年表・The A to Z of Sufismから (13)

前回からの続きです。

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20世紀/14~15世紀 ヨーロッパやアメリカでスーフィー教団が設立され始める。

1914/1332 シブリー・ノウマーニー没。ウルドゥー語でルーミーの伝記を執筆した(1905年刊行)。馬啓西(Ma QiXi)没。中国のスーフィー改革者。

1925/1344 トルコ共和国建国の祖ケマル・アタテュルク、世俗国家宣言の後、改革に抗議する全てのデルヴィーシュ教団を違法化。

1927/1346 アマドゥ・バンバ・ムバケ没。セネガルのカーディリー教団シェイフ。

1933/1351 サイイド・アフマド・サヌーシー没。北アフリカの神秘家、サヌーシー教団第3代シャイフ。

1934/1353 アブー?ル・アッバース・アフマド・アル=アラウィー没。ダルカウィーの聖者。後に精神的治癒を中心とする自らの教団を始める。

1938/1357 ムハンマド・イクバール卿没。インドのスーフィー学者、哲学者、著述家。

1943/1362 ムハンマド・アシュラフ・アリー・サンウィー没。インドのスーフィー指導者。

1946/1366 アミール・ハムザ没。マレー語で神秘詩を著した。

20世紀中頃/14世紀 モロッコからマレーシアに至るまで、ムスリムが多数を占める国家がヨーロッパ植民地支配からの独立を果たす。

1951/1371 サイイド・ザウキー・シャー没。インドのチシュティー教団シャイフ。

1958/1378 馬振武(Ma Zhenwu)没。中国の回民蜂起におけるスーフィー指導者。

1978/1399 シャヒードゥッラー・ファリーディー没。

1986/1407 バワ・ムハイヤッディーン没。スリランカ出身。ペンシルバニアに指導部を置くアメリカにおける大規模なスーフィー・グループの指導者。

2003/1424 アンヌマリー・シンメル没。ドイツ出身の学者。スーフィー思想と文献理解に多くの重要な貢献を果たした。

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これでおしまい。時間を経るにつれ、アラビア半島からヨーロッパ、アメリカにも広まっていく感じでまとめてある年表でした。「広まっていく」と書いたものの、「薄まっていく」感じでもあるかもしれないですね。と、いうか遡ればさかのぼるほど、歳月と共に水分が蒸発して濃ゆくなってる、という方があたっているのかも。何にせよこれでおしまい。夏もおしまい。

シャヒードゥッラー・ファリーディーさんは英国人の改宗ムスリムです。キリスト教徒の家庭に育ち、フジュウィーリー『隠されたるものの開示』を読んでイスラームに開眼。インドでチシュティー教団のシャイフに師事し、40歳で免許皆伝、その後の約30年、死没するまでカラチに暮らしました。

年表・The A to Z of Sufismから (12)

前回からの続きです。

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1809/1224 アフマド・イブン・アジーバ没。モロッコの学者。初期スーフィーたちの著作の解説と自伝が有名。

1810/1225 ミール・タキー・ミール没。詩人。形の上ではスーフィー・コミュニティに属してはいなかったが、ウルドゥー語による神秘詩を著した。

1811/1226 シーディー・ムフタール・アル=クンティー没。西アフリカのスーフィー。部族の指導者。

1815/1230 アフマド・イブン・ムハンマド・アッ=ティージャーニー没。北アフリカのスーフィー教団の開祖。

1823/1239 ムライ・アル=アラビー・アッ=ダルカウィー没。北アフリカのスーフィー改革者。シャーズィリー教団の分派ダルカウィー教団の開祖。

1824/1239 シャー・アブドゥルアズィーズ没。インドのナクシュバンディー派法学者、解釈者。

1826/1242 アブドゥルワッハーブ・サッチャル・サルマスト没。シンドのスーフィー詩人。

1831/1246 サイイド・アフマド・バレルヴィー没。インドのスーフィー改革者。シーア派とヒンドゥーの混淆的な要素をイスラムから排除しようと試みた。シャー・イスマーイール・シャヒード没。インドの学者、改革者。

1838/1253 アフマド・イブン・イドリース没。モロッコの改革者、スーフィー著述家。

1838/1254 シルヴェストル・ド・サシ没。初期アラブ諸学の代表的な学者、東洋学者、翻訳家。

1843/1259 ダーウード・アル=ファターニー没。マレー人。ウジュード論争に加わった。

1851/1267~8 ムウミン没。近現代初期の重要なウルドゥー詩人。

19世紀中頃/13世紀 特に北・中央アフリカにおいて、スーフィー組織が対宗主国闘争における重要な役割を担った。

1856/1272~3 ヨーゼフ・フォン・ハンマー=プルクシュタール没。ドイツ人東洋学者。スーフィー詩を翻訳した。

1858/1274 エンク・ムダ・ラージャ・アブドゥッラー没。マレーの統治者。ナクシュバンディーのシェイフでもあった。

1859/1276 ムハンマド・イブン・アッ=サヌーシー没。北アフリカの学者、サヌーシー教団の開祖。

1864/1281 アル=ハッジ・ウマル・イブン・サイード・タール没。西アフリカのティージャーニー派指導者。

1866/1282~3 フリードリヒ・リュッケルト没。ドイツの主要なスーフィズム研究者。

1869/1286 ミールザー・アサドゥッラー・ガーリブ没。著名なウルドゥー詩人。真の神秘主義的愛は死によってのみ表現されうる、という点を主要なテーマのひとつとしている。
1871/1288 馬化龍(ま・かりゅう、ま・ふあろん)没。中国のスーフィー、殉教者。

1874/1291 馬徳新(ま・とくしん、別称ま・ふちゅう)没。雲南省の中国人学者。スーフィー文献を中国語に翻訳した。

1877/1294 F. A. D. トールク没。ドイツ人の著述家。1821年、スーフィズムに関する初の包括的な書籍を刊行した。

1882/1300 エドワード・ヘンリー・パーマー没。『東洋の神秘主義Oriental Mysticism』(1867年)著者。

1883/1300 アミール・アブドゥルカーディル・イブン・ムヒユッディーン・アル=ハサニー没。フランス植民地主義に抵抗し戦ったアルジェリアのスーフィー。結果、放逐を余儀なくされた。

1885/1302~3 アーネスト・トランプ没。ドイツ人宣教師。1866年、『シャーの書』を編纂・刊行。

1892/1309~10 ジェームス・レッドハウス卿没。英国人の東洋学者、ルーミー研究者。

1898/1315 サイイド・アフマド・ハーン卿没。ナクシュバンディー派、インド=イスラムの改革者。

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最後のサイイド・アフマド・ハーンさん。東インド会社に就職なさったご経歴の持ち主でいらっしゃる。のちに簡易裁判所の判事職に就任。1857年、インド大反乱の際には多くのヨーロッパ出身者の人命保護に尽力。反乱の鎮圧後、「インド大反乱の因」と題する考察を執筆し、英国の政策を厳しく批判した。その一方で、柔軟さに欠く宗教保守派の姿勢がムスリムの未来を脅かしているとも考え、のちのアリーガル・ムスリム大学の前身となるムハンマダン・アングロ=オリエンタル・カレッジを設立。西洋的科学教育の普及に努めた。……と、いう方です。

追加すべき人物が他にも何人もいそうですが、ひとまず以下のお二人にしぼりました。

ファーティマ・ビント・ハマド・アル=フダイリヤ。1831年没。優れた書道家として知られ、イスラム諸学にも通じていた。多くの著名な学者からイジャーザ(師範免状)を与えられている。メッカに在住し、ムハッディス(ハディースの伝承者)として弟子たちにハディースを教え、後進の育成に努めた。晩年はメッカに蔵書豊富な図書館を設立し、一般に開放した。長らく受け継がれてきた女性ムハッディスの伝統の、最後の学者の一人とみなされている。

オマル・イブン・サイイド。1864年没。セネガルの富裕な家庭に生まれ、伝統的イスラム学の権威の許で25年間を勉学に捧げ、数学からアフリカ古来の神話に至るまで網羅した博学のイスラム学者として活動。1807年に拉致され、奴隷として米国で使役される。最初の奴隷主から逃亡ののち、ノースカロライナ州で再び拿捕。二度目の主人となるノースカロライナ州議会議員ジェームス・オーウェンに売却される。

「アンクル・モロー」「プリンス・モロー」といった呼び名で親しまれ、94歳でこの世を去った。オーウェンの許でキリスト教に改宗したとされているが、「主の祈り」をアラビア語で記すよう命じられて書いたものとして残されている文書が、コーラン110章(援助の章)であったことが後々になって判明している。

Omar ibn Said Writes Qur’an Verses as "The Lord’s Prayer"
Omar ibn Said Writes Qur’an Verses as “The Lord’s Prayer”

「神の助けと勝利が来て、人々が群れをなして神の宗教に入るのを見たら、汝の主の栄光をほめ讃え、お赦しを願え。主は悔い改めに寛容なお方である。」

年表・The A to Z of Sufismから (11)

前回からの続きです。

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18世紀初頭/12世紀 ミールザー・ハーン・アンサーリー没。バーヤズィード・アンサーリーの子孫。アウラングゼーブ治世の末期における一流の神秘詩人。

18/12世紀 バドル・アル=ヒジャーズィー没。スーフィズムの堕落を風刺する作品を著した。イブラーヒーム・ハック・エルズルムル没。トルコのスーフィー、著述家。ハーシム・シャー没。ブッレー・シャーと同時代の人物。民話を用いて神秘主義を表現した。フワージャ・ムハンマド・バンガシュ没。神秘主義の教えをパシュトー語で表現した詩人。チシュティー教団に属した。

1700/1111~2 アブドゥルアハド・ギュル没。インドの指導者。サアドゥッラー・グルシャンの導師。モロッコの新スーフィー、アブドゥルアズィーズ・アッ=ダッバーグの活躍。

1707/1119頃 ワリー・デッカニー(ワリー・モハメド・ワリー)没。南インドの偉大な神秘詩人。

1717/1130 マフムード・バフリー没。インドのチシュティー教団に属した。ペルシャ語・ウルドゥー語詩人。

1718/1130 シャー・イナーヤト・シャヒード没。神秘家、指導者。多くの熱心なスーフィー志望者を惹きつけた。

1719/1132 祁静一(き・じんぎ)没。別名ヒラールッディーン。中国におけるカーディリー教団創始者。

1721/1133 ミールザー・アブドゥルカーディル・ビーディル没。絶えず食事の話題を持ち出すスーフィーを批判した詩人。

1724/1136~7 イスマーイール・ハック・ブルセヴィー没。トルコの神秘詩人。ルーミー『マスナヴィー』の注解を著した。

1728/1140~1 サアドゥッラー・グルシャン没。ペルシャ詩人。音楽を愛好し、デリーの音楽界の一端を担った。

1731/1143 アブドゥルガニー・アン=ナーブルスィー没。シリアのシャフィーイー派学者、詩人。イブン・アル=ファリード注解を著したスーフィー。ナクシュバンディー、カーディリーの両教団に属した。

1738/1151 スライマーン・ナーヒフィー没。ルーミー『マスナウィー』注釈をトルコ語に訳した。

1740/1153 ピール・ムハンマド・ズバイル没。四代目にして最後のインド・ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派カッユーム(高位者)。

18世紀中頃/12世紀 ディーワーン・ギドゥマル没。シンドの英国人牧師。ナーディル・シャーの侵攻に際し、土地の諸聖者たちの塵を献上した。

1747/1160 ナーディル・シャー没。アフガニスタンの軍閥指導者。1722年にペルシャを征服。

1752/1165 シャー・アブドゥッラティーフ・ビターイー没。シンド州ハイデラバード出身の神秘家・詩人。

1754/1167 ジャーナッラー・リズウィー没。シンド出身の卓越したペルシャ詩人。

1759/1172 ナースィル・ムハンマド没。インドのナクシュバンディー教団ムジャッディディー派に属した。ミール・ダードの父。アンダリーブ(ナイチンゲール)の筆名でウルドゥー詩を著した。

1760/1173~4 マクドゥーム・ムハンマド・ハーシム没。「素面(しらふ)」の神秘家。タッター郊外のマクリの丘などにおける舞踊など、宗教の感情的な側面を擁護するスーフィーを攻撃した。

1762/1175~6 デリーのシャー・ワリーウッラー没。インドの学者、改革者。コーランをペルシャ語に訳した。ナクシュバンディーとカーディーリーの両教団に属した。

1766/1180 馬来遅(ま・らいち)没。中国ナクシュバンディー派の著名な指導者。

1767/1181 ブッレー・シャー没。パンジャーブの最も偉大なスーフィー詩人。

1778/1192 アブドゥルラヒーム・ギルホリ没。スフラワルディー派の神秘家、宣教師。

1781/1195 マズハル・ジャーニ・ジャナーン没。ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派(改革派)。インド・シーア派とは軍事的に敵対した。馬明心(ま・めいしん)没。中国スーフィズムの主要人物。

1785/1199 フワージャ・ミール・ダード没。著名なインド・ナクシュバンディー派詩人、著述家。アブドゥルサマド・パリンバーニー(パレンバンのアブドゥルサマド)、スマトラで活躍。

18世紀終わり/13世紀初頭  ワーリス・シャー没。パンジャーブの詩人。

1792/1207 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ没。 近代のスーフィズム批判の中心的人物。

1799/1213~4 ガーリブ・デデ没。古典トルコ語詩人。マウラウィー教団に属し、イスタンブルのガラタ・テッケ(修道場)のシャイフをつとめた。

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人名にしても地名にしても、カタカナ表記を探りあてるのがむつかしいです。こちらなどで作成されている外来語(カタカナ)表記ガイドライン (pdf) みたいなのとか、あちらなどで作成されているJTF 日本語標準スタイルガイド(翻訳用) (pdf) みたいなのがほしいです。

それはともかく、18世紀も18世紀でさらに色々と騒がしく世界が煮えくり返っており、そこまで悟りきれていない身としては色々と付け加えたくなる感じではありますが、ひとまずここまでで。画像を一枚、貼っておきます。メッカのお姿、1889年。南満州鉄道東亜経済調査局蔵書之印入り。

View of the mosque, while congregational Çalat [i.e., Salat] are being held inside
View of the mosque, while congregational Çalat [i.e., Salat] are being held inside
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