「”穏健なムスリム”って、つまり何なの?」

散々、言い古されていることではあるけれど、ある特定の文化についてのメディアでの露出のされ方というのはすごく重要な問題だ。それによって、大衆の間でのその文化に対する議論のあり方が形づくられてしまうのだから。そういうわけでムスリムに限らず誰であろうが、たとえばどこかの放送タレントが自分のTV番組でムスリム排斥運動の十字軍をやってたりすれば、それを見て大騒ぎするのも当然のことだったりする。

そうは言っても、そうしたあちらこちらで出回っているあの「穏健なムスリム」とか「まじめに信仰していないムスリム/信仰熱心じゃないムスリム」とかというフレーズ。どちらもサム・ハリスみたいな連中がよく口にしている。ああいう決まり文句が問題の理解に役に立っているのかどうか、ぼくには何とも言いようがないが、それにしてもこのフレーズにいったいどれほどの意味があるのか、北アメリカに生まれてムスリムとして育った身としてはさっぱりわからない。

それにはいくつか理由がある。

第一に、ぼくは非暴力と平和を標榜するムスリムだが、自分の信仰についてはまじめに考えている。事実、ぼくの非暴力・平和主義は、そもそもぼくの信仰が元になっている。ぼくの親友たちにしても、困ってる友人を助けたりホームレスを支援したり、チャリティにものすごく沢山の時間を割いているけれど、彼らだって自分の信仰についてはすごく真剣だ。同時にぼくは怒れるムスリムの人々も見てきた。険悪で下劣だったら信仰熱心かといえば、決してそういうわけでもない。皆それぞれまったく違うのに、「まじめに信仰していないムスリム/信仰熱心じゃないムスリム」というフレーズによってぼくたちは、まるで誰も彼もが信念を同じくしているかのように、ひとくくりにされてしまうのだ。

ここで問題にしておきたいのは、ムスリムとして識別することと、たとえばカナダ人として識別することとは違う、という点だ。なぜなら後者には地理的な境界がある。ぼくはイギリスのカルチャーが大好きだけど、イギリスの系譜に接点があるわけじゃない、だから自分で自分のことをイギリス人と名乗るわけにはいかない。イスラムは宗教だ。そして普通に考えれば、特定の宗教に属していると自称するというのは、自分の宗教に対して、ある程度まじめに重きを置いている、ということだ。

第二に、これはぼくが最近になって学んだことだけれど、信仰については皆それぞれ違った考えを持っている。誰かに「あなたはどれくらい宗教的ですか」などと質問するのは見当違いもいいところで、なぜなら精神性とのつながり方は人それぞれ違うからだ。ぼくが宗教的だと考えることでも、他のムスリムにとってはそうじゃない。それは主観的なことだ。なぜなら宗教それ自体、そのあり方が主観的なものだからだ。それなのにこういうフレーズは、ムスリムをテロリストか、そうじゃなければ穏健かの二極に分類してしまおうとするものだ。個々人の主義を決定づけるものごとは沢山あって、そういうのの全部がぜんぶ宗教かと言ったらそうじゃない。これは第三の、そして最後のポイントにも関わってくる。

「穏健なムスリム」なんてものは存在しない。そんなもの、最初からあり得るわけがないのだ。神との個人的な関係性に基づいて打ち立てられているのがイスラムだ。何であれ、やることなすことの全てが主に喜んでもらうためというのが根本にある。イスラムとは、文字通りに訳せば「服従」だ。信仰というのがどれほど個人的なことであるかの、これは本質的な証明になるはずだ。もちろんコミュニティに根ざした側面というのもあるにはある。けれどぼくたちの審判の日について見ればわかる。審判の場では、自分の行為は自分ひとりで説明しなくてはならない。それを思えば「穏健」なんていう役回り、引き受けていられるはずがない。宗教の範疇は人によって異なる。たとえば考えてみてほしい。「穏健な無神論者」なんてものがあるだろうか?あるとしたら、「穏健な無神論者」の定義って何?もしもぼくが仏教徒だったら、何をもって「穏健」とか「信仰熱心」とかという具合に区別されるんだろう?それより何より、Buzzfeedクイズでもあるんだろうか?質問に答えていくとぼくの本当の「穏健度」がわかっちゃう、みたいなやつが。

でもそんなのは無意味だ。だって「穏健なムスリム」なんて、存在しないのだから。

批評家たちに理解できていないのは、それは宗教の話じゃなくて特定の個人の話だということだ。ぼくはムスリムとして育ったカナダ人だが、ラディカルな思想や極端な思想は一切もったことがない。文化的な価値観だとか地理的な問題だとか、考慮に入れるべき事柄は他にも沢山あるはずだ。どうしてラディカリズムやテロリズムが存在するのか、ぼくには答えを出すことはできない。だからと言って、千四百年の歴史を持つ宗教にひも付けようとも思わない。イデオロギーに影響を及ぼす要因が他にもどっさりある中で、イスラムにばかりこだわっていても意味がない。全部を全部イスラムで説明しようだなんて、自分の信仰を実践して人生を歩もうとしているだけの、何の罪もない人々に責めを負わせるということだ。

 


元のコラムはMuslim Vibesのこちら→What exactly is a ‘moderate muslim’?

筆者のMateen Manek君はヨーク大学の学生さん(コミュニケーション・スタディーズ専攻)。ちょうど先月、かわいらしい詩集を作ったばかりだったりします。

で、「”穏健なムスリム”って、つまり何なの?」。