年表・The A to Z of Sufismから (6)

何事もなかったかのように、前回からの続きです。

*****
1140/534 アブー・カーシム・アフマド・アッサマーニー没。ペルシャの神秘詩人。 散文・詩文を取り混ぜた革新的な書『精神の安息』著者。ユースフ・ハマダーニー没。中央アジアに影響を与えたペルシャ人シャイフ。

1141/536 アフマド没。ジャーム出身で霊性に関する複数の著作がある。イブン・アル=アーリフ没。イベリア出身の著述家。Mahasin al-Majalisの著者。
1153/548 聖ベルナルド(クレルヴォーのベルナルドゥス)没。修道制度の改革者。

1157/556 バフラームシャー・イブン・マスウード没。ガズニー朝のスルタン。 サナーイーは『真理の園』第十章を彼に捧げている。

1166/561 アブドゥル・カーディル・アル=ジーラーニー没。有名なスーフィー説教師、最初の公的なスーフィー教団とみなされるカーディリー教団の名祖。

1168/563~4 アブー・アン=ナジーブ・アブドゥル・カーヒル・アッ=スフラワルディー没。 ペルシャ人シャイフ、著述家。アフマド・アル=ガッザーリー、ナジュムッディーン・クブラー、アブー・ハフス・イマル・アッ=スフラワルディーらを教えた大学者。スーフィー探究者の心得書Kitab adab al-muridin(弟子の徳)の著者。

1182/578 アフマド・アル=リファーイー没。イラク出身のシャフィーイー学者、リファーイーヤ・タリーカの創始者。

1191/587 シハーブッディーン・ヤフヤー・アッスフラワルディー没。「Maqtul (殺された者)」。照明学の生みの親。神知学、思索的スーフィズムの分野に影響を与えた。

1189/585~1192/588  第三次十字軍。アッカ(アッコン)の戦いとそれに続く休戦により、キリスト教徒のイェルサレム入場が可能になる。

1193/589 サラーフッディーン(サラディン)没。クルド人スルタン、アイユーブ朝の創始者。スーフィーとデルヴィーシュの庇護者であり、獅子心王リチャードを相手に十字軍と戦った英雄。

1197/594 アブー・マドヤーン没。トレムセンのスーフィー聖者。多くの門下生を集めた。おそらくアブドゥル・カーディル・アル=ジーラーニーの弟子であったと考えられている。

1198/594 コルドバのイブン・ルシュド(アヴェロエス)没。アラブの最も偉大なアリストテレス注釈者。ガッザーリーによる対哲学者の議論に反論した。モロッコのベルベル人によるマラケシュのアルモハド朝(ムワッヒド朝)の宮廷医師も務めた。

12/6世紀後期 コルドバのファーティマ没。イブン・アラビーに精神的導きを与えた女性指導者。イブン・ムナッワル没。ペルシャ人の伝記作家。

13/7世紀 劇的な政治的変化の時代。モンゴルがアジア全土を席巻し、ヨーロッパ深部に来襲。破壊と荒廃のこの期間が、神秘主義的活動の急増と手堅い成長をもたらす。イスラム世界における神秘主義的著述の最高峰の数々が書かれたのもこの時代である。インドでは複数の教団が確固とした基盤を築き、またエジプトでも教団が複数、新たに誕生している。サリ・サルティク没。ビザンチン帝国と戦ったテュルク系のデルヴィーシュ戦士。

1200/596~7 イブン・アル=ジャウズィー没。スーフィズムに関して慎重な見解と保留を示したことで知られる神学者。

1204/601 第四次十字軍。ラテン軍によるコンスタンティノポリ略奪。コルドバのマイモニデス没。偉大なラビ、神学者。

1206/602~1296/696 デリーに奴隷王朝(マムルーク・スルタン朝)勃興。北インドにおけるムスリムの支配力を確立した最初期の政治体制。

1206/602~3 クトゥブッディーン・アイベク没。アジュメールのスーフィー廟の庇護者。

1209/606 イルヤース・イブン・ユースフ・ニーザーミー・ガンジャウィー没。アゼルバイジャンの詩人。神秘主義的な道徳訓アンソロジー『五部作(Khamsa)』の著者として知られる。

1209/605~6 ルーズビハーン・バクリー没。神秘主義的愛を描写したシーラーズの主要なペルシャ人著述家。

1216/613 アル=マーリク・アッ=ザーヒル没。アイユーブ朝の統治者。スーフィーと学者の庇護者。

1219/616 マジュドゥッディーン・バグダーディー没。クブラーウィーヤ教団のシャイフ、著述家。

1220/617 アブドゥルハーリク・グジュドゥワーニー没。ハマダーニーの(おそらく)弟子で、トランスオクサニア地域に彼の教えを伝播した。ナジュムッディーン・クブラー没。中央アジア出身、クブラーウィーヤ教団の創始者。
1221/618 ファリードゥッディーン・アッタール没。ニーシャープールの詩人で伝記作家。『鳥の言葉(Mantiq at-tayr)』他の著作がある。

1222/619頃 ジャマールッディーン・アッ=サーウィー没。中東中央部にカランダリー教団を普及させた。

1225/622頃 アフマド・ヤサウィー没。中央アジア出身、ヤサウィー教団の創始者。

1225/622 アン=ナースィル没。停滞していたイスラムの精神生活の復興と、モンゴルの脅威に対抗するためのイスラム統治者の統一を望んだ。

1226/623 アッシジのフランチェスコ没。キリスト教神秘家、フランチェスコ会の創始者。

1227/626~7 ジンギス・ハーン没。悪名高いモンゴルの侵略者。中央アジアを広範囲に制圧し、その子孫も15/9世紀まで幅広く中東地域を支配した。

1228/625 アブドゥッサラーム・イブン・マシーシュ没。モロッコの禁欲家。シャーズィリーヤ・タリーカの思想と実践を通して広く影響をもたらした。

1231/628 バハーウッディーン・ワラド没。中央アジアのシャイフ。ジンギス・ハーンの侵略を逃れて家族と共に西方へ移住した。ルーミーの父。

1234/631~2 アブー・ハフス・ウマル・アッ=スフラワルディー没。ペルシャ生まれの学者、神学者、説教師。『霊知の美徳(’Awarif al-ma‘a¯rif)』の著者。

1235/632 イブン・アル=ファリード没。エジプト人でアラブ神秘主義詩人。『葡萄酒の歌(Khamriya)』、『Tの韻詩』の作者。

1235/632~3 クトゥブッディーン・バフティタル・カーキー没。デリーの奴隷王朝君主イルトゥトゥムシュの崇拝を受けた聖者。

1236/633 ムイーヌッディーン・チシュティー没。インド人シャイフ、チシュティー教団設立の創始期における主要な人物。アラーウッディーン・カイクバード没。セルジューク朝ルームのスルタン。学者の庇護者であり、ルーミーの一族が暮らした町コンヤに壮大なモスクを建立した。

1238/635 アウハドゥッディーン・キルマーニー没。四行詩で知られるペルシャ詩人、イブン・アラビーの知己。

1240/637~8 ムフイッディーン・イブン・アル=アラビー没。イベリア出身の神秘主義著述家。『メッカ啓示』、『叡智の台座』など。バーバー・イルヤース没。ホラーサーン出身、アナトリアで活躍した神秘家。

1241/639頃 ブルハヌッディーン・ムハッキク没。ルーミーの師。

1244/641~2 ジャラールッディーン・タブリーズィー没。インドに赴いた最初のスフラワルディーヤの一人。

1247/645 シャムスッディーン・タブリーズィー失踪。おそらくクブラーウィー教団の一人。ルーミーと行動を共にした。 ルーミーの詩作に多くの影響を与えた。

1250/648~1517/923 アイン・ジャルートの攻防でモンゴル軍を撃破したマムルーク朝が、カイロを首都に中東地域の中央部を広く支配するようになる。芸術と建築を称揚し、多くの重要なスーフィー教団の創始者たちを庇護した。

1252/649 サアドゥッディーン・ハンムーヤ没。ホラーサーン出身のシャフィーイー派学者。

1256/654 ナジュムッディーン・ダーヤー・ラーズィー没。ペルシャ人のクブラーウィーヤ、解釈者。『下僕たちの大道(Mirsad al-ibad)』 著者。

1258/657 アブー・ル=ハサン・アッ=シャーズィリー没。モロッコ人の神秘家、「神の友」。シャーズィリー教団の創始者。サラーフッディーン・ザルクーブ没。神秘家。職業は金細工師。ルーミーに影響を与えた人物で、彼の娘はルーミーの息子スルタン・ワラドの妻になった。

1261/659 サイファドゥッディーン・バーハルズィー没。中央アジア出身、ナジュムッディーン・クブラーの弟子。コンスタンティノポリがラテン統治からビザンチン統治に置き換えられる。

1262/661 バハーウッディーン・ザカリーヤ・ムルターニー没。インドでのスフラワルディー教団の活動を開始した人物。ラール・シャッバーズ・「カランダル(修行者)没。スフラワルディー教団に属したインド人ダルヴィーシュ。

1265/664 ファリドゥッディーン・ガニシャカル、別名バーバー・ファリード没。インドのチシュティー教団シャイフ、ニザームッディーン・アウリヤーの師。

1270~1/669 ハッジ・ベクターシュ・ワリー没。ホラーサーンのデルヴィーシュ、ベクターシュ教団の名祖。

1270/669 イブン・サビーン没。イベリアのスーフィー、哲学者。

1273/672 マウラーナ・ジャラールッディーン・バルヒー・ルーミー没。ペルシャ人の神秘主義詩人。「回旋するデルヴィーシュ」の開始者として知られる。『精神的マスナヴィー』やその他の詩作品の著者。のちにマウラウィー教団が創始される。

1274/672~3 カーディー・ハミードゥッディーン・ナーガウリー没。インド人のスフラワルディー派学者。サドルッディーン・アル=クーナウィー没。アナトリア人の学者、イブン・アル=アラビーの継息子、弟子。イブン・アル=アラビー著『叡智の台座』の解釈書を著した。トマス・アクイナス没、ボナヴェントゥラ没。いずれも著名なキリスト教神秘家、神学者。それぞれ、ドミニコ会士とフランシスコ会士。

1276/675 サイイド・アフマド・アル=バダウィー没。リファーイー教団のエジプト人デルヴィーシュ。

1277/675~6 ムイーヌッディーン・パルワーネ没。セルジューク朝のコンヤ大公、ルーミーの主要な庇護者。

1278/677 ブルハーヌッディーン・イブラーヒーム・ダスーキー没。エジプト人のスーフィー詩人、ダスーキー教団の創始者。

1282/680 アズィーズッディーン・ナサフィー没。中央アジアのシーア派スーフィーで理論家、クブラーウィー教団シャイフ。

1284/683 フサームッディーン・チェレビー没。ルーミーの弟子、マウラウィー教団の第三代指導者。

1287/686 アブー・ル=アッバース・アル=ムルシー没。アブー・ル=ハサン・アッ=シャーズィリーの後継者。

1289/688 ファフルッディーン・イラーキー没。ペルシャ人の詩人で、ルーミーとイブン・アラビーのどちらとも交流があった。『閃光(Lamaat)』の著者として知られる。

13/7世紀後期 タプドゥク・エムレ没。アナトリアに神秘家集団を創始する。

1292/692 ムスリフッディーン・サアディー没。ペルシャ人の訓話作家、詩人。

1296/695 シャラフッディーン・アル=ブーシーリー没。エジプトの詩人。預言者の神秘的地位を讃えるブルダで知られる。

*****
ビッグネームがいっぱい出てきました。ブルダというのは、今もこんな感じで。

年表・The A to Z of Sufismから (5)

前回からの続きです。

*****
1010/400~401頃 フェルドウスィー、ペルシャ最大の民族叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』を完成させる。「イスラム化」 された最初の著名かつ画期的なペルシャ文学の登場。

1013/404 アル=バーキッラーニー没。法律家、アシュアリー神学の主要な構築者。

1021/412頃 アブー・アリー・アッ=ダッカーク没。クシャイリーの導師。

1021/412 アブドゥルラフマーン・アッスラミー没。ニーシャープール出身の解釈者、伝記作家。ナスラーバーズィーの弟子。

1030/421 ガズナ朝の君主マフムード没。アフガニスタンの統治者、インド北西部を征服。

1033/425 アブー・ル・ハサン・アリー・アル=ハラカーニー没。ペルシャ人の神秘家、アンサーリーのシャイフ。アブー・イスハーク・イブラーヒーム・アル=カーザルーニー没。ペルシャ人の神秘家、カーザルーニーヤ(カーザルーニー教団)の名祖。

1037/428 アブー・アリー・イブン・スィーナー(アヴィセンナ、アヴィケンナ)没。中央アジア出身の高名なムスリム哲学者。『幻視的物語』三部作ならびに『ミゥラージュ(昇天)の書』著者。

1038/430 アブー・ヌアイム・アル=イスファハーニー没。1031/422年に完成した人物伝『神の友らの飾り』を著したことで名を知られる。

1048/439~40 アブー・ライハーン・アル=ビールーニー没。インド哲学と生命観の学者。

1049/440~1 アブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル没。ホラーサーンの聖者、詩人。

1057/451 アブー・ル=アラー・アル=マアッリー没。高名なシリア系アラブ人哲学者で詩人。

1064/456 イブン・ハズム没。イベリア出身の政治家、法学者。宗教的論客。

1072/465頃 アリー・イブン・ウスマーン・ダーター・ガンジュ・バフシュ・フジュウィーリー没。ハナフィー学者、教学の書『隠されたる真理の開示』著者。

1074/466~7 アブー・ル=カーシム・アブドゥル=カリーム・アル=クシャイリー没。中央アジア人の教学者。伝記作家。スーフィズムとスンナ派権威の和解の書、スーフィーへの書簡として知られる『(スーフィズムに関する)論攷』の著者。

1083/476 アブドゥル=マーリク・アルアージュワイニー没。中央アジアの神学者、アブー・ハミード・アル=ガッザーリーの教師。

1089/481 ハーッジャ・アブドゥッラー・アンサーリー没。ホラーサーンの学者、『旅人たちの宿駅』著者。

1092/485 ニザーム・アル=ムルク没。セルジューク朝の大宰相。1066年、ヘラートからアンサーリーを追放。バグダードのニザーミーヤ学院の教授としてガッザーリーを指名した。

1096/490 第一次十字軍の遠征。イェルサレム王国(ラテン・イスラエル王国)を樹立(1099~1189)。

12/6世紀 アル=ムハッリミー、最初のハンバリー派マドラサを建立。

1111/505 アブー・ハミード・アル=ガッザーリー没。バグダードの教師、『宗教諸学の再興』著者。

1119/512~3 イブン・アキール没。ハンバリー派の法学者。

1124/518 ハサン・サッバーフ没。ペルシャ人。イスマーイール派(シーアから枝分かれし、中東の一部に確固とした基盤を獲得した武闘派)の指導者。

1126/520 アフマド・アル=ガッザーリー没。アブー・ハミード・アル=ガッザーリーの弟、『閃光(Sawanih)』著者。ラシード=ッディーン・マイブディー没。ペルシャ人の学者、解釈者、神秘家、アンサーリーの学徒。

1131/525 アブー・ル・マジド・マジュドゥード・サナーイー没。ペルシャのスーフィー詩人。教訓的講話で構成される古典作品『真理の園』の著者。

1131/526 アイヌ=ル=クダート・アル=ハマダーニー没。アフマド・アル=ガッザーリーの弟子。バグダードで迫害を受け、聖者性と終末論について常軌を逸した見解を示したとの咎で処刑される。

1132/526 ウマル・ハイヤーム没。ペルシャの詩人。陶芸家が美術品を作っては破壊するイメージに託し、神秘家を通して外側に顕われるものを破壊する神の役割を語った。

*****
なんだかもりあがってまいりました感のある百年です。そしてさすがスーフィー年表。言及されているイブン・スィーナーの著作のチョイスが。『医学典範』とかじゃないところが。

そしてアブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル。彼もまたわれらがヒーロー井筒俊彦翁の『イスラーム文化 その根底にあるもの』にちょろっと登場していました。


『イスラーム文化 その根底にあるもの』

……西暦十一世紀の偉大なスーフィーだったアブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル(Abu Said Abi al-Khayr)という人 –– 大変長い名前ですので、便宜上はじめの二つだけとってアブー・サイードと呼ぶことにいたしますと –– このアブー・サイードという人は、西暦一〇四九年に世を去ったイランの偉大なスーフィーですが、この人は生涯一度もメッカに巡礼したことがありませんでした。メッカ巡礼というのは、ご承知のように、すべてのイスラーム教徒に課された宗教方上の最高の義務の一つでありまして、重い病気とか貧乏で華美の費用が出せないとか、何か正当な理由なしにこの義務を怠りますと、大変重い罪を犯すことになります。
なぜメッカ巡礼をしないのかと尋ねられたときに、アブー・サイードはこう答えました。「一軒の石の家」 –– イスラームの聖所、メッカの石造りの神殿カアバを「一軒の石の家」というのですから相当なものです –– 「一軒の石の家を訪問するために、わざわざこの足で何千里の土地を踏んで歩いていく、そんなことをして一体どうなるというのだ。本当の神人はじっと自分の家に坐っているだけでいい。そうすると天上のカアバの神殿が(つまり地上のメッカの神殿ではなくて、永遠の天上のカアバ自体が)、向うからやってきて、一昼夜のうちに何べんも彼にお参りしてくれるのだ」と。シャリーアに対するスーフィーの見方を最も極端な、そして大胆不敵な形でこの言葉は示しております。
しかしこのような境地に達するまでにはスーフィーは長い、激しい修行の道を行かなくてはならない。これが、はじめにちょっとお話した自己否定の道、自我意識払拭の修行道であります。……

年表・The A to Z of Sufismから (4)

前回からの続きです。

*****
923/311 アブー・ジャアファル・アッ=タバリー没。偉大な修史家、コーラン解釈者。

931/319 イブン・マサッラ没。イベリアの神秘家、著述家、哲学者。コルドバの初期スーフィー学徒の指導者であり禁欲主義者。

932/320 ムハンマド・イブン・アリー・アル=ハキーム・アッ=ティルミズィー没。中央アジアの神学者。

932/320頃 アブー・バクル・ムハンマド・アル=ワーシティー没。バグダードにおけるハッラージュの同時代人。

934/322 アブー・バクル・アル=カッターニー没。初期におけるバグダード学派の一人。アブー・アリー・アフマド・アッ=ルドバーリー没。シャフィーイー法学派の神秘家。

935/323 アル=アシュアリー没。主流の神学に対しムウタズィラの方法論の要素を取り入れた屈指の神学者。

945/333~4 シブリー没。イラク人のスーフィー、ジュナイドの弟子。

949-1022 新神学者シメオン没。神化と神秘体験に関するビザンチン時代の主要な著述家。

950/338~9 アル=ファーラビー没。著名なイスラム哲学者、トルコ系。

959/348 ジャアファル・アル=フルディー没。バグダードのジュナイドの朋友。

965/354 または 976/366 アブドゥル=ジャッバール・アン=ニッファーリー没。イラク人。Kitab al Mawaqif wal Mukhatabat(神秘の階梯ならびに神秘の啓示)の謎多き著者。

965/354 ムタナッビー没。ハムダーン朝宮廷の偉大なアラブ頌詩詩人。

969~1171/358~566 ファーティマ朝の勃興。新たに造営された首都カイロから中東の中央部を支配。

973/362 カイロにアズハル・モスクが建立される。ファーティマ朝支配下におけるシーア派知識人の中心地となる。

977/367 アブ・ル・カーシム・イブラーヒーム・アン=ナスラバーズィー没。シブリーの弟子。

982/371 イブン・ハフィーフ没。シーラーズの著名な神秘家、約百歳の長寿を全うする。アブ・ル・フサイン・アル=フスリー没。バスラの禁欲家。

988/378 アブー・ナスル・アッ=サッラージュ没。ホラーサーンの理論家。大いに影響を及ぼした教学書『閃光の書』の著者。

990/380 ビシュル・ヤー=スィーン没。アブー・サイード・イブン・アビー・ル・ハイルのシャイフ。

990/380 または 994/384 アブー・バクル・ムハンマド・アル=カラーバーズィー没。歴史家、中央アジア出身のスーフィー理論家。『タサウウフの教えの解明』著者。

995/385 イブン・アン=ナディーム没。Fihrist(『目録の書』、書籍目録の大著)著者。ズーン・ヌーンの著作2点が「錬金術の書」として記されている他、ハッラージュに対しては否定的でありつつ、その著作の包括的な一覧が収録されている。

996/386 アブー・ターリブ・アル=マッキー没。Qut al-qulub(心の滋養)著者。

997/387 または 1023/414 アブー・ル・ファズル・ムハンマド・イブン・ハサン・サラフシー没。中央アジアのホラーサーン派シャイフ、アブー・サイード・イブン・アビー・ル・ハイルの導師。

1000/391頃 バーバー・ターヒル・ウルヤーン没。初期におけるペルシャ語スーフィー詩(四行詩)を著す。

*****
ニッファーリーさん、われらがヒーロー井筒俊彦翁の『イスラーム哲学の原像』にちょろっと登場していました。


『イスラーム哲学の原像』

……西暦十世紀の有名な遊行スーフィーのひとりにニッファーリー(Niffari)という人がおりますが、その人がこう申しております。「おまえが(ここで「おまえが」というのは「人間が」ということです。この引用文は神がスーフィーの口を通じて一人称で語る形になっておりますので、「おまえが」というのは「人間が」ということ、「私が」というのは「神が」ということです)、おまえ自身を自分だけで存在するものとみなして、この私をおまえの存在の根拠として認めないとき、私は私の顔をベールの影に隠す。そうするとおまえ自身の顔がおまえの目の前にありありと現れてくるのだ」と。
おまえ自身の顔、つまり人間の顔だけが目に見えて、神の顔はその陰に隠れてしまう。ここで「おまえの顔」というのは、すなわち哲学者たちの説く経験的自我意識のことであります。自分自身の内面の無底の深みにひそむ神の顔が現れてくることを阻止する厚い垂れ幕のような人間の顔m、このイマージュによって示唆された自我意識を中心として成立する魂の表象は、スーフィズムに言わせれば魂の本質的構造からずれた、浅薄で歪んだ表象に過ぎない。こういうふうに見られた魂を、スーフィーはカシーフ(kathif)な魂と呼びます。カシーフというのは、粗雑で厚ぼったいという意味の形容詞です。ちょっと仏教にもあるような概念ですが、厚ぼったい粗雑な、つまり質量性の度の強い粗大な魂というわけです。……

あっそろそろイフタールの時間だ。厚ぼったい粗雑な、つまり質量性の度の強い粗大な魂はこのへんで失礼します。

年表・The A to Z of Sufismから (3)

前回からの続きです。

*****
833/218 マアムーン没。アッバース朝カリフ(在位813–833)。ギリシャの科学・哲学文献のアラビア語翻訳を、自ら中心となって後援し、のちの中世期になって西洋世界の思想と科学に影響を及ぼすことになる諸学問の保存に貢献。ムゥタズィラ学派の合理主義を好み、「国教」として公認を与えた。

841/227 ビシュル・イブン・アル=ハーリス、通称アル=ハーフィー(裸足の者)没。著名な禁欲家。

849/235 ファーティマ・ニーシャープール没。ホラーサーンの神秘家。バーヤズィード、ズーン・ヌーンの知己アフマド・ヒズルヤーの妻。

855/241 アフマド・イブン・ハンバル没。第四の、そして現在アラビア半島で主流となっているスンナ派法学の開祖。

857/243 アル=ハーリス・イブン・アサド・アル=ムハースィビー没。イラクの神秘道の導師であり神学者。『神の大権への服従』著者。

860/245 サウバーン・イブン・イブラーヒーム・ズーン・ヌーン没。エジプト人スーフィー。経験的知識に関する独特の解釈を生み出したことで知られる。アブー・トラーブ・ナフシャビー没。中央アジアの禁欲家、ハーテム・アル=アサムの弟子。

861/246 アル=ムタワッキル没。アッバース朝カリフ。ムウタズィラ学派の神学に反対し、イブン・ハンバルの伝統主義を再び中心的な地位に据えた。

867/253頃 サリー・アッ=サカティー没。バグダードの禁欲家。愛に関する教えは物議をかもした。

870/256 アル=ブハーリー没。中央アジアの学者。彼が編纂したハディースは、「六書」と呼ばれる権威あるハディース集成書群の中でも最も重要とされている二冊のうちの一冊である。

872/258 ヤフヤー・イブン・ムアーズ・アッ=ラーズィー没。ニーシャープールのスーフィー、説教師。

873/259 フナイン・イブン・イスハーク没。ギリシャ文献翻訳をその最高水準に高めた学者。アル=キンディー没。最初の偉大なアラブ哲学者。

873/260 「十二イマーム派」の第十二代イマームが「ガイバトゥル・スグラー(小幽隠。死没ではなく、どこかに身をひそめて隠れている、という解釈)」の状態に入る。シーア信仰によれば、隠遁して再臨するまでの間も「時の主人」としての働きをなしているとされる。

875/261 タイフール・イブン・イーサー・アブー・ヤズィード(バーヤズィード)・アル=バスターミー没。陶酔的発話によって知られるペルシャの神秘家。

878/265頃 アブー・ハフス・アル=ハッダード没。ニーシャープールの神秘家/禁欲家。

884/270~1 ハムドゥーン・アル=カッサール没。禁欲家、マラーマティーヤ教団の指導者。

888/275 アフマド・グラーム・ハリール没。885/272年、ヌーリーらバグダードのスーフィーたちを罪人として告発した人物。

896/283 アリー・イブン・アッ=ルーミー没。バスラのスーフィーによる禁欲的な苦行についての記述を残した。サフル・アッ=トゥスタリー没。スーフィーの釈義学者で神学者。マニュアリストがしばしば参照先とする。サーリミーヤ学派に影響を与えた。

898/285頃 ムハンマド・イブン・アリー・アル=ハキーム・アッ=ティルミズィー没。中央アジアの理論家。

899/286 アブー・サイード・アル=ハッラーズ没。イラク生まれ。kitab al-Sidq(篤実の書)の著者。

10/3~4世紀 マッキー、カラーバーズィー、サッラージュによって精神性に関する最初の優れた教書が著される。スーフィーの文筆活動が大きく発展した時代。

904/291頃 イブラーヒーム・アル=ハッワース没。イラク出身、放浪の禁欲家。

907/295 アブー・ル・フサイン・アン=ヌーリー没。バグダードのスーフィー、サリー・アッ=サカティーの弟子。Maqamat al-Qulub(心の階梯)の著者。

909/296 ムハンマド・イブン・ダーウード没。ザーヒル法学派の始祖の息子。ハッラージュを非難し、また他の学者たちにもそうするよう煽動した。純潔の愛を理想とする趣旨の書を著し、純潔性に殉ずるよう主張。神と人の相互愛の可能性を否定し、神秘道的な愛からあらゆる人間的な要素を排除した。アムル・イブン・ウスマーン・アル=マッキー没。

910/298 ジュナイド没。法学者、バグダードの神秘家。最も偉大な「素面(しらふ)」のスーフィー。スムヌーン・イブン・ハムザ、通称アル=ムヒッブ没。初期のバグダードのスーフィー、サリー・アッ=サカティーの門弟。アブー・ウスマーン・アル=ヒーリー没。中央アジアの禁欲家。

915/302~3 ルワイム・イブン・アフマド没・初期のバグダードの神秘家、ジュナイドの朋友。

922/310頃 アブー・ル・アッバース・イブン・アター殺害される。ハッラージュの支持者。

*****
922年にはハッラージュ自身も絞首刑に処されていますね。

AL-HALLAJ IS LED TO THE GALLOWS | Christie's
AL-HALLAJ IS LED TO THE GALLOWS | Christie’s

「絞首台に連れられてきたハッラージュ」。絞首台は空っぽで何もぶら下がっていない。画面中央に燃える金色の火を、皆さんが取り囲んで不安げに見ている。

保存

保存

「ルーミー詩撰」で紹介している一聯「希望の歌」について

各位
毎々お世話になっております。首記の件につきご連絡申し上げます。

過日、弊サイトにてご提供させて頂いております「ルーミー詩撰」の中の一聯、「希望の歌」の一部が、弊サイトからの引用である旨の明記なく某書籍に転載されていたことが判明いたしました。

当該書籍出版元様に確認と対応を求めたところ、「確認ミス」により明記すべき引用元を明記しないという結果を招いた、との状況のご説明と共に、謝罪の意を伝える回答を頂戴しました。

また併せて解決策として、出版元様ウェブサイトにて本件にかかる告知とお詫びを掲載する、とのご提案を頂きました。脳内会議の結果、ご提案におおむね異存はない旨を先方にお知らせしましたところ、本日付にてご提案通り告知がなされた旨が確認できましたため、本件を落着とすることと決定いたしました。

本件にかかるご報告は以上となります。
引き続き、ご愛顧賜りますよう心よりお願い申し上げます。

*****

誰にともなく解説を加えておきたいと思います。該当書籍の引用箇所には

ルーミーの作品「希望の歌」には次の一節がある。

という著者氏による前置きがされているのですが、ルーミー翁には、「希望の歌」という「作品」はございません。該当部分は正しくは「精神的マスナヴィー」3巻の抜粋・抄訳にあたります。ご覧頂ければ分かる通り、「ルーミー詩撰」はR. A. ニコルソンが「精神的マスナヴィー」をほぼ全巻英訳し終えたかどうかという時期に、それ以外の「シャムス・タブリーズィー抄訳」や「ルバイヤート抄訳」などを取り混ぜて編んだ抜粋集であるSelected Poems of Rumiという一冊を底本にしており、「希望の歌」というのはその中のひとくだり、R. A. ニコルソンがnothing venture nothing win(虎穴に入らずんば虎子を得ずっていうんですかね)と題した部分訳に、映画の邦題的に「希望の歌」と名づけてみたものです。

勝手に引用された!とか騒ぎたいのではないです。そういうことを望んでいるのではありません。だったら黙ってりゃいいじゃないかというむきもあろうかと思いますが、でもそれよりやっぱり、そうではなくて、ただでさえ「これは一体どこのルーミー?」というような、真偽も出所も分からない言葉がルーミーのそれとして語られているのが常態になっているところへ新たにもうひとつ、正体不明の「ルーミーの言葉」を増やしたことにはからずもなってしまった、なってしまっているのではないか、というのが自分としてはより耐えがたいことだと思いました。何だか説明がへたくそでほんとすみません。とりあえず「精神的マスナヴィー」3巻からこの「希望の歌」の前後を、以下に読み下しておこうと思います。

「精神的マスナヴィー」は、何行めから何行めまではこれ、次の何行めから何行めまではこれ、といった具合になっている場合もあれば、そうではなく大きな物語がここからここまであって、その中にこの物語が入っていて、さらにその中に……といった具合の入れ子状になっていることが多々あり、この部分もやはり大きな物語の中に入れ子になっている小さな物語の部分、という感じです。

*****
神は告げたもう、「やがて使徒たちが失望したとき」。不信の徒に否定された預言者たちが、いかにして希望を失ったかについて。*1

預言者たちは自らの心に問いかけた、「いったいあとどれくらい、あの人を諭したり、この人をたしなめたりといったことを続けなくてはならないのか。いったいあとどれくらい、冷えきった鉄の塊をたたくような、空っぽの鳥かごに息を吹きこむような、的はずれなこの努力を続けなくてはならないのか。」

被造物の動き(行い)は神のさだめ、神のめぐり合わせによるもの。(飢えの痛みに)胃の腑が燃えてこそ、牙もするどく尖るというもの。最初の魂が駆り立てられれば、(影響された)次の魂がその後につづく。魚は頭から腐るもの、尾から腐るものではない。しかしこれを知るあいだにも、矢のように速く飛び続けよ。神が命じたもう通り、「(神の啓示を)運び、伝えよ、(それを避ける)逃げ道はない。」これらふたつのうち、自分がどちらにあたるのかは知る由もない。自分が何ものであるかを知るには、長い努力が必要となる。

あなたが船に乗り込み、荷物を降ろしたとき、信頼の名の下に冒険は始まっている。船旅の途中でおぼれて死ぬか、あるいは生きて無事に陸へと帰るか、ふたつにひとつのどちらなのか、あなたには知る由もない。「私がどちらにあたるのか、それを知るまでは慌てて船に乗り込み、海原に漕ぎ出したりするものか。この旅で私は助かるのか、それとも沈むのか、私がどちらにあたるのか教えてほしい。私は他の連中とは違うのだ。疑いを抱えたまま、確信も持てないまま、この旅を始めたりなどするものか。」

そう言い続けるようなら、あなたの旅は未来永劫始まることはない、何故ならふたつの面(可能性)の秘密は、目に見えぬ領域に属するのだから。臆病者、気弱な心の持ち主の商人では、旅に出たところで得るものもなければ失うものもない。いや、実際には喪失に苦しんでいる、(幸運を)はぎとられ、卑しめられて。炎を喰らう者のみが光を見出す、何ごとも希望あってこそ成就する。(希望のひらめきを得るには)宗教こそ最上の源、これによりひとは救済を勝ちえるかもしれないのだから。

扉は(何度もしつこく)叩けばいいというものではない、希望の他に扉を開くものはない、そして神は正しい道を最もよくご存じ。

ごく普通の信仰者の信仰を成り立たせているものが、恐怖と希望であることの解き明かし。

あらゆる取引の動機となっているのは希望と、「ひょっとして」という見込みである、たとえ絶え間ない苦しみにきりきりと締めつけられ、まるで紡錘(つむ)のように首が細ろうとも。(商人が)毎朝、自分の店を開けに行くとき、彼を走らせているのは、生計を立てる見込みと希望である。もしも生計が立つ見込みがなければ、どうして店に行くだろうか。行っても、得られるのは失望だけかもしれない。そんな恐怖をものともせず、どうして強く(自信を持って)いられるのだろうか。

食べるものを得ようとしても、永遠に見つからないかもしれないという恐れ、永遠に得られないかもしれないという失望が、探求においてあなたを、弱き者にしていたということはないか。あなたは言うだろう、「失望の恐怖が目の前にあろうが、無為に過ごすことの恐怖の方がより大きい。(糧を得るために)働いているとき、(糧を得られるだろうという)私の希望はより大きくなる。何もせずにいることの方が、よほど危険な冒険だ。」

日々の糧でさえそうであるのに、ではなぜ、おお、弱き者よ、ことが宗教に及んだ途端に「失うかもしれない」という恐れにとらわれ、一歩を前に踏み出そうとしないのか。それとも目にしたことはないのか、われらのバザールに集い、取引を行うあの人々を、預言者たちを、聖者たちを。(霊的な)店が軒を連ね、どの店を覗いても宝が山と積まれている、知らないのか、このバザールで彼らが、何をどのようにして得たのか。

あの人には炎が従う、足首を飾る輪のように。その人には海が従う、海の肩に乗りどこへでも出かけてゆく。あの人には鉄が従う、まるで蝋のように自由自在に。その人には風が従う、まるで奴隷のように意のままに。*2

(「精神的マスナヴィー」3巻3077行めから3103行めまで)

*****
*1 コーラン12章110節。「やがて使徒たちは失望して、自分たちが嘘つきあつかいされているものと思ったとき、そのとき、われらの助けが彼らに臨み、われらの欲する者は救われたのである。……」

*2 「あの人には炎が従う」=イブラーヒーム(アブラハム)。「その人には海が従う」=ムーサー(モーセ)。「あの人には鉄が従う」=ダーウード(ダビデ)。「その人には風が従う」=スレイマーン(ソロモン)。