「よいスーフィー対わるいムスリム」

エジプトのモスクでテロ、少なくとも235人死亡-武装勢力が襲撃
エジプトでモスク襲撃、235人死亡 シナイ半島
エジプト モスク襲撃235人死亡 大統領「テロに立ち向かう」
エジプトのテロ事件 犠牲者が300人超える

先週の金曜、上記のような事件が起きたその翌日、デューク大のオミッド・サフィ先生がFBに投稿した以下を読ませてもらい、これは(上記の事件に限らず)日本語圏内でもイスラムであるとかスーフィズムであるとか周辺が報じられたり語られたりするのを耳にする機会にはできれば多くのひとの心のどこかに置いておかれてほしいことであるなと思って読みくだしました。

夜が明けたら少し手入れするかもしれませんが、「いいよ訳しちゃいなよ、あ、ついでにおれの著書も訳しちゃいなよ」と秒速で(体感的に)(でも今タイムスタンプ見たら大体そんなものだった)レスをくれたサフィ先生を待たせてしまっているのでひとまず。サフィ先生の元の投稿はここです:Here are some reasons why some of the media coverage (including The New York Times)’s characterization of #Sufism as a separate sect within Islam is problematic. (…cont

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NYT紙を含め、スーフィズムをイスラムにおける別の宗派として描写するマスメディアの報道がなぜ問題であるのか、以下にその理由を指摘しておく。

1) スーフィズムは、イスラムにおけるひとつの流れ、ひとつの美学、教えと実践の一対として常にスンナ派・シーア派の両方において機能してきたのであって、別個の宗派ではない。

2) それ(スーフィズムを別個の宗派として扱う報道)は、スーフィーにまつわる神話の再現に過ぎない。すなわち、スーフィーといえばなんとなく政治とは無縁かあるいは超越しており、よって潜在的には権威主義的な体制あるいは西側諸国の覇権的・植民地的利益の支持者として共存してくれるだろうというものである。具体的にはRAND Corporationといった団体等の主張がこれに相当する。こうした風潮は、常に疑っておくべきものである。

3) さらにこうした描写は、「よいスーフィー対わるいムスリム」というゲームにも一役買っている。このゲームでは、外部のマスメディアや政体によってその価値があると認められない限り、ごくふつうの、そしてそれが大多数のムスリムたちは哀悼すらされず一顧だにされない。人々が、その価値の基礎としての本質的な人間の尊厳を剥奪されるのである。私たちはこれを常に拒否し、人間は神によって認められた本質ゆえに価値があり尊厳があるのだと主張するべきである。

4) それは、体制を支持することもあれば(ナクシュバンディーやメヴレヴィーその他の集団に関する研究は多い)、独裁的な体制に立ち向かうこともあった(アブドゥルカーディル・ジャザーイリーやオマル・ムフタールなどの反植民地運動も含む)、スーフィーの果たしてきた歴史的な役割を見落としている。歴史の立会人としてのスーフィーは、政治から逃避はしない。

5) より微妙で、かつ安易に誤解されがちな点だが、スーフィーは兎にも角にも「正統派」で「シャリーアに準拠している」のだ、と単に主張するだけではいかにも貧弱である。多くのスーフィーは、詩作や音楽、愛、献身といった、神へと至る自分たちならではの道に堂々たる確信を持って臨んでいる。それはシャリーアと並行するか、あるいは乖離していることすらある。異なるスーフィーの集団が、それぞれにどのような独自の道、独自の方法論、独自の美学を有しているかに目を向けた方がより的確である。単純に、フィクフとタサウウフの互換性について、あるひとつの文脈からあるひとりの学問的権威を引用するだけでは(その文脈出身の信奉者に対しては説得力があるだろう)、時代的にも、方法的にも地理的にも多種多様なスーフィーの教えを網羅し尽くせるものではない。必要とされているのは、よりたくましくおおらかで、的確な、イスラム思想と実践の全体像への包括的な認識である。

6) 19世紀の半ばまでは、世界中のムスリムの過半数(あるいはほぼ過半数)が、スーフィー集団に正式に属しているかいないかに関わりなく、現在ではスーフィー的とみなされるだろう宗教実践や儀式・祈祷、理解を共有していた。簡単に言えば、神秘主義的な主流派イスラムを構成しているものを、「古典的」「正統派」イスラムとして区別されるものから隔てる歴史的な分離は存在しないのである。にも関わらず分離しているかのようにみなすのは、サラフィー主義者(あるいはさらに悪いことには、ワッハービー主義者)によるスーフィズム批評を事実に基づくものとして追認することを意味する。そうした運動が起こる以前は、スーフィーによる特定の実践や教義が(その他あらゆるムスリムの実践と同様に)議論の対象になることはあっても、スーフィズム全体を非イスラム的とする考え方は存在しなかったのである。

究極的には、「よいスーフィー対わるいムスリム」という図式は、いわゆる「温厚なムスリム」像を定式化しようとする、いつものやり口のひとつなのだ。それは「中庸であることが最良である」という預言者の規範とはまったく関わりのない、政治的に馴致され飼い慣らされた消費者を生み出そうという試みに過ぎない。

下はイブン・アラビー学派のスーフィー学徒にして反植民地運動の偉人アブドゥルカーディル・ジャザーイリー。上記をよく体現した人物である。

Abd Al Qadir Al Djazairi at Damascus,1862
Abd Al Qadir Al Djazairi at Damascus,1862

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「中断した説教終わらせる」エジプトモスク襲撃、負傷した導師が誓う

【フサイニヤAFP=時事】エジプト東部シナイ半島のモスク(イスラム礼拝所)が武装集団に襲撃され、305人が死亡した事件。生き残った若い導師(26)が26日、入院先の病院でインタビューに応じ、モスクに戻って終わらせられなかった説教を再開することを誓った。(略)
「説教を始めてわずか2分後ほどのことでした。モスクの外で2回爆発音が聞こえ、次の瞬間、信者たちが恐怖で逃げ回っていました」
ムハンマド・アブデルファタフ師は24日、北シナイ県にあるローダモスクで金曜礼拝に臨んでいた。「それから男たちがモスクの中に入ってきて、まだ立っていた人たちに向けて発砲し始めたんです」(略)
ローダモスクには、イスラム教の神秘主義者スーフィーが頻繁に礼拝に訪れる。2年間、同モスクの導師を務めているアブデルファタフ師は、その日の説教のテーマは「人類の預言者ムハンマド」だったと話す。(略)
同モスクがスーフィーと関連があることから、襲撃はイスラム過激派組織「イスラム国(IS)」によるものと見られている。ISは聖人をあがめるスーフィーを異端視している。(略)
アブデルファタフ師は打撲を負ったが、快方に向かっているように見えた。同師は、歩いてモスクに戻って、暴力的に中断させられた説教の続きをしたいと望んでいる。「体調が許せば、次の金曜には(ローダモスクに)戻り、説教を終わらせたい」

知る限り、スーフィーは聖人を「あがめる」ことはしません。聖人(と呼ばれる先生)の魂に安寧があるよう、神に対して祈願することはありますけれども。(とは言え、聖人を「あがめる」ひとも中にはいるかもしれません。だとしても、「それがどうした」以外に言うべき言葉もわたしには見つからないのですが。)

サフィ先生のご著書、たくさんあるのですが「軽いもの(量的にも議論的にも)なら読んでみたいな」という方はFBをフォローするなり、あるいはここなどでも読めたりします。