インド・オリジンの英国人で、ニューヨーク・タイムス紙などに定期的にコラムを発表しておられるケナン・マリクさんというもの書きの方がいます。御著書も複数冊あり、移民・移民二世、三世・文化・社会・人種(人種問題)・宗教(宗教問題)、あたりをいろいろと論じておられるのですが、その時々のできごとなどを解説というか読み解きというかをブログで、それもかなりの頻度で更新されています。
そのケナン・マリクさんの、昨日(一昨日?)のブログポストを読んでいました:
EDITORIAL INTELLIGENCE COMMENT AWARD 2016
Yay, I won an award. The Editorial Intelligence 2016 ‘Society and diversity’ comment award. (No, I am not quite sure, either, what ‘Society and diversity comment’ amounts to, but I am immensely pleased to have won it.) The Editorial Intelligence awards have grown over the past decade to become perhaps the most important journalistic comment awards in the UK.
pandaemonium – EDITORIAL INTELLIGENCE COMMENT AWARD 2016
Editorial Intelligence主催の、今年いちばん優秀だったコメンテーター(媒体は紙・電子問わず)を表彰するThe Comment Awards 2016で、「社会と多様性( ‘Society and diversity’)」部門を受賞したよとのこと。続けて、「いや、何が〈社会と多様性〉に該当するんだかは自分でもちょっと良く分かんないけど」でも受賞したのはすっごくうれしい、みたいなことを言っていて、そういうところが該当するんだよ、という感じなのですが、
それはさておいて当該エントリの大部分は、昨年の中頃から今年にかけて発表されたコラムの中から「ケナン・マリクが選んだケナン・マリク」的な、えりぬき抜粋集で占められており、それが世情をさらりとおさらいしておくにはまことに都合の良いものであったので、ちょっとつまんでおきたくなりました。
Muslims are not a ‘different’ class of Briton: we’re as messy as the rest
2016.05.15.ムスリムはブリテン人と何も「違わない」:我々も、その他と同様に乱雑である
2016年5月15日……フィリップスのパンフレットは、彼のドキュメンタリーよりもより慎重でニュアンスがある。その多くは、私も同意できるものだ。言論の自由に対するフィリップスの議論は、歓迎すべきものであり勇敢でもある。怒りを買うような言論は制限されねばらない、という要求は無視するべきだ。フィリップスはこう主張している;制限すべきは暴力を誘発する言論のみだ。同時にフィリップスの、ムスリムと同化についての議論には欠陥がある。英国のムスリムたちは、第一波における移民たちとは異なっている、と彼は示唆する。ドキュメンタリーの中でもそう発言していた通り、彼らは「変化を欲さず」、しかも「未だ自分たちが受け継いできた考え方に固執している」という。実際の問題は、これとは正反対である。英国のムスリムたちは変化した。それも多くの者が、社会的にはより保守的になることによってである。ICMが30年前に世論調査を実施していたなら、結果はおそらく非常に異なっていただろう。1950年代、60年代に英国へやってきたムスリムたちの第一世代は、宗教的ではあっても信仰についてはゆるやかであった。男たちの多くは酒を飲んだ。ヒジャーブをまとう女は少なかった。第二世代 –– 私たちの世代だが –– は世俗的であることが主流だった。私たちの闘いは政治的な信条によって定義されるもので、平等を求めて私たちはその疑問の矛先を、人種差別だけではなく宗教的な反啓蒙主義にも向けた。
これは何も、1970年代または80年代のアジア人コミュニティがとりわけリベラルだった、と言っているのではない。英国社会は同性愛といった問題に関しては保守的だったし、それは少数派のコミュニティにおいてもなんら違いはなかった。しかし同じく保守主義に疑問を呈したラディカルな思潮も、より広く社会に存在していた。ムスリムの文脈において「ラディカル」とは、現在の原理主義や伝統回帰とは違い、左翼的・世俗的であることを意味していた。このたったひとつの単語の意味の変化が、ムスリム・コミュニティの変化を表している。文化的な違いの問題が重要になってきたのは、80年代以降に成人を迎えた世代のおいてのみのことなのだ。「ムスリム・コミュニティ」なるものをムスリムたちが夢想し始めるのも、ようやくこの頃からのことである。ムスリムたちの姿勢と、より広範な社会におけるそれとの間の隔たりが育ち始めるのも、やはりその時に始まったものに過ぎない。
Europe’s immigration bind: how to act morally while heeding the will of its people
2016.01.31.欧州の移民法:人々の意思を尊重しつつ、道徳的にふるまうには
2016年1月31日……移民政策においては、道徳的であること、実施可能であること、そして民主的であることのすべてを満たせる応急措置は存在しない。移民の危機は長期に渡るものであり、どのような政策を策定しようとも、一年や二年で解決できることではない。実のところ鍵となる問題は、政策のレベルにあるのではまったく無く、それはアティテュードと認識のレベルに存在するのである。だからこそ、我々はこれをより長期的に考える必要がある。
リベラルな移民政策は、一般大衆の支持を得ることによってのみ実施が可能になるのであって、一般大衆の反対にもかかわらず、ではない。そのような支持を獲得することは決して夢物語ではない。一般大衆は移民に対して絶対的に変わらぬ敵意を抱くものだ、といった鋼鉄の法則など存在しないのだ。一般大衆の大部分が敵対的になったのは、彼らが移民に関して、受け入れ難い変化を連想したからである。だからこそ、逆説的ではあるが、移民についての議論は、単に移民についてのみ議論しているだけでは勝ち目はないし、また単に移民政策を実施するだけでは、移民流入の危機も解決しないのである。移民に関する諸々の不安とは、広い意味における政治的無力感と疎外感の表われなのだ。その根底にある政治的課題に取り組まない限り、ヨーロッパ沿岸への移民の漂着は危機としてみなされ続けることになるだろう。
Why do Islamist groups in particular seem so much more sadistic, even evil?
2015.11.22.なぜイスラム主義の集団がことさらサディスティックに、邪悪にさえ見えるのか
2016年11月22日……堕落した行為や邪悪な行為について語るとき、私たちはただ単に、特に嫌悪している何かについてのみ述べているわけではない。私たちは、道徳そのものの境界について主張をしているのである。
人はしばしば、道徳的な問題の最も基本的なところで意見を異にする。例えばある人は、いかなる場合においても拷問は誤っているとみなす。ある人は、不可欠な情報を得るためなら許容できると考える。そしてお互いに、相手を不道徳だと思うかもしれない。それでもどちらもが、自分たちは正しいこと、間違ったことについて議論しているのだという点には共に同意するだろう。しかし誰かが、「人々を拷問にかけることは、純粋に善である」と述べるとしたならば、彼が道徳について議論しているのだみなす人はごくわずかだろう。そして人々の大部分が、そのような主張は「邪悪」だと言うだろう。
言い換えれば邪悪とは、単に行為を特定の悪と定義するだけではない。それは同時に善と悪、美徳、悪徳について有意義な議論が可能な空間を定義することでもあるのだ。ジハード戦士たちの行動をこれほど不可解なものとしているのも、私たちのほとんどが住まう道徳的宇宙とは、はるかにかけ離れたところで起こっているかのように見えているためである。
Terrorism has come about in assimilationist France and also in multicultural Britain. Why is that?
2015.11.15.同化主義のフランスでも、多文化主義の英国でもテロリズムは起きている。なぜ?
2015年11月15日……過去においてロンドンが、イスラム主義とテロ集団の中心地として –– 多くの人々はそれをロンドニスタンと呼んだ –– 目されていた頃、フランスの政治家や政策立案者たちは、英国はその多文化政策ゆえの特殊な問題に直面しているのだと提言した。そのような政策は分裂的であり、共通の価値観や国家的感覚を創出することはできず、その結果として多くのムスリムたちがイスラム主義と暴力に引き寄せられたのだ、というのが彼らの主張だった。「同化主義」政策は、多文化主義の必然として生じる対立という結末を退け、あらゆる個人を、特定の人種ないし文化的集団の一員としてではなく、市民として扱うものである、とフランスの政治家は言い放った。
それでは同化主義のフランスにおいてもテロリズムが育てられてきたことについて、私たちはどう説明すべきだろうか?またフランスの同化政策と英国の多文化政策とでは、どれほどの違いがあるのだろうか?
多文化主義に対するフランスの批判の多くは妥当である。英国の政策立案者たちは多様性を歓迎したが、人々を民族的・文化的な箱の中に入れ、個々のニーズと権利を、その人がどの箱に入っているかによって定義し、公共政策を形づくるにあたってはその箱を利用することによってそれ(多様性)を管理しようとした。彼らはマイノリティのコミュニティを、あたかもそれぞれが独特な均質性を有し、単一の声を発し、文化と信仰について単一の見解をもつ人々によって成り立っているかのように扱った。その結果としてより断片化した部族社会が生じ、それがイスラム主義を育てたのである。皮肉なことに、しかし全く異なったところから出発したフランスの政策も、ほとんど同様の終着点を迎えたということである。
As old orders crumble, progressive alternatives struggle to emerge
2015.06.14.旧体制の崩壊は、進歩的オルタナティブの到来に困難をもたらす
2015年6月14日……旧秩序への不満が、アラブ世界全体の至る所で反乱を引き起こした。しかしながら広範で世俗的な進歩主義運動の不在の中、旧秩序への反抗はますます派閥的な、あるいは宗教的な形態をとっている。世俗的な近代主義については、それを抑圧と関連づけて考える人々もおり、それがイスラム主義組織に肩入れさせている場合もある。その他のケースであれば権力者たちは、自由のための闘いを宗派的な挑戦として装うことにより、例えばスンナ派対シーア派といった闘争にすり変えてしまうことも可能だった。エジプトではムスリム同胞団の成功は、軍事的抑圧を歓迎する多くの「進歩主義者」たちを生じさせた。
旧秩序への不満と、その秩序に反対する派閥分裂の間にある緊張は、アラブ世界に限られたものではない。インドを見てみよう。その政治的構造や社会制度、そして歴史の展開は、トルコやエジプト、シリアのそれとは大いに異なっている。それでも同様の緊張や傾向が、ここでも散見される。トルコとも、また多くのアラブ諸国とも異なり、インド国民会議派は独立闘争を通じて大衆運動を構築した。独立後のインドでは、多くが国民議会派すなわちインドとみなしていた。独立から最初の半世紀、国民議会派はすべての選挙区において勝利していた。しかしネルー・ガンディー時代には、会派はほとんど家族経営といった状態になり、ますます腐敗し、堕落した組織となっていった。
1990年代に入るまで、議会に対する一般の不満は国民的な声を持たずにいた。野党はほとんど地域的なものに限定されていた。国民的な野党会派が出現したとき、それは派閥的な宗教アイデンティティに根差していた。バラティヤ・ジャナタ党(BJP)、またはインド人民党というヒンドゥー・ナショナリストの会派である。90年代後半に初めて政権入りし、昨年の総選挙ではインド国民会議に圧勝した。
Diversity and immigration are not the problem. Political courage is…
2015.04.05.多様性や移民の問題ではなく、政治的な英断の……
2015年4月5日……先週、約2,000マイル離れたところで起きた二つの事象が、多文化的な英国に関する現在の議論がはらむ厄介な性格を捉えている。水曜、ロッチデールを後にした英国人9名が、シリア国境に侵入しようとしたとしてトルコで拘束された。そのうち1名は労働党の地方議会議員シャーキル・アフメドの息子で、彼は(息子の)逮捕の報せを受けて「ショックだ」と述べた。そしてこうつけ加えた。「私の息子は善良なムスリムであり、その忠誠心は英国にある。息子がそんなところで何をしているのか、私には分からない」。
翌夕方、ロッチデールとは目と鼻の先のサルフォードで総選挙のTV党首討論があった。ナイジェル・ファラージは、英国の社会的な悪弊のほとんどすべてを外国人のせいであるかのように述べ、大いに非難を巻き起こした。しかしながら「ヘルス・ツーリズム」とHIV保有者の外国人がNHS(国営保険サービス)を弱体化させるという彼の主張は、たとえリベラルを激怒させるものであろうが、彼の選挙区においてはうまく作用しているように思われる。多くの人がそれをレイシズムとみなして軽蔑すると同時に、それ以外の人々はUkip(イギリス独立党)の党首を、真実を語っているものとみなして称賛する。
サルフォードからシリア国境に至るまで、多文化主義にどのようにして対応するべきかという疑問は、依然として激しく分裂したままだ。一部の人々は、それが英国を活発な、コスモポリタン国家に変化させたという理由で多文化主義を賞賛する。一方で別の人々にとっては、英国は多様になり過ぎた。あまりにも多くの移民に対し、あまりにもわずかに過ぎる同化という組み合わせでは、社会的な求心力が浸食され、国民としてのアイデンティティも公益も徐々に衰替してしまう、というのが彼らの言わんとしていることだ。
先週は二つのグループが、それぞれ全く異なった理由により前景化され、議論を支配する形となった:ひとつはムスリム、そしてもうひとつが「白人労働階級」である。ジハードに引き寄せられる英国人の若者の増加とは、多くの人々にとっては同化を拒むムスリムの象徴であり、多文化主義の失敗をあらわにするものとして捉えられている。先月行われたYouGovの世論調査によれば、人口の55%が「イスラムと英国社会の価値観の間には根本的な衝突がある」と考えている。その一方でUkip支持の高まりが、恐怖と軽蔑の両方を招いている。主流派の政治家たちが厳しい反移民政策を敷かずとも、ポピュリズムへの支持が拡大するだろうというのが大方の懸念である。ここ数ヶ月の間に反移民のレトリックが増加しているのもそのためである。
Ukipに対する懸念は、しばしばUkipに投票する大衆が抱いているであろうとされる人種差別に対する蔑視と混同されがちだ。タイムズ紙のコラムニスト、マシュー・パリスは、昨年10月に保守党から鞍替えたダグラス・カースウェルが当選し、Ukip初の下院議員となった地区であるクラクトンを指して「松葉杖の英国」と評した。「(クラクトンの)有権者には進歩がない」と、パリスはひどく侮辱的だ。「これではジャージとトレーナーの英国、タトゥー・ショップの英国、過去に置いてきたはずの英国ではないか」。
A search for identity draws jihadis to the horrors of Isis
2015.03.01.アイデンティティの探求が、ジハーディーたちをISISの恐怖に引き寄せる
2015年3月1日ジハード戦士予備軍の大部分をシリアに引き寄せているのは、まず第一に政治でもなく宗教でもない。それよりもはるかに定義しがたい何かを求めてのことである:アイデンティティ、生きがい、「帰属意識」、リスペクト、などなど、ジハード戦士のワナビーたちは十分に同化していないというわけではない。私たちが従来的な方法で統合を考えている限り、彼らは疎外感を抱え続けるだろう。彼らの抱える疎外とは、はるかに実存的な形態のものなのである。
若者によるアイデンティティと生きがいの探求は、もちろん今に始まったことではない。現代における違いとは、その探求が行われる社会の状況にある。私たちは以前よりもはるかに原子化した社会に生きている;多くの人々が、社会構造の主流から自分だけが他よりも異様に疎外され、道徳の一線がしばしばぼやけて見え、アイデンティティが歪められたと感じる時代である。
これが過去ならば社会的な疎外感は、極左グループから反レイシズム・キャンペーンまで、政治的変革を求める運動への参加を促したかもしれない。現代においてそうした組織は、どれも等しく共感を呼ぶものではない。現代における不満に形を与えるものは、進歩的なポリティクスではなくアイデンティティ・ポリティクスなのである。
以上です。「もの」とか「こと」とか、読むのがわずらわしくてすみません。もとはもっとシャープな感じの文章なんですけれども。
固有名詞とか、これはあったら便利かなというとことかには、原文にはないリンクも足してあります。