ブックフェア巡りで世界半周、『悪の枢軸』文学をガイドに

先週NYで開催されていたBEA(ブックエクスポ・アメリカ)周辺でこんな報道がありました:「中国の検閲撤廃を求めて作家らがNY公立図書館前で抗議」。 「ジョナサン・フランゼン、シャオルー・グオ、アンドリュー・ソロモン、ハ・ジンその他の作家らがノーベル平和賞受賞作家リュウ・シャオボーやイリハム・トフティ教授の釈放およびその他もの書くひとびとの言論の自由」をつよくもとめた、という記事。

今年のBEAのゲスト国が中国だったそうで、会期中のコンファレンスに招へいされていた25名の中国人著述家のひとりリュウ・ジキン氏が「SFは文化の壁を越えるのに最も適した文学ジャンルだ」と語った、というような記事もありました。

SFかあ。ながいこと読んでないです。SFに限らず、小説というのをしばらく読んでないような気がする。なんていうか。年寄りなもんでね。気が短くなっちゃってるから。キャパシティがもう「ジョナサン・フランゼンののどひげ1本ぶんくらいにちぢんでる(by デイビット・ジェイバーバウム)」から。

そうは言っても御本は好きです、それも実体のあるやつが。電子書籍にだって実体はあるということは分かってます。でもそうじゃなくてこう、年寄りにもcontrolableな実体のあるやつがいい。先日、ガーディアン紙で「少年が紙媒体好きなのに比べて少女は電子媒体が好き」という調査結果が、なんて報じられていましたが、うむ。確かに少女ではなくなった(もちろん「女子」でもなくなった)(おおきにお世話だ)。

少女が何かあえて理由をもって選んでいるとするなら、電子媒体のメリットってなんだろう?自分が何を読んでいるか親の目から隠せる、くらいしか思い浮かばないかな。読書量という意味では少年より少女の方が多いらしい(「特に黒人の少女に読書好きが多い」というのにはなんだか胸がきゅっとなる)。

ブックフェアか。来月は東京でも開催されるな。でも国際というわりには参加国数が少ないなあ。「出版文化国際交流会」という団体の「世界の主な国際ブックフェア スケジュール」を見るとブックフェアってあちこち約70カ国で開催されてて、でも東京のブックフェアにはそのうち1/3くらいの国しか出展してないのな。

ちょっとさみしい。

にしても70カ国か。ブックフェア巡りだけで世界一周できそう。じゃあ世界じゅうのブックフェアを巡ろう。

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『ライラとマジュヌーン』


ライラとマジュヌーン (東洋文庫 394)

今更のように『ライラとマジュヌーン』を読みました。ちゃんと読んだことがなかったのです。タイトルだけでなんとなく分かったような気になっていたのと、あと


イスラムの言葉 (コレクション「知慧の手帖」)

 マジュヌーンが恋人を思い、胸を焦がしていると、
ある人がこう声をかけた。
「おい、マジュヌーン。そう嘆きなさんなって。
その恋しいライラがお前に会いに来てるぜ。
ほら、扉の向こうにさ」
しかし、マジュヌーンは顔を上げて答えたのだった。
「帰ってもらってくれよ。
ライラがいると、ライラのことを考えるのに邪魔なんだ」

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世界文学大系〈第68〉アラビア・ペルシア集 (1964年)

カリフがライラーに言った、「汝は
マジュヌーンを狂わせたあのライラーか?
おまえは格別他の美女にまさりはせぬ!」と。
曰く、「お黙り!汝はマジュヌーンではない!」と。

これで十分という気になっていました。だって十分でしょう。十分じゃないですか。十分だと思うんですけど。読んでみました。

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「そういえばPark51ってどうなったの?」などと

先週、こんな記事を目にしました:
息がぴったり、ISISと米共和党 (Newsweek)

2016年米大統領選の最も熱い争点の1つは、イスラムの名を借りたテロや虐殺とどう戦うかだ。オバマ大統領とヒラリー・クリントン前国務長官は、こうした暴力をイスラム的と呼ぶことを拒否。イスラム教徒はISISやアルカイダの仲間ではなく犠牲者だと主張する。

一方、大統領選に出馬表明している共和党議員らは、ジハーディスト(聖戦士)の暴力とイスラム教を別物とする見方は青臭くて意気地がなく危険だと主張する。「テロリストをテロリストと呼べる最高司令官がアメリカには必要だ」と、ウィスコンシン州知事のスコット・ウォーカーは言う。またマルコ・ルビオ上院議員は、かつてソ連を「悪の帝国」と呼んだレーガン元大統領のような強い姿勢を誓う。

”ソ連の政治的経済的な抑圧に対する批判をレーガンが一瞬もためらわなかったのと同じく、中東の惨劇の元凶を名指しすることをためらってはならない。その元凶はイスラム過激派だ。”

危険かどうかは知りませんが「青臭くて意気地がな」いというのは、だってある意味ではリベラルの、それが「美徳」なのだからして。この場合ほめ言葉として受け取っておけばよろしいのではないか。

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トライプのスープ


ルーミー語録〈イスラーム古典叢書〉 (岩波オンデマンドブックス)

本当のことだ、わしは詩など少しも好きではない。いや、本心を言えば、詩ほどいやなものはないのだ。ちょうどそれは動物の臓腑を料理して手を突っ込み、どろどろにかきまぜる人のようなもの。ただお客の食欲のためにそんなことまでするのだ。お客の食欲が臓腑に向っている以上、どうしてもやらざるを得ないのである。

“Sufi Cuisine”の、「メヴラーナの作品において言及があり、かつ現代においてもコンヤで作られている料理」で紹介されているスープのひとつ、トライプのスープを作ってみました。

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ひよこ豆のシチュー、なすのサラダ、ヨーグルトときゅうりの……

続きです。


Sufi Cuisine

読み終わるまで待ち切れず、とりあえず今ここにある材料で作れそうなものをと「ひよこ豆のシチュー」を作りました。2章めにあたる「メヴラーナの著作に登場する、今でもコンヤで食べ継がれている伝統的料理」にある”Nohtlu Yahni”という料理です。

ひよこ豆のシチュー
ひよこ豆のシチューは当時の主要な料理のひとつであったと思われます。アナトリアを自らの故郷として選び、この地に定住しはじめたテュルクの民が、ひよこ豆やいんげん豆、黒目豆(ブラック・アイド・ピース)といったこの土地一帯で広く栽培されていた産物を、自分たちの茹で肉料理に添えるようになるまでにはさほど時間はかかりませんでした。エーゲ海沿いの地方やマルマラ地方に位置するいくつかの町では、結婚式のお祝いの席でひよこ豆のシチューがヘリッセと一緒に振る舞われます。

このシチューにはたまねぎの輪切りを加えてもいいでしょう。白いんげん豆でも結構です。その場合ひよこ豆を白いんげん豆に変えるだけで、作り方は全く同じです。

herise、とあるのですが正体がちょっと分からない……。ハリッサのトルコ式発音なのだろうか。ノフトゥはひよこ豆。ヤフニはシチュー、もしくは煮込み。御本に出て来る材料と作り方は以下の通りです。

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