いつつめ。
ウイグル十二ムカーム シルクロードにこだまする愛の歌
……どの国にもどの民族にも連綿と受け継がれてきた文化遺産があり、多くの人は無意識の内にそのことを誇りとし、自分たちのアイデンティティーを確認する手段の一つとしている。ウイグルのムカームは、ウイグル人にとってまさにそのような文化遺産の中の一つである。その価値の高さと重要性は、ウイグルのムカームが二〇〇五年、ユネスコ(国際連合今日行く科学文化機関)が作成し・発表した「人類の無形文化遺産の代表としてのリスト」に登録されたことでも証明されている。
……ウイグル民族のムカームは文学、音楽、舞踊の組み合わせで表現される総合芸術である。特定の人間が、ある特定の場所で作り上げたものではない。様々な場所で様々な仕事に従事する人たちが自らの手で生み出し、子供から孫へと伝えられ、数百年という時間をかけてその形が整えられていった。
ユネスコのムカーム紹介ページには「ムカームには地域ごとに大別して四流派あり、……」と、ドーラン、トルファン、ハミの地名が出てきましたが十二ムカームはどこに相当するのだろうか。うるむち。ほーたん。かしゅがる。何も知りません。トルクメニスタンとトルキスタンの違いも良く分かっていません。サラ・ペイリンかよ。すみません。御本のまえがきには「二十世紀になって再編集され整えられたムカームには十二ムカームという名が付けられた」とあったのでこれはあれだ。チョコレートの詰め合わせだ。チョコレートは大好きです。
さらに「……インターネットを利用して、映像化された十二ムカームの舞台を楽しむことができるようになっている」ともあったので、さっそく検索してみたところドラマ仕立てになった演奏を見つけました。
十二ムカームの第六幕オズハール(「幕」というのがあたっているかは分かりませんが)。
「民族団結」「民族称揚」とかそうゆうえもゆわれぬ香りが……。しかしそれは団体行動が得意ではないわたし個人の感覚の問題であろう。それにしても何だろうこの既視感は。わたしは文化の資源化というのはわるいことばかりでもないだろと思っており(あのねずみにばかり稼がせておかなけりゃいけない理由は何もない)、ユネスコ文化遺産登録というのはその際の品質保証みたいなものだろと思っているのですがこれは何というか。資源化というかコモディティ化というか、地上のどこにいようがどう呼ばれていようが、よし「民族」をやろう!というときのわれわれときたらだいたいがたいこ叩いて踊るのな。要するに、あたりまえと言えばあたりまえなのでしょうが御本で読むのとyoutubeで鑑賞するのとでは全く印象が違いました。
御本で読むのの方が好みです。
むっつめ。
Saga
背中に虫っぽい羽の生えたきれいなねえさんとおでこに羊っぽい角の生えたかっこいいにいさんの子育てグラフィック・ノベル。舞台背景は近未来っぽくて宇宙っぽくて星間戦争っぽいことやってて上級層がメカメカしてたり下級層がケモケモしてたり、でもやってることは子育て。ずっと子育て。4巻まで出てるんですが、書影ひっぱってくるのにいま密林に出かけてみたら邦訳も出てるんですね。いいね。
ななつめ。と、いうかその前に、
何のきまぐれだか御下賜の思し召し。民はそらもう大喜びですよ。わたしも民のひとりなわけですが。前後してあらかたのストリーミング配信から曲を引き上げたりもしてたり※で民はそらもう大喜びですよ。何されようが大喜びするのが民。
※「5月に開催したコンサートの大部分」に相当するのかどうかtidal使ってないので分からないんですけど、“DANCE RALLY 4 PEACE”なら↑のsoundcloud.comでも聴けます。
初めて井筒俊彦『イスラーム思想史(だか哲学の原像だか)』をめくったとき。ファナーがバカーが、自己分節ほにゃらら絶対非分節ほにゃらら、「存在論的にこの次元を『矛盾的一性』とイブン・アラビーは呼ぶ」とか書いてるのを読んで「あー、それ知ってる!」ってものすごい興奮したのをおぼえています。「じいさん!よくわかんないけど、じいさんあたしそれ知ってる!」「それプリンスが言ってたやつだよね!」って。(1)おまえが知ってるわけがないだろう(2)プリンスが言ってたやつなはずがねえだろう(2)については検討の余地はある、っていう。でもその時は「知ってる!」って思ったし「これだ!」って思ったのでした。ちなみに「プリンスが言ってたやつ」というのはたぶんsoft and wetだったです。
という具合に、プリンスの民というのは他人にとってはどうでもいいが本人にとっては他人がどうでもよかろうがどうでもいい、というような「おれとプリンス」エピソードのひとつやふたつどころか百や二百は持っている。ありていにいえば自分が大好きなだけなんだが、この御本を書いたひともそういうひとり。
The Lyrics of Prince Rogers Nelson: A Literary Look at a Creative, Musical Poet, Philosopher & Storyteller
書いたのは生まれも育ちもミシシッピ・デルタ(「ミシシッピ、アメリカの音楽生誕地TM」)の、今はミシシッピの大学で英語講師をやっているひと。最初に出した1995年以降新しいアルバムが出るたびに書き足し書き足ししたらしい2007年のリバイス版がlulu.comで40$だった。寝しなにちびちび、3年だか4年だかかけて読み終わりました。「ミシシッピ・デルタの宗教熱心で保守的でアカデミックな家庭に生まれたアフロアメリカン男子であるとはどういうことか」というあたりから始まって、タイトルの通りプリンスのファースト・アルバムから『3121』までのリリック解読を軸に音楽から文学、政治、信仰、人種、そういうのが語られています。時々「またそのはなしかい」みたいな繰り返しなんかもあったりするけどいいんです。いいんです。
「解読」って当て字のですか?「きみのためなら4ねる」とかそういうのの解読ですか?とか言うのやめてください。プリンスのリリックは読ませるんですよ。「アーティスト本」というのを手に取るのは初めてだったのですがとても満足しています。こういう御本を探していたし、もう探さなくていいと思うと尚更です。
1件のコメント
現在コメントは受け付けていません。