15.03.16. 「今どき誰でも知ってるだろう」

*別のところに書いためもをこちらに保存しました。

「メヴレヴィー教団最後のシャイフ(※1)」と呼ばれたシェフィック・ジャン氏の、96歳でお亡くなりになる直前(と、いうか前夜)のインタビュー記事を。

Interview with Mevlevi Sheikh Sefik Can
2005年ですからもう10年前のインタビューではありますが、

インタビュアー「『来たれ、誰であれ来たれ』を、現代人は理解していますよね」
ジャン氏「あれはメヴラーナの作ではない。そんなことは今どき誰でも分かってるだろう」

ホジャ、お言葉ですがそれはちょっと……。

続きを読む →

15.02.21. 「もっと知りたいイスラーム展」

*別のところに書いためもをこちらに保存しました。

東洋文庫併設の東洋文庫ミュージアムでの企画展示「もっと知りたいイスラーム展」にお出かけしました。展示も興味深かったですが、「ミュージアム・アテンダント」と呼ばれるガイド役の方のお話も面白く、とても楽しかったです。

続きを読む →

15.02.20.『イスラーム 生と死と聖戦』を読んで一言ふたこと

*別のところに書いためもをこちらに保存+加筆しました。


イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)

10年以上も昔の話になります。コーランを学びに通っていたモスクで、偶然とあるTV局の撮影に立ち会いました。イスラムを紹介するという趣旨の番組で、解説者としてとある大学教授氏が出演していました。撮影後、TV局の皆さんがお帰りになった後で大学教授氏やコーランの先生と一緒にお茶をすすりながら世間話などをしました。大学教授氏がムスリムであるのを知ると、コーランの先生はとてもうれしそうでした。そして大学教授氏に、日本の大学で教鞭をとる日本人ムスリムがいるというのをぜひ自分の母国のムスリムたちに紹介したい、ついては某機関紙にエッセイを寄稿してはくれないか、と依頼しました。

大学教授氏はそれを断りました。理由は、「自分はムスリムであることを公表していない。あくまでも非ムスリムのイスラム研究者として発言するのでないと、学術的公正さに欠ける護教論者と思われてしまうから」というものでした。コーランの先生は「そうですか、わかりました」と言い、依頼を引込めました。

そのとき、「日本の学術界(イスラム学術界)というのは、なんだか相当につまらないとこのようであるなあ」とわたしは思いました。もちろん、誰もかれもが自らの宗教を公表しなくてはならない理由はありません。しかしムスリムの発言はこれすべて護教論、と判断したりされたりだとか、非ムスリムの発言なら受け入れられるとか、もしもそれが本当ならそんなことを忖度しながらやる学問っていったい何。そんなひとたちで構成される学術界に「学術的公正さ」も何もあったもんじゃないよなあと、わたしはアカデミアとはまったく無縁の人間なんですがそう思ったのです。

で、まあそのような世界にあって、自らがムスリムである旨を公言している研究者というその一点において中田考氏をわたしは尊敬していました。

「いました」と過去形で書いたのは今は尊敬していないという意味ではなく、氏がすでに学術界にはいらっしゃらないからです(肩書きだけは今でも学術界ふうのそれをお使いのようですが)。今でも氏の書籍はそれなりに読んではいます。氏の文章、かなり読みにくいんですけどもね……思考をそのまま文章に移し替えるというよりも、行間の方に力を入れて書くクセがおありのようです。読んでいると、まるで自分の尾っぽを噛むウロボロスの環にみちみちと閉じ込められるかのような錯覚を味わえます。

で、そのような感じで手にとった『イスラーム 生と死と聖戦』なんですけれども。終章に、こんな文章がありました。

ただ、私の言っているカリフ制は、もちろんイスラームのカリフ制に違いはないのですが、カリフという人間にはほとんど重点を置いていないので、その意味ではかなり特殊な立場です。
(『イスラーム 生と死と聖戦』 終章「イスラーム国」と真のカリフ制再興 p188)

誤解が生じるといけないので断言しておきますが、私の方から誰かを、戦闘員としてイスラーム国へ行くようにすすめたことは一度もありません。今回の大学生に限らず、私には大勢の教え子や若い友人たちがいますが、私からイスラーム国に行けとすすめられた人間は一人もいないはずです。また今後も、私から渡航をすすめることはないでしょう。
(『イスラーム 生と死と聖戦』 終章「イスラーム国」と真のカリフ制再興 p207)

うーん。そうですか。

昨年(2014年)7月20日配布分のミニコミ紙『ムスリム新聞』中で、「特別企画 ハサン中田考先生に質問!! ISISによるカリフ制の宣言とは?!」と題されたページに寄せておられる中田考氏の言葉を、以下に引用しておこうと思います。

今年のラマダーン月1日(2014年6月29日)にイラク・シリア・イスラーム国(Islamic State of Iraq and Syria 以下ISISと略)が彼らの代表をカリフとして、カリフ・イスラーム国(IS)の樹立を宣言しました。カリフとは預言者ムハンマドの亡き後の覇権の後継者で、全てのムスリムたちを束ねる首長のことです。ムスリム新聞では、以前ハサン中田先生が「カリフ制」について書かれており、現在はラノベ『俺の妹がカリフなわけがない』を連載中です。ISISによるカリフ制施行の宣言とはいったいどのようなものなのか、ハサン中田先生にお話を伺いました。

質問:カリフ制の施行を宣言したISIS(イラク・シリア・イスラーム国)とはいったどんな集団ですか。

回答(ハサン先生):預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福あれ)の血統のアブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドを長とするサラフィー・ジハーディーの集団で、シリアからイラクにかけてのモスル市、ラッカ市を含む広い地域を実行支配しています。

質問:サラフィー・ジハーディー集団とは、くわしくはどんな集団ですか。

回答(ハサン先生):サラフィーの意味はスンナ派で、4法学派のいずかれか(※ママ)一つに拘束されず、大筋で4法学祖の解釈の方法に倣ってシャリーア(クルアーンとスンナ)を解釈、実践する、ということです。ジハーディーの意味はシャリーア(クルアーンとスンナ)に反した統治を行う政治体制は、背教、不信仰の政治体制とみなし、可能であれば武力闘争のジハードで打倒すべき、との立場です。但し、シャリーアに反する政治体制が不信仰、背教であっても、それに関わる公務員、政治化(※ママ)、兵士などの個個人が不信仰者、背教者であるかどうかは、それぞれの事情を考慮の上で、慎重に判断すべきだと前提されています。

質問:これまでもカリフ国を名乗るひとたちがいたようですが、それとISISの宣言はどのような点で異なっていますか。

回答(ハサン先生):これまでのカリフ僭称者が、実効支配地を持たず、居住地の国家の警察、軍事権力の下にあり、独自の司法、行政を行えず、国民国家システムの定める国境を自由に越えることもできなかったのと異なり、IS(ISIS改め、Islamic State、但しアラビア語の正式名称はDawlah al-Khilafah al-Iskamiah = イスラーム・カリフ国)は、ジハード(戦争)だけでなく、独自の裁判を行い、死刑を含むフドゥード(イスラーム固定刑)を施行し、国民国家システムの定めたシリア、イラクの国境を破って移動の自由を確保しています。

質問:今回のカリフ制再興の宣言はわたしたちムスリムにとってどのような意味を持ちますか。また、このカリフ制再興宣言に対してわたしたち一般ムスリムはどのような対応をとればよいでしょうか。

回答(ハサン先生):「バイア(忠誠の誓い)が自らの首に置くことなく死んだ者は、ジャーヒリーヤ(無明時代つまりイスラーム以前の時代のこと)の死に方をしたことになる」との『ムスリム正伝集』にあるハディースにより、カリフへのバイア(忠誠の誓い)をする意志を有さない者は、ジャーヒリーヤ(無明時代つまりイスラーム以前の時代のこと)の生き方をしていることになります。

先ず、日々の礼拝と同じかそれ以上に、カリフへのバイアの義務が緊急で重要だとの意識を持って、誰が従うべきカリフであるか調べた上でバイアの対象を決めるべきです。

但し、『カリフが二人バイアされた場合には、後にバイアされた者は殺せ』とのムスリムの「正伝集」ハディースにより、「アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワド」がバイアされた後で、別のカリフを立ててバイアした場合、アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドがカリフと認められれば、後にカリフを名乗った者は処刑されます。

教友であり初代カリフであるアブー・バクル(彼にアッラーの御満悦あれ)のカリフ就任は、預言者(彼にアッラーの祝福あれ)崩御後のサーイ ダ族の館で教友であり第3代カリフ・ウマルらムハージルーン(マッカからマディーナに移住した人々)の長老達の談合で彼らのバイアにより指名され、その後、当時の首都であったマディーナ在住のムスリム大衆の前でアブー・バクル(彼にアッラーの御満悦あれ)がカリフ就任の所信表明をして、そこでマディーナの住民がバイアをして確定し、それによりアラビア半島の全てのムスリムに彼への服従が義務づけられました。

現在は、ISのメンバーによる談合によるバイアが成立し、首都での全住民のバイアが成立しつつある状況かと思います。我々はカリフが誰かを考慮し、アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドをカリフに相応しいと判断した場合、全力で応援し、イラクとシリアの政治状況を見極め、実効支配が確立し、住民のバイアが完了したと判断すれば、彼の命に従い、可能であればカリフの地にヒジュラ(移住)すべきです。アッラーフアゥラム(アッラーが最も良く御存知であられる)。
(月刊「ムスリム新聞」263号)

再度、こうして引用しながら読み直したんですけど。どう読んでもイスラーム国行きをすすめてるようにしか読めないんですが。いろいろと条件をつけてはいらっしゃいますけれども。視点を変えれば中田考氏というひとは、読者がかなり限定されるミニコミ誌といわゆる大手の出版社が発行する新書ではものの言い方の使い分けができる程度には社会的な人間、ということのあらわれともとれるわけではあるんですけれども。

それにまあ読んでいるのがそもそも「カリフ制再興」というアイデアそれ自体にまったく感心できないわたしであるから、イスラーム国行きをすすめてるようにしか読めないということもあり得ますしね。

「カリフ制再興」というのに個人的にロマンを感じたりする程度であればまだ許容範囲ですが、それが信仰の一部であるかのように喧伝されるのはちょっとかんべんしてほしいかなあ、と思っています。

シャルリ・エブドのあれなど

けんきょでおくゆかしい日本人なので、「日本人は平和をあいする民族」とか言われると「いや、そうでもないですよ」と謙遜したくなります。同時に好き好き神様!と声に出していうことに何のはじらいもためらいもない羞恥心のない信仰者なので、「わたしの生まれた場所がぐるーっと海に囲まれてるのはわたしの手柄ではありません!神様サンキュー!」と声を大にして言います。そういうことです。(謎の前置き


After Charlie Hebdo, Balancing Press Freedom and Respect for Religion

「シャルリ・エブド事件を受けて:問われる報道の自由と宗教の尊重のバランス」。シャルリ・エブド襲撃事件後の1/22-25の間に、18歳以上の成人アメリカ在住市民1003名に電話調査した結果の報告。シャルリ・エブドのあれ知ってる?と尋ねられて、知ってるしってる、と答えたひとが44%、ちょっと耳にはさんだくらい、と答えたひとが32%。4人に3人は事件について知っている。

「知ってる」と答えたひとたちのうち、60%が風刺画の掲載について「OKだ」と答え、28%が「OKではない」と答え、「分からない・何とも言えない」は12%。ただし「OKだ/ではない」という回答とは別に、「表現と報道の自由についてのあなたの立場は?」という質問には70%が「賛同する」と答えている。理想と現実のあいだでゆれる市民ゴコロ。

「OKだ」と答えたひとのうち、70%が「表現の自由/言論の自由」をその理由にあげている。「宗教も批判されてしかるべき」と答えているのが8%、「まんが絵は無害だもの」が6%。「OKではない」と答えたひとのうち、「宗教的信条は尊重されるべき」が35%、「攻撃的/PC的にアウト/不適切」が31%、「怒り/暴力/テロを誘発する」が7%。

性別や人種別でも回答には差がある。全体では「OKだ」と答えた60%、「OKではない」と答えた28%の内訳が:

白人 「OKだ」70% 「OKではない」20%
非白人 「OKだ」37% 「OKではない」48%
男性 「OKだ」67% 「OKではない」24%
女性 「OKだ」52% 「OKではない」33%

共和党員/支持者 「OKだ」70% 「OKではない」20%
民主党員/支持者 「OKだ」55% 「OKではない」35%

あとは学歴とか、年齢でも差がある。カレッジ卒業者はおおむね「OKだ」と答えている(69%)。高卒者だと「OKだ」と答えるのは半数をちょっときるくらい(48%)。ディスだのビーフだのはラップ・バトルだけにしといた方がいいですよね。ラップ・バトルだとしたって、越えちゃいけない一線を越えたら銃の撃ち合いになっちゃったりするもんね、っていうストリートの知恵ですね(偏見)。

30代手前は「OKだ」と答えたのは54%。おじいちゃん・おばあちゃんの薫陶よろしきを得てるのかな?65歳以上も55%だから孫と気が合いますね。50-64歳が67%でいちばん多い。ベビーブーマーの後半あたりか。アグレッシブだなおまえら。80年代は!もう終わったの!


ここからはわたしの感想になります。

「理想と現実のあいだでゆれる市民ゴコロ」と書きましたけれど、シャルリ・エブドのあの表紙みたいなのは

「やー、これは売れないだろ?」

っていうのが、彼らが見てないふりしつつ見てる「現実」だと思うんですよ。だってあんな表紙……。社内会議にアイデア出した段階でマーケティング部門の誰かが「ハハハ。ナイス。いいね。じゃあ、ちょっと質問させてくれるかい」って「ターゲットは?」「ポジショニングは?」「リスク分析は?」って突っ込んできて終わりですよ。社運賭けてんじゃねーよこの馬鹿が、って。刺さるったって刺さり過ぎ。響くったって響き過ぎ。

「お客様は神様」だもの。と言って語弊があるなら、「神様が連れてくるのはお客様」だもの。だったら宗教に敬意を払っておくにこしたことないもの。ああそうさ。ビバ・資本主義!フランス人は高楊枝くわえてろ。みたいな感じでしょうか。

クリスマス前の買い物騒ぎとか、このごろだと「あさまし」「わろし」みたくに言われてしまいがちですけれども、あれも半分くらいは「これが市民の義務」と思ってやっていることですから。こうやって消費するのがわれわれ市民のつとめだもの。これが世界経済への貢献だもの。あとの半分はクリスマスの翌日の後悔(それは二日酔いと共に訪れる)なんですけどね。使命感が加速して、加速し過ぎちゃって要らないものまで買っちゃって。こんな色柄の玄関マットをプレゼントしておれは妻に何を証明したかったんだろうか、とか。包みを開けたらモール編みの蛍光色のしましまのマフラーそれもごていねいに手袋と帽子とセット!どんな顔で喜びを表現すればいい夫なんだろうか、とか。

「9/11でいっぱい学んだ」とだけ言えば、きれいにしんみりできていいかもしれないし、もちろんそういうのが全くないとも言わないけれども。「ダイアローグ」だとかもうそういう時期も終わって、ダイアローグの結果をマネタ……もとい、収穫する時期だもの。がんばってください。

別のところで書いたのを、こちらに保存しました。

引用:『イスラーム・ラディカリズム 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』

イスラーム・ラディカリズム―私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか

ラディカルなものには興味がある。ところでイスラームは、その成立以来、今日にいたるまでラディカリズムの伝統を持つ。ゆえに私はイスラームに惹かれるのである。
もっとも、私の信奉するラディカリズムとは、暴力的な事柄を愛好したり実践する、単に過激な言動や思想的傾向を指して言うのではない。この言葉の語源であるラテン語のラーディークス radix が、根本とか根元とかを意味するのに則して、およそものごとの根本にまで遡及し、根源的に考えたり反省しつつ実践する態度を指す。考えてみれば学問、文化、芸術とは、常識や偏見を掘り起こし、打ち破り、真に深いがゆえに新しい位相を切り拓く行為であったはずである。したがって、ラディカルな学問とかラディカルな芸術という呼び方は、一種の同語反復かもしくは本質形容詞なのであり、すべて学問、文化、芸術は本来的にラディカルでなければならない。その限りでは、小なりといえども生涯一学徒、一芸術家を目ざす私にとって、ラディカルであることは身の証しに他ならない。

 ホメイニー師の功績は、複雑な政局運営に当たって、小回りの利いた微調整的現実感覚に長じていたというよりは、むしろ逆に、いかなる事態に対しても徹底してイスラームの原理原則を貫き通した覚悟にこそある。実に彼は、次の三点を説き続けるばかりなのであった。
一、イスラームはスンナ派、シーア派の区別を超えて、すべて一族同胞である。
二、イラン・イスラーム革命は精神革命であり、物質的利益を目指すものではない。
三、イスラームに敵対する勢力は、断固これを排除する。
国境ラインを越えてイラクが侵入したときも、直ちにこれを”ゼッデ・イスラーム”(イスラームの敵)と断じて戦争に踏み切ったし、インドのムスリム家庭に生まれたラシュディ氏の『悪魔の詩』に対しても、スンナ派、シーア派の区別を超えて、イスラームの代表として機敏に反応したのである、イスラームとは何の関係もない国家社会主義を信奉する、サッダーム・ホセインのイラクとの間で行なわれた戦争を、欧米や日本の論調は宗派争いと誤解し続けたし、面と向かって反対する奴よりも裏で糸を引く、もしくはコソコソと画策する勢力こそひどい悪である、とするクルアーンの知恵に無知な彼らは、ただひたすら言論の自由を合唱してきただけであった。
あるいまた、欧米そして日本からの高級玩具的もしくは張り子のトラ的近代化プロジェクトを、徹底的に洗い直して大胆にキャンセルしたこと ー たとえば西独受注の原子力発電所計画 ー など、そしてそれで浮いた分を電線架設や農業用水路工事にふり向けるなど、”精神革命”の旗の下で着実な民生化路線を歩んできたのである。(略)
イラン革命の中心にいたホメイニー師は、あらゆる種類の負荷を担いつつ政権を指導して、大往生を遂げた。高度経済成長の時代ならば、いかなるプラスを増加させたかで政治家の功績が問われようが、革命の動乱の中では、いかにマイナスを減じたか、もしくはどれだけ負担を担い切ったかが枢要となる。
あえて悪役や敵役を演じることも時には必要であり、極論こそが事態の新展開を生み、打開策ともなってきたのであった。
今回の『悪魔の詩』事件も、死刑宣告という強硬手段は欧米の総反撥を招いたが、逆にこれほどの強硬策をとったおかげで、欧米地域の出稼ぎ中東人やインド・パキスタン系の人々が受けていた虐待の事実が見直され、ホメイニー師は極端としても彼らの要求にはもっともなところがある、といったバランス回復がなされたのである。
ホメイニー師が渦の中心にいたということは、かかるバランス効果の支点となって、あらゆる負荷に耐えてきたということである。バランスをとる人とは、日本などでは清濁合わせ呑む度量の大きい人物で、よいさじ加減でものごとを按配できる人士を指す。そしてそれは、しばしば雑炊かおじやのように、さまざまなものを混ぜ合わせて味付けする伎倆を指していわれている。しかし、バランスすなわち秤という原義に則して考えれば、その支点とは左右の天秤にかかる重量の総和を支えているわけで、混合の按配というよりは、重荷の総量を負担して担い切る能力を有することなのである。

 考えてみれば皮肉なことでもある。ホメイニー師のラディカリズムの深層に潜む知恵を、誰よりも高く評価してきた私が、そのラディカリズムの表面波の過激さに悩まされるとは。(略)私は終始ラディカリズムの本義に則してこれを称揚してきたのであって、表面波の暴力主義を全肯定したことなど一度もない。したがって一見して暴力的と映るホメイニー師の声高な言動の背後に潜む、イスラームの法的センスの複雑微妙な倍音を聴き分けるのと同程度の深さで、ラシュディ師の一聞して冒瀆的と思える小説に対しても、文学的、文体論的にラディカルな分析を加え、これを文学作品として高く評価してきたつもりである。

 古代ハムラビ法典から律法の書もしくは旧訳聖書を経て、クルアーン(俗称コーラン)にまで継承された思想の一つに、「目には目を」の応報刑の倫理がある。これが見かけほど残酷でも過激でもなく、例えば近代西洋における「愛の教え」による教育刑の倫理と比較しても、かえって限定戦争の知恵が感得されることを、私はたびたび指摘してきた。何故ならば「愛の教え」は聴き入れられなかったときが問題で、相手は人間以下の動物と見下されて皆殺しの目にあうからである。このような事態の深層にまで測鉛を下ろしてラディカルに反省することなく、イラン革命や中東戦争を国際的危機であると必要以上に喧伝し、”西側自由主義陣営”の一員として防衛強化すべきだなどとの、それこそ暴論が、特に日本で湧き上がったのはいただけない。
これでは「目には目を」の倫理道徳に則して「ペンにはペンを」の態度をとらずに、「ペンには剣を」といきり立つ、一部のムスリム以上に性質(たち)が悪い。つまるところは「お前たちが俺の代わりに鉄砲を持って行ってこい」と主張する”文化人”もしくは”学者”、”大学教授”など、「ペンは剣よりも強し」どころか「剣はペンよりも強し」という倫理を、それこそペンでもって煽り立てているだけだからである。


『イスラーム・ラディカリズム 私はなぜ「悪魔の詩」を訳したか』という五十嵐一氏の御本。表紙めくったとこに「○○○○先生恵存 一九九〇年の暑い夏に」と、五十嵐氏の一筆が入っていました。古本屋さんで見つけたんですけれども。

この御本には、’79年から’90年にかけての「十年間に及ぶ十三編の論考」が収録されているのだけど、「加筆修正は最小限にとどめた」のだそうで、

……私は、この十年間に下してきた判断や批評、批判の全てを、その質と強弱の陰影のすべてを含めて、一切修正の必要を認めない。(略)ラディカルに考える続ける人間にとって、これは自然の勢いなのであるが、太平洋戦争前後から自作品の訂正削除をくり返したにもかかわらず、「俺は反省なぞしない、頭の良い奴はたんと反省するがよい」などとウソぶいた高名な”評論家”もしくは”文化人”の類とは、立場を異にしている。訂正削除もある種の”反省”的作業のはずだが、逆に、真摯に反省をくり返すラディカリズムの本義に立てば、そのように見苦しい”反省”など必要ないはずだからである。

小林某はどうでもいいとして、「これは自然の勢いなのであるが」って。なのであるが、じゃないだろうw ってなります。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。