ラディカルなものには興味がある。ところでイスラームは、その成立以来、今日にいたるまでラディカリズムの伝統を持つ。ゆえに私はイスラームに惹かれるのである。
もっとも、私の信奉するラディカリズムとは、暴力的な事柄を愛好したり実践する、単に過激な言動や思想的傾向を指して言うのではない。この言葉の語源であるラテン語のラーディークス radix が、根本とか根元とかを意味するのに則して、およそものごとの根本にまで遡及し、根源的に考えたり反省しつつ実践する態度を指す。考えてみれば学問、文化、芸術とは、常識や偏見を掘り起こし、打ち破り、真に深いがゆえに新しい位相を切り拓く行為であったはずである。したがって、ラディカルな学問とかラディカルな芸術という呼び方は、一種の同語反復かもしくは本質形容詞なのであり、すべて学問、文化、芸術は本来的にラディカルでなければならない。その限りでは、小なりといえども生涯一学徒、一芸術家を目ざす私にとって、ラディカルであることは身の証しに他ならない。
ホメイニー師の功績は、複雑な政局運営に当たって、小回りの利いた微調整的現実感覚に長じていたというよりは、むしろ逆に、いかなる事態に対しても徹底してイスラームの原理原則を貫き通した覚悟にこそある。実に彼は、次の三点を説き続けるばかりなのであった。
一、イスラームはスンナ派、シーア派の区別を超えて、すべて一族同胞である。
二、イラン・イスラーム革命は精神革命であり、物質的利益を目指すものではない。
三、イスラームに敵対する勢力は、断固これを排除する。
国境ラインを越えてイラクが侵入したときも、直ちにこれを”ゼッデ・イスラーム”(イスラームの敵)と断じて戦争に踏み切ったし、インドのムスリム家庭に生まれたラシュディ氏の『悪魔の詩』に対しても、スンナ派、シーア派の区別を超えて、イスラームの代表として機敏に反応したのである、イスラームとは何の関係もない国家社会主義を信奉する、サッダーム・ホセインのイラクとの間で行なわれた戦争を、欧米や日本の論調は宗派争いと誤解し続けたし、面と向かって反対する奴よりも裏で糸を引く、もしくはコソコソと画策する勢力こそひどい悪である、とするクルアーンの知恵に無知な彼らは、ただひたすら言論の自由を合唱してきただけであった。
あるいまた、欧米そして日本からの高級玩具的もしくは張り子のトラ的近代化プロジェクトを、徹底的に洗い直して大胆にキャンセルしたこと ー たとえば西独受注の原子力発電所計画 ー など、そしてそれで浮いた分を電線架設や農業用水路工事にふり向けるなど、”精神革命”の旗の下で着実な民生化路線を歩んできたのである。(略)
イラン革命の中心にいたホメイニー師は、あらゆる種類の負荷を担いつつ政権を指導して、大往生を遂げた。高度経済成長の時代ならば、いかなるプラスを増加させたかで政治家の功績が問われようが、革命の動乱の中では、いかにマイナスを減じたか、もしくはどれだけ負担を担い切ったかが枢要となる。
あえて悪役や敵役を演じることも時には必要であり、極論こそが事態の新展開を生み、打開策ともなってきたのであった。
今回の『悪魔の詩』事件も、死刑宣告という強硬手段は欧米の総反撥を招いたが、逆にこれほどの強硬策をとったおかげで、欧米地域の出稼ぎ中東人やインド・パキスタン系の人々が受けていた虐待の事実が見直され、ホメイニー師は極端としても彼らの要求にはもっともなところがある、といったバランス回復がなされたのである。
ホメイニー師が渦の中心にいたということは、かかるバランス効果の支点となって、あらゆる負荷に耐えてきたということである。バランスをとる人とは、日本などでは清濁合わせ呑む度量の大きい人物で、よいさじ加減でものごとを按配できる人士を指す。そしてそれは、しばしば雑炊かおじやのように、さまざまなものを混ぜ合わせて味付けする伎倆を指していわれている。しかし、バランスすなわち秤という原義に則して考えれば、その支点とは左右の天秤にかかる重量の総和を支えているわけで、混合の按配というよりは、重荷の総量を負担して担い切る能力を有することなのである。
考えてみれば皮肉なことでもある。ホメイニー師のラディカリズムの深層に潜む知恵を、誰よりも高く評価してきた私が、そのラディカリズムの表面波の過激さに悩まされるとは。(略)私は終始ラディカリズムの本義に則してこれを称揚してきたのであって、表面波の暴力主義を全肯定したことなど一度もない。したがって一見して暴力的と映るホメイニー師の声高な言動の背後に潜む、イスラームの法的センスの複雑微妙な倍音を聴き分けるのと同程度の深さで、ラシュディ師の一聞して冒瀆的と思える小説に対しても、文学的、文体論的にラディカルな分析を加え、これを文学作品として高く評価してきたつもりである。
古代ハムラビ法典から律法の書もしくは旧訳聖書を経て、クルアーン(俗称コーラン)にまで継承された思想の一つに、「目には目を」の応報刑の倫理がある。これが見かけほど残酷でも過激でもなく、例えば近代西洋における「愛の教え」による教育刑の倫理と比較しても、かえって限定戦争の知恵が感得されることを、私はたびたび指摘してきた。何故ならば「愛の教え」は聴き入れられなかったときが問題で、相手は人間以下の動物と見下されて皆殺しの目にあうからである。このような事態の深層にまで測鉛を下ろしてラディカルに反省することなく、イラン革命や中東戦争を国際的危機であると必要以上に喧伝し、”西側自由主義陣営”の一員として防衛強化すべきだなどとの、それこそ暴論が、特に日本で湧き上がったのはいただけない。
これでは「目には目を」の倫理道徳に則して「ペンにはペンを」の態度をとらずに、「ペンには剣を」といきり立つ、一部のムスリム以上に性質(たち)が悪い。つまるところは「お前たちが俺の代わりに鉄砲を持って行ってこい」と主張する”文化人”もしくは”学者”、”大学教授”など、「ペンは剣よりも強し」どころか「剣はペンよりも強し」という倫理を、それこそペンでもって煽り立てているだけだからである。
『イスラーム・ラディカリズム 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』という五十嵐一氏の御本。表紙めくったとこに「○○○○先生恵存 一九九〇年の暑い夏に」と、五十嵐氏の一筆が入っていました。古本屋さんで見つけたんですけれども。
この御本には、’79年から’90年にかけての「十年間に及ぶ十三編の論考」が収録されているのだけど、「加筆修正は最小限にとどめた」のだそうで、
……私は、この十年間に下してきた判断や批評、批判の全てを、その質と強弱の陰影のすべてを含めて、一切修正の必要を認めない。(略)ラディカルに考える続ける人間にとって、これは自然の勢いなのであるが、太平洋戦争前後から自作品の訂正削除をくり返したにもかかわらず、「俺は反省なぞしない、頭の良い奴はたんと反省するがよい」などとウソぶいた高名な”評論家”もしくは”文化人”の類とは、立場を異にしている。訂正削除もある種の”反省”的作業のはずだが、逆に、真摯に反省をくり返すラディカリズムの本義に立てば、そのように見苦しい”反省”など必要ないはずだからである。
小林某はどうでもいいとして、「これは自然の勢いなのであるが」って。なのであるが、じゃないだろうw ってなります。
別のところに書いたのを、こちらに保存しました。