久々に部屋のどこかから発見された『ペルシア逸話集』を

本棚を買い足しました。おうちのなかがすっきり※当社比しました。

本、読んでいる間は台所だとかテーブルの上だとか、椅子の上だとか床だとか枕元だとか、とにかく本棚以外のところにあります。試しに現時点の自分の机の左側を見ると9冊、目の前に1冊で合計10冊ありました(でもそのうち4冊は辞書とかなので、あんまり「読んでいる間」とかというのではないですね)。

でもそろそろ、そういう読んでいるところだからとか使っている最中だからとかというあれではなくなってきたので本棚を買い足したのです。それでわっせわっせと整理整頓してみてから「あ、本棚が足りてなかったんだ」と気がつきました。

すごく気分がいいので、久々に発見されたこれを再読。

『ペルシア逸話集 カーブースの書・四つの講話』

古本が500えんくらいから出ていました。

ペルシア逸話集 (東洋文庫 (134))

わたくしの手元にあるのは箱の左上に鉛筆で「品切 1700円」とあり、どこかの古本屋さんで買ったものかと思われます。ちなみに箱の右下には定価が「450円」とあります。昭和44年です。アマゾンで500円かあ、いいな。

『ペルシア逸話集』とありますが、『逸話集』というか収められているのは『カーブースの書』と『四講話』という、それぞれ著者も時代も別々の二つの作品です。あ、時代はちょっとかぶってるか。

この、『カーブースの書』がおもしろいです。著者のカイ・カーウースさんの本業、もの書きじゃなくて王様(いちおう)なんですよ。解説から。

『カーブースの書』の著者と時代的背景
著者カイ・カーウースはカスピ海の南岸地域タバリスターンおよびグルガーンを支配した地方王朝ズィヤール朝(九二七ー一〇四〇頃)の第七代の王(在位一〇四九ー?)であった。(……)この王朝の君主で最も名高いのは著者の祖父で、第四代の王カーブース(在位九七八ー一〇二二)であった。彼は政治的には振るわず、ブワイ朝と戦って敗れ、長年月にわたり領土を逐われ、後に旧領土を奪取した。しかし彼は文化史上にその令名を謳われている。彼自身アラビア語の詩人として名高く、また学者の保護者としてもよく知られている。彼の宮廷は十世紀後半の東方イスラム世界における文化の四代中心地の一つであった。(……)しかしその後この王朝の勢力は急速に衰え、著者カイ・カーウースの時代にはこの小王朝をとりまく政治情勢はきわめてきびしかった。(……)著者が『カーブースの書』を残さなかったとしたら、彼とその子の名は歴史上から完全に忘れ去れていたであろう。

「最も名高いのは彼の祖父」と言ったそばから「政治的には振るわず」、というのがあれ?という感じがしなくもないですが、「文化の四代中心地のひとつ」というのがポイント高いということなんですね。アル・ビールーニーさんが著書をカーブースの宮廷に捧げていたりだとか、「イブン・スィーナーも彼の保護を受けようと」やってきたりもしていたそうです。でもそれ以降どんどん形勢が悪くなっていって、セルジューク朝がずんずん勢力を拡大して、ああもうだめだな、ズィヤール朝終わっちゃうな、みたいなそういう中で、カイ・カーウース王が息子にあてて書いた一種の処世術の書がこの『カーブースの書』です。

王様が息子にあてて書くならいわゆる帝王学みたいな、君主いかにあるべきか的なものかと思えばそうじゃなくて、だって全部で四十四章あるんですが、後ろの十数章は各種職業の紹介で、職をもって仕事をしてごはんを食べていくということはどういうことか、というところから始まる就職ガイドですよ。「息子よ、もしも学者になるなら、」とか「もしも説教師になるなら、」「医者になるなら、」「楽師になるなら、」という具合に。まあ職業紹介の態で、世の中にはいろいろな学問があるんだよ、というのを伝えたかったようではありますけれども(「そなたがあらゆる学問に恵まれるように、私はそれについてもまたもっと語りたかった」)、例えば裁判官、法官になるなら

法廷にあっては厳しく渋面をつくり、笑わぬほどよい、そうすれば威厳があろう

とか、詩人になるなら

注釈を必要とするようなことを言うな。詩は一般の人びとのために作られるものであって、個人のためではないからである

だとか、

目新しい語句を聞き、気に入って取り入れ使いたいと思っても、改変したり、その語句をそのまま使うな

ここまではわりとふむ、って思うじゃないですか。でもその後に続いて

もしその語句が頌詩にあったら、諷刺詩で用い、諷刺詩にあったら、頌詩で仕え。抒情詩で聞いたら挽歌に用い、挽歌で聞いたら抒情詩に使えば、だれもそれをどこから取ったか分からぬであろう

分からぬであろう。笑。どこかの宮廷に伺候して保護者を求めるなら

いつも明るい笑顔をせよ

だそうです。

ちなみに一章から三十章までは宗教の話、信仰の話にはじまって食事の作法とか睡眠についてとか、言葉づかいとか、人づきあいとか、お客様のおもてなしとか配偶者の探し方とか、王様っていうかお父さんっていうかお母さんかよ、っていうくらいまあもう細々としたことがつづられている。おもてなしは毎日するものじゃなくって一ヵ月に何回もてなすかを考えて、五度ならそれを一度にして、「そして五度に使う費用を一度に仕え」。だそうです。何そのていねいな暮らし。

「家屋、地所の購入について」「馬の購入について」などと並んでさらっと「奴隷購入について」なんていうのもあります。

欲情に駆られた時に女奴隷を前に連れてくるな。そんな時には醜い者でも美しく見えよう。まず欲情を静め、それから購入にとりかかれ。

ていねいな暮らし過ぎるよ。

ちなみに家を買うなら「裕福な人たちがいる地区にある家を買い、町はずれの家を買うな」「自分以上の金持がいない地区に買うように努力し、立派な隣人を選べ」だそうです。あと地区の集まりにはちゃんと参加しろ、近所づきあい大事にしろ、だそうです。王様……

もうこの調子で引用しようと思えばいくらでも引用し続けられます。あまりおもしろがるのも悪いかなあとも思うのですけど、ああいよいよ王朝がだめになりそう、こいつ(息子)の代にはもうだめになってるかもしれない(実際だめになった)、みたいな、それってそれなりに切羽詰まった状態だと思うのですが、下々の者(わたしだ)が想像しがちな、やすうい、うすあまあい悲壮感みたいのが全然ないんですよ。指示というか、アドバイスがいちいち具体的で無駄がない。無駄がないと思えば、お父さんもつらいんだよみたいな本音っぽいのをちょろっとだけはさんできたり、まあ気を逸らさせないです。どれだけ愛されてるんだこの王子、と思ったりもしますが、その次のページで「駆け引きは常に怠るな」とか出て来るんで油断ならないです。

飲酒の作法なんていうのもあって、飲まないにこしたことはない、本当は飲まない方がいい、そうは言ってもおまえも若いしどうせ飲むだろう、「私もいろいろ言われてきたが聴かず、五十の坂を越してやっと神の御慈悲で後悔を授かった」「飲むなら改悛に思いをはせ、至高なる神に改悛のお導きを乞い、」「ともかく、酒を飲むなら、飲み方を知らねばならぬ」「もう二杯飲めるなと思うときにいつも杯を置きなさい」。

もうこの調子で、引用しようと思えばいくらでも続けられます(二回目)。これの後に『四つの講話』が収録されているのですが、実は訳者の黒柳恒男氏大推薦の第二の講話、詩人と作品を紹介した文学案内的な部分以外はあんまりちゃんと読んでいません。お父さんの話がおもしろすぎるんだもん……

しかしこうしてひさかたぶりに発掘したことだし、これを機会にちゃんと読み直してみようかな。

と、いうわけで机の左側に積んでる9冊の上にもう1冊足されました。