1000 Lashes: Because I Say What I Think
7. 旅人の結婚、借りてきた羊
結婚契約には様々な呼び方や形態がある。中には、シャリーア上は許されていても伝統やロジックとは相容れないものもある。ミシャー婚はそういった悲劇のひとつだ。字義的には「旅人の結婚」を意味する。
ミシャー婚などと呼ばずに、正直になって実際の目的に見合った名称で呼ぶべきだろう。それは「女性の権利を剥奪した上での性交渉」だ。
この結婚は男性と、同意したとみなされる女性との間に交わされる結婚を指す。周囲の人々が証人となり、女性の後見人が立ち会う決まりになっている。契約上では女性の側が、あらゆる経済的な権利を放棄しなければならない。彼女の住まいも月々の生活に必要な費用も、たとえ彼女が妊娠したとしても子供の養育費も認められない。彼女はその他の、宗教的な権利さえも放棄させられる –– たとえば男性の持つ他の妻たちと同等の待遇を受ける権利なども。
喜びを求めて、彼は自分がそうと望んだときに彼女の寝室を訪れる。彼女は、それを自分の役割として受け入れなければならない。一晩じゅうでも愛の行為を楽しんでやろうという気分になれば、めくるめく千一夜にも匹敵する一夜を求めて、彼はこの偽ものの妻のもとへ「旅に出かける」。彼女に与えられるのは無意味な契約の紙切れ一枚だけ。だが彼の方は宗教上も、拘束力のある法的な契約上も何の問題もなく保護されている。
この夫は、自分に暇ができたときにこの妻のもとへ旅をする。彼はほんの数時間、彼女のもとで過ごす。気の向くまま、思いついた気まぐれのまま彼女に対してふるまい、隠していた欲望を満たす。それから、彼は自分のもと来たところへ帰ってゆく。彼女の寝室から一歩外へ出たとき、偽ものの夫としての役割を終える。
こんな話のついでにもうひとつ、けだものじみた結婚についても議論しておこう。これはこれでまた別の、芝居の一幕のようなものだ!「借りてきた羊」が、「貸し出された妻」と一夜を共にする。それから「羊」は「妻」を離縁する。要するに、彼女がもとの夫と再婚するのを法的にセーフにしようというわけだ。彼女はもともと結婚していたのが、夫から離婚されてしまった。でも別の男と再婚してまた離婚したのでなければ、彼女はいったん離婚した男とは再婚できない。そこで「借りてきた羊」の出番だ。こうしてもとの夫は、一度は離婚した妻と再婚できる。15
人間のやることというのは不可思議に満ちている。自分で手錠をこしらえては、自分をつないで苦しんでみせたりする。自分で神話を編み出しては、自分でそれを讃えたりもする。自分でついた嘘なのに、すっかり信じ込んでしまう。結婚の契約だって自分で作ったものなのに、それが合法か非合法かなんてやりあってる。
結婚契約には様々な呼び方や形態がある。けれどどう呼び抜けようが下劣なものは下劣だし、そして誰にでも必ず死は訪れる。後に残されるものごとの本質はひとつだけだ。
15. 女性がその夫から二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合、夫がさらにもう一度彼女と再婚することはイスラム法上許されていない。それはハラーム、すなわち禁じられた行為である。そこでこれを回避するための、異質な形態の結婚が考え出された。表向きには「借りてきた羊」として知られるこの慣習は、さかのぼれば預言者の時代からあったとされている。「借りてきた羊」とは一晩だけ女性と結婚し、翌朝には彼女と離婚する役割をつとめる男性を指す。一度、別の男性と結婚した後であれば、彼女が(すでに二回離婚した)前の夫のもとへ戻るのが再び合法とみなされるようになる。「借りてきた羊」という呼び名は、山羊飼いが雌の山羊を受精させるのに時と場合によっては羊と交配させるところに由来している。同時に羊の性欲は、非常に高いと考えられているのにもよる。
ライフ・バダウィ『1000 LASHES』にはこのような女性や、女性の隔離をめぐる文章が4編ほど収録されています。
いつであったか、どこであったか忘れてしまったのですが何かの折りに目にした、欧州における移民の生活に関するサーベイのとりまとめ記事を思い出しました。多文化共生っていうけれど、実際のところ共生ってどのくらいできているものなの?違和感とかないの?みたいな感じのだったのですが、まあ大体のところはどうにかうまくやっていて、ただホスト側にしてもゲスト側にしても、相手の文化的背景のうち最も違和感をおぼえるポイントというのが結婚に関する慣習であったり性別役割に関する常識であったり、ともかく違和感の中心にセックスに関するあれこれがある、という記事でした。あの記事、なんていうタイトルだったっけか。LAタイムスかなんかだったような気がするんですが、違ったかな(探しておきます)。
「二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合」のあたりについては、以下コーランから引用:
離婚(の申し渡し)は、2度まで許される。その後は公平な待遇で同居(復縁)させるか、あるいは親切にして別れなさい。あなたがたはかの女に与えた、何ものも取り戻すことは出来ない。もっとも両人が、アッラーの定められた掟を守り得ないことを恐れる場合は別である。……
もしかれが(3回目の)離婚(を申し渡)したならば、かの女が他の夫と結婚するまでは、これと再婚することは出来ない。だが、かれ(第2の夫)がかの女を離婚した後ならば、その場合両人は罪にならない。もしアッラーの起きてを守っていけると思われるならば、再婚しても妨げない。(コーラン2章229-230節から抜粋)
ふだんは中公クラシックスのコーランですが、これは(宗)日本ムスリム協会のもの。何でも近々改訂(か、改正か)がなされるとのことで、何となく久しぶりに手もとにある第6刷をめくってみました。
ところで al-misyar とか、nikah al-misyar とかといった語彙で検索したところ、さっそくどこかのイマムの顔写真に「ムトア婚はNG、ミシャー婚はOK」とでかでかと描かれた(明らかに揶揄する意図で作られている)ネットミーム画像がひっかかってきました。同じようなことを考える人はいるものだ。まあそりゃそうだ、同じひとつの星の上に70億人もいればそれが自然だ。