年表・The A to Z of Sufismから (4)

前回からの続きです。

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923/311 アブー・ジャアファル・アッ=タバリー没。偉大な修史家、コーラン解釈者。

931/319 イブン・マサッラ没。イベリアの神秘家、著述家、哲学者。コルドバの初期スーフィー学徒の指導者であり禁欲主義者。

932/320 ムハンマド・イブン・アリー・アル=ハキーム・アッ=ティルミズィー没。中央アジアの神学者。

932/320頃 アブー・バクル・ムハンマド・アル=ワーシティー没。バグダードにおけるハッラージュの同時代人。

934/322 アブー・バクル・アル=カッターニー没。初期におけるバグダード学派の一人。アブー・アリー・アフマド・アッ=ルドバーリー没。シャフィーイー法学派の神秘家。

935/323 アル=アシュアリー没。主流の神学に対しムウタズィラの方法論の要素を取り入れた屈指の神学者。

945/333~4 シブリー没。イラク人のスーフィー、ジュナイドの弟子。

949-1022 新神学者シメオン没。神化と神秘体験に関するビザンチン時代の主要な著述家。

950/338~9 アル=ファーラビー没。著名なイスラム哲学者、トルコ系。

959/348 ジャアファル・アル=フルディー没。バグダードのジュナイドの朋友。

965/354 または 976/366 アブドゥル=ジャッバール・アン=ニッファーリー没。イラク人。Kitab al Mawaqif wal Mukhatabat(神秘の階梯ならびに神秘の啓示)の謎多き著者。

965/354 ムタナッビー没。ハムダーン朝宮廷の偉大なアラブ頌詩詩人。

969~1171/358~566 ファーティマ朝の勃興。新たに造営された首都カイロから中東の中央部を支配。

973/362 カイロにアズハル・モスクが建立される。ファーティマ朝支配下におけるシーア派知識人の中心地となる。

977/367 アブ・ル・カーシム・イブラーヒーム・アン=ナスラバーズィー没。シブリーの弟子。

982/371 イブン・ハフィーフ没。シーラーズの著名な神秘家、約百歳の長寿を全うする。アブ・ル・フサイン・アル=フスリー没。バスラの禁欲家。

988/378 アブー・ナスル・アッ=サッラージュ没。ホラーサーンの理論家。大いに影響を及ぼした教学書『閃光の書』の著者。

990/380 ビシュル・ヤー=スィーン没。アブー・サイード・イブン・アビー・ル・ハイルのシャイフ。

990/380 または 994/384 アブー・バクル・ムハンマド・アル=カラーバーズィー没。歴史家、中央アジア出身のスーフィー理論家。『タサウウフの教えの解明』著者。

995/385 イブン・アン=ナディーム没。Fihrist(『目録の書』、書籍目録の大著)著者。ズーン・ヌーンの著作2点が「錬金術の書」として記されている他、ハッラージュに対しては否定的でありつつ、その著作の包括的な一覧が収録されている。

996/386 アブー・ターリブ・アル=マッキー没。Qut al-qulub(心の滋養)著者。

997/387 または 1023/414 アブー・ル・ファズル・ムハンマド・イブン・ハサン・サラフシー没。中央アジアのホラーサーン派シャイフ、アブー・サイード・イブン・アビー・ル・ハイルの導師。

1000/391頃 バーバー・ターヒル・ウルヤーン没。初期におけるペルシャ語スーフィー詩(四行詩)を著す。

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ニッファーリーさん、われらがヒーロー井筒俊彦翁の『イスラーム哲学の原像』にちょろっと登場していました。


『イスラーム哲学の原像』

……西暦十世紀の有名な遊行スーフィーのひとりにニッファーリー(Niffari)という人がおりますが、その人がこう申しております。「おまえが(ここで「おまえが」というのは「人間が」ということです。この引用文は神がスーフィーの口を通じて一人称で語る形になっておりますので、「おまえが」というのは「人間が」ということ、「私が」というのは「神が」ということです)、おまえ自身を自分だけで存在するものとみなして、この私をおまえの存在の根拠として認めないとき、私は私の顔をベールの影に隠す。そうするとおまえ自身の顔がおまえの目の前にありありと現れてくるのだ」と。
おまえ自身の顔、つまり人間の顔だけが目に見えて、神の顔はその陰に隠れてしまう。ここで「おまえの顔」というのは、すなわち哲学者たちの説く経験的自我意識のことであります。自分自身の内面の無底の深みにひそむ神の顔が現れてくることを阻止する厚い垂れ幕のような人間の顔m、このイマージュによって示唆された自我意識を中心として成立する魂の表象は、スーフィズムに言わせれば魂の本質的構造からずれた、浅薄で歪んだ表象に過ぎない。こういうふうに見られた魂を、スーフィーはカシーフ(kathif)な魂と呼びます。カシーフというのは、粗雑で厚ぼったいという意味の形容詞です。ちょっと仏教にもあるような概念ですが、厚ぼったい粗雑な、つまり質量性の度の強い粗大な魂というわけです。……

あっそろそろイフタールの時間だ。厚ぼったい粗雑な、つまり質量性の度の強い粗大な魂はこのへんで失礼します。

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