして知りうるだろうか?主はその被造物の悔悟を受け入れたもう。

従ってムスリムをその死後に罵ることは合法ではなく、また彼を罵る者はならず者であり神に服従しない者である。たとえ彼を罵ることが許されたとしても、それを慎むことは罪ではないというのがイマームたちの一致した見解である。否、生前に悪魔を罵らなかった者が審判の日に、なぜ悪魔を罵らなかったのかなどと審問されることはない。むしろ悪魔を罵った者たちの方こそ自分たちの動機を審問され、それにより何ゆえに悪魔が拒絶され、呪われたのかを知る羽目に陥るのである。呪われた者とは全能の神から遠くへ追いやられた者であるが、しかしそれが誰であるかについては秘されている、上述のように不信仰者として死ぬことが明白な者を除いては。

ヤズィードに神の慈悲があるよう祈ることについては、これは許されている。否、これは(神の御目には)推奨されることである。否、それはわれわれがあらゆる礼拝において口にする言葉にすでに含まれていることである。「神よ!信仰する男女をお赦しください」。何となればヤズィードは信仰者の一人であったのだから。私の意見の正誤については、神が最もよく御存知である。
署名:アル=ガッザーリー」