ピシュマニエ

先日、トルコの首都アンカラに住まう姉妹が里帰りの際に「買ってきましたけど食べますか?」と、おみやげにピシュマニエをくれました。ピシュマニエ!

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箱を開けると中袋があって、そのなかみがこのような感じ。

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これがピシュマニエ。正体は飴です。細くほそおく引き伸ばされて、おふとんの綿のようになった飴が、おおづかみな立方体にまとめられている(球体の場合もあるし、刺繍糸のように束ねられた形の場合もある)。これをほぐして、つまんで食べる。

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わたしのピシュマニエ愛が強過ぎるせいで、どれもこれもピシュマニエに接近し過ぎで「何ですかこれは」みたいな写真ばっかりがカメラロールに残っている中で、比較的ましなのがこれであった。ほぐすと、ちょっと驚くくらい「かさ」が増します。ふわふわしていて、口に入れるとしゃりしゃりして、そしてすぐにとけて消えて、香ばしい風味が残ります。箱にもcotton candyとあるとおり、見た目はわたあめっぽいですが、溶けてゆくときの存在感なり重量感なりというのは、cottonというよりもwoolといった方があたっている。

トルコのお菓子というと、カタカナで検索するとバクラヴァ、ロクムあたりがヒットします(ここでいう「お菓子」は、アイスクリームとか、ライス・プディングとかコンポートとか、お皿に取り分けるデザート的なものとは別ものとします)。あとはハルヴァ/ヘルヴァあたりか。バクラヴァおいしいですよね。バクラヴァというのはトルコの、あるいは中東の、といった枠を超越して世界大会を戦えるレベルの完成度のある選手。ハルヴァは地元密着型というか、それぞれの地域ごとにハルヴァに相当する甘味がたぶん存在するのではないかという意味での普遍性を有するお菓子。ロクムは何だろう。あいつは間口も広く敷居も低いが、そのくせ鴨居は「あれっ」と驚くほど高く、天井に至ってはもはやかすんで見えない、といった感がある。

ではピシュマニエは、というとどうなのだろう。お菓子界的にどのあたりの位置づけなのだろう。ちょっと良く分からない。わたしは大好きなのです。しかしこれを買ってきてくれた姉妹でさえ、「私は買ったことなかったんですけど。そんなにおいしいですか?」と言うくらいです。それほど、知られているお菓子ではないということだろうか。


Sherbet & Spice: The Complete Story of Turkish Sweets and Desserts
こういうときはすぐに書かれた字をあてにして生きてきました。

内容紹介:飴細工で作られた百頭のライオン、千枚重ねの生地を焼き上げた車輪大のバクラヴァ、死者への思いが込められたヘルヴァ、ドレスデン製の磁器の壺を満たすバラのジャム、スルタン献上用のすみれ入りシェルベット、砂糖中毒になってしまった王宮のオウムたち……トルコの多様なスウィーツやプディングは単なる味覚にとどまらない。幸福と幸運、友愛の象徴としてのそれらにまつわる物語の数々もまた、菓子そのものと同様の魅力に満ちている。云々。

第1章の「Seker(砂糖)」から始まって、飴細工やジャムやシェルベト、ヘルヴァ、ロクム、バクラヴァ、それにドンドゥルマまで全28章、現在「トルコの菓子」と呼ばれているものそれぞれについて、その呼び名の由来だとか、なりたちだとか歴史だとか、それからちょっとしたレシピだとかを交えて紹介している御本。この御本に、第17章「Keten Helva (Pismaniye)」と章が立てられていました。ちょっと引用してみますね:

すべてのトルコ菓子の中でも、Keten Helvaは、決して一筋縄とはいかないその作り方、風変わりなテクスチュア、興味深い歴史という点において最も魅惑的。何よりもまず、これほど沢山の名称をもって呼ばれるトルコ菓子は他にない –– pismaniye, pesmek, pesmani, tel helvasi, telteli, cekme helvasi, depme helvasi, saray helvasi, kuluk helvasi, met helvasi 等々。pismaniye, pesmek, pesmani といった呼び名は、これがペルシャ由来の菓子であることを思わせる。ペルシャ語で pashm とは羊毛という意味。その繊細な糸状の風合いを指してのことと考えられる。その姿かたちから、トルコ語ではketen helva(麻のヘルヴァ)と呼ばれることもあり、またギリシャ語ではmolia tis grias(「老婦人の髪」)とも、また中国では「龍のひげ」と呼ばれることもある。この菓子がどのようにして中国に渡ったのかは解明されていないが、おそらくモンゴル支配下の時代に、シルクロードを通じて知られるようになったものと思われる。

ああそうか!ピシュマニエは食べられるパシュミナなのか。この御本をめくるまでは名前の由来にはまったく注意を払いもせずにもふもふとむさぼるばかりでありました。しかし「これはwoolだ!」というのはあたっていた。以下、御本ではketen helvaとありますが、便宜上ピシュマニエと置き換えて続けて引用してみる:

ピシュマニエは三つの段階を踏んで作られる。最初に、小麦粉と溶かしバターを約1時間、火にかけてかき混ぜる。次に、砂糖のシロップをハード・クラック(冷水に入れるとポキンと折れるあめになる状態)に煮詰め、白くサテン状になるまで飴引きし、直径20センチほどの輪にする。さて、高い技術力を求められるのはここからである。良く飴引きをした砂糖の輪を円形のトレイに置いて、ローストした小麦粉をふんわりとふりかける。三、四人でトレイを囲み、両手で砂糖の輪を掴む。握っては、反時計回りに回す。全員がいっせいに揃って、同じリズムで作業しないと、細いところ、太いところのムラができてしまう。一カ所でもちぎれたりしたら、全てが台無しになってしまう。

引っ張っては折りたたみ、引っ張っては折りたたみをくり返すうちに砂糖の輪は大きくなってゆく。必要に応じて小麦粉を足す。だんだん、飴と小麦粉がなじんで混ざってゆく。(略)一回、折りたたまれるたびに飴の輪のひもが二倍になる。最低でも十回は折りたたむこと。その場合、飴の輪のひもは一,〇二四本になる(1, 2, 4, 8, 16, 32, 64, 128, 256, 512, 1024)。アダパザル地方では、自家製keten helvaといえば十五または十六回折りたたむことになっている(合計で32,768本または65,536本の飴の輪が出来あがる勘定である)。十九世紀のバイバルト地方では伝統的に四十回折りたたむが、この場合1.1兆(正確には、1,099,511,627,776)本という驚異的な本数の飴のひもができあがることになる。非常に繊細な、綿毛のような仕上がりである。飴のひもが細ければ細いほど上等とされる。

ちなみに「シヴァスでは十五回から二十回」、「ブルドゥルでは四十回」、「スフラルの農村部では最低でも三十回」はたたむのだそう。Sufi Cuisineの著者Nevin Halici女史によると、コンヤでは「ふつうなら四十五回」折りたたむことになっているそうです。四十五回。三十二、三兆本。それはもうふわっっっふわですね。

この「折りたたむ」というのの、作業の様子を見せてくれる良い動画がありました:

この「折りたたむ」工程を、実践的なレベルの詳細さで説明したピシュマニエのレシピはごくわずかしか存在しない。それと言うのも、ある料理研究者が著している通りで、(keten helvaを作るのに)「経験にまさるものはなく、この菓子を作っているところを実際に見学するなり、作れる者から習うこと無しには、書かれたレシピを読んだだけで再現するのはほとんど不可能」だからである。

最も古いピシュマニエのレシピは、十五世紀前半にさかのぼる。トルコ人によるこのレシピでは、バターと砂糖ではなく、澄ました脂尾羊の尾脂と蜂蜜が使われている。蜂蜜を飴状にして引き伸ばしたものに、焦がした小麦粉と蜂蜜を混ぜ合わせたものをまぶして仕上げる。

出ました脂尾羊。本当に、どの皿にも入っていないことがないという感じだ。

……ちょっとだけ引用するつもりだったのが、

ピシュマニエは十六世紀初頭のオスマン宮廷でも供されていた。例えば一五二二年のロードス島遠征の勝利を祝う式典や、征服王と呼ばれたスレイマン大帝の息子の割礼祝いの席など。

とか、「ピシュマニエ専門の菓子職人ギルドがあった」とか「ピシュマニエの出来映えで調理師の腕が試されることもあった」とか、「TVのような娯楽のなかった時代、ピシュマニエ作りが家族のエンターテインメントのひとつでもあった」とかという具合に、この御本全体の中ではピシュマニエの章は比較的短めな方であるというのに、おもしろいお話がたくさん紹介されていてきりがなくなる。

さて何となく分かったことは、これは「作るのが難しいにも関わらず、あくまでも自宅で作るたぐいのお菓子」に分類されている、ということ。今では市販品も多く出回ってはいるけれど、ピシュマニエというのは、皆で集まってわいわいしながら作って、出来たてをその場で分け合って食べるところまでをぜんぶ含めてピシュマニエ、ということなのだと思います。

(箱入りのものしか食べたことはありませんが、)ピシュマニエはおいしいです。おいしいですが、ピシュマニエには弱点というのがあって、それは湿気や温度です。置いておくとすぐに湿気を含んでべたべたになってしまう。いい具合に空気を含んでふんわりふっくらとしたおいしいピシュマニエをもふもふはみはみしたいと思うなら、箱入りで売られているピシュマニエを買ってくるのではなく、頑丈で清潔で手の平の皮が丈夫で、リズム感とチームワーク精神を備えたピシュマニエ職人を最低でも三人は集めて身辺にはべらせておく必要がある。と、いうことなのだろうと思います。いや、わたしは箱入りの市販品でもじゅうぶんおいしいと思いますけれども……、今になって何となく姉妹の「買ったことがない」というのの深さに気がついてしまった気がしてきましたよ。ああ。ああ。

最後に、Musahipzade Celalという方の御本からの引用が興味深かったので孫引きします。オスマン時代の「ヘルヴァの集い」の様子を描いた一文:

……こうした「ヘルヴァの集い」で作られる主なヘルヴァといえばピシュマニエであった。腕にして二本ぶんもあろうかという太さの引き伸ばされた飴の輪を載せた、周囲に、ゆうに八人から十人は座れるほどの大きな錫めっきの銅製の盆が大広間に担ぎ出されてくる。飴の輪の中央には、バターで焦がした小麦粉がこんもりと盛りつけてある。熟練のピシュマニエ職人たちは袖をめくり上げ、まずは熱い湯と石鹸で手と腕を丹念に洗う。それから盆の周囲に座り、導師セルマーニーに捧げる祈願を朗誦する。それから飴の輪を、右から左へまわしてゆく。必要に応じて、手を小麦粉の山に突っ込んでは、再び飴を引き伸ばす作業に取りかかる。飴が折りたたまれ、細い絹糸のようになってゆくのを眺めつつ、客人たちは音楽を聞き、おしゃべりに興じる。楽人が伝承や音曲を奏で、人々はゲームや謎かけ、物語を楽しむ。そうして出来上がったピシュマニエは、客人の手のひらにひとつかみづつふるまわれた。

「導師セルマーニー」というのはサルマーン・アル=ファールシー、預言者ムハンマドと行動を共にしたいわゆる「サハーバ(教友)」と呼ばれる人々のおひとり。その名が示す通りペルシャ・オリジンで、ペルシャ人最初のイスラーム改宗者、というふうに伝えられている人物です。そのサルマーンさんに祈願を捧げてから作る、というのは、ピシュマニエがペルシャ由来の菓子であるのを寿いでのことなのでしょう。よいはなしです。

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ところで、「トルコのお菓子は日本人の口には甘過ぎませんか」と言われることが時々あります。

わたしは甘いものが好きです。お菓子、だあいすきです。さくさくしてるものとか、かりかりしてるものとか、冷たいのも温かいのも、噛みごたえのあるものでも、舌でおしつぶせるようなやわらかなものでも、わりと何でも好きですが、だめなのというか苦手なのがひとつあって、それはいわゆる「自然派」とか、「健康派」とかというよそおいの施されたジャンルのお菓子です。甘さひかえめだの、糖分カットだのヘルシーだのナチュラルだの、ふざけるな、と言いたくなります。

人間なら、誰でもいつかはかならず死にます。われわれは有限の存在なのです。与えられた時間も有限です。胃袋も有限。食べられるおやつの回数も有限。与えられた限りあるおやつの時間を、より充実した甘味でもって埋めたい。もしかして明日にもこの世の終わりが訪れるかもしれないのに、どうしてシュガーレスだとか、糖質カットだとかといったぱちもんで舌とお茶を濁していられるでしょうか。おからクッキーとか、みんな本当に「うまい」と思って食ってるんでしょうか。まあそれが好きならどうぞご自由にとしか言い様がないですが、私はいやだ。いやです。絶対いや。びんぼうくさくて本当にいや。貧乏はいやじゃない。でもびんぼうくさいのはいや。耐えられない。おやつくらい、贅沢させろ。もともと三食の埒外の、楽しみのために口にする贅沢であるものなのに「甘さひかえめ」っていうのが本当に意味が分からない。何故ひかえる。ひかえるな。

まあとにかく、甘いものが好きです。一時期は先鋭化して「これが究極である」なんつって角砂糖をかじったりもしていましたが、このごろは穏健派の範疇です。つまりそれなりに人の手の加えられた「お菓子」の態をなしたものに回帰しています。