『聖地の民話』から、「われらが父、アダム」を

『聖地の民話:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒(仮題)』から、先日は天地創造のお話を読んだのですが、今日は人類の始祖であり最初の預言者アダムについてのお話を。

Angels bow before Adam and Eve in Paradise, Folio from a Falnama
Folio from a Falnama – Angels bow before Adam and Eve in Paradise

楽園のアダムさんとイブさん(アーダムさんとハッワさん)。天使の皆さんがちやほやしてくれるのは、別にアダムさんとイブさん(人類)が天使の皆さんよりえらいから、ではなく神様がそうせよと命令したから。背後から天使が後光を注ぎ足してくれている!あれ(後光)って、そういう仕組みになってたのか。

Folio from a Falnama - Expulsion of Adam and Eve
Folio from a Falnama – Expulsion of Adam and Eve

ややあって、楽園からの追放。まあご承知の通り、追放されてからが本番ですよ。


アッラーは、一握りの塵からアダムをお造りになった。ある者は、この一握りというのはサフラ、つまりバイト・エル=マクディスから取られたものだと言う。しかしこれについては、最初の人間は、世界じゅうの異なる土地から集められた、いろいろな種類の塵を混ぜて造られたのだ、と述べる者たちの方が正しいかもしれない。それなら、男にも女にも様々な肌の色をした者がいることの説明になっている。

アッラーがアダムをお造りになったとき、その体は四十日、また別の者の話では四十年、生命を与えられることもなくそのままにしておかれた。その間にアッラーは天使、ジン、そしてジャーンたちに、アダムの鼻孔からアッラーが呼気を吹き込んだなら、その場ですぐに彼にむかって崇拝を捧げ、彼の名誉を讃える準備をしておくようにと布告なさった。彼らのほとんどはこれに従ったものの、だが誇りと妬みにこり固まったイブリースだけはそれを拒んだ。そしてそのために天の庭園から追放され、石つぶての悪魔となり、すべての人間の苦難の因となった。

アダムは、最初は男でもあり女でもあった。ひとつの体の半分が男、もう半分が女だった。やがて時が満ちて、女の側の部分が男の側の部分から分かれて、一体の完全な女になった。残ったアダムの方も、完全に男になった。こうして二人は、一組の男女として結ばれた。しかし彼らは幸福ではなかった。女が、男に従うのを拒んだためである。二人は共に同じ塵から造られたのだから、男には女にいちいち指図する権利はない、というのが女の言い分だった。こうして女は楽園を去ることになり、そしてイブリースの仲間になって悪魔たちの母となった。アラブたちは彼女を「エル=カリーネ」と呼び、ユダヤたちは一般に「リリス」と呼ぶが、セファルディムたち、すなわちスペイン系のユダヤたちからは「エル=ブルーシャ」と呼ばれている。彼女はあらゆる女たちの敵である。とりわけ最近、子を産んで母になったばかりの女にとっては命取りとなる。母と子は慎重に見守り、用心に用心を重ねて注意深く世話をしてやらねばならない。

そういうわけで彼女たちは、生まれたばかりの赤ん坊と一緒に魔除けや聖なる護符、ニンニク、ミョウバンの結晶、青いビーズ、等々でぐるりと囲まれることになる。さもなければ赤ん坊がカリーネの嫉妬深い怒りに絞め殺されるか、あるいは脅かされた母親が狂気に陥れられてしまう。ヨーロッパの医者たちは、まるでこの世に知らないものはないかのようにふるまうが、しかし産褥にある女を人目にさらすことが、いかに恐ろしく危険であるかについては何もご存知ではない。ここでは他の女たちがお見舞と称して遊び半分、見世物半分で彼女らを訪ねるのは固く戒められている。

「エル=カリーネ」が楽園を出て行ったとき、アッラーは、アダムが眠っている間に抜き取った一本の肋骨から、われらの母ハッワ、つまりイヴをお造りになった。蛇の牙のくぼみに隠れたイブリースが、再び楽園に忍び込むまでの間は、アダムとハッワの二人はとても幸福に暮らしていた。悪魔の王は蛇に賄賂を握らせて、食べものの中でも最も美味で最もすぐれたものをくれてやろう、とささやいた。その食べ物とは、イブリースが言うには人肉であるとのこと。いかにして蛇がこれに騙され、信じ込んでしまったのかについてはインシャーアッラー、いずれ本書に後述されることとなろう。

さて楽園の庭に入り込むと、悪魔はハッワに取り入って禁断の木の実を食べさせることに成功した。この「禁断の木の実」とは、ある学者によれば小麦であったという。妻に説得されて共に罪を犯したアダムは、罰としてハッワ、イブリース、そして蛇もろとも楽園から追放されることとなった。しかし地上に追いやられる際にも、鍛冶仕事に使う鉄床、火箸、鍛冶ばさみ、それに金槌を二本と針を一本、持ち出してくるだけの分別がアダムにはあった。

彼は「悔悟」という名の門を通って楽園から閉め出された。ハッワが通った門は「慈悲」、イブリースは「呪詛」、そして蛇は「災難」だった。こうして四名は全員、地上の別々の場所に降り立った。アダムはセレンディップもしくはセイロンに、ハッワはジッダに、そしてイブリースはアイラもしくはアカバに、蛇はペルシャのイスファハーンに。

アダムとハッワがメッカ近くのジェベル・アラファト、すなわち「認識の山」で再び出会うまでには、実に二百年の歳月が経っていた。そしてその間にも新たな脅威が生じていた。つまり、呪詛ゆえにハッワは悪魔の種を宿してその子を多く産んでいたし、アダムはアダムで、女のジンたちとの間に沢山の子をなしていたのである。このおぞましき怪物たちの子孫はアフリート、ラサド、グール、マリッドといった名で呼ばれている。彼らもまた地上の住人であって、人間を害しようと試みる。

二世紀が過ぎ去った終わりに何が起こったのか、いかにしてアダムが悔悟に至ったか、またいかにしてガブリエルに連れられ、アラファトでハッワを見出すに至ったのか、またいかにして許されし二人がセイロンに赴き、そこで暮らすようになったのか、これらについては語るまでもなく、また彼らの息子ハビール、カビール、そしてセスについても、ムスリム、クリスチャン、ユダヤの民の別なく、啓典の民であれば誰しもが知るところであろうと思われる。

そうは言ってもアッラーがアダムに、彼の時代からその後代、復活の日に至るまでに彼が授かるであろう子孫たち一人ひとり、生まれてくる者の全員を見せたもうことについては、あまり知る者もいないようだ。それはこのようにして行なわれた。つまり、アッラーがアダムの背を撫でると、たちまちアダムの腰から無数の人間が出てきた。

数千、数万、数十万と、蟻よりも小さな人間が後から後から出てくる。そして全員が出揃うと彼らは、アッラーの他に神はないことを証言し、更にムーサーはアッラーがじかにお言葉をかけた者であること、イブラヒム・エル=ハリールは神の友であること、マルヤムの子イーサーはアッラーの精神的な息吹によって生まれた者であること、そしてムハンマドはアッラーのみ使いであることを証言した。それから一人づつ、来世と復活の日に対する信仰を告白し終えると、再びアダムの腰の中へ帰っていった。

アダムは身長の高い男で、どんな椰子の樹よりも背が高かった。頭髪も、とても長かった。天使ガブリエルは合計で十二回、彼を訪れた。彼が死んだとき、彼の子孫は四万人に達していた。

最初にバイト・エル=マクディスを建てたのは彼だと主張する者もいれば、その主張を否定する者もいる。彼が葬られた場所に関しても、いろいろな異なる意見が存在する。ある者は、彼の墓はヘブロンの近くにあると言い、またある者は、かれの頭はヘブロンに横たわっていても、彼の足先はエル=クドゥスにまで達していると言う。知るはアッラーのみ!