年表・The A to Z of Sufismから (1)

The A to Z of Sufism という御本がここにあると思いねえ。

wordery.com、わるくないのだけれど画像をひっぱってこられないのが難といえば難。

A to Zシリーズという、ひとつのテーマについて辞書の態で書かれている御本のシリーズがあり、それの一冊がジョン・レナード先生という方のこれです。「それ」とか「これ」とか、本当に近頃はとみに老化というか劣化が激しい。もしかしてルーミー翁の漫談集のタイトル「フィーヒ・マー・フィーヒ」も、なんかすごく深い意味がありそうな雰囲気を醸してはいるけど実際のところはそういうあれだったんじゃないか。

で、ジョン・レナード先生の The A to Z of Sufism には本文である辞書の他にも地図とか年表とか、いろいろついてきて何かお得な感じです。誰かの何かのお役に立つかも知れないと思ったのと、あと自分ののうみそがどんどん人名や地名を忘れていこうとしているので、おさらいと忘却防止を兼ねて年表をちまちま、ここに読み下しておくことにします。読むと言っても本当に人名とか地名とかくらいです。でもいざ読み下すとなるとそれなりに細かく量もあるので、何回かに分けます。神が望めばラマダンが明ける頃には終わっているのが目標です。まだ始まってもいないわけですが。

では始める。1,500年を振り返るぞ。

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特に記述のない限り、以下の日付はすべて各個人の没年を指すものとする。

525 アラビア南部のユダヤの王、ズー・ヌワース没。アラビア南部はアビシニア領地となる。

570 マアリブ・ダム(イエメン)、三度目の決壊。これをもって南部アラビアの古代文明が終焉する。

570 預言者ムハンマド誕生。

595頃 ムハンマド、ハディージャと結婚。最初の妻であり、生存中はただ一人の妻でもあった。

595頃 ヒラーの町において、ガッサーン朝(アラブ領域内のビザンツ帝国の封建国家)に対する最前線の防衛拠点としてペルシャ人に仕えてきたラフム朝が崩壊する。

610 ムハンマド、預言者として召命される。最初のコーラン啓示を経験。

615 「小ヒジュラ」。ムハンマド、アビシニアへムスリムたちを避難させる。

619 ハディージャ没。ムハンマドの保護者である叔父アブー・ターリブ没。

621頃 ムハンマドの(イェルサレムへの)夜の旅と昇天。天国と地獄の多岐に渡る階層を訪問する。

622/1 ヒジュラ。ムハンマドと信者たち、メッカを旅立ちメディナに移住。ムスリムの時代の幕開け。2

624/2 バドルの戦い。メッカに対しムスリムが勝利をおさめる。3月13日/ラマダーン月17日。

625/3 ウフドの戦い。ムスリム側の敗北。3月/シャウワール月15日。

630/9 メッカ征服。カアバ神殿がイスラムの宗教実践の場のひとつとして統合される。

630~631/9~10 ジャアファル・アッ=タイヤール没。ムハンマドのいとこにあたる。創始期の戦死者。重傷を負いながらも飛ぶように戦場を駆けたことから、「飛翔者」と呼ばれた。初期における宗教的英雄譚の典型。

632/11 預言者ムハンマドの舅アブー・バクル、後継者としてカリフに選任される。

632~634/11~13 アブー・バクル、メソポタミアとパレスティナを侵略したアラブ反乱軍(背教者 ridda 戦争)を鎮圧。

633/11 ファーティマ没。ムハンマドとハディージャの娘。女性の精神性の模範とされる。

634~644/13~24 カリフ・ウマルの下、創始期のムスリム・アラブによる最大の征服が行われる。

636~38/15~17 ダマスカス(636年12月)、イェルサレム(638年初頭)陥落。

639~640/18~19 エジプト、ペルシャ征服。ゾロアスターの帝国サーサーン朝の滅亡。

641/20 または 21 ビラール・イブン=ラバーフ没。アビシニアの黒人で最初のムエッジン。

644/24 第二代カリフ、ウマル・イブン・アル=ハッターブ没。敬虔な人生の模範とされる。

652/32頃 ハディースの伝達者であり、メディナにおける預言者の教友アブー・ダルダ没。スーフィーたちからは、「長椅子の人々」と称される初期のムスリム禁欲者の一人として数えられている。

653/32 ハディースの伝達者であり、預言者の教友アブー・ザッル・アル=ギファーリー没。敬虔な禁欲者の模範とされる。

653/33頃 伝統的に、ウスマーンによってコーランの「正典」が確立された年とされている。

656/36 理髪師サルマーン・アル=ファーリスィー没。創始期におけるキリスト教からのイスラム改宗者で、のちにスーフィーたちの模範とされる。第三代カリフ、ウスマーン暗殺。アリーがカリフ後継者となる。

656/36~661/41 ムスリム指導者の座をめぐり、最初の内乱(フィトナ fitna)が勃発。

657/36 カリフであるアリーの軍から出征したウワイス・アル=カラニー、殉教。ハワーリジュ派がアリーから「分離」する。何をもって「真のムスリム」とするのか、観察可能な罪と共同体の成員資格の関係が一大争点として浮上する。

661/41 アリー・イブン・アビー・ターリブ没。第四代カリフであると同時に初代シーア派イマーム。スーフィーの諸系統における重要人物。

661~750/41~133 ウマイヤ朝の創始。スーフィズムの歴史上、重要な都市であるダマスカスに首都を構える。

661~680/41~62 ムアーウィヤ、ウマイヤ朝の初代カリフとして在任。大征服時代の再来。

662/42 聖マクシモス没。神秘道について、その浄化的、啓蒙的、また統合的な側面を明瞭に表現した最初のキリスト教神秘家。

678/59 アーイシャ没。アブー・バクルの娘、ムハンマドの最年少の妻。多くの重要なハディースの伝達者。

680/61 預言者の孫フサイン・イブン・アリー、イラク南部カルバラーにて殉教。ムハッラム月10日は追悼の日とされる。

692/73 預言者が昇天したとされる伝統の地イェルサレムに、岩のドームが完成。

*****
注1:「特に記述のない限り」とはあるものの、つい「没」とつけちゃいました。
注2:幕が開いて暦もできました。/(スラッシュ)の左がグレゴリオ暦、右がヒジュラ暦(イスラム暦)。

ここまでで印象深い出来事というと、メッカ無血陥落も捨て難いですがやはり時節的にはこちらでしょうか。

「預言者、ブラークに騎乗しカアバを越える」の図
「預言者、ブラークに騎乗しカアバを越える」の図

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この季節になると読み返したくなる御本について

終わらせなくてはいけない仕事がいっこ、あるのです。依頼されたのが去年の今頃で、去年の秋くらいには納品するつもり、だったのです。でも終わってない。あるんですよいろいろと。よんどころない事情とか理由とか。言い訳とか。でももうそろそろ本当に終わらせなくてはいけない。このままではいけない。このままではいけない。やります。やります。

ところでこの季節になると読み返したくなる御本があります。コーランに登場する植物について取り上げた御本なんですけれども:

Scientist, author and Quranic plants expert Mohammed Iqtedar Hussain Farooqi in the Lucknow Botanical Gardens. Bhargavi for The National
Scientist, author and Quranic plants expert Mohammed Iqtedar Hussain Farooqi in the Lucknow Botanical Gardens. – Bhargavi for The National

A chat with an expert of Quranic plantsという、この御本の著者であるインドの植物学者Mohammed Iqtedar Hussain Farooqi氏(以下、ファルーキ先生)の2年前のインタビュー記事を見つけました。あ、記事を読む限りだとやっぱり御本の題名はPlants of The Quranが正しいのか。わたしの手元には、Plants of The QuranPlants of Quranの二種類あるんです。後者は一昔か、それ以上前に中近東文化センターで見つけてコピーとらせてもらったものなんですけど。なんでこうなったんだろうなあ、なんとなく察しはつくけれど。などと思っていましたが、記事文中にこうあった。

The first edition of Plants of the Quran was published in 1986. Since then, it has gone through nine editions and been translated into at least nine languages, including Urdu, Hindi, Kannada, Malayalam, Farsi and Bahasa (from Indonesia).

Farooqi says that almost 10,000 copies have been sold, although he says it’s impossible to put an actual figure to the sales, because the volume has been reprinted several times without his permission.

ファルーキ先生自身が把握している分には、同書はおよそ10,000冊売れたんだけれども、何度もファルーキ先生のあずかり知らぬところで勝手に複製されもしているので、実際はどれくらい出回っているのだかよく分からない、とのこと。うーん、お察しの通りでした。

この御本、わたしの大好きな御本なんですが、わたしのその「大好き」を差し引いてもすごくいいです。ファルーキ先生のご専門は植物学であって宗教学ではありません。コーラン解釈の伝統の範疇内ではこれこれしかじか、とされていた・それ以外の解釈が存在する余地もなかったいくつかの植物について、「実際にはこれこれの植物では」「実際にはしかじかの木の実では」といった具合に、宗教学者ではなく植物学者の見地から理路を通してていねいに解説されています。結果として「植物百科事典的であると同時に、文化史の要約」でもあるという、植物史と文化史の交差点としての一冊の書物、といった具合ですが、

“Many of the plants mentioned in the Quran are common to Arabia and India; in fact, many of the plants that are mentioned in the Prophetic tradition, in the hadith, were imported to Arabia from India long before the advent of Islam.”

“So identifying the common plants was easy, but identifying the plants that are associated in different Quranic verses with paradise, jannah, and with hell, is very difficult, because in each of the commentaries of the past, they have given their own ideas, and the new interpretations, which I have given, have not always been accepted.

“There is a verse in the Quran that says that all good Muslims, when they reach jannah, will be provided with a drink in which camphor will be mixed, but this is not understandable,” he says. “Camphor is a toxic substance, and if you mix even a small amount with water, you cannot drink it.”

Farooqi’s answer is to ­identify the kafur of the Quran not as camphor but as henna or Lawsonia inermis.

“Many people do not accept the reinterpretation, but I am fortunate that some well-known Islamic scholars, including those from the Islamic University in India, have agreed with my interpretation and have said that my work has done much to remove confusion.”

コーランで言及されている植物の多くはアラビアとインドに共通している。事実としてハディースに登場する多くの植物が、イスラムが波及するよりもずっと以前にインドからアラビアへもたらされたものである。そのためそうした植物を特定するのは簡単だった。が、しかしコーラン文中で天国や地獄に帰されている植物については困難を極めた。何しろ過去になされた注釈は、どれもめいめい好き勝手に自己流の意見を述べており、そこに新たに解釈を加えたところで常に受け入れられるとは限らない。が、しかしたとえばコーランには、善良なムスリムは全員が天国に辿り着き、そこでカーフール(Camphor, 樟脳)を混ぜた杯を飲む、とある。これは理解できない。樟脳は毒性の物質であり、ほんの少しでも水に混ざっていたら飲用には適さない。

ファルーキ先生は、コーランにおける「カーフール」とはヘンナを指しているのだろうと結論づけた。人々の多くはこうした再解釈を受け入れなかった。ファルーキ先生いわく「幸運なことに、イスラム専門の大学の出身者も含めて、インドの著名なイスラム学者たちの何人かは私の解釈に同意し、私の研究が多くの混乱を取りのぞくのに大いに役立った、と言ってくれている」。云々。

「これは理解できない」って良いですよね。コーランに「カーフール」って書いてあるんだし、別に良いじゃん「カーフール」は「カーフール」で、とはならないところが。

これ以外にも「物議をかもした」解釈がふたつほどあり、ひとつはスィドラの木について、またもうひとつはザックームについて。

Two of Farooqi’s other controversial interpretations involve the Quranic sidr, which has been commonly understood to refer to the tree we now know as Ziziphus spina-christi, but which he insists is actually the cedar of Lebanon (Cedrus libani), and the zaqqum, or tree of hell, which the scientist has identified as Euphorbia ­resinifera.

どちらも御本の文中では、ファルーキ先生が植物の専門家としての筋を通してみたら、それがイジュティハードになってみずみずしくグリーンでクリーンなタフスィールが導き出された、みたいな感じでとても良いです。

そういうわけなので、みんなも読んでみてください。

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来月末ですってよ、奥様

UK growth and Ramadan boost Vimto-maker Nichols | FINANCIAL TIMES
UK growth and Ramadan boost Vimto-maker Nichols | FINANCIAL TIMES

ヴィムトでおなじみのニコルス社好調、要因は国内市場とラマダン、という記事。ヴィムトというのは果汁入りの清涼飲料で、

同社によれば、ラマダンに先駆けて中東の消費者がヴィムトを大量に購入したため慌ただしい第一四半期となった。またアフリカ市場の売上げも昨年来「成長の勢いを維持」していると述べた。

甘味飲料は神聖月に断食をするムスリムたちには人気の高い選択肢。今年は5月末に始まる。

5月末って来月末ですか。めまい。ちょっと待ってくださいよー。何となくそろそろだよなあというのは分かってるんですけど。だからこうして ramadan で検索したりとかして、そいで出てきたのが↑の記事だったりしたんですけど。あとこんなのとか:

Theresa May criticised by Muslim MPs for scheduling election during Ramadan

テレサ・メイ首相が6月8日に総選挙やるよと決めたのに対して労働党やスコットランド国民党のムスリム議員・政治家たちから批判の声が、という記事。「6月8日ってラマダン中じゃん、ムスリムの投票率が下がっちゃうんじゃないかと心配」とか「ムスリムへの配慮が足りてない感じする」とかそういう。なんか多文化共生のステージが高過ぎてよく分からない。スコットランド国民党所属のムスリム議員って字面だけでもすごいつよそう。いるんだねスコットランドにムスリム、って思うじゃないですか。いるんですよスコットランドにムスリム。

Muslims in Scotland: Demographic, social and cultural characteristics
Muslims in Scotland: Demographic, social and cultural characteristics

わたしこのタータン持ってまーす。発売とほぼ同時期に注文しましたー。

The Islamic Tartan
The Islamic Tartan – A timely and powerful symbol of the recognition

んー。こうして見ると、なんかみんなふつうに行きそうな感じじゃないですか?投票。スコットランドにはタータンのギルドみたいなのがあるそうで。ちゃんとパターンごとに公式登録してるそうなんです。柄ごとに、というのは氏族ごとに、ということですけれど、この色柄は「イスラム・クラン」のタータンとして2012年に登録されたもの。実物は黄緑がもっとぱきぱきしててですね、良い感じなんですよ。好きです。

何か他にもあるかなー、とニュースフィードをながめてみたら他にもあった:

Muslims demand polls before Ramadan

「ヒマラヤ・タイムス」紙の記事。ラマダンと前後していくつか地方選が実施されるそうで、ムスリム団体が「ラマダン中はわたしたち断食してるので投票に行くのが難しいです。別の日にしてください」「ラマダンより前、5月24日とかにしてください」と言ってます、なんだそうです。うーん。標高が高すぎてよく分からない。まあわたしが歩いて10分、15分くらいの気軽さで投票所(になる小学校)に出かけられる環境だからたいへんさが分からないのかもしれない……あるいはみんなもしかしてもっとものすごく真剣にカロリー消費して候補者選びをしているのかもしれない。だとしたら、本当に申し訳ない。

「2017年のラマダンはいつから?重要な日付は?これだけ知っておけば大丈夫」という(おおきくでたよね)、短い動画を見つけたので貼っておくことにしますね。

いつから始まるのですか? –– 5月27日から始まると思われます。その場合、6月25日までで終了します。つまり6月25日がシャッワール月1日で、すなわちイードということになります。

なぜ日付が変わるのですか? –– イスラム暦は月の満ち欠けに従った太陰暦であり、それに対して広く西洋で使用されているグレゴリオ暦は太陽暦です。この二つの暦は日付が完全には一致していません。イスラム暦の日付は、1年あたり11日ほどずれることになります。

どうやって日付を決めるのですか?  –– 主として最初にヒラール、すなわち新月が観察された日が、ラマダンを含めすべての月の第一日となります。

それから1年が過ぎました

Prince: every album rated – and ranked – Guardian

お亡くなりになって1年が経過しました。傷は癒えていません。ああ悲しい。ああ悲しい。ああ悲しい。1年前の、プリンスのアルバム全37枚、レート&ランク付けするよというガーディアン紙の記事。だいたい合っていますがわたしならベスト1はDirty Mindです。乗りかかった船なので以下、1位から10位を勝手に並べ替え。

1. Dirty Mind (1980年) これ、わたしレコードいまだに手放せずに持ってるんですよね。レコードプレーヤーは持っていないのに。”sister”と”head”がすごいです。”sister”の方は近親相姦の曲であるとか言うひとがいたり、歌詞にもそういう単語が出てきたりしていますけど、意味はそのレイヤー1枚きりではない。ここで言われているsisterというのは、黒人女性一般を指している語です。「ブラザー」とか「シスター」とかと呼び合っているあれです。それを踏まえてかいつまむと、こんな感じになります:

…I was only 16 and only half a man / My sister didn’t give a goddamn

「ぼくはたったの16歳で半人前 / ぼくのシスターは気にしもしない」。公民権運動から30年を経ても、一歩外へ出れば黒い男は半人前の扱いを受ける。けれど黒人の残り半分である黒い女たちは、それについてはおかまい無しに一人前の男としての義務を果たすよう黒い男に迫る。

…My sister never made love to anyone else but me / She’s the reason for my, uh, sexuality

「ぼくのシスターはぼく以外の誰とも寝たことがない / 僕のセクシュアリティは(僕自身のためにあるのではなく)彼女の所有物(だと思っているらしい)」。黒い男が黒い女以外と出歩くのを黒い女は極端に嫌う。黒い男は黒い女のために存在すると思っている(彼女たちの、黒くない男は黒い女を欲しがらないに違いない、という恐怖がそうさせる)。

「シスター」「ブラザー」と互いにリスペクトし合って平等にやっていく約束だったはずが、気がついたら「シスター」は「女」にジョブチェンジしていて「ブラザー」にも「男」であるよう迫ってくる。「男」としてまともな職につき、家計を支えろ。昼は外で働き、夜は性的に「女」を満足させろ。あれっ。せっかく奴隷の身分から解放されたと思ったら、何でまだこんな理不尽な命令されてるの。おれたちってシスターとブラザーじゃなかったんだっけ。ピープル・ユナイト!ですとかウィー・シャル・オーバーカム!ですとか、仲間を背中から撃つような真似はやめろ、今はより「大きな敵」と戦っているところなんだから的な、そういう空気がまだまだ濃厚に漂う中で黒い男や黒い女があえて口には出さずにいたことを口にした、言ってみれば内部告発の曲なわけです。

…I just want to be your friend

「僕はきみの友達になりたいだけなのに」。

“head”も”head”ですごい一曲なのですが、それはまた別の機会にめもすることにします。

2. Controversy (1981) ただひたすら”Do Me Baby”が収録されているからという理由で2位。

3. Purple Rain (1984) これは映画とセットで3位です。「えっ『パープル・レイン』?ふうん、まあいいけど」みたいな、売れたことが瑕瑾となるかのような、あまのじゃくっぽいことは申しません。わたしはプリンスを愛しているのであって、「プリンスを愛している自分を愛している」わけではないので(いや、まあ正直に言えば若干はそういう部分もありますけれど)。「まあいいけど」じゃねえ。いいものはいいだろうが。

4. 1999 (1982) リールレッコゥベッ ッチャチャ

5. The Black Album (1987/1994) これを5位に持ってくるのは、客観的には自分でもフェアではないと思います。でも一時期ものすごい繰り返し聴いてたんですよね……ああ、何もかもがなつかしい。

6. Sign O’ the Times (1987) これひどいですよね。1曲めでなんか世の中に蔓延する不穏、不安、このままでは世界はどうなるのか!みたいなこと歌って社会派ぶっておいて、その2曲めが「おひさまのしたであそぼう!」ですからね。

9. For You (1978) まあ言うてもデビュー・アルバムですから。

10. Graffiti Bridge (1990) ぜんぜんわるくないですよ。ぜんぜんわるくないですよ。question of U だけでも十分おつりがきますよ。

そして7-8. 2014年のPlectrumelectrum, Art Official Ageから2015年のHitnrun Phase 1&2

わたくしプリンスを愛してはいますが、↑の記事をながめても1、2回しか聴いてないのもあります。正直「そんなのあったっけ……」というのもあるし。Diamonds And Pearlsあたりはさすがに持ってますけど、でもやっぱりこうして見るとよく聴いていた=好きなのは80年代のプリンスなんですね。

あ、元気でやってるんだな、と思ったのが2012年のスーパーボウルのハーフタイム。なつかしいなー、って。それから2014年のアーセニオ・ホール・ショウ。いつでもどこでもピンヒールのお姿だったのが、かかと太めで先っぽもとがってない、ころんとしたブーツでの出演だったんですよね。「あ、年を取ってるんだ」と思いました。そこからなんとなく、プリンス再訪じゃないですけど聴き直しはじめた感じで。その矢先にこの世を去ってしまわれた。まだ何もおぼえていない。何もおぼえていないのに。ああ悲しい。ああ悲しい。ああ悲しい。プリンス、おうちにかえっちゃった。

めも:自習してる御本のこととか

母屋の方に「自習室」と称して、読みかけのものを放り込むということをやり始めました。あえて「読みかけのもの」とかと言う必要があるのか。むしろ読みかけじゃないものがあるのか。他も読みかけばっかりじゃないのか、あんた。そういう心ないことを言うのはやめてください。あなたに何が分かるっていうんですか。生きているといろいろ大変なんですよ。たぶん一番最初に終わらせられそうなのがアル=カラーバーズィー『スーフィーの教え』です。

『スーフィーの教え』、通称Ta’arruf, 正しくはKitab al-Ta’arruf li-madhhab ahl al-tasawwuf, 『アフル・アル=タサッウフのマズハブの手引の書』とかそういう感じの題名です。アフル・アル=タサッウフすなわちいわゆるスーフィー、スーフィズムの人々、マズハブは何だろうな、ポジションとか立ち位置とか立場とか見解とか、そういう感じでお願いします。A. J. アーベリーさんによる英訳(1935年)を底本にしています。

アーベリーさんは『イスラムの神秘主義』が日本語になっているR. A. ニコルソンさんのお弟子さんでご友人だった方です。googleさんにお尋ねするとこんな感じのが返されてきた:


「翻訳者」。そうなんだ。まあそうとも言えるか。でもなんだか新鮮。でもEncyclopaedia Iranicaのアーベリーさんの項を見たら、うわあ。こんなにたくさん翻訳してらしたんですね。あらためてすごいや。

井筒俊彦翁は『ルーミー語録』の附記で、アーベリーさんの翻訳仕事(『ルーミー語録』、いわゆる『講話』はアーベリーさんも英訳している)を「アーベリーの英訳は例によって例のごとくで、良くも悪くもない」と前置きしつつ

「ただ顕著な欠点は、無味乾燥で、正に砂を噛むような文体に訳されていることである」
「ともかく恐ろしくつまらない」
「それに脱落と誤訳もある」

と、まあ手厳しい。何を言ってもどうせ日本語だしばれないだろう、とタカをくくって(るとしか思えないですが)、ひどい言葉の暴力を浴びせています。

実際に読んでみれば時と場合によって一文、一文が嘘だろっていうくらい長くなるきらいがあるけれど、砂を噛まされている気分になるというほどのあれではないし、あと何を言ってもどうせもう現世にいないし大丈夫大丈夫ばれないだろう、とタカをくくって言わせてもらうと、アーベリーさんがつまらないんじゃない。井筒翁がおもしろ過ぎるんだと思います。っていうか、原著を読める人が翻訳を読んで「つまらない」って何を言っているんだよ。クリス・ロックのスタンダップをあえて副音声で楽しみたいとはわたしも思いませんよ。そのあたりに、なぜ井筒翁の翻訳がおもしろいのかの理由が見つかりそうな感じもしますが。

で、翻訳屋目線でなら気にならなくもない指摘は三つめの「脱落と誤訳」ですが、アーベリーさんが訳したアラビア語やペルシャ語の御本についてこういう指摘をした人がいるかというと、いち一般読者である私に限って言えば上記の井筒翁の他には見たことがないです。ペルシャ・オリジンでペルシャ語ネイティブの先生が書いているような解説書なんかでもふつうに参考文献に挙げられているし、アーベリー訳のコーランは今でも非ムスリムのそれとしては最高峰くらいのことは言われているし。文体についても、ニコルソンさんの方は本当に正確な点はありがたいが学者英語で難解だ、みたいに言われているのは確かだけれども、アーベリーさんの訳については、例えばフランクリン・ルイスさんなんかが「詩的に訳そうと努力してるし、そしてその努力はそこそこ実ってる。成功してる方だと思う。おれは評価してるぜ」的なことをあちこちで書いていたりします。

そんなとこですかね。やーまーわたしは「評価する」とかえらそう言えるあれじゃないです。感謝しかないです。