前回からの続きです。
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1405/807~8 ティムーリ・ラン(「跛者のティムール」、タメルラン)没。ティムール朝の開祖。1526年、インド北西部の支配を開始したムガール王朝の始まりを確立したバーブルの名高い祖先。彼とその家計は代々、芸術とスーフィズムの主要な庇護者であり続けた。
1406/808~9 イブン・ハルドゥーン没。北アフリカの重要な歴史家、歴史哲学者。著書『歴史序説』はスーフィズムに関する多くの情報をもたらしている。
1408/810 ムハンマド・シーリーン・マグリビー没。ペルシャ人詩人、著述家。クブラウィー教団に属した。
1417/820 イマードゥッディーン・ネスィーミー没。フルーフィー派の抒情詩人。ハッラージュに触発されている。
1419/822 フワージャ・ムハンマド・パルサー没。初期のナクシュバンディー導師。 スライマーン・チェレビー没。預言者を詩に詠んだ著名なトルコ人詩人。
1422/825 サイイド・ムハンマド・アル=フサイニー・ギースー・ダラーズ没。南インドの学者、チラーグ・デリーの弟子、著述家。チシュティー教団に属した。
1425/829頃 サイイド・アシュラフ・ジャハーンギール・シムナーニー没。ペルシャの聖者、神学者、教師。インドに住み、数多くの教団と行動を共にした(主にチシュティー)。アブドゥルカリーム・アル=ジーリー没。イラクの神秘家、『完全人間』著者。
1431/834 シャー。ニマートゥッラー・ワリー没。シリア生まれの著述家。ニマートゥッラーヒ教団を創始し、イブン・アル=アラビー神学を研究した。
1453/857 オスマン=トルコのスルタン、「征服者」メフメト一世によるコンスタンティノポリ陥落。以降、帝国は劇的な拡大を遂げていく。
1459/863 ムハンマド・アク・シャムスッディーン没。「征服者」メフメト一世に影響を与えた神秘家。
1465/869頃 アブー・アブドゥッラー・アル=ジャズーリー没。モロッコの著述家。神と預言者を信ずることを主題とした、名高いスーフィーの祈祷書を著した。
1470/874頃 エシュレフォール・ルーミー没。トルコの神秘詩人。
1490/895 フワージャ・ウバイドゥッラー・アフラール没。中央アジアのナクシュバンディーのシャイフ。アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・アッサヌースィー没。マグリブの著述家、学者、禁欲家。
1492/897 マウラーナ・アブドゥルラフマーン・ジャーミー没。ペルシャの詩人、伝記作家。ナクシュバンディーに属した。『七つの玉座』『親愛の息吹』著者。
1492/898 ナスル朝のグラナダ放逐と、ムスリムによるスペイン支配の終焉。
1494/899 アフマド・ザッルーク没。モロッコの神秘家、著述家。
15/9~16/10世紀 インドネシアにおける「ワリ・ソンゴ(ワリ・サンガ、九聖者の意)」による布教と伝播の時代。バリーム・スルターン没。ベクター種教団の第二代導師。
1501/906~1738/1151 1501年のシャー・イスマーイールの権力掌握に始まり、サファヴィー朝がペルシャの大部分を支配する。シーア派がイランの公的な教義となり、サファヴィー朝の支配者は時にスーフィーまたは大サフィーと呼ばれた。スーフィズムと諸芸術の主要な庇護者だったが、アフガニスタンの侵略により終焉する。
1501/906~7 ミール・アリー・シール・ナヴァーイ没。中央アジアのナクシュバンディー。チャガタイ版『鳥の言葉』の著者。チャガタイ=トルコ文学を代表する偉大な文学者、完成された芸術家。
1503/909 ハムドゥッラー・ハムディ没。愛の力の恍惚性を象徴する物語『ユースフとズライハ』のトルコ語版著者。
1505/911 ジャラールッディーン・アッ=スユーティー没。主要な宗教学者、解釈者。カイロの巨大なシャーズィリー・ハーンカー(修道施設)の管理者。
1506/912 シャムスッディーン・ムハンマド・ラーヒジー没。ペルシャの詩人、ヌールバフシュ派のシャイフ。
1511/917 アリー・イブン・マイムーン・アル=ファースィー、シリアにシャーズィリー教団を広める。
1518/924 カビール没。インド人ムスリム、神秘詩人。シークの伝統の始まりにおいて、交流を通してグル・ナーナクに影響を与えた人物。ヒンドゥーのマジャパヒト王国(ジャワ)、ムスリム支配により滅亡。
1530/923頃 ムハンマド・イブン・イーサー・アル=ムフターリー没。モロッコ出身、イーサーウィー教団の創始者。
1524/930 サファヴィー朝のシャー・イスマーイール没。1501年に戦勝し、シーア派をペルシャの公的教義に定めた人物。
1530/936~7 バーブル没。ティムール朝の子孫、最終的にはインドの大半と、現代のパキスタンに相当する地域を支配することになるムガール朝の初代君主。
1532/938頃 アリー・イブン・フサイン・ワーイズ・カーシフィー没。著書『生命の泉の滴』は、フワージャ・アンサーリーを知るための主要な情報源である。
1536/942 ジャマーリー・カンボー没。シカンダル・ ローディーに仕えた宮廷神秘詩人。
1537/944 アブドルクッドゥース・ガンゴーヒー没。インドのチシュティー教団の詩人。イブン・アル=アラビーの擁護者。
1556/963 フマーユーン没。ムガル帝国第二代君主。アクバルの父。イグナチオ・デ・ロヨラ没。スペインの神秘家、イエズス会の創立者。
1560/968 ハムザ・ファンスーリー没。インドネシアの神秘主義著述家、詩人。マレーにおけるシャイル(韻詩)を発展させた。
1562/969~70 ムハンマド・ガウス・グワーリヤーリー没。インドのスーフィー。シャッターリー教団に属した。
1565/973 アブドゥル・ワッハーブ・アッ=シャラーニー没。エジプトの神秘家、伝記作家。
1566/974 「壮麗帝」スレイマン一世没。帝国の劇的な拡大を導いた。スーフィーの主要な庇護者。
1567/975 シャイフ・アリー・アル=ムッタキー没。インドのチシュティー教団の指導者。メッカに居を定めたのちは他教団と親交を深めた。
1572/980 シャイフ・サリーム・チシュティー没。アクバル皇帝の精神的導師。
1582/990 アビラのテレサ没。スペインのキリスト教神秘主義者、魂には七つの部屋があるという比喩を用いて書かれた『霊魂の城』著者。
1585/993 バーヤズィード・アンサーリー(別名ピール・ラウシャン、「輝ける師」)没・ラウシャーニー運動の設立者。ペルシャ語の韻律と作詩法をパシュトー語に取り入れた。
1591/999~1000 ムハンマド・アッ=シーラーズィー・ウルフィー没。アクバルの宮廷詩人の一人。スーフィズムの堕落を嘆いた人物。十字架のヨハネ没。スペインのキリスト教神秘主義者。『カルメル山登攀』著者。
1592/1001 王岱輿(ワン・ダイユー)没。スーフィー概念を中国語に翻訳した最初期の翻訳者。
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16世紀まできた。ヒジュラ暦1000年め、西暦で数えて970年めに中国までたどりついたぞ。17世紀以降は一世紀づつやるぞ。17世紀以降はどんどんややこしく、複雑になっていくから駆け足にも限度があるのだ。
人名、おとなりの国だというのに途端に分からなくなります。キリスト教の人たちのこともほとんど知らないのだなあとも思わされる。さすがにアッシジのフランチェスコくらいは知っていたけれども。恥ずかしながら『カルメル山登攀』の最後の漢字が読めません。そんなおぼつかなさ加減なので、がんばってるつもりでも雑に書き間違いとかしていそうで、こわい。
あと御本見つけた。
すごい。読んでみたい。かたくて歯がかけそうだけど。
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