第3四半期ったって、もはや第4四半期も終わりかけているではないですか。この間じゅうわたしはいったい何してたんだっけ。何してたんだろう。あまりよく思い出せません。
正直に言うと思い出せないとまではいかないというか、思い出せないわけでもないんですけれどもそれを言葉になおすのがおっくうなお年頃。日常会話からして最近はひどい。「これ」「それ」「あれ」「どれ」こそあどっていうんですか、何か何もかもをそういう具合に済ませたい、済ませる、済んだ!で押し切ってます。あの、こないだの、あれ、あそこで、あのあれ、そうそれ、あれはひどかったですね、いろいろ大変ですね。みたいな感じです。ふがふが。
“Calligraphy and Islamic Culture” Annemarie Schimmel
三日月書店という古本屋さんで購入しました。『カリグラフィーとイスラムの文化』。安心のアンヌマリー・シンメル先生。シンメル先生は読んでて安心でしょう。実に楽しそうなんですよね。読んでるこっちも楽しくなってくる。何かをものすごく強烈に訴えてくるとかそういうのがあるわけでもないし(あっても別に構いませんが、シンメル先生には求めていません)、実に安心。
御本ではまずアラビア文字の紹介と書体の具体的な紹介があり、書道とタサウウフ、いわゆるスーフィズム/イスラム神秘主義との連携であるとか、書道と詩人、書道と王侯といった具合に書道と社会の関わりや交わりなどが歌でも歌うように語られています。
“The Art of Hajj” Venetia Porter
編者は大英博物館でイスラム美術や中東地域の現代美術のキュレーターを務めていらっしゃる方。大英博物館におさめられた豊富な収奪品、もとい収蔵品の中から巡礼にまつわる工芸品・美術品が全フルカラーで56点。変形A5といったようなサイズ感なのですが、ほぼ正方形なのはカアバへのオマージュなのかな? 大英博物館の巡礼特集ページと一緒に鑑賞するとなお楽しい。
Hajj Paintings: Folk Art of the Great Pilgrimage
御本というか画集です。エジプト中心に、あちらこちらの壁や看板に描かれた巡礼をモチーフにした絵画をあつめた写真集。なんかすごい。なんかすごい。「ハッジ画」というひとつのジャンルがあるんですね。で、「ハッジ画」職人みたいな人がいて「ハッジ行ったしちょっと描いてくれ」みたいな感じで注文を受けて描いてる。だいたいが個人商店の壁だったりレストランの外壁だったりなんですが、個人のお宅の寝室の壁なんかにも描いてる。いいなあ。巡礼はもちろん行ってみたいですが、この画集をめくり終わった今はむしろ巡礼画の注文というのをしてみたいです。
講座イスラム〈1〉イスラム・思想の営み (1985年)
全4巻中の第1巻。学術書と一般書のちょうどあいだくらい。古本屋さんで全巻いくら、で置いてあったのを連れて帰ってきました。どの巻もおもしろく読めましたけれども、やっぱり1巻がいきおいがあっておもしろい。中でも「ハンバル派小史」という副題のついた「イスラム改革思想の流れ」by 湯川武、が、なんかすごかった。立て板に水っていうか手際がいいっていうか、この人あったまいいなーって思いました!
タイトルのごとくイスラム教四大法学派のうちいちばん若いやつであるハンバリー学派の、成り立ちから現代に至るまでが先発イブン・ハンバル、中継ぎイブン・タイミーヤ、抑えのアブドゥル・ワッハーブそれぞれの時代背景とか人物像とかを通じて描かれているんですが、「このように見てくると、イブン・タイミーヤは常に何かを相手に戦っていたことがよくわかる」とか、湯川氏のコメントがいちいち秀逸です。
……このようにワッハーブの場合は、イブン・タイミーヤと同じ宗教的純粋主義に立ちながらも、政治的には単なるイスラム国家という考え方のほかに、アラブ主義という新しい要素が入って来ているところが特徴的である。純粋主義、厳格なシャリーア主義はハンバル派に固有ではないが、他派に増して強く出ている考え方である。前にも述べたように、イスラムが危機的状況にある時には最も敏感にそれを感じ、浄化による再強化という考え方を提供してきたのがハンバル派である。十八世紀のイスラムはまさに、その危機的情況にあったのである。内部では長い停滞の結果としての自己崩壊の危機、外部からは西洋の進出による侵略の危機。ワッハーブは明らかに前者は鋭く感じていたが、後者についてはオスマン帝国の現状から無意識的に予感していたかもしれないが、はっきり知っていたわけではない。結果的には地方的運動に終ってしまったが、長い中世的イスラムを否定する運動がアラビア半島中央部という当時のイスラム世界の辺境から興ってきたのは面白い。
ワッハーブのアラブ主義は最初のムスリム民族という宗教的民族感情に基づいており、決して近代的な意味での民族主義ではないが、トルコ民族を支配民族としてながらも、超民族国家として成立していたオスマントルコの支配を否定するという点で、やはり新しい考え方と言える。
ワッハーブの思想内容自体は、民俗的スーフィズムの否定、シーア派を初めとして正統派スンニズムからはずされていったすべての思想の否定、コーランとスンナに基づくシャリーア主義、神学非難等々ほとんど独自のものはない。しかし彼が置かれている時代環境を考えるならば大きな意味を持ってくる。その上、政治的な力と結びついて国家建設にまで至ったことは特徴的である。もう一つの特徴点は、スーフィズムを否定しながら、現実のスーフィズムの存在携帯である教団(タリーカ)の組織の仕方をほとんどそのまま取り入れて運動を組織したことである。
これらの特徴点ゆえに、十九世紀前半には、ワッハーブ主義はメッカ巡礼に来た人々の手によって、イスラム圏各地に輸出されることになる。東はインドネシアから西は北アフリカまで、ワッハーブ主義は各地でイスラムの沈滞と、地域と民族の政治的危機を救うための運動の中核となっていくのである。