『聖地の民話』から、いちばん最初の第1章のところを

Folk-lore of the Holy Land : Moslem, Christian and Jewish
『聖地の民話:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒(仮題)』という御本があります。約110年ほど前に出版された、パレスチナ/イスラエルに滞在してそこに住まう人々に話をきき、言い伝えであるとか、故事であるとか、口承であるとかと呼ばれるものを集めた西アジア版『遠野物語』のような御本で、とてもおもしろくお気に入りの一冊です。

以前にも、この御本からヒドルについての箇所を読み下したことがありますが、今日はいちばん最初のところ、天地創造の話を読みました。ムスリムの古老らしき人物が一人称で語るふうに書かれてあります。

ムスリムのコスモロジーあるいは天地の成り立ちというと、このような感じのものがわりと知られているようです。

cosmogony

アメリカ議会図書館のサイト、“heavens and Earth”コレクションの中にありました。大地があって、山々が取り囲み、それを雄牛が担いでいて、さらにそれを背負って鯨が泳ぐ海があり、さらにさらにそれを天使がまとめて面倒を見ているの図(なんという豪勢なラザニア)。

以下、『聖地の民話』でも同じような天体観が語られています。ラザニアの重なり具合が上記の図版とはちょっと違ったりして、そういうところも読んでいて楽しいです。


『聖地の民話』第1部

I. 知識あるムスリムが語る天地創造の話

アッラーが最初にお造りになったものというのが、摩訶不思議な運命の碑板であったことを、まずは知っておかねばならぬ。この碑板には、過去に起きた出来事や、現在や未来に起きる出来事について書かれている。それだけではない、生まれてくるすべての人間についても書かれている。その人が幸せになるのか、あるいは不幸に見舞われるのか。現世では金持ちになるのか、それとも貧乏になるのか。それから、その人がほんとうの信仰者になって来世では楽園を受け継ぐことになるのか、はたまたカーフィルとなってジェヘンヌムに行くことになるのか等々。運命の碑板は限りなく大きな真珠でできており、ちょうど両開きと同じような二枚の扉がついている。ある学者たちが言うにはこの扉、並ぶものなき大きさと美しさのルビーでできているという話だが、しかし彼らが真実を語っているのかどうか、それはアッラーのみがご存じのこと。

アッラーはその次に、ひと塊の宝石から大きな筆をお造りになった。筆はたいそう長く、一方の端からもう一方まで旅をすればゆうに五百年はかかる。一方の端はいわゆる筆らしく、割れ目があってとがっている。そしてふつうの筆からインクが流れ出るように、あるいは泉から水があふれ出すように、この筆の筆先からは光があふれ出る。それからアッラーの一言、「書け」のお声がとどろくと、それを聞いた筆にはすっかり命と知性が宿り、震え上がって大急ぎで碑版に向かい、右から左へ筆先を走らせ、かつての出来事、そののちの出来事、そしてこれから復活の日までの出来事を書き記しはじめた。碑版がすっかり文字でいっぱいになり、筆も乾くと、碑版と筆は片づけられ、アッラーの宝物蔵に保管された。何が書かれているのか、それはアッラーのみがご存じのこと。

その次にアッラーがお造りになったのは水で、それから天界と地球と同じ寸法の、並はずれて大きな白い真珠をお造りになった。真珠が形づくられるや否や、アッラーがそれに話しかけると、雷鳴のようなそのお声に真珠は震えて溶け、先に造ってあった水と出会って太洋となり、深いくぼみは更に深く、高い波はさらに高くなった。それからアッラーが再び命令すると、すべてはたちまち鎮まった –– 純粋そのままの水が、大波も、さざ波も、泡ひとつ浮かべることなく静かに大きく広がっていた。

それからアッラーは、ご自分の玉座をお造りになった。座りどころは二つの大きな宝石でできており、アッラーはこれを水面の上に浮かべた。

しかしこれには異論もあって、玉座が造られたのは水と天界と地球よりも先のことだ、と主張する者たちもいる。彼らは、人間の大工なら先に建物の土台を用意して、それから屋根をその上に載せるところだが、アッラーの場合はご自分の全能の威力を示すため、最初に屋根、つまりご自分の玉座をお造りになったのだと言う。

その次に造られたのは風で、アッラーはこれに翼をお与えになった。いったいいくつの風があるのか、また大気がどれくらい遠くまで広がっているのか、それはアッラーのみがご存じのこと。アッラーは風に、水が玉座を支えるのと同じ方法で、水を運ぶようにとお命じになった。

その後でアッラーは、玉座のまわりを輪になってとぐろを巻く大きな蛇をお造りになった。この蛇、頭は大きな白い真珠、体は黄金、両目は二つのサファイヤでできている。この蛇がどれほど大きいものか、それはアッラーのみが知りたもう。

さてこれで、玉座は威力と偉大さを示す玉座となり、栄光と威厳の座すところとなった。アッラーは、これを必要としておられたわけではない。ただ大いなる永遠からそこにおられたご自分の、偉大さと栄光を示すのにふさわしかろうとお造りになったのである。

それからアッラーは、海を打ちたたくよう風にお命じになった。すると大きな泡の波が巻き起こり、霧としぶきが上がった。アッラーのご命令により、泡は水上の表面に浮かぶ堅い大地となり、霧としぶきは雲になった。これらすべてを行うのに、アッラーは二日の時間をかけたもう。そののちに、波はめくれ上がって固まり山々になった。大地がふわふわと浮いて流れてしまわぬよう、しっかりと守るためである。山々の土台はすべて大いなるカーフ1とつながっている。それはかまどの天板のような、縁を高くした円い盆の形をしており、中身が宇宙に落ちてしまわないよう世界を取り囲んでいる。

その次にアッラーは、大地の表面に残っていた水が中心を同じくする七つの大海になるよう多くの大陸で区切りながら、それでも岬や湾、海峡でつながるようにし、それから数えきれないほど沢山のさまざまな種類の生きもので満たし、彼らが生きていくための滋養もたっぷりとお与えになった。

同様に、それぞれ気候や環境の異なる七つの大陸も、その場に見合った植物や動物でいっぱいに満ちた。アッラーは更に二日の時間をかけて、これらをきちんと整えたもう。

さて、大地がまるで海の上の船のように揺れに揺れたものだから、生きものたちはみなとても具合が悪くなってしまった。そこでアッラーは力持ちの天使に、行って大地を下から支えるようにとお命じになった。天使は言われた通りにし、一方の腕を東に、もう一方は西に伸ばして世界を守った。それから、何か天使が立っていられる台があるのがよかろうと、アッラーは緑色をしたエメラルドの巨大な岩をお造りになり、天使の足許にもぐり込んで支えるようお命じになった。それから今度は、岩の土台が何もないというので大きな雄牛が造られ、行って岩を下から支えるようにと命じられた。ある者は、岩は雄牛の角の上だと言うし、またある者は背中の上だと言う。角の上だと言う者は、地震というのは雄牛が頭を動かして、岩を一方の角からもう一方の角の上に移すときに起こるものなのだ、と説明する。雄牛の目は燃えるような赤い色をしており、覗き込んだ者は目がつぶれて見えなくなってしまうほどだという。雄牛はベヘモスの名で呼ばれており、巨大な鯨の背中の上に乗っている。そして鯨は、アッラーがそのためにお造りになった大海を悠々と泳いでいる。

大海の底とその周囲、それに世界を取り巻いているのは大気である。これは定められた季節に従って動く太陽、月、星々の光を大地に届けるためにのみ造られており、それ以外のときは暗闇で休んでいる。

ときどき、日食や月食が起こることがあるが、どちらの場合も理由はしごく単純である。月が満月になると、その光が鯨の泳いでいる大海に降り注ぐ。するとそれを見て、あの海獣ときたら口を開けて月をくわえこんでしまうのだ。アッラーのお許しさえあれば、あやつはそのまま月を丸のみにしてしまうに違いない。しかし<ひとつ>なる神をあがめ奉ずる者たちが、盛大に声高く哀悼して祈りをささげるならば、たちまちにしてあやつは餌食にしかけた月を逃がす他はなすすべもない。日食の理由はこれとは異なる。それはアッラーの厳粛なる御しるしであり、罪に対する警告である。神の友イブラーヒーム –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の教えに耳傾けるよう、人々に知らしめるために起きたのが、これまでで最初の日蝕である。二度めは、マルヤムの子イーサー –– 彼の上に平安あれ ––の教えを広めるために起きた。その後のわれわれの時代には、この驚異は立て続けに起こるようになり、それはすべての人々が、アッラーのみ使い –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の教えを心に刻むようになるまで続く。2

そうしたわけで、すでに説明した通り世界は天使の肩の上に、天使は巨大なエメラルドの岩の上に、岩は雄牛の角か、あるいは背中の上に、雄牛は大鯨の上に、大鯨、または竜は宙に高く掲げられた大海を泳ぎ、その周りを闇が取り囲んでいる。そして天体は、定められた季節になると闇を通して光り輝いてみえる。闇の向こう側に何があるのか、それを知るはアッラーのみ!

「こうした数々の驚くべき不思議は、いったいどのようにして人々の知るところとなり、また受け入れられるようになったのか」とお尋ねなさるか。では答えよう。こうして世界をお造りになったのちに、アッラーは生きものの中に理性と知性を呼び覚ましたもうた。それから知性に「知識を得よ」と命じたもうた。すると心はそれに従った。それから「物事をとりしきる力を受け取れ」とお命じになり、心はこれにも従った。それからアッラーは告げたもう、「われがわが栄光と威力により造ったものの中で、われが愛しているのは汝の他に何ひとつない。汝がためにわれは奪い、汝がためにわれは授ける。汝がためにわれは確かめ、汝がためにわれは罰する」。そうしたわけでアッラーは、その預言者 –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の口を通じてこうも告げておられる。「賢い者とは、正直で、感情に流されず忍耐づよい者のことである。そして人間を悪から救うのは、その知性である」。それゆえ知性に対しては、アッラーは楽園の入り口を開き、あらゆる不思議を解明するのを許しておられる。そして復活の日、アッラーは賢き者を罰することはないが、同様に、口先だけでものを言い、その舌をもって嘘をつき、自分たちには関わりのない物事にくちばしを挟みたがり、自分たちにはとうてい理解が及ばぬ問題について問いを発したがる無知な者には罰を与えたもう –– たとえ彼らが、読み書きを身につけていようとも。


原注1. カフカス、コーカサス。
原注2. これ以外にも、太陽と月は婚姻をかわした夫婦で、月に一度の新月のとき、つまり月が見えなくなるときは夫婦で過ごしているのだという話も伝えられている。

2016年第1四半期の御本:読んだのも読んでないのも

WordPressをもういっこインストールしてみました。よしできたぞ、と思ったらブラウザに「データベース確立接続エラー」なんていう文字が出たりして「ぎゃあ」となったりもしたけど、なんだかんだ解決しました。小1時間くらい。


From Fatwa to Jihad: The Rushdie Affair and Its Aftermath
ケナン・マリクの『ファトワからジハードまで:ラシュディ事件とその波紋(勝手に邦題)』。来年、改訂新版が出る予定とのことなので、その前に何となーくめくり直してみたりとか。

サルマン・ラシュディのファンです!というのでは特別ないが、ほどほどに読んではいます。『ハルーンとお話の海』とか、『東と西』などはわりとさらさらしていて、普通に「小説家やってます」という感じでよい。


『イスラーム世界の論じ方』
池内恵の、池内恵の……(勝手に英題をつけようとして5秒で挫折。日本語の「イスラーム世界」と、英語のMuslim WorldとかIslamic WorldとかMuslim Majority Countriesとかというのは文字通りほとんど対応していない)。これもなんか増補版を出すとか出したいとかというのをふわっと耳にして、何となーくめくりなおしてみた(さきほど検索してみたところ、「2016/5/10 予約可」となっているけれどこっちなんかはもう蜃気楼かよ、っていうくらい美事な遠のきっぷりで、これが砂漠だったらとっくに死んでるので油断がならないですね)。

どれをと問われたら、「おさらい」しておきたいのの筆頭は第6、第7章。あと第4章の一番最後の「周縁の文学」が地味にいいです。


1001 Inventions: The Enduring Legacy of Muslim Civilization
『千と一の発明:イスラム文明の不朽の遺産(ぎこちない勝手な邦題)』。某所の寺男氏(仮名)が貸してくれたのでめくっているところです。

イスラム(ムスリム)の、いわゆる黄金時代と呼ばれる時期に生まれたさまざまな発明なり、社会制度なりを紹介する御本。基本的にはイラストや写真といった画像が中心の箇条書き本なので、読むのがらくです。この”1001 Inventions”というの、これ千夜一夜にかけてあるんですね。うまいよね。当初からこれのための非営利団体が立ち上げられていて特設サイトなんかもあって、巡回のエグジビジョンなんかもやってたりして。こういうのはどこの誰がどういうあれでやってるのかなー、なんていうのが気になったりもしたりしなかったりするのは、わたしのこころがすっかりよごれているからです。

ずいぶん昔にこれのプレス用ブリーフっぽいのを訳したような訳さなかったような、そんなこともあった割には本体はずっと未読だったんですが、いい御本です。うん。

後は何をめくってたっけ。あっそうだ、


『オスマン帝国の時代』 (世界史リブレット)
『真理の天秤』を読んでいるときに、ところどころまったくこう、想像もつかないしさっぱりわからない、という箇所があり、そうは言っても早く読み進めたいし、何か手っ取り早いのはないだろうかと本屋さんにいったらこれがあった。そしてこれがすごかった。ほぼだいたいにおいて解決した。

同じ著者氏の御本『オスマン帝国500年の平和』というのをずっと前に購入していて、でも読まずじまいにしてしまっていたのを(何しろ五百年ぶんなので……)、今ようやくぽちぽち読みながら『天秤』の注をつけてるところです。

とりあえず、このような感じです。

“Mizan al-haqq”、あとは注をつける

2月末に読み下し始めた『真理の天秤』の、本文はこれでおしまい。
結語. 著者に対する神の恩寵の詳述ならびに二、三の推奨

注はおいおいつけてゆきたい。そもそもの知識不足の解消が喫緊の課題であります。

英訳と注釈のG. Lewis/ジェフリー・ルイスという先生については、ちこっとだけwikiにもありました。英語版の方を見るとこれよりちこっとだけ詳しくて、オックスフォード大学でトルコ語の教授だったそうですが、彼がその職に就任する以前はトルコ語学科自体がなかったんだそうです。セント・ジョンズ・カレッジで古典をやっていたところに第二次大戦が起きて、二十歳で英国空軍に従軍→リビアとエジプトに行き、帰ってくるとオクスフォードに復学→但しアラビア語・ペルシャ語に転科。トルコ語は最初は「趣味で」始めたんだそうです。趣味で。趣味で!!

ルイス先生のトルコ語自習本は、書かれてから半世紀が経過した今でも学生さんの必携本になっているというのでじゃあこの際だからそれ買っちゃおうふんふん、はなうた混じりでアマゾンに見に行って、

The Turkish Language Reform: A Catastrophic Success
カートに入れたのはこっちだった(なか見!検索で覗き見したら、『天秤』とは文体がぜんぜん違うところに惹かれた)。

よくあることです。

久々に部屋のどこかから発見された『ペルシア逸話集』を

本棚を買い足しました。おうちのなかがすっきり※当社比しました。

本、読んでいる間は台所だとかテーブルの上だとか、椅子の上だとか床だとか枕元だとか、とにかく本棚以外のところにあります。試しに現時点の自分の机の左側を見ると9冊、目の前に1冊で合計10冊ありました(でもそのうち4冊は辞書とかなので、あんまり「読んでいる間」とかというのではないですね)。

でもそろそろ、そういう読んでいるところだからとか使っている最中だからとかというあれではなくなってきたので本棚を買い足したのです。それでわっせわっせと整理整頓してみてから「あ、本棚が足りてなかったんだ」と気がつきました。

すごく気分がいいので、久々に発見されたこれを再読。

『ペルシア逸話集 カーブースの書・四つの講話』

古本が500えんくらいから出ていました。

ペルシア逸話集 (東洋文庫 (134))

わたくしの手元にあるのは箱の左上に鉛筆で「品切 1700円」とあり、どこかの古本屋さんで買ったものかと思われます。ちなみに箱の右下には定価が「450円」とあります。昭和44年です。アマゾンで500円かあ、いいな。

『ペルシア逸話集』とありますが、『逸話集』というか収められているのは『カーブースの書』と『四講話』という、それぞれ著者も時代も別々の二つの作品です。あ、時代はちょっとかぶってるか。

この、『カーブースの書』がおもしろいです。著者のカイ・カーウースさんの本業、もの書きじゃなくて王様(いちおう)なんですよ。解説から。

『カーブースの書』の著者と時代的背景
著者カイ・カーウースはカスピ海の南岸地域タバリスターンおよびグルガーンを支配した地方王朝ズィヤール朝(九二七ー一〇四〇頃)の第七代の王(在位一〇四九ー?)であった。(……)この王朝の君主で最も名高いのは著者の祖父で、第四代の王カーブース(在位九七八ー一〇二二)であった。彼は政治的には振るわず、ブワイ朝と戦って敗れ、長年月にわたり領土を逐われ、後に旧領土を奪取した。しかし彼は文化史上にその令名を謳われている。彼自身アラビア語の詩人として名高く、また学者の保護者としてもよく知られている。彼の宮廷は十世紀後半の東方イスラム世界における文化の四代中心地の一つであった。(……)しかしその後この王朝の勢力は急速に衰え、著者カイ・カーウースの時代にはこの小王朝をとりまく政治情勢はきわめてきびしかった。(……)著者が『カーブースの書』を残さなかったとしたら、彼とその子の名は歴史上から完全に忘れ去れていたであろう。

「最も名高いのは彼の祖父」と言ったそばから「政治的には振るわず」、というのがあれ?という感じがしなくもないですが、「文化の四代中心地のひとつ」というのがポイント高いということなんですね。アル・ビールーニーさんが著書をカーブースの宮廷に捧げていたりだとか、「イブン・スィーナーも彼の保護を受けようと」やってきたりもしていたそうです。でもそれ以降どんどん形勢が悪くなっていって、セルジューク朝がずんずん勢力を拡大して、ああもうだめだな、ズィヤール朝終わっちゃうな、みたいなそういう中で、カイ・カーウース王が息子にあてて書いた一種の処世術の書がこの『カーブースの書』です。

王様が息子にあてて書くならいわゆる帝王学みたいな、君主いかにあるべきか的なものかと思えばそうじゃなくて、だって全部で四十四章あるんですが、後ろの十数章は各種職業の紹介で、職をもって仕事をしてごはんを食べていくということはどういうことか、というところから始まる就職ガイドですよ。「息子よ、もしも学者になるなら、」とか「もしも説教師になるなら、」「医者になるなら、」「楽師になるなら、」という具合に。まあ職業紹介の態で、世の中にはいろいろな学問があるんだよ、というのを伝えたかったようではありますけれども(「そなたがあらゆる学問に恵まれるように、私はそれについてもまたもっと語りたかった」)、例えば裁判官、法官になるなら

法廷にあっては厳しく渋面をつくり、笑わぬほどよい、そうすれば威厳があろう

とか、詩人になるなら

注釈を必要とするようなことを言うな。詩は一般の人びとのために作られるものであって、個人のためではないからである

だとか、

目新しい語句を聞き、気に入って取り入れ使いたいと思っても、改変したり、その語句をそのまま使うな

ここまではわりとふむ、って思うじゃないですか。でもその後に続いて

もしその語句が頌詩にあったら、諷刺詩で用い、諷刺詩にあったら、頌詩で仕え。抒情詩で聞いたら挽歌に用い、挽歌で聞いたら抒情詩に使えば、だれもそれをどこから取ったか分からぬであろう

分からぬであろう。笑。どこかの宮廷に伺候して保護者を求めるなら

いつも明るい笑顔をせよ

だそうです。

ちなみに一章から三十章までは宗教の話、信仰の話にはじまって食事の作法とか睡眠についてとか、言葉づかいとか、人づきあいとか、お客様のおもてなしとか配偶者の探し方とか、王様っていうかお父さんっていうかお母さんかよ、っていうくらいまあもう細々としたことがつづられている。おもてなしは毎日するものじゃなくって一ヵ月に何回もてなすかを考えて、五度ならそれを一度にして、「そして五度に使う費用を一度に仕え」。だそうです。何そのていねいな暮らし。

「家屋、地所の購入について」「馬の購入について」などと並んでさらっと「奴隷購入について」なんていうのもあります。

欲情に駆られた時に女奴隷を前に連れてくるな。そんな時には醜い者でも美しく見えよう。まず欲情を静め、それから購入にとりかかれ。

ていねいな暮らし過ぎるよ。

ちなみに家を買うなら「裕福な人たちがいる地区にある家を買い、町はずれの家を買うな」「自分以上の金持がいない地区に買うように努力し、立派な隣人を選べ」だそうです。あと地区の集まりにはちゃんと参加しろ、近所づきあい大事にしろ、だそうです。王様……

もうこの調子で引用しようと思えばいくらでも引用し続けられます。あまりおもしろがるのも悪いかなあとも思うのですけど、ああいよいよ王朝がだめになりそう、こいつ(息子)の代にはもうだめになってるかもしれない(実際だめになった)、みたいな、それってそれなりに切羽詰まった状態だと思うのですが、下々の者(わたしだ)が想像しがちな、やすうい、うすあまあい悲壮感みたいのが全然ないんですよ。指示というか、アドバイスがいちいち具体的で無駄がない。無駄がないと思えば、お父さんもつらいんだよみたいな本音っぽいのをちょろっとだけはさんできたり、まあ気を逸らさせないです。どれだけ愛されてるんだこの王子、と思ったりもしますが、その次のページで「駆け引きは常に怠るな」とか出て来るんで油断ならないです。

飲酒の作法なんていうのもあって、飲まないにこしたことはない、本当は飲まない方がいい、そうは言ってもおまえも若いしどうせ飲むだろう、「私もいろいろ言われてきたが聴かず、五十の坂を越してやっと神の御慈悲で後悔を授かった」「飲むなら改悛に思いをはせ、至高なる神に改悛のお導きを乞い、」「ともかく、酒を飲むなら、飲み方を知らねばならぬ」「もう二杯飲めるなと思うときにいつも杯を置きなさい」。

もうこの調子で、引用しようと思えばいくらでも続けられます(二回目)。これの後に『四つの講話』が収録されているのですが、実は訳者の黒柳恒男氏大推薦の第二の講話、詩人と作品を紹介した文学案内的な部分以外はあんまりちゃんと読んでいません。お父さんの話がおもしろすぎるんだもん……

しかしこうしてひさかたぶりに発掘したことだし、これを機会にちゃんと読み直してみようかな。

と、いうわけで机の左側に積んでる9冊の上にもう1冊足されました。

“Mizan al-haqq”、あともうちょっと

一. 預言者ハディルの「生命」について
九. ファラオの信仰
十七. 正しきを命じ、悪を禁じること(勧善懲悪)について
十八. アブラハムの宗教
十九. 賄賂について
二十. アブッスゥード・エフェンディ対ビルギリ・メフメド・エフェンディの論争
二十一. スィヴァースィー対カーディーザーデの論争

あとはいちばん最後の、著者キャーティプ・チェレビーの自分語り+若干のアドバイスの部分を残すのみとなりました。