コメディアンはほんとうにえらい

デイビット・ジェイバーバウムという脚本家/作家のひとがいます:

「ザ・デイリー・ショウ」なんかを手がけたりしたひとなのだけれど。このひとの御本に『THE LAST TESTAMENT』というのがあって。邦題にするなら『終約聖書』か。副題は「神の回顧録」。神の一人称でおはなしが進むんだけど、「神とチャネリングして書きました」とか言ってる。


The Last Testament: A Memoir

表紙わりと好きです。神は白人じゃないと何度言ったら分かるんだ。

1. 初めに、わたしはレヴィン・グリーンバーグ・リテラリー・エージェンシーのダニエル・グリーンバーグとランチを共にした。
2. 出版の未来は混沌であって、闇が深淵の面にあり、不況が業界の面を動いていた。

「主よ、われらが神よ。あなたの著作はすべて60億超のビリオンセラーになりました。2453の言語に翻訳されて、シナゴーグにも教会にもモスクにもホリデイ・インにも常備されてます。実際のところタイトルに『バイブル』とさえ入れておけばそこそこ売れたりするんで助かってますよ、『バーテンダーズ・バイブル』とかね。しかしあなた自身の著作は1400年前は書かれたっきりでしょう。このまま引退するんですか」「モルモンの書を忘れる勿れ」「いや、あれはまじめに書いてないでしょ」

「主なる神よ、あなたはわたしの若い時からのわたしの望み、わたしの頼みです」「わたしは常にあなたをほめたたえます」

そんなふうに讃えられると、もりもり、創世をやっていた頃の執筆欲が湧いてきて、再びのベストセラーをねらって筆を取り書いたのがこの『終約聖書』である、ありがたく読め。……みたいな感じで始まる。


御本の中では、イスラム教にも触れられている。他の章はchapterなのに、イスラム教のとこだけごていねいにsuraとなっている。

1. あなたがたに言っておく。わたしと預言者ムハンマドとのかかわりについて、ムハンマドに下した啓示コーランについて、偉大なるイスラム教について。それはわたしが三番目に作った宗教である。
2. そう、イスラム教について。
3. イスラム。うむ、イスラム。そう、イスラム。
4. 信者が15億超えてるって知ってた?
5. 超えてるんだよ。うん。
6. メジャーな分派にスンナ派とシーア派があるって知ってた?
7. あるんだよ。うん。……(親指をこすりながらしばしの沈黙)
8. あなたがたに言っておく。この章を書くにあたって、わたしは大いなる不安を感じている。
9. もちろん、わたしは神である。アッラーである。全知全能である。だがそのわたしですら、近頃はイスラムについて何ごとか言うのに細心の注意を払わざるをえない。
10. わたしはときどき、天から地を見下ろしてあれは出来のいいモスクだ、とかあのイマムは見所がある、とか口にする。
11. するとそれを耳にしたヘブライの族長たちやキリストの殉教者たちが互いに目配せをしてそわそわし始める。
12. するとそれを敏感に察知した品行方正なムスリムたちも落ち着きをなくしてそわそわし始める。
13. 緊張感が行き渡ったところで誰かが、だいたいの場合ヤコブなんだが、咳払いするふりをして「アルカイダ」などと小声で言う。
14. たちまちムスリムが「なんて言った?!」とかみつく。「『アルカイダ』とはどういうつもりだ」。ヤコブが違うちがう、おれはただ「オレアイダ」と言ったんだ、とごまかす。誰が冷凍ポテトのはなしをしているんだ。あいつの空気の読めなさ加減はほんものだ。


「スーラ」は1から7まであって、最後の部分で「これ以上書き続けるとわたしのためにわたしの名においてわたしに対して聖戦を布告するやつが出現しかねないのでこのへんにしておくが、」と前置きしてオサマ・ビン・ラーディンと9/11のハイジャッカーたちについて触れている。

「人々のほとんどは、彼らは地獄の底で永遠に焼かれるに違いないと信じているだろう。だが少数のダイ・ハードな(あるいはダイ・イージーなと言うべきか)ファンダメンタリストたちは、彼らは天国で72人の処女とまったりたのしく過しているに違いないと信じているかもしれない。どちらでも好きな方を信じるがいい。死後のことについては死後の楽しみにしておけ。この話題を振ったのは、単にわたしの個人的な興味からに過ぎない。わたしが与える祝福にはいろいろとあるが、その中でいちばんの祝福が72人の処女だというのか。殉教までして得たいのがそれなのか。いや、好きにすればいいとは思うが72人か。いくらなんでも多過ぎやしないか。いや、もしも、もしものはなしだが、例えばわたしが受肉したごくふつうの異性愛者の男なら、天国で72人の女が待っていると言われればそれは確かにうれしい。しかし何も全員が全員処女でなくても。いや、処女もいて構わないが。半分くらいは処女でなくてもいい。いや、処女でない方がいい。さらにその半分くらいはプロフェッショナルの方が」


著者のジェイバーバウム、もとい「神」は万人に平等。なので『終約聖書』ではイスラム教に限らずユダヤ教もキリスト教も、ヒンズー教もマルクス主義者も無神論者もぜんぶこんな調子で平等にいじられている。

仏教は別格。

「憎い。憎い。憎い。仏教が憎い。仏陀が憎い。チベタンベルが憎い。人生はイリュージョンだと?ふざけるな。スピリチュアルなゴールを目指すだと?クレイジーなこと言ってんじゃねえ。いいですか。この世はdo-er(なんかやるひと)のためにあるんです。be-er(いるだけのひと)のためにあるんじゃないんです。be-erはカウチに寝そべってフットボール観戦するにはいいかもしれないが、人生それだけで終わったらじゃまずいだろうが」

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

引用:『知られざる戦争報道の舞台裏』


知られざる戦争報道の舞台裏 (ARIA‘DNE MILITARY)

 –– タリバンがハザラ人を迫害すると非難されているが?
「タリバンはイスラムの下に民族の違いは無意味なものになると主張している。そして世界のあらゆる民族のモスレムが参加している。自分達だけを優遇し、他の民族を迫害してきたのはハザラ人の方だ」
–– モスレム同士の戦争はハラーム(破戒)だ。
「アフガニスタンのムジャヒディンは堕落し、イスラムの名を汚した。私達はイスラムの敵と、イスラムの名の下に戦う。これはジハードだ」
(略)
バーミヤンには世界遺産の暫定リストにも載っているという有名な磨崖仏があり、私はまず、タリバンに破壊された38mの大仏像を撮影した。大仏は顔面と胴体部分に戦車砲を撃ち込まれて、大穴が開いていた。大仏の周囲の岩を彫り抜いた壁面にはかつて壮麗な壁画があったはずだが、跡形もなく剥がされていた。それはヒンドゥー教の太陽神アースラがギリシア神話アテナ女神に護られる形で描かれており、ペルシア・ササン朝様式の高貴な女性の姿や仏教僧の姿も一画面に描かれていたはずだが、何一つ残っていなかった。アフガニスタンに栄えたガンダーラ文化がインド、ペルシア、ギリシアなど東西文化の融合の産物であることを雄弁に語っていた歴史の証人は失われてしまった。
(略)
礼拝が終わると、タリバンはまず私に近付いてきた。
「なぜ礼拝しない?」
私が黙っていると、宿の主人が言った。
「彼は外国人だ」
すると、二人は私の元を離れ、もう一人の男に向った。
「おまえはなぜ礼拝しない?」
男は言った。
「私はハザラ人だ」
ハザラ人はアフガニスタンの民族の中では唯一、イスラムのシーア派を信奉している。シーア派とスンニー派は礼拝のスタイルが違う。スンニー派のタリバンの指揮でハザラ人が礼拝することは不可能ではないが、不自然な感じになる。そんなことはタリバンも充分知っているはずだ。
もう一度、タリバンは尋ねた。
「なぜ礼拝しないのかと聞いている」
「ハザラだからだ」
途端、タリバンはカラシニコフを振り上げ、銃把で男の顔面を殴った。鈍い音がして、男の口から折れた歯がこぼれ落ちた。客達は無言で、成り行きを見守っていた。
タリバンはものも言わず、チャイハナを出ていった。
タリバンの姿が消えると、客達は彼に駆け寄り、口の血を拭ってやった。男は礼を言って立ち上がり、一人で礼拝を始めた。
(略)
この後私はさらに、マザリシャリフや北部の前線などを取材して、99年の一月末に帰国した。ハザラ民族の殺戮に関しては他にも多数の証言が得られた。マザリシャリフでは大通りに延々と死体が転がっていたという。そうした内容の取材写真とビデオテープを出版社やテレビ局に売り込んだ。世界の目から隠されたハザラ人虐殺の実態を初めて発表できるチャンスだった。
それを阻害したのは、他でもない、私自身の取材内容だった。テレビ局も、新聞も、私が撮影したバーミヤン大仏の映像を欲しがった。朝日新聞が99年2月5日の朝刊第一面で扱った他、NHKは同じ日の7時、9時、11時のニュースで流した。私は誤解していた。大仏破壊のニュースを通して、これまで全く関心を持たれなかったアフガニスタンに少しでも関心が集まり、ここで続いている殺戮に対しても問題意識が生じるだろうと。しかし、そうではなかった。アフガニスタンの問題は、あくまでもバーミヤン大仏だけがニュースだったのだ。訪問したあらゆる出版社、テレビ局で、私は大仏よりも人命の方がニュースとして重要なのだから、こちらを優先して扱って欲しいと訴えて回った。しかし、聞き入れられたところはなかった。大仏を撮ってしまったばかりに、それ以外の取材の発表の場を私は減らしてしまったのだ。
99年の10月から、国連はアフガニスタンに経済制裁を課した。タリバンがウサマ・ビン・ラディン氏を匿っていることへの対応だ。アフガニスタンではその前年から厳しい干魃が続いており、この世界最貧国に経済制裁を課した結果は予想されていた。が、安全保障理事会の採決に反対意見は出なかった。
(略)
(「封印されたアフガンの悲劇」常岡浩介 『知られざる戦争報道の舞台裏』)


引用めも、そのいち:なんでこんないかがわしいタイトルといかがわしい表紙の御本がわたくしの本棚に、というような御本なんだけれども、共著者につねおかがいるのでしかたがないですね。

引用めもそのに:たった3日かそこら拘束されただけのひとが、それだけで1冊御本を書けるなら、100日+何日か拘束されたつねおかは単純計算でも30冊は書いてるはずなのにおかしいだろ。めんどうくさがりにもほどがあると思う。いっそ拘留されてしまえばいわゆる「缶詰」という状態になり、他にやることもなく書き始めるのではないか。こういう時に限ってなぜ公安は仕事をしないのか。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

dead right

黒人射殺の警官不起訴、米で暴動「人種差別だ」 大統領は沈静化呼びかけ

・これ、6月から8月までの間に米国のあちこちで白人警官に黒人男が射殺されててファーガソンが4人目か何かだったんですよね。ファーガソンがクローズアップされたのは「黒人が暴徒と化した」からであって、白人警官に黒人男が射殺されたくらいでは国際的に報道されたりはあんまりしない。

・80年代までのアフロ・アメリカンの男性なら、皆が皆やっていたことのひとつに「ジーンズのアイロンがけ」というのがありました。出かける前には必ずジーンズにアイロンをかける。シャツは衿のあるものを選び、もちろんシャツの裾はジーンズの中へ。やり過ぎというくらい身だしなみに気を配る=トラブルを避けるための生活の知恵だったのでした。

・そのようなわけで、トレイヴォン・マーティン君が射殺された事件にしても、もちろん同情はするものの、同時に夜間にパーカーのフードを被って出かけたりすれば、トラブルのひとつやふたつ起きてもおかしくはないだろう、と考える40代~50代のアフロ・アメリカンは(身の回りを見渡しただけではあるけど)少なくありません。

・こういうのを、生前の義理パパは dead right と呼んでいました。向こうからトラックが突っ込んでくるのが見えているのに横断歩道を渡ってはねられて、「青信号だったんだからおれは正しい」と叫んだところで、それは dead right というものだ、というふうに。

・突っ込んでくるトラックがわるいに決まっています。でもrightを行使したかったら、生きているにこしたことはありません。こういうはなしはとても難しいですべ。「殺される側にも原因がある」というようなことを言おうとしているのでは決してないのだけれども、そういうふうに受け取られないとも限らないですし。


とりあえず、クリス・ロックの「おまわりさんから身を守るコツ」というのを鑑賞してみましょう。

「警官の暴力の犠牲者になりたくない」 –– ぼくも含めて黒いコミュニティにいるみんなの最大の心配事といえばこれですね。そこでクリス・ロック・ショウは皆さんにとってとてもためになるチュートリアルを用意しました。ごらんください!

「おまわりさんから身を守るコツ」

おまわりさんと一対一で向き合って、「こいつ、おれをぶんなぐるつもりなんじゃないか」と気になったことはありませんか?そんなあなたにいくつかの簡単なコツをお教えします。不安とさよならしましょう!

ひとつめは【法に従え】。法律にはそれなりの理由があります。法をこのようにとらえてみましょう –– 「おれならそんなバカはやらねえよ」。「バカ」というのはこういうことです:カージャック。恐喝。放火。ドラッグを売る。ドラッグを買う。刺す。撃つ。

【常識で考えろ】。これは最大の防禦です。地下鉄の改札を飛び越えるだけなら、ちょっと注意されるだけで済むでしょう。ですが銃を持ってくわえマリファナで地下鉄の改札を飛び越えたりすれば、ケリを入れられる可能性が高くなるのは当たり前ですね。

ロドニー・キング事件については、ご存知ですよね。でもロドニー・キングが、次のコツを知っていたらあんなことにはならなかったでしょう。パトカーがライトを点滅させているのが見えたら、【すぐに停まれ】。皆さんもよく知っていますよね。追いかけて来るおまわりさんが次に取る行動、それは「あなたにケリを入れる」ことです。

大音量でラップミュージックをかけながら運転していた場合は、【すぐに消せ】。おまわりさんが横づけしてる間じゅうクソを垂れ流し続けるのはバカとしか言いようがありません。そしておまわりさんがあなたに話しかけたら、【行儀良くしろ】。

「おまわりさん、何か事件でもありましたか?」 –– 正解です。両手をハンドルに置き、車中に留まりましょう。

「何か用か、このマザーファッカー!」 –– 不正解です。ケリを入れてくれと言っているようなものです。

友人を気軽にあなたの車に乗せてはいけません。あなたの友人がまともであるとは限りません。友人を車に乗せる前に尋問しましょう。銃を持っていないか。ドラッグを持っていないか。保釈金は持っているか。その上で、おまわりさんに停車を求められた場合について事前に友人に注意しておきましょう –– 【黙ってろ】。

おまわりさん:免許証と車輌登録証を拝見します
あなたの友人:何か用かよこのマザーファッカー! –– 不正解です。どうしても友人と一緒に車に乗りたいなら、【白人の友人を持て】。助手席に乗っているのが白人なら、銃をつきつけられることもなくせいぜいチケットを切られる程度で済みます。

それから、絶対に怒っている時の彼女を車に乗せてはいけません。家に置いてきてください。女は怒ると何を言い出すか予測不可能だからです。

あなたの彼女:このひとマリファナやってるのよ!ヤク中なのよ!

怒っている女が見たいもの、それはケツにケリを入れられているあなたに他なりません。

おさらいです。【法に従え】【常識で考えろ】【すぐに停まれ】【すぐに消せ】【行儀良くしろ】【黙ってろ】【白人の友人を持て】そして何より一番大事なのが、【怒っている女を車に乗せるな】。これさえ正しく守っていれば、たぶんおまわりさんから身を守ることができるでしょう!


クリス・ロック、こないだのSNLでは「ISISが『シャークタンク』(米国版『マネーの虎』)に出演」する、というシチュエーション・パロディをやっていました。

「ぼくたちと一緒に西洋を征服しましょう!!」

こういうのには必ず噛みつくCAIR(Council on American-Islamic Relations)も、今のとこ何も言ってません。われわれ、よくもわるくも今はそれどころじゃないようです。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

リベラルの王子様

そのいち:ビル・マヘルのトーク・ショウでベン・アフレックが「白馬の騎士」をやっているのを鑑賞しました。

ビル・マヘル「リベラルはリベラルの原則のために立ち上がるべき。言論の自由、信教の自由、男女の平等、同性愛者を含む少数者の権利、こうしたことのために立ち上がるべきなのに、ムスリム世界にこれらが欠けていることを指摘されると怒っちゃうんだよねリベラルは」

サム・ハリス「神権政治の話になるとリベラルは弱いよね。白人がやってる神権政治には怒るんだけどね、キリスト教のとかね。1984年に起きた、中絶手術をやってる産婦人科病院で起きた爆弾テロのこととか、未だに持ち出したりするし。なのにムスリムが相手だとリベラルは弱腰になる。どんな批判も『イスラモフォビア』の一言で済ませちゃうし」

ここでベン・アフレックが「イスラモフォビアが存在しないとでもいうのか!批判っていうけど、じゃあイスラムの何を知っているって言うんだ。対象をどれくらい知った上で批判しているんだ」「醜い、レイシズムだ、汚い、ユダヤ人差別と同じことの繰り返しだ」

割って入ったニコラス・クリストフ「いや、何かひとつだけもってきてそれで全体を語ろうっていうのはちょっとどうかとは思うよ、ジハーディとかいろいろいるのは確かだけど、そういうのに抵抗しているムスリムだっていっぱいいるよね?マララだってそうだし、モハメド・アリだってそうだし、イランには9年間と動くされっぱなしの活動家もいるし、こないだパキスタンで殺されちゃった活動家のこととか、」

ベン・アフレック「ステロタイプはよくない!」
ビル・マヘル「背教者は死刑にすべきと考えるムスリムは存在しないと?」
ベン・アフレック「ムスリム・マジョリティはそうは考えない!」
サム・ハリス「同心円で例えよう。中心がジハーディスト。この周囲にいるのがイスラミスト。これがだいたい全体の20%くらいかな」
ベン・アフレック「根拠は?」
サム・ハリス「いや、統計的に」
ベン・アフレック「どの統計?」
サム・ハリス「いろんな統計だよ(後述)。で、そのイスラミストの周囲にコンサバティブな人たちがいる。英国では78%のムスリムがオランダの漫画家(ムハンマド風刺画のときのひと)は死刑に処されるべきだと考えている」
ニコラス・クリストフ「いや、あの、過激なことを言うひともいれば、寛容なことを言うひともいて、」
サム・ハリス「いや、ジハーディストをフリンジととらえるのは間違っている」
黒いオトウサン「過激なことを言ういわゆるジハーディストたちのことしか見ていないと、それが全てと思い込んでしまいがち。でもそれは真実ではない。大きな声のジハーディストに抵抗しているひとたちも沢山いるし、声を上げている人たちもいるし、彼らをバックアップしていくプラットフォーム構築を」
ビル・マヘル「でもそのサイレント・マジョリティが何で声を上げないかと言えば要するにこわいからだろう?正しい宗教はたったひとつだとか言ってるマフィアみたいな連中に殺されるのが」
ベン・アフレック「違う。認めない。絶対アグリーできない」
サム・ハリス「ISISみたいなジハーディの犠牲者になってる人たちを助けないと」
ビル・マヘル「現実を見ろ。エジプトでは90%が背教者は死刑だって言ってる。それがメイン・ストリームなんだ」
ニコラス・クリストフ「いや、それをメイン・ストリームと呼ぶのはカリカチュアもいいとこ。インドネシアは?マレーシアは?世界中を見渡すべき」

サム・ハリスが「10億のムスリムが……」と言うのにかぶせてベン・アフレックが「15億!」とつっこんでるのがかわゆかった。

個人的には、黒いオトウサンの「やだなー、巻き込まれたく無いなー。おうち帰りたいなー。なーんでおれがベン・アフレックをなだめてんのかなー。これじゃあおれまるでモーガン・フリーマンみたいじゃない?ダニー・グローバーみたいじゃない?」みたいな表情がたまらん、などと思いながら視聴してたんですが、後でお名前を検索してみたらアフロ・アメリカンとして初めて共和党全国委員長を務めた人物でした。おつかれさまでした。

(後述)「いろんな統計」 まあ統計にもいろいろありますよね。例えばPEWなんかのここを見ると、
The World’s Muslims: Religion, Politics and Society

「強い指導者と民主主義なら?」という質問に対しアフリカ(サブ=サハラ)では72%が民主主義の方が好ましいと答えている。同時に、「信教の自由は良いことだと言える?」という質問にも80~90%が「言える」と答えていたりする。背教者云々、というのも確かあったと思うけど、眠いのでまた今度。

*****
そのに:サトシと山形浩生の対談を読んだらおもしろかったです。

サトシが「いわゆる宗教改革的なものを経ない限りムリだというのがおそらく共通認識ですね」と発言して「えー、宗教改革ですか」と突っ込まれたりしてる。突っ込まれたりして、「基本的にはムリだというのがこれまでの経験です(略)でも、我々は「変わってくれ」と言い続けるしかないと思います」と、なんかいろいろ長々と語っている。

さかのぼること12年前、『現代アラブの社会思想』のあとがきでいつか苦境を乗り越えた後のアラブの思想風景について書いてみたい、というようなことをサトシは書いていたわけですけど、わたしも読みたいのでがんばって下さいという思いを新たにしました。

ああ、言うまでもないですが山形氏の「えー、宗教改革ですか」っていう、何と申しますか、アニキ風のふかし方もかっこいいよねと思いました。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

Long Live Mr. Nelson

11/1のSNL、ミュージック・ゲストはプリンスでした。SNLだいすき。
Watch Prince’s Electric Performance From Tonight’s Saturday Night Live

ホスト役のクリス・ロックのオープニングのおしゃべりが、いつもどおりひどかったです。「きのうはハロウィンだったね!みんなよく生きてここ(スタジオ)に来れたね。良かったね。あしたはNYマラソンだね!こわいね。何が起きるかわからないもんね。ボストンマラソンたいへんだったもんね。26マイル走ってやっとゴールだと思ったら『走れ!逃げろ!』って。何その罰ゲーム、ってなるよね。サディスティックにもほどがあるよね」。


いい感じにまとまってておもしろかった「プリンスの偉大なTVパフォーマンス五選」:
Watch 5 of Prince’s greatest TV performances

以下、記事に従って時系列に:

1980 I Wanna Be Your Lover – Why You Want To Treat Me So Bad?

デビュー後2枚のアルバムはブラック・ミュージックで稼がせたいワーナーの思惑とホワイト・マーケットで稼ぐんじゃなきゃ意味がないというプリンスの思惑を混ぜてみたらなんかこんなのできたんだけどどう?っていう感じも含めてわたしは好きです。ホワイト・マーケットっていうのはまあ「ブラック・ミュージック」っていう語は使われても「ホワイト・ミュージック」という語は使われないことに何の疑問も持たない層によって成り立っている、つまり通常「マーケット」と呼ばれているそれだ。

記事文中にもあるけれど、インタビューがたまらなく痛々しい(painful)。まあインタビュアーが5歳の子に話しかけるみたいなあれなので殿下がおむつかりになるのも仕方がないね。クリス・ロックが「当時は皆『ミネアポリスってどこだよ?!』」ってなってたよな」って言ってましたけど、その通りのやり取りが展開されています。

1985 Baby I’m a Star

アメリカン・ポップスの文脈的には”We Are The World”の裏番組に相当します。にしてもこんだけやってこの年のグラミー受賞者はライオネル・リッチー。「敗者の美学」なんていう言葉が軽々に使えなくなる気まずさ。でもいいんです。それでいいんです。裏番組ですから。

1991 Gett Off

世の中「ブラック・ミュージック」全盛期。プリンスのバンドをクビになったジャム&ルイスがプロデュース業で大成功したりしてた。ジャネット・ジャクソンのアルバムとかね。デビュー以来ずっと遠洋漁業に出てたプリンスが「おれが開拓した客筋だ!横取りされてたまるか」ってなるのも理解できる。とは言えラップをご披露したりされても「え?そっち行くの?」と皆さん若干困惑ぎみではあった。いや、決してわるくはなかったけど。

90年前後、GLAMSLAMというおっきなクラブが本牧に出来たんだけど、その売り文句が「プロデュースドbyプリンス」だった。名義を貸しただけなんじゃないの?と思いつつ実際に行ってみたらなるほど確かにこれはプリンスのプロデュースだ、と合点した。主な理由はふたつ:

(1)めちゃくちゃ趣味のわるい内装
黒と紫のなあ、趣味がわるいっていうかまあ個性的な内装でなあ。こんなん思いつくのはあの男しかいないだろっていう感じだった。

(2)めちゃくちゃいいステージ
「お立ち台」とかそういうんじゃないちゃんとしたステージがあった。両脇に大きなスピーカーが鎮座してて、ダンスフロアの1/2がそれで占められてる。当時の一般的な風潮からすればあり得ないというか、夜間営業の紳士淑女の社交場を新規開店するのにステージ据え付けようなんて思いつくのはあの男しかいないだろっていう感じだった。いちおうDJブースもありましたけど、建物の造作としてはあくまでもステージが中心になってた。ああプリンスはミュージシャンなんだねって妙に感動した。アーティストというよりはエンターテイナーというよりはミュージシャン。

でも実際のところ、ちゃんと楽器演奏できるミュージシャンがそのステージに立ったことって残念ながらほとんど無かったと思う。何度か誰だかのライブに行ったけど、みんなDJ連れて来て済ませちゃうから(それって全然「ライブ」じゃないよな)。

ここらへんからしばらくプチ受難の時代。どこもかしこも流れるのはどれもこれも似たようなニュージャックスウィング。いやそれはそれで良いんだけどね。悪くないんだけどね…ってひたすらアルバムを聴き直しては解釈を披露し合ったり議論したり、カルトってこうして育つのな。「パープルレイン」が何のメタファーなのかとか30年経っても飽きずにやってるんだからおかしいよな。でも仕方がない。クリス・ロックの言葉を再び借りれば「今は『そのまんま(literal)』な音楽ばっかりで、『あたまをつかう』音楽がどこにもないからな」。

2007 Super Bowl Halftime Show

みごとなセルフコスプレ。思春期ってたいてい10代で終わるはずなのが彼の場合は20代30代ずっと思春期。もうずっと思春期かよと皆で温かく見守ろうモードに入りはじめたここらへんでようやく心の変声期が済んだ感があります。っていうかどこのメーカーのアイライナー使ってるんだろって昔から気になって仕方がない。

ところでこれの2年前にNAACP(全米有色人種地位向上委員会)の功労賞を受賞してるんですが、その時のアクトと見比べるといろいろ興味深い。

カバーにもってくる曲がNFLではボブ・ディラン、NAACPではサンタナっていうあたりがおとなのきづかい。「ブリッジ」とか「アマルガム」とか評されるのもうなずける。そしてどちらもちゃんとできちゃうのがすごい。いやプリンスをつかまえて「できちゃう」も何もないんですけど。どっちがアウェーでどっちがホームっていうのじゃなくて、ある意味どっちもアウェーでどっちもホーム。

2013 Prince Rocks Out With ‘Screwdriver’ on ‘Fallon’
inshaAllah, もうあと何年かしたら、このひとアコギ1本でブルースをやってると思います。今ぜったいブルースハープの練習してるはず。「唇が荒れるから嫌なんだけど」とかなんとか言いながら。

いやしかしデビューから35年、この男の顔を見ることである種の心の平安を得る日が来ようなど、アメリカ市民のうち誰ひとりとして予想してなかったに違いない。

Long Live Mr. Nelson.

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。