「穏健派ムスリム」

The Problem of Moderate Islam and Why We Need to Redefine Radical

「穏健なイスラム」の問題点と、「ラディカル」の再定義の必要性

っていうタイトルだけ見て最初は「あー。まーねー。」って思ったんです。

穏健派ムスリムと聞いて、まずは何が思い浮かぶかというとわたしの場合は、例えばどこそこでテロがありましたとか衝突がありましたとか内戦激化とか、最近だったらオーストラリアのあれとかパキスタンのそれとか、ちょっと前ならアルジェリアのとか、ああいうのが起きるたびに「あれは本当のイスラムではありません!」って一生懸命アピールする(しなくちゃいけないと思い込んでいる/込まされている)感じの光景です。実際のところ、それが「穏健」なのかどうか分からないですけれども。

あれ、あんまり見ててきもちいいものでもないですね。っていうか「本当のイスラムではありません!」って言ってるひとたちが、というよりも、そういう言葉を言わせたがるひとたちがきもちよくないです。

たとえばラマダンの時に、オバマ氏がホワイトハウスから「はばはっぴーらまだん」みたいなコメントを出して、それはそれでいいんですよ、いいんだけどその「お声がけ」には、一体ぜんたい何の容疑で連れて来られたんだかも教えてもらえないまま、グアンタナモでのどに無理矢理チューブ突っ込まれて栄養食を(わざと昼間に)流し込まれてるムスリムも含まれてるんですか?っていうようなことも、こちらは同時に考えたりするわけです。

でもそういうのに対して「それが本当の民主主義ですか?」って言うのは「過激なムスリム」。学校にタリバンが突っ込んだ、みたいなことが起きた場合にのみ「あれは本当のイスラムではありません!」って発言する、発言するというか一緒に断罪することで安心感を与えることを期待されているのが「穏健なムスリム」。

……と、いうようなことをタイトルだけでぽぽぽぽって考えながら本文を読み進めたらなんか違いました。穏健なイスラムというのは静寂主義に陥るだけだからダメ!っていうのはともかく、「このままじゃ過激派イスラミストたちに勝てない!武装派ムスリムに対抗していくためにもっとこっちも過激にアピールしてかないと」的な記事だった。それは何ていうか。新発想だったわ、って思った。

で、そこではじめてこれを書いてるあなたはどなた、ってなって、お名前を検索したらプリンストン大学の学生生活課的セクションで「ムスリム・ライフ・コーディネーター」っていう肩書きで働いてるひとだった。なんか、ムスリム学生の礼拝のイマムを担当したりとかしてる。

だったら「イマム」でいいじゃん……何なの、「ムスリム・ライフ・コーディネーター」って。


Mideast Tunes’ Top 20 Indie Artists of 2014

2014年のトップ20インディ系アーティスト、と言ってもmideast tunesが選んだそれ、なので皆さん中東とかアフリカ大陸とかの方々です。いちばん上の方のスーダンのおねえさん。「ジャンル:ヌビアン・レトロポップ」とか言われても何ですかそれは、ってなります。でも聞いてみると、なるほどヌビアン・レトロポップ。や、正直に言うとヌビアンは分からなかった。でもポップがレトロなのは分かった。

それと、シャカシャカしたのやってるアレッポのお兄さん。業が深そうでいいですね。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。