前回からの続きです。
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1010/400~401頃 フェルドウスィー、ペルシャ最大の民族叙事詩『シャー・ナーメ(王書)』を完成させる。「イスラム化」 された最初の著名かつ画期的なペルシャ文学の登場。
1013/404 アル=バーキッラーニー没。法律家、アシュアリー神学の主要な構築者。
1021/412頃 アブー・アリー・アッ=ダッカーク没。クシャイリーの導師。
1021/412 アブドゥルラフマーン・アッスラミー没。ニーシャープール出身の解釈者、伝記作家。ナスラーバーズィーの弟子。
1030/421 ガズナ朝の君主マフムード没。アフガニスタンの統治者、インド北西部を征服。
1033/425 アブー・ル・ハサン・アリー・アル=ハラカーニー没。ペルシャ人の神秘家、アンサーリーのシャイフ。アブー・イスハーク・イブラーヒーム・アル=カーザルーニー没。ペルシャ人の神秘家、カーザルーニーヤ(カーザルーニー教団)の名祖。
1037/428 アブー・アリー・イブン・スィーナー(アヴィセンナ、アヴィケンナ)没。中央アジア出身の高名なムスリム哲学者。『幻視的物語』三部作ならびに『ミゥラージュ(昇天)の書』著者。
1038/430 アブー・ヌアイム・アル=イスファハーニー没。1031/422年に完成した人物伝『神の友らの飾り』を著したことで名を知られる。
1048/439~40 アブー・ライハーン・アル=ビールーニー没。インド哲学と生命観の学者。
1049/440~1 アブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル没。ホラーサーンの聖者、詩人。
1057/451 アブー・ル=アラー・アル=マアッリー没。高名なシリア系アラブ人哲学者で詩人。
1064/456 イブン・ハズム没。イベリア出身の政治家、法学者。宗教的論客。
1072/465頃 アリー・イブン・ウスマーン・ダーター・ガンジュ・バフシュ・フジュウィーリー没。ハナフィー学者、教学の書『隠されたる真理の開示』著者。
1074/466~7 アブー・ル=カーシム・アブドゥル=カリーム・アル=クシャイリー没。中央アジア人の教学者。伝記作家。スーフィズムとスンナ派権威の和解の書、スーフィーへの書簡として知られる『(スーフィズムに関する)論攷』の著者。
1083/476 アブドゥル=マーリク・アルアージュワイニー没。中央アジアの神学者、アブー・ハミード・アル=ガッザーリーの教師。
1089/481 ハーッジャ・アブドゥッラー・アンサーリー没。ホラーサーンの学者、『旅人たちの宿駅』著者。
1092/485 ニザーム・アル=ムルク没。セルジューク朝の大宰相。1066年、ヘラートからアンサーリーを追放。バグダードのニザーミーヤ学院の教授としてガッザーリーを指名した。
1096/490 第一次十字軍の遠征。イェルサレム王国(ラテン・イスラエル王国)を樹立(1099~1189)。
12/6世紀 アル=ムハッリミー、最初のハンバリー派マドラサを建立。
1111/505 アブー・ハミード・アル=ガッザーリー没。バグダードの教師、『宗教諸学の再興』著者。
1119/512~3 イブン・アキール没。ハンバリー派の法学者。
1124/518 ハサン・サッバーフ没。ペルシャ人。イスマーイール派(シーアから枝分かれし、中東の一部に確固とした基盤を獲得した武闘派)の指導者。
1126/520 アフマド・アル=ガッザーリー没。アブー・ハミード・アル=ガッザーリーの弟、『閃光(Sawanih)』著者。ラシード=ッディーン・マイブディー没。ペルシャ人の学者、解釈者、神秘家、アンサーリーの学徒。
1131/525 アブー・ル・マジド・マジュドゥード・サナーイー没。ペルシャのスーフィー詩人。教訓的講話で構成される古典作品『真理の園』の著者。
1131/526 アイヌ=ル=クダート・アル=ハマダーニー没。アフマド・アル=ガッザーリーの弟子。バグダードで迫害を受け、聖者性と終末論について常軌を逸した見解を示したとの咎で処刑される。
1132/526 ウマル・ハイヤーム没。ペルシャの詩人。陶芸家が美術品を作っては破壊するイメージに託し、神秘家を通して外側に顕われるものを破壊する神の役割を語った。
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なんだかもりあがってまいりました感のある百年です。そしてさすがスーフィー年表。言及されているイブン・スィーナーの著作のチョイスが。『医学典範』とかじゃないところが。
そしてアブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル。彼もまたわれらがヒーロー井筒俊彦翁の『イスラーム文化 その根底にあるもの』にちょろっと登場していました。
……西暦十一世紀の偉大なスーフィーだったアブー・サイード・イブン・アビー・ル=ハイル(Abu Said Abi al-Khayr)という人 –– 大変長い名前ですので、便宜上はじめの二つだけとってアブー・サイードと呼ぶことにいたしますと –– このアブー・サイードという人は、西暦一〇四九年に世を去ったイランの偉大なスーフィーですが、この人は生涯一度もメッカに巡礼したことがありませんでした。メッカ巡礼というのは、ご承知のように、すべてのイスラーム教徒に課された宗教方上の最高の義務の一つでありまして、重い病気とか貧乏で華美の費用が出せないとか、何か正当な理由なしにこの義務を怠りますと、大変重い罪を犯すことになります。
なぜメッカ巡礼をしないのかと尋ねられたときに、アブー・サイードはこう答えました。「一軒の石の家」 –– イスラームの聖所、メッカの石造りの神殿カアバを「一軒の石の家」というのですから相当なものです –– 「一軒の石の家を訪問するために、わざわざこの足で何千里の土地を踏んで歩いていく、そんなことをして一体どうなるというのだ。本当の神人はじっと自分の家に坐っているだけでいい。そうすると天上のカアバの神殿が(つまり地上のメッカの神殿ではなくて、永遠の天上のカアバ自体が)、向うからやってきて、一昼夜のうちに何べんも彼にお参りしてくれるのだ」と。シャリーアに対するスーフィーの見方を最も極端な、そして大胆不敵な形でこの言葉は示しております。
しかしこのような境地に達するまでにはスーフィーは長い、激しい修行の道を行かなくてはならない。これが、はじめにちょっとお話した自己否定の道、自我意識払拭の修行道であります。……