*別のところに書いためもをこちらに保存+加筆しました。
イスラーム 生と死と聖戦 (集英社新書)
10年以上も昔の話になります。コーランを学びに通っていたモスクで、偶然とあるTV局の撮影に立ち会いました。イスラムを紹介するという趣旨の番組で、解説者としてとある大学教授氏が出演していました。撮影後、TV局の皆さんがお帰りになった後で大学教授氏やコーランの先生と一緒にお茶をすすりながら世間話などをしました。大学教授氏がムスリムであるのを知ると、コーランの先生はとてもうれしそうでした。そして大学教授氏に、日本の大学で教鞭をとる日本人ムスリムがいるというのをぜひ自分の母国のムスリムたちに紹介したい、ついては某機関紙にエッセイを寄稿してはくれないか、と依頼しました。
大学教授氏はそれを断りました。理由は、「自分はムスリムであることを公表していない。あくまでも非ムスリムのイスラム研究者として発言するのでないと、学術的公正さに欠ける護教論者と思われてしまうから」というものでした。コーランの先生は「そうですか、わかりました」と言い、依頼を引込めました。
そのとき、「日本の学術界(イスラム学術界)というのは、なんだか相当につまらないとこのようであるなあ」とわたしは思いました。もちろん、誰もかれもが自らの宗教を公表しなくてはならない理由はありません。しかしムスリムの発言はこれすべて護教論、と判断したりされたりだとか、非ムスリムの発言なら受け入れられるとか、もしもそれが本当ならそんなことを忖度しながらやる学問っていったい何。そんなひとたちで構成される学術界に「学術的公正さ」も何もあったもんじゃないよなあと、わたしはアカデミアとはまったく無縁の人間なんですがそう思ったのです。
で、まあそのような世界にあって、自らがムスリムである旨を公言している研究者というその一点において中田考氏をわたしは尊敬していました。
「いました」と過去形で書いたのは今は尊敬していないという意味ではなく、氏がすでに学術界にはいらっしゃらないからです(肩書きだけは今でも学術界ふうのそれをお使いのようですが)。今でも氏の書籍はそれなりに読んではいます。氏の文章、かなり読みにくいんですけどもね……思考をそのまま文章に移し替えるというよりも、行間の方に力を入れて書くクセがおありのようです。読んでいると、まるで自分の尾っぽを噛むウロボロスの環にみちみちと閉じ込められるかのような錯覚を味わえます。
で、そのような感じで手にとった『イスラーム 生と死と聖戦』なんですけれども。終章に、こんな文章がありました。
ただ、私の言っているカリフ制は、もちろんイスラームのカリフ制に違いはないのですが、カリフという人間にはほとんど重点を置いていないので、その意味ではかなり特殊な立場です。
(『イスラーム 生と死と聖戦』 終章「イスラーム国」と真のカリフ制再興 p188)
誤解が生じるといけないので断言しておきますが、私の方から誰かを、戦闘員としてイスラーム国へ行くようにすすめたことは一度もありません。今回の大学生に限らず、私には大勢の教え子や若い友人たちがいますが、私からイスラーム国に行けとすすめられた人間は一人もいないはずです。また今後も、私から渡航をすすめることはないでしょう。
(『イスラーム 生と死と聖戦』 終章「イスラーム国」と真のカリフ制再興 p207)
うーん。そうですか。
昨年(2014年)7月20日配布分のミニコミ紙『ムスリム新聞』中で、「特別企画 ハサン中田考先生に質問!! ISISによるカリフ制の宣言とは?!」と題されたページに寄せておられる中田考氏の言葉を、以下に引用しておこうと思います。
今年のラマダーン月1日(2014年6月29日)にイラク・シリア・イスラーム国(Islamic State of Iraq and Syria 以下ISISと略)が彼らの代表をカリフとして、カリフ・イスラーム国(IS)の樹立を宣言しました。カリフとは預言者ムハンマドの亡き後の覇権の後継者で、全てのムスリムたちを束ねる首長のことです。ムスリム新聞では、以前ハサン中田先生が「カリフ制」について書かれており、現在はラノベ『俺の妹がカリフなわけがない』を連載中です。ISISによるカリフ制施行の宣言とはいったいどのようなものなのか、ハサン中田先生にお話を伺いました。
質問:カリフ制の施行を宣言したISIS(イラク・シリア・イスラーム国)とはいったどんな集団ですか。
回答(ハサン先生):預言者ムハンマド(彼にアッラーの祝福あれ)の血統のアブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドを長とするサラフィー・ジハーディーの集団で、シリアからイラクにかけてのモスル市、ラッカ市を含む広い地域を実行支配しています。
質問:サラフィー・ジハーディー集団とは、くわしくはどんな集団ですか。
回答(ハサン先生):サラフィーの意味はスンナ派で、4法学派のいずかれか(※ママ)一つに拘束されず、大筋で4法学祖の解釈の方法に倣ってシャリーア(クルアーンとスンナ)を解釈、実践する、ということです。ジハーディーの意味はシャリーア(クルアーンとスンナ)に反した統治を行う政治体制は、背教、不信仰の政治体制とみなし、可能であれば武力闘争のジハードで打倒すべき、との立場です。但し、シャリーアに反する政治体制が不信仰、背教であっても、それに関わる公務員、政治化(※ママ)、兵士などの個個人が不信仰者、背教者であるかどうかは、それぞれの事情を考慮の上で、慎重に判断すべきだと前提されています。
質問:これまでもカリフ国を名乗るひとたちがいたようですが、それとISISの宣言はどのような点で異なっていますか。
回答(ハサン先生):これまでのカリフ僭称者が、実効支配地を持たず、居住地の国家の警察、軍事権力の下にあり、独自の司法、行政を行えず、国民国家システムの定める国境を自由に越えることもできなかったのと異なり、IS(ISIS改め、Islamic State、但しアラビア語の正式名称はDawlah al-Khilafah al-Iskamiah = イスラーム・カリフ国)は、ジハード(戦争)だけでなく、独自の裁判を行い、死刑を含むフドゥード(イスラーム固定刑)を施行し、国民国家システムの定めたシリア、イラクの国境を破って移動の自由を確保しています。
質問:今回のカリフ制再興の宣言はわたしたちムスリムにとってどのような意味を持ちますか。また、このカリフ制再興宣言に対してわたしたち一般ムスリムはどのような対応をとればよいでしょうか。
回答(ハサン先生):「バイア(忠誠の誓い)が自らの首に置くことなく死んだ者は、ジャーヒリーヤ(無明時代つまりイスラーム以前の時代のこと)の死に方をしたことになる」との『ムスリム正伝集』にあるハディースにより、カリフへのバイア(忠誠の誓い)をする意志を有さない者は、ジャーヒリーヤ(無明時代つまりイスラーム以前の時代のこと)の生き方をしていることになります。
先ず、日々の礼拝と同じかそれ以上に、カリフへのバイアの義務が緊急で重要だとの意識を持って、誰が従うべきカリフであるか調べた上でバイアの対象を決めるべきです。
但し、『カリフが二人バイアされた場合には、後にバイアされた者は殺せ』とのムスリムの「正伝集」ハディースにより、「アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワド」がバイアされた後で、別のカリフを立ててバイアした場合、アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドがカリフと認められれば、後にカリフを名乗った者は処刑されます。
教友であり初代カリフであるアブー・バクル(彼にアッラーの御満悦あれ)のカリフ就任は、預言者(彼にアッラーの祝福あれ)崩御後のサーイ ダ族の館で教友であり第3代カリフ・ウマルらムハージルーン(マッカからマディーナに移住した人々)の長老達の談合で彼らのバイアにより指名され、その後、当時の首都であったマディーナ在住のムスリム大衆の前でアブー・バクル(彼にアッラーの御満悦あれ)がカリフ就任の所信表明をして、そこでマディーナの住民がバイアをして確定し、それによりアラビア半島の全てのムスリムに彼への服従が義務づけられました。
現在は、ISのメンバーによる談合によるバイアが成立し、首都での全住民のバイアが成立しつつある状況かと思います。我々はカリフが誰かを考慮し、アブー・バクル・イブラーヒーム・ブン・アワドをカリフに相応しいと判断した場合、全力で応援し、イラクとシリアの政治状況を見極め、実効支配が確立し、住民のバイアが完了したと判断すれば、彼の命に従い、可能であればカリフの地にヒジュラ(移住)すべきです。アッラーフアゥラム(アッラーが最も良く御存知であられる)。
(月刊「ムスリム新聞」263号)
再度、こうして引用しながら読み直したんですけど。どう読んでもイスラーム国行きをすすめてるようにしか読めないんですが。いろいろと条件をつけてはいらっしゃいますけれども。視点を変えれば中田考氏というひとは、読者がかなり限定されるミニコミ誌といわゆる大手の出版社が発行する新書ではものの言い方の使い分けができる程度には社会的な人間、ということのあらわれともとれるわけではあるんですけれども。
それにまあ読んでいるのがそもそも「カリフ制再興」というアイデアそれ自体にまったく感心できないわたしであるから、イスラーム国行きをすすめてるようにしか読めないということもあり得ますしね。
「カリフ制再興」というのに個人的にロマンを感じたりする程度であればまだ許容範囲ですが、それが信仰の一部であるかのように喧伝されるのはちょっとかんべんしてほしいかなあ、と思っています。