※別のところに書いためもをこちらに保存+加筆しています。
一神教と国家 イスラーム、キリスト教、ユダヤ教 (集英社新書)
わたしは内田はともかくとして(もはや呼び捨て)、これでも中田さんのことは少しばかりはリスペクトしていたですよ。でもちょっとこれはなかったわ。なかったっていうか、もやもやがふっきれません。このもやもやをどうにかして払拭したいのだが、どう説明したら良いのか分からないので、いちばん端的に「もやもや」を伝えられそうな箇所を引用すると:
中田:うーん。でもアジアのムスリムはあまり過激でない分、あまり真剣でもないのです。インドネシアは国民の八割くらいがムスリムなのですが、そのうちでもほんとに信心深い人は二割くらいです。名前からして明らかにイスラームと関係ない人が多い。大統領のスシロ・バンバン・ユドヨノとかね。
内田:バンバンさんですか……どこの人ですかね。(p224)
わたしはこういうやり取りが本当に嫌いなのね。こう、眉間にシワ寄っちゃうのね。オバマさんが立候補した時にもとても沢山の「田舎者」が「オバマさんですか……どこの人ですかね」ってやっていたのを思い出したわ。そういうの、本当に好きじゃない。指摘すればするでこの種の人々は絶対に「えっ何でえ?」とか馬鹿と狡猾の入り交じった顔で言うじゃないですか。どこの人もくそもインドネシアの大統領なんだからインドネシアの人だろうが!とでも言えば、ニヤニヤしながら「いやそういう意味じゃなくてえ」とか絶対言うじゃないですか。
全体的にこういう雰囲気のやり取りが続くんだよな。
わたしの好悪だけを言ってても仕方が無いので、とりあえずわたしのようなシロウトでもそれは明らかに違う、と指摘できるとこをひとつ指摘しておきます。「補遺 中東情勢を理解するための現代史」と題された、中田考氏の文章から。
……カリフ制再興は、あらゆる国家を敵とする運動ですので、言論の自由のない国家の多いイスラーム世界では徹底的に抑圧されていました。したがって、カリフ制再興論は2011年までは数的には極めて小さなサークルの中でしか知られない「秘説」のようなものであり、一般民衆は言うまでもなく、ウラマーや、イスラーム主義運動家の間でもほとんど知られていませんでした。
(p243)
前半の「イスラーム世界では徹底的に抑圧されていました」というのは間違っていません。おかしいのは後半、「2011年までは(略)ほとんど知られていませんでした」というところ。
この「カリフ制復興」※を目指す団体として、本文中の別の章では具体的にヒズブ・タフリール(hizb ut-Tahrir)という固有名詞に言及があるので、ここで彼の言う「抑圧されている」の主体もヒズブ・タフリールもしくはそのフリンジ、あるいはヒズブ・タフリールと同様の思想を持った人々を指していると解するのが自然だろう。と、いう前提で以下はなしを進めるにあたり、一例として当該ヒズブ・タフリールという団体を取り上げるが、
当該団体は1990年代の終わり頃に「カリフ制復興は全ムスリムの義務」と宣言して以来、2000年代前半までには殆どのいわゆる「イスラーム世界」と呼ばれる地域でテロリスト団体指定されている。殊に中央アジア、旧ソ連から独立した新興国群では決して少数とは言い難い規模の逮捕者が出ており、それはHRWあたりが人権キャンペーンを掲げる程度には知られていることである。
例:Uzbekistan: Muslim Dissidents Jailed and Tortured
アラブ諸国も例外ではなく、同じように2000年代前半には既に多くの逮捕者を出している。例えば現在はイギリス在住でシンクタンクを主宰しているマジド・ナワズというパキスタン系ムスリムがいるが、彼も元はヒズブ・タフリールのメンバーとしてエジプトで活動していたところを2001年に逮捕・投獄(2006年前後に保釈)されたというのが経歴の一部となっている。
そういうわけで、「ほとんど知られていませんでした」とする根拠が全く分からない。特に「2011年」というのは誤植じゃないならかなりひどい。仮にもしも2010-11年のアラブ諸国での民衆蜂起と絡めようという意図でこういうことを書いているのだとしたら本当に不誠実だと思うし、まさかそんなことはないだろうと思う(思いたい)のだけれど、この「補遺」の冒頭で中田考氏は「アラブの春」を、
二〇一〇年のチュニジア、エジプトなどアラブ中東の民衆による一連のイスラーム主義による革命、所謂(いわゆる)「アラブの春」以来、情勢は激変しつつあります。
と、あの動乱を「イスラーム主義による革命」と定義づけているため油断がならない。
冒頭に引用した会話に戻るが、「イスラーム」と関係あるかないか、「信心深い」か深くないかを名前で判断することなどもちろんできない。イスラムではなくイスラ「ー」ムと記せばイスラムについて知識を持っている・理解している、ことには全くならないのとだいたい同じレベルで、それは「イスラーム」とはほとんど関係がない。
※「カリフ制復興」 だいたいにおいてほぼ間違いなく現体制なり現政権が目も当てられないひどさである地域においては、そのひどさと比して相対的に「カリフ制復興」というアイデアがすばらしいものに見えてしまう、という状態をなんとかしない限りもうなんともならない。