R. バダウィ『旅人の結婚、借りてきた羊』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

7. 旅人の結婚、借りてきた羊

結婚契約には様々な呼び方や形態がある。中には、シャリーア上は許されていても伝統やロジックとは相容れないものもある。ミシャー婚はそういった悲劇のひとつだ。字義的には「旅人の結婚」を意味する。

ミシャー婚などと呼ばずに、正直になって実際の目的に見合った名称で呼ぶべきだろう。それは「女性の権利を剥奪した上での性交渉」だ。

この結婚は男性と、同意したとみなされる女性との間に交わされる結婚を指す。周囲の人々が証人となり、女性の後見人が立ち会う決まりになっている。契約上では女性の側が、あらゆる経済的な権利を放棄しなければならない。彼女の住まいも月々の生活に必要な費用も、たとえ彼女が妊娠したとしても子供の養育費も認められない。彼女はその他の、宗教的な権利さえも放棄させられる –– たとえば男性の持つ他の妻たちと同等の待遇を受ける権利なども。

喜びを求めて、彼は自分がそうと望んだときに彼女の寝室を訪れる。彼女は、それを自分の役割として受け入れなければならない。一晩じゅうでも愛の行為を楽しんでやろうという気分になれば、めくるめく千一夜にも匹敵する一夜を求めて、彼はこの偽ものの妻のもとへ「旅に出かける」。彼女に与えられるのは無意味な契約の紙切れ一枚だけ。だが彼の方は宗教上も、拘束力のある法的な契約上も何の問題もなく保護されている。

この夫は、自分に暇ができたときにこの妻のもとへ旅をする。彼はほんの数時間、彼女のもとで過ごす。気の向くまま、思いついた気まぐれのまま彼女に対してふるまい、隠していた欲望を満たす。それから、彼は自分のもと来たところへ帰ってゆく。彼女の寝室から一歩外へ出たとき、偽ものの夫としての役割を終える。

こんな話のついでにもうひとつ、けだものじみた結婚についても議論しておこう。これはこれでまた別の、芝居の一幕のようなものだ!「借りてきた羊」が、「貸し出された妻」と一夜を共にする。それから「羊」は「妻」を離縁する。要するに、彼女がもとの夫と再婚するのを法的にセーフにしようというわけだ。彼女はもともと結婚していたのが、夫から離婚されてしまった。でも別の男と再婚してまた離婚したのでなければ、彼女はいったん離婚した男とは再婚できない。そこで「借りてきた羊」の出番だ。こうしてもとの夫は、一度は離婚した妻と再婚できる。15

人間のやることというのは不可思議に満ちている。自分で手錠をこしらえては、自分をつないで苦しんでみせたりする。自分で神話を編み出しては、自分でそれを讃えたりもする。自分でついた嘘なのに、すっかり信じ込んでしまう。結婚の契約だって自分で作ったものなのに、それが合法か非合法かなんてやりあってる。

結婚契約には様々な呼び方や形態がある。けれどどう呼び抜けようが下劣なものは下劣だし、そして誰にでも必ず死は訪れる。後に残されるものごとの本質はひとつだけだ。

15. 女性がその夫から二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合、夫がさらにもう一度彼女と再婚することはイスラム法上許されていない。それはハラーム、すなわち禁じられた行為である。そこでこれを回避するための、異質な形態の結婚が考え出された。表向きには「借りてきた羊」として知られるこの慣習は、さかのぼれば預言者の時代からあったとされている。「借りてきた羊」とは一晩だけ女性と結婚し、翌朝には彼女と離婚する役割をつとめる男性を指す。一度、別の男性と結婚した後であれば、彼女が(すでに二回離婚した)前の夫のもとへ戻るのが再び合法とみなされるようになる。「借りてきた羊」という呼び名は、山羊飼いが雌の山羊を受精させるのに時と場合によっては羊と交配させるところに由来している。同時に羊の性欲は、非常に高いと考えられているのにもよる。


ライフ・バダウィ『1000 LASHES』にはこのような女性や、女性の隔離をめぐる文章が4編ほど収録されています。

いつであったか、どこであったか忘れてしまったのですが何かの折りに目にした、欧州における移民の生活に関するサーベイのとりまとめ記事を思い出しました。多文化共生っていうけれど、実際のところ共生ってどのくらいできているものなの?違和感とかないの?みたいな感じのだったのですが、まあ大体のところはどうにかうまくやっていて、ただホスト側にしてもゲスト側にしても、相手の文化的背景のうち最も違和感をおぼえるポイントというのが結婚に関する慣習であったり性別役割に関する常識であったり、ともかく違和感の中心にセックスに関するあれこれがある、という記事でした。あの記事、なんていうタイトルだったっけか。LAタイムスかなんかだったような気がするんですが、違ったかな(探しておきます)。

「二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合」のあたりについては、以下コーランから引用:

離婚(の申し渡し)は、2度まで許される。その後は公平な待遇で同居(復縁)させるか、あるいは親切にして別れなさい。あなたがたはかの女に与えた、何ものも取り戻すことは出来ない。もっとも両人が、アッラーの定められた掟を守り得ないことを恐れる場合は別である。……
もしかれが(3回目の)離婚(を申し渡)したならば、かの女が他の夫と結婚するまでは、これと再婚することは出来ない。だが、かれ(第2の夫)がかの女を離婚した後ならば、その場合両人は罪にならない。もしアッラーの起きてを守っていけると思われるならば、再婚しても妨げない。(コーラン2章229-230節から抜粋)

ふだんは中公クラシックスのコーランですが、これは(宗)日本ムスリム協会のもの。何でも近々改訂(か、改正か)がなされるとのことで、何となく久しぶりに手もとにある第6刷をめくってみました。

ところで al-misyar とか、nikah al-misyar とかといった語彙で検索したところ、さっそくどこかのイマムの顔写真に「ムトア婚はNG、ミシャー婚はOK」とでかでかと描かれた(明らかに揶揄する意図で作られている)ネットミーム画像がひっかかってきました。同じようなことを考える人はいるものだ。まあそりゃそうだ、同じひとつの星の上に70億人もいればそれが自然だ。

R. バダウィ『知識人、中傷、異端審問:トゥルキー・アル=ハマドの場合』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

2. 知識人、中傷、異端審問:トゥルキー・アル=ハマドの場合

サウジアラビアのイスラム主義者の活動家たちは、その多くが遠い昔に過ぎ去った時代の復活を夢見ている。彼らが夢想しているのは、中でもとりわけアッバース朝カリフのアル=マフディーや、それからウマイヤ朝のアル=マアムーン、アル=ムタワッキルといったカリフたちの時代だ。こうしたカリフたちがその敵対者を追放したり、殺害したりしたことはよく知られている。彼らは敵対者を「背教者」と中傷したり誣告したりした。そうすることで、政治的なイスラム支配の下に自分たちの行為を正当化したのだ。

現代のイスラム主義者たちは、歴史が再び繰り返すのを望んでいる。彼らにだって夢を見る権利はある、それは誰も否定していない。しかし彼らの行為はもはや夢を見るといった範疇を越え、すっかり組織立てられた協賛のシステムに変化している。宗教と信仰について、彼らは自分たち自身の見解を世間に提示してみせる。そしてその歪んだ見解を、人々に強要して苦しめる。最近では自分たちと他人をひき比べ、どちらの方がより預言者 –– 彼の上に平安あれ –– に愛されているか挑んだり争ったりするという暴挙に出るまでになった。

そうとも。21世紀にもなった今、そういうことが起きているのだ。

ハムザ2がツイートしたメッセージに拒絶反応を示した多くの人々が、当局が公的な判断を下す前に彼を断罪した。飢えた吸血鬼たちが、彼の血を求めて沢山のツイートを発した。

ハムザのツイートと啓発運動を一緒くたにした瞬間、それは中傷者たちが自分たちの低劣さのレベルを更新した瞬間だ。彼らは鈍重な魂と鋭利な口先を持っていて、文化的な暮らしや啓発のために尽力している者なら誰かれ構わず自分たちとの醜い争いに引きずり込もうと探しまわっている。彼らが争いたがるのは、啓発者たちのロビー活動を自分たちに対する攻撃であり、反宗教的な背教運動とみなしているからだ。

(ハムザ・)カシュガリとリベラル運動を関連づけようと、過激なイスラム主義者たちは疲れ知らずのありあまるエネルギーでもってせっせとやることをやり続けていた。自分たちの支持者に対して、この国のリベラリストのうち、中でもとりわけ最重要人物のひとりがカシュガリなのだと訴えた。そんなのはまったく真実からはほど遠い。カシュガリがむしろサウジアラビアのムスリム同胞団と近しい仲なのは周知の事実だ。彼がリベラリズムを認めているだなんて一度も聞いたことがない。彼自身、自由主義を支持するなんて言ったこともない。

カシュガリに対する迫害は、国王の勅令でもって布告された「印刷物ならびに出版法(Law of Printed Material and Publications)」のスキを狙おうとする過激派たちの目論みだ。間違いもいいところで、何の価値もない。彼らは自分たちに賛同せず、自分たちと違う意見を述べようとするあらゆる作家たちや自由思想の持ち主を訴追したがっている。国王の勅令でもって施行可能となっている現行の法ではなく、自分たちのイデオロギーを支える自分たちのシャリーア法でもってカシュガリを裁きたがっている。

言論の自由に対する反対運動は1998年に始まった。作家トゥルキー・アル=ハマド3が背教の罪で訴えられた年だ。過激派たちは彼を追いまわし、彼の斬首を要求した。

ここで最も重要な疑問は、こんなにも敵意に満ちた反応を引き起こすような、いったい何をアル=ハマドが言ったのか、ということだ。彼はその小説の中で、こんな一行を書いた。「神と悪魔は、同じ硬貨の表と裏だ」。たったこれだけだ。

アル=ハマドは自分の立場を、多くはインタビューの中で何度も繰り返し説明した。問題視されたその一文は、アル=ハマド自身ではなく彼の小説の登場人物の台詞なのだ、と。宗教的な話としてなら、シェイフ・ムハンマド・ビン=オスマン4によればメッセンジャーは自分が運ぶメッセージに対する責任を負わない。字義的な話としてなら答えは明瞭だ。表と裏、すなわち神と悪魔は決して相容れない、という意味なのだから。神はその栄光ある善の道の方を向いており、悪魔は悪の道の方を向いている。その顔はどちらも決してお互いの顔を見ようともしなければ、お互いの目を覗き込もうともしない。同じ道を歩むこともなければ、同じ方向を見ることもない。

小説の中でこの台詞を言った登場人物の名はハーシム。感情をひどく傷つけられた彼の心に、こうした考えが浮かんだ、という場面だ。それでも、当時の意思決定の責任者たちには理解があった。そこで彼らは賢明なやり方でアル=ハマドに対するファトワの嵐を止めさせ、公的にもこの危機に終止符を打ったのだった。

それでもイスラム主義者たちの運動は決して終わらなかった。

14年もの間、イスラム主義者たちは一般大衆に向けてアル=ハマドをあたかも危険人物であるかのように虚偽の喧伝をし続けた。彼は冒涜者であり不信仰者であると訴え続けた。彼らが握っていた唯一の証拠は小説の中の登場人物の台詞、それも文脈から切り離されて意味を失い空っぽになってしまった一行のみだった。

おおっぴらにアル=ハマドを中傷する目的で彼の敵対者たちが、勝手に改ざんした動画をYoutubeにアップロードしたこともある。動画には論争の的となった例の一文だけを残し、著者の説明を省略するという編集がされていた。アル=ハマドの敵対者たちは大成功を収めた。つぎはぎだらけのビデオに多くの人々が騙され、すっかり信じ込んでいたのだから。

ぼくはジェッダの文芸クラブで開催されたアル=ハマドのQ&Aイベントに出席したときのことを覚えている。参加していた聴衆からの質問タイムになったとき、一人の老人がステージに近づいてきた。「わしはこの人のことは良く知らんが」、彼は言った。「アルハムドゥリッラー(神よ、感謝します)。わしはこの人の書いたものはただの一行も読んだことがない。ただこの人がアッラーに背く言葉を吐いたというのは聞いていた。それで神の思し召すまま、その男の顔を見てやろうとここへ来たんだ」。

事実をねつ造して他人を利用する連中に感情面で操られてしまう人々は大勢いる。あのときの老人だってそうした大勢の、ごくふつうの人々のひとりに過ぎないのだ。

2. バダウィがこの記事をブログに投稿した当時、ハムザ・カシュガリはアル=ビラド紙のコラムニストだった。2012年の初め、カシュガリは彼が発信した3つのツイートがイスラムに対して批判的であるとみなされ、サウジ当局者の標的にされた。その間にカシュガリはマレーシアへ逃亡したが、サウジアラビアに強制送還された。それから2013年末までの約2年、彼は刑務所に収監された。ツイートはマウリド・アン=ナビー(預言者の聖誕祭)の祝日に寄せて発信されたものだった。

「あなたの誕生日、私はあなたの革命的なところが大好きだ。あなたはいつでも私を勇気づけてくれる。でも神聖視するのは好きじゃない。私が祈るのは、あなたに対してじゃない」
「あなたの誕生日、どこにいてもいつもあなたを見ている。私にはあなたの大好きなところもあれば、嫌いなところもある。そして分からないところはもっと沢山ある」
「あなたの誕生日、私はあなたに頭を下げたりしない。あなたの手にキスしたりしない。それよりもあなたの手を握りたい、対等の友人として。あなたが私に微笑んでいる間じゅう、私もあなたに微笑みたい。友人としてあなたと語り合いたい、それ以外の関係なんてあり得ない」

3. トゥルキー・アル=ハマドは著名なアラブ人作家であり知識人。主要な作品に三部作Atyaf al-Aziqah al-Mahjurahがあるが、サウジアラビアではその他多くの作家と共に発禁処分を受けている。

4. シェイフ・モハメド・ビン・オスマンはサウジアラビアの主要な宗教者の一人であり、アラブ世界における最も有力なスンニ派の精神的指導者でもあった。2001年没。


[以下、めも][随時追加]前回に続いてライフ・バダウィ『1000 LASHES』から、”2. Defaming the Intellectuals and the Inquisition Courts: Turki al-Hamad as an Example””を読んでみました。

ハムザ・カシュガル氏については「預言者ムハンマド「嫌い」とツイート、サウジ記者に死刑の恐れ(AFP)」という記事がありました。それからニューズウィーク日本版「独裁者たちのSNS活用法」など。

カシュガル氏の預言者ムハンマドに対する距離感というのは、私などにしてみれば適切という他はないように感じられるのですが、しかしそうは思わない人々がいるのも確かなことです。「そうは思わない」ことそれ自体は一向に構わないのですが、かといってそこで「その距離感けしからん」と、例えばカシュガル氏に対してそうしたように距離を詰めてこようとする人が中には若干いるのが困りものです(どうでも良いですが「距離感」と「距離」というのは大いに異なるものですね)。

個人的に一番興味深く読んだのは7段め、「印刷物ならびに出版法(Law of Printed Material and Publications)……」のくだりあたりです。現在の政治体制を力こぶでもって転覆してやろうだとか、そういう不穏な意図はないのだというのを強調しているようにも読める箇所です(そして実際にそうなのでしょう)。

めもはまたいずれもう少し追加することになるかと。

R. バダウィ『天文学者を鞭打ちに』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

3. 天文学者を鞭打ちに

おもしろ系イスラム説教師の一人が、天文学者5どもは自分たちの行いの結果の重大さと向き合うべきだと命じている。「近頃の天文学者には困ったものだ」と彼は言う。「彼らはシャリーア上の見解に反している」。自分たちは天文学という科学に反対しているのではない、とイスラム学者たちは言う。「それ(天文学)は長い歴史を持つ学問だ」。そうして彼らはこう付け加える、「しかしシャリーア上の見解を疑ってかかる者は断固として拒否する」。どうやら説教師たちは、天文学者たちなんていうのは単なるアマチュアか青二才に過ぎず、シャリーアの専門家の足元にも及ばないと考えているらしい。過去30年くらい、ずっと星を観察し続けていたのは天文学者たちの方なんだけど。

実を言うと、ぼくはこういう説教師たちには全力で注目している。何しろ彼らときたら次から次へと、ぼくらがまったく知りもしなかった隠された事実を教えてくれるからね。ぼくも知らなかったけど、どうやらシャリーア天文学なんていうのがあるらしい。何て興味深く美しいコンセプトだろう。こんなの、ぼくの乏しい経験だとか宇宙や惑星に関する研究だとかからは思いつきもしなかった。さっそくNASAに電話して、望遠鏡なんか捨ててぼくらのシャリーア天文学者たちを雇うようぼくからも進言しよう。NASAのポンコツ望遠鏡なんかより、彼らの観察力の方がよほど優れてるみたいだし。

真の科学を学ばせるためにもNASAは自分たちの科学者を何人か、ぼくらの説教師のところへ派遣するべきだと思う。ぼくらのシャリーア天文学者の偉大なる教室で、NASAの連中が学生らしくお行儀よくひざまづいて講義を受けるんだ。いっそのこと世界じゅうのありとあらゆる分野の研究者たちに、オフィスもラボも閉鎖するよう呼びかけよう。全員が全員、今いる研究センターだの大学だのを立ち去って、ぼくらの栄光なる説教師たちを中心とした知的サークルにただちに加わるべきだ。世界じゅうの科学者たちは、あらゆる最先端の科学をぼくらのシャリーア学者から学ぶべきだ。医療もエンジニアリングも、化学も地質学も、物理学も核科学も何もかもだ。海洋学、薬学、生物学、人類学、とにかく何から何までぜんぶ勉強させなくてはだめだ。

もちろん肝心の、天文学や宇宙学についても学ばなくてはいけない。だってそうだろう。知っての通り、あらゆる物事についての決めゼリフを持っているのはぼくらの説教師 –– 彼らに長寿と繁栄あれ –– をおいて他にいないのだから。全人類は観念して、ためらうことなく疑うことなく彼らに心を明け渡すべきだ。

世界じゅうのあらゆる国が、あらゆる分野の科学者たちをあちらこちらから招へいし、経済的な報酬を与え、考えられる限りの技術的・実務的サポートを提供している。そうした国々はそうした科学者たちに誇りをもって国籍を付与し、知識と発展を探究する彼らのあらゆる挑戦を援助する。

その一方でぼくらは、飲酒をした者には80回の鞭打ちを宣告する。これが天文学者なら何回ぶんの鞭打ちに相当するのか、ぼくには見当もつかないけれど……。

5 保守的なイスラム学者は、物理的現象に関するコーランの節を字義的に解釈し、またそうした節はその正しさにおいて論駁不可能なものとみなしている。彼らによる解釈のいくつかは科学的知識と相反する。たとえば地球の形状については彼らは平らであると主張する。また天あるいは宇宙(彼らに言わせれば、天は多層的に配されている)、惑星の軌道についても同様である(彼らに言わせれば、太陽が地球の周囲を公転している)。現在に至るまでサウジのイスラム法学者たちは、この世界観が正しいことを特に力説しており、科学的な視点を支持しようものなら異端者として非難する。


[以下、めも] ライフ・バダウィ『1000 LASHES』から、”3. Let’s Lash Some Astronomers”を読んでみました。『1000 LASHES』は表紙を含めて60ページほどのペーパーバックで、2010年から12年にかけて書かれたエッセイを中心に15編プラス獄中記が収録されています。前書きを寄せているのは宇宙物理学者のローレンス・クラウス教授。

ライフ・バダウィってどこの誰ですか、という方はこちらの「サウジ最高裁、ブロガーへのむち打ち1000回と禁錮刑を支持(AFP)」をご参照ください。←では「市民ジャーナリスト」なんていう肩書きで呼ばれていたりしますが、まあご覧の通りで全体的にジャーナリスティックな文章ではありません。たいていは「ブロガー」とか書かれていることが多いようです。

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カフヴェ

あれからがんばっていちぢくのシェルベトを作りました。「がんばる」などと、えばるほどのことではないですけれども。ペクメズのシロップを使いました。ドライ・フルーツの「感じ」と、ペクメズのシロップの「感じ」がお互いにとても良く似ていて楽しい飲み物になりました。

いちぢく×ぶどうの組み合わせですが、どちらもなまのくだものだったときの酸味がうっすらと遠くの方に蜃気楼のようにかすんでいる「感じ」が似ているのです。結果「え?いいの?ほんとに?」っていうくらいふわふわと甘い。おいしゅうございます。

甘いものを口にした後は、


Sufi Cuisine
カフヴェ(コーヒー)

何とゆたかな土地か、わたしたちの王国は
第九の天から注がれるカフヴェを飲み
友と集えば、アーモンドのヘルヴァが雨とふる
(『ディーワーン』より)

御婦人よ、わたしのカップにカフヴェを注いでおくれ
何度も、何度でも注いでおくれ
しらふのまま貴女を訪ねる男ほど不幸な者はない
しらふは避けるべきだ 彼も、そしてもちろん貴女も
(『ディーワーン』より)

メヴラーナはコーヒーについて語るのに、アーモンドのヘルヴァをお供にしています。それ以前のコンヤでは、コーヒーといえばロクム(ターキッシュ・ディライツ)と水を添えるのが伝統的な楽しみ方でした。現代ではコーヒーはチョコレートをはじめ、様々なお菓子と一緒に楽しまれています。

コーヒーを淹れるときは表面に浮かぶ泡が消えてしまわないよう、前もって細かな注意を払い、用心して淹れなければいけません。あなたが淹れたい杯数分の量を淹れるのにふさわしい大きさのジェズヴェ(トルコ式コーヒーを用意するのに使われる、把手のついた金属製の小鍋)を準備しましょう。二人分のコーヒーを淹れるのに三人用のジェズヴェを使うようでは、コーヒーは美しく泡立ちません。あまり強くかき混ぜても、泡はこわれてしまいます。さらにコーヒーが沸き立ってからあわててジェズヴェのふちや把手をつかんで火から降ろそうとしたり、ジェズヴェを火にかけたままゆすったりしていては、確実にコーヒーが吹きこぼれてしまうことでしょう。

砂糖抜きのコーヒーを「サーデ」と呼びます。甘いコーヒーには、小さじ2杯の砂糖が入ります。わたしのコーヒーのレシピは「オルタ(ミディアム)」です。最高においしいコーヒーを味わうには良質のコーヒーカップを湯をわかした小鍋に沈め、弱火で少なくとも8分は温めてください。

[材料]1人分
水 トルコ式コーヒーカップに1杯
上白糖 小さじ1/2杯
トルコ式コーヒー 小さじ2杯

[作り方]
ジェズヴェに水をそそぎ、砂糖を加えて火にかける。温かくなったらコーヒーを加え、すっかり水と混ざるまでかき混ぜる。沸騰したら表面にできた最初の泡をスプーンですくいコーヒーカップに移す。ジェズヴェに残るコーヒーも、5、6回同様に繰り返し、最後に泡の上から注いでできあがり。

私、確実に吹きこぼしちゃうクチだわー。

本当はもう2篇ほど『ディーワーン』の抜粋が添えられているレシピですが、ちょっと力尽きたので省略。私は「サーデ」のコーヒーに角砂糖を添えてもらうのが好きです。舌の上に角砂糖を乗せてからコーヒーをすすります。ほん、とう、に美味しいです。

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シェルベト、「最後のミルクの夜」

粉と脂を火にかけて、60分ねりねりと練り続けるのはもう少し涼しくなるまでやめておくことにしました。人間はそもそも弱くつくられているいきものなのだそうです。しょうがないです。

それでも未練がましくページをめくっていたら涼しげ×すてき×ハードル低そうなところにたどりつきました。


Sufi Cuisine

飲料

シェルベトの小瓶のような色とりどりの果実、
ひとつひとつ、味も香りも違った特別なもの。
(『ディーワーン』より)

きみが病をえたと聞いて、治療を与える千種のシェルベトが
きみに愛と健康を届けたがり、台所で沸騰し陶酔しているよ
(『ディーワーン』より)

13世紀から現在にいたるまで、バラエティゆたかな飲み物やシェルベトの数々はコンヤ料理の誇りです。蜂蜜のシェルベト、ミルクと蜂蜜のシェルベト、ばら水のシェルベト、いちぢくのシェルベト、ざくろのシェルベト、砂糖のシェルベト、ミルクと砂糖のシェルベト、そしてシラ(Sira)と呼ばれる、ほんの少しだけ発酵させた葡萄のムスト。以上がメヴラーナのシェルベトです。いちぢくのシェルベトを除いてどのシェルベトも、コンヤでは今でも飲み継がれています。メヴラーナの書物には見つけることはできませんでしたが、ヴェルジュースとペクメズのシェルベトもコンヤ料理のひとつに数えられるでしょう。ワインやアイラン(ヨーグルトに水と塩を加えたもの)、コーヒーなども人気があります。メヴラーナの著作のおかげで、16世紀になるまでイスタンブールにはなかったコーヒーを、コンヤでは13世紀の頃から既に飲んでいたことが分かります。

自家製のシェルベトに加えて、現代では工場製のフルーツ・ジュースやソーダ、コーラなどもとても良く飲まれているようです。

コンヤはイスタンブールより300年先をいってますのよ、と仰ってます。この御本は全体的にこんな具合の著者の郷土愛がひょこ、ひょこと顔をのぞかせてくるのもたのしい。好きです、こういうの。

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