前回からの続きです。
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17/11世紀 バーバー・ラール・ダス没、ヒンドゥー聖者。ダーラー・シコーとの間に論争があった。サイイド・スルターン没。イブリースでさえかつては高い位階にいた者である以上は尊重されるべきであると説き、師に対してはたとえ悪魔であろうと尊敬し服従すべきであるとした。スンブル・エフェンディ没、イスタンブルのハルワティー教団シャイフ。メルケズ・エフェンディ没、スンブル・エフェンディの後継者。ラール・ウデロ没、ヒンドゥーでもありムスリムでもあると主張し、存在一性論を擁護した(ムスリム呼称はシャイフ・ターヒル)。アダム・オレアリウス没。ヨーロッパ知識人たちの愛好書となる、サアディー『薔薇園』をドイツ語に訳す。ハッジ・ムハンマド没。ベンガルの重要なスーフィーの書『光の書』著者。
1603/1012 フワージャ・バーキー・ビッラー没。 アフガニスタンのナクシュバンディー教団の学者、著述家、アフマド・シルヒンディーの師。
1605/1014 アクバル没。ムガル皇帝、バーブルの孫。頻繁にスーフィーのシャイフと交流し、自らの知るあらゆる宗教の最良の部分を織り交ぜた宗教折衷主義の確立を試みた。
1621/1031 アブドゥルラウーフ・アル=ムナーウィー没、エジプトの伝記作家。バハーウッディーン・アーミリー没、ペルシャのシーア派スーフィー詩人。
1624/1034 アフマド・シルヒンディー没。ナクシュバンディー教団の改革者。
1627/1036~7 ムガル皇帝ジャハーンギール没。ムイーヌッディーン・チシュティーの総本山にあたる町アジュメールを大理石の美麗な建築物で飾った。アフマド・バーバー没。ニジェールのスーフィーに影響をもたらした法学者。
1630/1039 シャムスッディーン・アッ=サマトラーニー没。「パサイのシャムスッディーン」として知られたインドネシアのスーフィー学者で、ウジュード論争に深く関与した。
1631/1040~1 イスマーイール・ルスヒー・アンカラーウィー没。トルコの神秘家。ルーミー『マスナヴィー』の優れた解説書を著した。ムムターズ・マハル没、シャー・ジャハーンの妻。シャー・ジャハーンは彼女の記念碑的な廟としてタージ・マハルを建立した。
1633/1042~3 ムハンマド・ガウス没。シャッターリー教団に属し、五七五名のインド=ムスリム聖者の伝記を編纂した。
1635/1044~5 「ミヤーン・ミール」の愛称で呼ばれたシンドのシャイフ・ムハンマド・ミール没。インド・カーディーリー教団のスーフィー、ムガル統治者の精神的な相談役をつとめた。
1640/1050 サドルッディーン・シーラーズィー(モッラー・サドラー)没。スフラワルディー学派思想に深く影響を受けた主要な哲学者。
1642/1052 ムハッディス・アブドゥルハック・ディフラウィー没。インドの著名なハディース学者、伝記作家。
1646/1056 マドゥーラール・フサイン(シャー・フサイン)没。パンジャーブのカーディリー派詩人。
1647/1057 ビービー・ジャマール・ハトゥン没。インドの神秘家、ミヤーン・ミールの姉妹。カーディリー教団に属した。
1653/1063 ジャアファル・アル=アイダルース没。『Safinat al-awliya(聖者伝)』をアラビア語に翻訳した。
1658/1068 ヌールッディーン・ラーニーリー没。インド・リファーイー教団のスーフィー学者。メッカに居住。ハムザ・ファンスーリー、シャムスッディーン・アッ=サマトラーニーの論敵となった。
1659/1069 ダーラー・シコー没。インド・カーディリー教団に属した。著書『二つの海の交わるところ』で知られる。
1659/1069~70 シャー・ジャハーン没。ダーラー・シコーの父、ムガル帝国君主。タージ・マハルを建立した。
1661/1071~2 サルマッド没。ユダヤ人改宗者のスーフィー。インド=ムガルにて処刑される。悪魔を模倣するよう説き、聴衆に衝撃を与えた。
1661/1072 ムッラー・シャー・バダフシー没。インドの神秘家、詩人。カーディリー教団に属した。ミヤーン・ミールの弟子・後継者。
1668/1078~9 ピール・ムハンマド・マアスーム没。アフマド・シルヒンディーの息子。アフマド・シルヒンディーは息子ムハンマドは神が選んだ四名のクトゥブのうち、彼に次いで二番目の地位にあると主張した。
1669/1079~80 ミラーン・フサイン・シャー没。ビジャープルの聖者。ハマダーニー『Tamhidat』をダッカニー=ウルドゥー語に翻訳した。
1670/1081 劉智、生まれる。中国の学者、伝記作家。スーフィー文献を中国語に翻訳した。
1677/1088 アンゲルス・シレジウス没。ドイツのキリスト教神秘家。
1678/1088 シーディー・マフムード・アル=バグダーディー没。西アフリカのスーフィー、シャイフ。殉教者であり、マフムード教団は彼の名にちなんでいると考えられている。
1681/1092 ジャハーナラー没・ムガル帝の皇女、ムッラー・シャーの弟子。アウラングゼーブ、ダーラー・シコーの姉妹にあたる。
1683/1094 シャイフ・アブドゥッラフマーン・チシュティー没。チシュティー教団のインド人指導者。
1689/1100 カスホール・カーン・カタック没。サアディー、ジャーミーの作品をペルシャ語からパシュトー語に翻訳した。
1689/1100 ゼーブンニサー没。ムガール皇帝アウラングゼーブの娘、才能ある女流詩人。
1690/1102 イブラーヒーム・イブン・ハサン・アル=クラニー没。クルド人の神秘家。
1691/1102 エドワード・ポコック没。イギリスの学者。著書においてハッラージュについての誤ったイメージを描写している。スルターン・バーフー没。著名なパンジャーブの神秘詩人。
1693/1104 アブドゥッラウーフ・アッ=シンキリー没。インドネシアのシャフィーイー派学者。シャッターリー教団に属した。スマトラ島アチェにイスラムを伝播した人物とされる。
1694/1105 ニヤーズィー・ミスリー・エフェンディ没。トルコの詩人、精神的指導者。伝統的解釈の手法を用いて注釈を著した。
1697/1108~9 ナースィル・アリー・シルヒンディー没。インドのナクシュバンディー派詩人、ベーディルの僚友。
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もうちょっと込み入った感じになるかと勝手に思い込んでいましたがそうでもなかった。これスーフィズム周辺の年表なのでそうですね、淡々としたものですね。
本日、iPhoneがだめになった。何もしてないのに、というわけではない。4年近く酷使した上に、今朝つるっと落としてしまった。うちどころがわるかったようです。もうしわけないことをした。
帰り道に電気機器やさんに立ち寄り機種変更+でんき+おうちのネット環境+おうちの電話+引き落とし口座、ぜんぶまとめて手続きしてみたら2時間強かかりました。達成感はすごくあります。ひとりじゃぜったいなしえなかった。ありがとう、おにいさんたち。
しかし疲れてしまったので、この年表に手をつけたところから人名ごとに御本だとか、何かおもしろそうなリンクであるとかをめも保存しているのをもういっこwordpress入れて一覧を作っておきたいなあと思っているのだが、それはもう今日は無理。
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