なつやすみに読んだ御本:アリー・アブデル=ラーゼク『イスラムと政治権力の諸原則』

なつやすみにアリー・アブデル=ラーゼク『イスラムと政治権力の諸原則』を読みました。今、勝手に邦題をつけましたがアラビア語の原題は”Islam wa Usul al-Hukm”というのだそうで、読んだのはその英訳です。英題は”Islam and the Foundations of Political Power”。編者のまえがきとか時代背景の解説とかを含めても120ページとちょっと、アブデル・ラーゼクの本文だけなら70ページ程度のエッセイです。


Islam and the Foundations of Political Power
(御本のAbout the Authorによれば)、アリー・アブデル=ラーゼクとは、

1888年、エジプト中部アブ・ジルジュの裕福で政治活動にも熱心な地主の一族に生まれる。彼の父と兄弟はリベラルとして知られ、英国のエジプト支配からの独立運動を戦ったワフド党(国民党)にも、またそのほとんどが立憲党員であった保守派にも抵抗した。アブデル・ラーゼクは伝統的イスラム教育を受け、1915年、アル=アズハル大学卒業時にアーリムの称号を得る。

アル=アズハル卒業と同時に、アブデル・ラーゼクは現代的な大学教育機関からの招きを受け、新たに設立されたエジプト大学での講義をいくつか受講している。彼はまたオックスフォード大学でも数ヶ月を過ごし、政治・経済を学ぶが、第一次大戦が勃発したため留学は短期間で切り上げられた。そののちアラビア語の教師となり、同時にアレクサンドリアの伝統的イスラム法廷で裁判官(カーディー)をつとめるようになった。

カーディーの職に従事するうち、彼はイスラム的司法制度の発祥について研究するようになり、そこから更に「イスラム的」な社会秩序の中心に据えられ、司法制度をその機能として備えた政治機構としてのカリフ制を考察した(ここでカリフ制の廃止と、それにより生じた大いなる社会不安という当時の全体的な文脈について言及しておかねばならない)。

アーリムの称号と、それに付随するあらゆる地位を剥奪されると、アブデル・ラーゼクはただちに自分の身なりを激変させ、ヨーロッパの服装を取り入れ、従来的なスタイルも趣味も、服装も軽視するふうを装うようになったと伝えられている。彼のエッセイが巻き起こした批判の嵐の後、彼が公職に復帰したのはイスラム問題担当相をつとめたわずかな期間のみであった。アブデル・ラーゼクは思想界から身を引き、自らの築いた塔の自室にこもり頑なに沈黙を貫き、余生を学問の探求に捧げて過ごした。

自分専用の象牙の塔。豪勢ですね。ちぇ、いいないいな地主の息子。と、ちょっとだけ思ったことを最初に正直に告白しておきます。

アーリムの称号を剥奪される要因となったのがこの御本におさめられた”Islam wa Usul al-Hukm”です。訳者のMaryam Loutfiさんいわく、ラシッド・リダーであるとかムハンマド・アブドゥフであるとかといった同時期のイスラム復興論者の御本はわりとたくさんヨーロッパ諸語に訳されているのに、20世紀初頭に事件と呼んでいいくらいの大騒擾を引き起したこの御本とその著者のことが全く知られていないというのに驚き、まず仏訳したのが1990年代の初めのことで、それからその仏訳を下敷きに、アラビア語から今度は英訳に起こし直して刊行(2012年)、ということだそうです。

冒頭にアブデル・ラーゼクのお孫さんにあたる方の「祖父の思い出」をつづった一文が寄せられているのですが、そのお孫さんがおっしゃるにはおじいちゃんは「優しくて情け深くて信心深い宗教的な人物」だった、とのこと。紹介されているエピソードの中ではアブデル・ラーゼクの食卓の話が気に入りました。野菜の煮物とサラダが定番で、時々そこにヨーグルトとかハリーシュと呼ばれる白いチーズが添えられる。アブデル・ラーゼクの息子さんたちはそれを「いつもの草飯」と呼んでいたそうです。

で、そういうものを乾いたパンと一緒に食べていた、とおっしゃるのですが、そのパンというのがアブデル・ラーゼクの「生まれ故郷の村から毎日届けられていた」というから地主っぽくてかっこいい。

ちなみにここまで名前をアブデル・ラーゼク(アリー・アブデル=ラーゼク)と表記していましたが、これは英訳での表記Ali Abdel Razekを無理やりカタカナ読みにしたもので、岩波イスラーム辞典ではこんな表記でした:

アリー・アブドゥッラーズィク [‘Ali ‘Abd al-Raziq]
エジプトの宗教・政治思想家。ミニヤの大地主の家に生まれる。アズハル大学卒、オックスフォード大学に留学。帰国後マンスーラのシャリーア法廷のカーディーを務める。1925年に『イスラームと統治の諸規則』を出版、カリフ制が宗教的に命じられた政体であることを否定し、政体の選択をムスリム社会の自由な判断にゆだねられたものであると主張した。
同書に対し、同年、高等ウラマー評議会はアブドゥッラーズィクのウラマー位を剥奪、公職から追放した。彼の議論は、現実のイスラーム世界において、理念上のイスラーム法が及ぶ範囲と及ばない範囲とを確定し、そのうえで、政体の選択をイスラーム法の及ばない範囲に置いたものであって、イスラーム法そのものの否定を意図したものではなかった。むしろ、近代化によって事実上浸食されたイスラーム法の及ぶ範囲を再画定し防衛する、という意義が認められよう。主流派ウラマーによるアブドゥッラーズィク批判は、イスラーム法の及ばない領域が実際上は存在するというイスラーム世界の現実を対象化し追認すること自体は、イスラーム法の貫徹性・自己完結性の理念を否定し、イスラームの規範体系を揺るがす、という危機感に基づいたものである。

引用してみたらこの項の執筆者が池内恵氏っていうね。何でしょう、えもいわれないこの感じ。まんべんないですね。

『イスラームと統治の諸規則』といわれると、日本語にもなっているマーワルディーの、あの1ミリのスキもないアッバース朝の御用学者さんの方の御本が思い出されます。マーワルディーの『イスラームと統治の諸規則』がカリフ制度の宗教的正当性を論証したものとするなら、その約1000年後にアブデル・ラーゼクが書いた方のは、そもそもカリフ制度って宗教的な要請があって始まったものではないじゃん?というもの。最終章の最後尾から少し引用するとこのような:

ムスリムが一般にカリフ制として認知しているこの制度は、実のところは宗教とは何ら関わりがないのである。権力への渇望と脅迫の行使の他には、この制度と関わりのあるものは何ひとつないのである。カリフ制は信仰の教義のひとつではない。そのことは、その他のいかなる政体機能や国家形態における司法制度も信仰の対象でないのと同様である。それらが存在するのは政治的要請による以外の何ものでもなく、知ると知らざるとに関わらず宗教には何ひとつ関わりがない。宗教はこれを主唱することもなく、また否認することもしない。なぜなら理性の諸原則と人類の経験、政治学の法則に従っておのずから組織化するという取り組みは、宗教が人類に一任している課題だからである。

この真理はイスラムの軍隊を整備すること、町や要塞を建設すること、政府を組織することにも同様にあてはまる。それらは宗教にとり全く重要ではないが、戦場の作法、建築技術、専門家の意見などはむしろ理性と経験に付随するのである。

ムスリムが社会学・政治学の全分野において、他国の民と協力するのを禁じる信仰の教義はただのひとつも存在しない。ムスリムを卑しめ、隷従させ、冷酷にうちのめし続けてきたこの旧弊、この制度をムスリムが自らの手で解体するのを妨げる信仰の教義など何ひとつ存在しないのである。

御本は1915年にカーディーに任命されて以降、自分はムスリム社会における政治体制の一翼を担ってきた司法制度について色々と勉強してきたが、勉強するにつれこの政治体制/ひいてはカリフ制度というものについて根源的に考える必要に迫られるようになった。イスラムの司法制度は歴史的な視点からの研究を必要としていると考えるようにもなった。そういうわけだからここに自分の思うところを述べる。これを踏み台にしてみんなも議論してみてほしい、というようなことが書かれた序文と、第1・第2・第3と大きくみっつに分けられた本文で構成されています。さらに本文の下にいくつかの章がぶら下がっており、章にはそれぞれタイトルがつけられているのですが、これが分量的にも用途的にもタイトルというよりはサマリーというか、学習参考書の一番最初のとこに「この単元のキーワード」みたいなのが書いてあるのがありますね、ああいう感じです。お孫さんがおっしゃる通りとてもやさしい&親切。以下、その「この単元のキーワード」を書き出しておきます。

第1の書 カリフ制とイスラム

(1)カリフ制の本質 「カリフ制」という語の言語学的起源 –– その従来的な用法 –– 預言者の代理者性理論の重要性 –– 用語の選択にかかる解説 –– 一般的通念に見られるカリフの諸権利 –– カリフの特権は、シャリーアに定められているのか否か –– カリフ制と君主制 –– カリフの権力の諸源泉 –– カリフはその権力を神からじかに与えられるとする論 –– カリフはその権威を民衆から与えられるとする論 –– 西洋の思想家たちの間にも普及している、同様の意見の相違

(2)カリフ制の現状 カリフ制を必須のものとする支持者たちの論 –– その反対者たちの論 –– 前者による諸論点 –– コーランとカリフ制 –– コーランにおける諸々の節をめぐる疑念に対する解答 –– スンナとカリフ制 –– (カリフ制は)スンナによって正当化されうると主張する者の論への反証

(3)社会的視点から見たカリフ制 イジュマーを根拠とする主張 –– この主張に対する検証 –– ムスリム間における政治学の劣化 –– ギリシャ哲学に対するムスリムの関心 –– カリフ制に対する、ムスリム間における反乱 –– カリフの、強制と抑圧(という手段)に対する依存について –– 人類の平等と名誉の宗教としてのイスラム –– 愛執的感情と熱狂的興奮の集約点としてのカリフ制組織 –– カリフ制、独裁政治、抑圧 –– カリフ制を支持する議論の最終段階 –– 知識人と政治学の復活に対するカリフ制主義者たちの抵抗 –– イジュマーにかかる教理の棄却 –– 宗教は政府という制度を認めている –– 政府とカリフ制は同義ではない –– 政治的権威(形態は問わず)の必要性 –– 宗教的・世俗的いずれの基準に照らしてもカリフ制は不要である –– イスラムにおけるカリフ制の終焉 –– エジプトにおける名目上のカリフ制 –– 結論

第2の書 イスラムと政体

(4)預言者の時代における権力の構造 預言者によるカーディーとしての実践 –– 預言者はカーディーを任命したか? –– オマルによるカーディーとしての実践 –– アリーによる同様の実践 –– ムアードならびにアブー・ムッサによる同様の実践 –– 預言者の時代における司法実践のあり方を確認する上で生じる諸問題 –– 預言者の時代における王権の不在 –– 預言者のレジーム構造の検証に関する歴史家たちの怠慢 –– 預言者は王か?

(5)預言者性と権力 預言者が君主であったか否かを検証すること自体に異論が挟まれる余地はない –– 預言者性と君主制は互いに全く異なる現象である –– 特定の神学者たちによる、預言者による政治制度の詳細な報告 –– 預言者の時代における国家機構とみなしうるものについての分析 –– ジハード ––  財政管理 –– 預言者の模範的ふるまい –– 預言者による地域を管理する知事の任命と推定されるものについて –– 現世における国家の樹立は、預言者の諸使命のひとつなのか? –– 神のメッセージとその実現 –– イスラムとは、啓示のメッセージを伝播し施行するための立法のシステムであるとするイブン・ハルドゥーンの説について –– この説への諸反論 –– 預言者のレジームには政体としてのあらゆる特徴が備わっていたとする説 –– 預言者によって実践されたシステムについて、我々が見落としている可能性のあるもの –– 預言者によって確立された権威システムの原始的な純真さを理解する –– ムスリムの信仰の純真さ –– この見解に関する議論

(6)イスラムとは政体システムである以前に神のメッセージであり、国家である以前に宗教である 預言者は神の使徒であり王ではない –– 現世における統治者の権威とは対照的な神の預言者の権威 –– 預言者に特定の美徳 –– 「皇帝」「政府」といった諸用語の解明 –– コーランは預言者が現世の統治者であったことを否定する –– 伝統は先例に従う –– イスラムはその性格上、国家の諸特質とみなされるものとは相容れない

第3の書 カリフ制と歴史に見られる政体

(7)宗教的統一とアラブの人々 イスラムはアラブ人のみが排他的に占有する宗教ではない –– アラブ諸族に見られる宗教的統一性と政治的多様性の併存 –– イスラムにおける制度は宗教的というよりもむしろ政治的な性格を有する –– 預言者の時代における政治的分化の初歩的起源 –– 預言者の死に伴う預言者的権威の終焉 –– 預言者はカリフに彼の後を継ぐよう定めていない –– アリー・イブン・アビー=ターリブの継承についてのシーア派の教理 –– アブー・バクルの継承に賛同するジャマーア(スンナ派)の教理

(8)アラブ諸国家 預言者の時代以降の権威は、必然として政治的にならざるを得ない –– アラブ諸族へのイスラムの影響 –– アラブ国家の誕生 –– バイア(忠誠)の問題に関するアラブ諸族間の相違

(9)カリフ制の本質 「預言者のカリフ」という称号の出現 –– アブー・バクルの就任により偽装された「預言者の後継」の真の意味 –– この称号が選択される理由 –– アブー・バクルの反対者たちが、いかにして背教者とみなされるようになったか –– 全ての反対者たちが背教者であったのではない –– ザカートの支払いを拒否した者たちについて –– 続けて引き起される戦争は宗教的というよりはむしろ政治的 –– 真の背教者の存在 –– アブー・バクルの宗教的資質 –– カリフの職能における宗教的性質に対する信仰の流布 –– この信仰についての、諸王や現世の統治者による伝播 –– 宗教はカリフ制なる制度を必要としない

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R. バダウィ『混ざるか、分けるか』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

11. 混ざるか、分けるか

父方の祖母は、素朴で実直な農家の暮らしについてぼくに語ってくれたものだった。農民の女たちは、仲間の男たちと肩を並べてものごとを共に取り決めていたという。南部出身の祖母はぼくに、かつて女性たちは生活のあらゆる場面に居場所を持ち、参加していたのだと説明してくれた。仕事の場でもお祝いの席でも、意思決定の場でも、その他の何でも。彼女の昔話は、村落のコミュニティが解放的で文化的な社会であることをぼくに示してくれた。誰であれ、その構図の中に織り込まれていない者はなかったのだ。

祝祭の喜びについても祖母は話してくれた。「フトゥワ(ステップ)」として知られる楽しいフォーク・ダンスがある。今では再定義されてしまった「伝統」のひとつではあるけれど、これに女性たちが加わろうが誰も反対しなかったのはそれほど遠い昔のことでもない。経済の場においても、彼女たちはほぼすべての技術や職種の場で男たちと共に働いていた。30年前、ぼくたちが勝手に作ったこの「男女混淆」という幻影を目にしてはたと立ち止まり、考え込んでしまう者なんて一人もいなかった。

問題なんて何ひとつありはしないのに職場での男女混淆を却下するというのは、本当に矛盾だらけでぼくには全く理解できない。それでいて当のエスタブリッシュメントたちは高級な住宅街に身を置き、巨大なモールに出入りしている。そういうところにいる女性たちが、誰かに煩わされたりすることなんて滅多にない。

その一方で、いわゆる下層階級として知られる地域にある小さな会社のほとんどは、女性が働くのを許そうとはしない。そうした会社のうちどこかひとつでも、敢えて女性を雇ったりしようものなら、女性と彼女を雇った職場の両方とも、待ち受けているのは制裁と責任追及だ。男性と女性を一緒に雇ったところで明白な罰則や当局の規定があるわけではないという事実にも関わらず、毎日、こうしたことが起きている。

それと同時に、病院では女性が男性と一緒に働くことを許可する法があったりする。病院は女性がステップアップし、正当な地位を獲得するための場所なのだ。

この矛盾はいったい何なのだろう?いつになったら解決するのだろう?まるで迷路のような堂々めぐりの思考回路を、あてもなく正解を求めてさまよう終わりなき探求。どうしたら終わらせられるだろう?

単純な答えならここにある、「公共の場で働く女性と男性には何の違いもない」。男性がそうであるのと同様に、彼女だって仕事を必要としている。時には彼女の必要の方が、彼のそれよりももっと切実なことだってある。いったいいつまでぼくたちは、不公正なこの女性嫌悪を理想として掲げ続けるつもりなんだろう?いったいいつまでぼくたちは、この理想を正当化しようとあれこれ言い訳し続けるつもりなんだろう?ぼくたちはこの先もずっとサウジの女性たちに敵対し続けるのか?彼女たちはただ生計を立てようとしているだけなのに。

女性たちの生活にこうした制限をかけ続けていれば、パンを得るために、道徳に反する道を選ばざるを得なくなる人だって出てくるかもしれないのに。


[以下、めも]ライフ・バダウィ『1000 LASHES』から”Mixed or Divided”を読みました。いいな、おばあちゃんの昔話。

だって生活かかってるんだよ?、というのにはもう何も言うことがありません。言えない。だってすごく「素手」なんですもの……それと、サウジにいるのは石油王ばかりではない、というのがさらっと現されているあたりにも意識を向かされます。すごく当たり前で、当たり前すぎて何なのですけれども。別に長々と「サウジの低所得層は云々」とか説明しているわけでもなく、真意が何であれ書いている本人は、言葉の上ではあくまでも「女性に対する不公正」を主題としており、貧困についてはその遠景として配しているだけのつもりのようですが、その遠景がリアルです。

サウジアラビアの貧困層についてはこんな記事がありました:“In Saudi Arabia, unemployment and booming population drive growing poverty”

R. バダウィ『職業的宗教家、アラブ思想家、罠にかけられた自由』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

1. 職業的宗教家、アラブ思想家、罠にかけられた自由

言論の自由とは、思想家なら誰もが呼吸している空気だ。それは知識人たちの思考の火を燃やす燃料だ。過去の何世紀にも渡って、国家と社会は、そこに住まう知識人たちの仕事を通じて前進してきた。彼らが、その思考や哲学を提示してみせる。そののちに人々は、どのような知的流儀が自分にふさわしいか、様々な視点をたたえたプールの中から選び取ることができた。望むならそのプールを、さらなる知識と発展、文明と繁栄の深い海へと変容させることだってできた。

多くの文明社会、多くの人権団体や組織が、言論の自由は人間の基本的な権利であると考えている。言論の自由の問題というと、彼らはアラブの体制に方針を改善するよう呼びかける。人間として、きみにはきみ自身を表現する権利がある。思考を追いもとめて旅をする権利がある。信じる権利もあれば、過ちを犯したら償う権利もある、ちょうど愛したり憎んだりする権利があるのと同じように。リベラルになる権利も、イスラム主義者になる権利もある。

実際には、あらゆる一神教的な宗教は言論の自由を強く謳っている。

例としてイスラムを挙げよう。コーランにはこんな一節がある。「言ってやるがいい。『真理はあなたがたの主から来るのである。だから誰でも望みのままに信仰るなり、拒否させるなりしなさい』」。

この節に込められている意味を探すのに、懐中電灯なんか必要ない。読んだ通り、誰の目にも太陽の光のように最初から明らかだからだ。

アラブの思想家たち、特に自由思想の精神を授かってしまった思想家たちは、行そのものよりも行間を書いたり、自分たちの言葉と手を取り合い、その種の話題の周縁をまわって踊ったりするのにすっかり慣れきってしまっている。彼らにしてみればそれだけが唯一の手段であり、自分たちの哲学を手渡しするにはこれ以外にやりようがないのだ。とりわけ啓発的な理論で知られている人物であればあるほど、冒涜的な無神論者とみなされてしまう。アラブ社会は、あらゆる自由思想的な考え方を道徳的退廃とみなすようプログラムされてしまっている。そういうのはすべて反宗教的なふるまいであり、正しい道からの逸脱だと思われている。

これってふつうのことだろうか?まさか!そんなはずがないだろう。アラブの思想家たちも、彼らが属しているその社会も、両方そろってその最も根源的な自然に反する行為にふけっている。たとえ彼らの思想が不完全であるにせよ、あるいは「現状」 –– 言い換えるなら、宗教が影響力を握っているこの現状 –– に対して批判的なものであるにせよ、主題が何であれアラブの思想家たちは、あらゆる場面において自分たちの思考や哲学をもっと勇気を持ってはっきりと語る必要がある。

その一方で社会の側もその集団的意志を、あらゆる思想や信条に対して開かれたものにしてゆく必要がある。社会はそこで暮らす人々に、他者の意見にも耳を傾ける機会を与えることができるようでなければならない。何ひとつ始まってもいない段階であらかじめ拒絶してしまうのではなく、人々が自分たちで批判的に考察できるようにしないといけない。ポジティブな批判的思考に裏打ちされたクリエイティブな対話こそ、アイデアの質を高めたり広げたりできるのだ。

アラブ社会を観察している人たちなら、何が問題なのかを簡単に見抜いてくれるだろう。宗教学者たちの意見におとなしく服従する者にのみ身内としての寛容さを示す神権体制の圧迫の下で、社会全体が小声で不平不満をささやき合っている。

聖職者たちに対する宗教的忠誠の術なら、この社会は間違いなくしっかりとマスターしきっている。学者のファトワ1なり、彼らの説明する宗教の意味なりが絶対の真理だと思われている。そうしたものこそが神聖なのだとみなされている。自由思想の持ち主が、あえて聖なるものと禁じられたものの海を目指す旅に出ようと試みれば、聖職者たちが発する何百ものファトワに直面することになる。そうした学者たちは合理主義者を威嚇し、否定し、背教者として断罪する。

進歩的なアラブ思想家たちが新鮮な空気を求め、宗教的権威者たちの刃を逃れ、このアラブ世界から次々に去っていってしまうことこそ、最も恐ろしいことだとぼくは思うのだが。

1. ファトワとはムスリムの宗教権威が発行する宗教令であり、発行者を権威と認める人々にとっては法的拘束力を持つ。


[以下、めも]2010年8月に書かれた文章。引き続き、ライフ・バダウィ『1,000 LASHES』から。引用されているコーランは洞窟章(18章)の29節です。

Al-Monitor“Who is Saudi activist Raif Badawi?”という記事がありました。書かれたのはバダウィ氏とは六年越しのご友人の方だそうですが、なんかいいなこれ、と思いました。めったやたらな称賛記事ではないところがいいです。何と申しますか。例えばこの御本の前書きを書いてるミスタ・クラウスなんかは、いかにもアメリカ人っぽいすかっとあけっぴろげなニュアンスもへったくれもないヘルシーな感じで(これはこれで寿ぐべきであります)すばらしい!すばらしい!と称賛していますが、ご友人の記事はそういうのでは全くないのがいいです。

彼が夢中になって読んでいたというアブドゥッラー・カースィミーを「だいたいカースィミーなんてああでこうで」とくさしておいて、「そもそも(バダウィは)言うほど読書家ってわけでもなかった」「宗教批判に興味のあるアラブの若造なら絶対読んでるはずのジャブリーとか、タラビチとかシャフルールあたりを全く読んでない」。で、それに続けて

「あいつが読む本っていうのは地元の図書館じゃ絶対置いてないような変なのばっかり。宗教文化系のすごい斬新な本とか作者のはなしは大体あいつから教わった」

のあたり、個人的にはこちらの記事を読む以前に『1,000 LASHES』を読んで著者についてあれこれ妄想していたもので、あーうんやっぱりね、そういう感じしてました、ってなりました。ご友人の観察にじんわりこころがあたたかくなります。サブカル好きで、実際のところ、改革!とかそういうのがやりたいというよりも、どちらかというとおっかない話は抜きに好きなジャンルの話をしてたい感じの、……と、ここまで書いててちょっと泣きそうになった。

本を読んで、友人と貸し借りし合って、ああでもないこうでもない。そういう他愛もないやりとりが、どれほど貴重なものであることか。

R. バダウィ『書物』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

14. 書物

今回のリヤド国際ブックフェアでは、男女共に終日の入場が許可されるという当局の発表があった。以前は男女隔離の上で開催されていたから、これはブックフェア史上初の出来事だ。文化情報省に感謝の意を表したい。これはポジティブな第一歩だ。

この前進をうけて、せっかくだからここで男女混淆と khalwa(語義としては『片隅』。人目の目の届かない、暗がりの『片隅』を意味している)に関する一般にありがちな誤解について明らかにしておかないといけない。最初に断っておくけれど、このふたつは決して同じものではないからね。こうした問題は議論の余地なし、とばかりに一緒くたにされてしまいがちだけれど。

まずはシャリーアにおける「khalwa」が、本当はどういう意味なのかを説明するところから始めよう。それはドアの閉ざされた密室で男女が二人きりで会うことを指している。第三者の同席もなく、彼と彼女が誰にも見られず一緒にいる状態だ。たとえるなら、公けには誰にも知られることのないトップ・シークレットの工作活動みたいな、ひょっとするとこの二人の間に禁じられた行為がおきる可能性があるかもしれない状態……とは言っても、あくまでもそれは「可能性」に過ぎない、という点をぼくは強調しておこう。

実際には、シャリーアは「khalwa」を禁じてはいない。だからイスラム法の名において罰するべきではない。預言者 –– 彼の上に平安あれ –– はこう言っている。「男と女が二人きりで片隅にいれば、三人めとして悪魔が同席する」。この言葉は、二人がひとつの場所に同席する権利を否定してはいない。「khalwa」にいる人々は必ずや悪魔によって邪悪の側に引きずり込まれるだろう、と断定しているわけでもない。

悪魔が同席すると分かっている場所におもむくのが駄目なのだ、などと言い出すようならぼくたちは全員、合法とされるマーケットにだって絶対に行ってはいけない、ということになりかねない。だって市場なんてどう見たって、悪魔がうじゃうじゃ集まってそうだもの。

男女混淆というのは、パブリックな空間に複数の男女が集まる状態のことだ。例えばモスクや巡礼の最中や、戦争や、結婚式のような社会的イベント、公共の交通機関とか、学校とか大学とか職場などなど。混淆は禁じられていない。にも関わらず禁じられていると言う人々は、預言者とアッラーを誹謗しているといえる。何故ならそもそも彼らのしていることは、アッラーが決して禁じるよう命じてもいないことの禁止だからだ。人間の権利を制限しようというのなら、明白にそれと分かるコーランの一節をもってするのが唯一あるべきやり方だろう。純粋に宗教的な判断と呼べるのはコーランだけだ。コーラン以外には、アッラーがこうと定めたものごとを禁じたり許したりする権限を持つ人間なんてただのひとりもいない。アッラーは、その聖なる書物の中でこう言っている。「アッラーに就(つ)いて虚偽を作る者よりも、甚だしい不義な者があろうか。かれらは主の御許に引き出され、その証人たちは、『これらの者は、主に関して偽った者です』と言うであろう」。

混淆は許されているとするに足る証拠は沢山ある。預言者 –– 彼の上に平安あれ –– が存命だった頃などは特にそうだ。アル=ブハーリーの『サヒーフ』18によれば、預言者の時代には男女一緒に礼拝前の浄めを行っていたという。アブドゥッラー・イブン=ウマルも、預言者 –– 彼の上に平安あれ –– の時代には男性・女性の別なく一緒に浄めを行っていたと言っている。アブドゥッラー・イブン=ウマルが言うには、「私たちは同じ鉢の水を使って浄めを行った。同じ鉢に、一緒に手を差し入れ(て水をすくっ)た」。

女性たちは、男性たちのすぐ後ろにじかに並んで礼拝したりもしていた。現代におけるアッラーのモスクでまかり通っているような、カーテンで仕切って隔離するようなことは行われていなかった。礼拝の間、女性たちは顔だって出していた。今のぼくたちは神聖なはずのモスクで、彼女たちに顔を覆い隠すよう強要している。これでは(預言者の時代とは)まったく正反対じゃないか。

預言者の時代には、男女混淆は全くふつうのことだった。当時の様子を記録した書物がその証拠だ。読めば女性たちが男性たちと肩を並べて、政治にも社会にも参加していた事実が見てとれる。

ぼくたちは過激主義者の声を否定しなくてはならない。ブックフェアに限らず、生活のあらゆる場面で男女混淆の禁止を推し進めようとする人々の声に耳を貸してはいけない。ぼくたちはこの国のすべての息子たち・娘たちが公正に機会を得られるようつとめるべきだし、時として頭をもたげてくる腐敗した宗教的テロリズムや過激主義者の層は放置せずに掃除してやる必要がある。

さあ、早いところ目を覚まして起き上がらなくちゃ。急いで。

18. アル=ブハーリーの『サヒーフ』とは、ハディースと呼ばれる預言者ムハンマドの言行や教えの記録集成。


[以下、めも]引き続き、ライフ・バダウィ『1,000 LASHES』から。ジャズィーラ紙にも転載された一文だそうで、日付不明となってはいますが、検索したところ同ブックフェアに関するアフラム紙の記事を見つけることができました。2013年。

「男女混淆」なんて、あんまりほめられた感じのしない造語を持ってくる羽目になってしまった。最初はそう思いましたが、ふと検索してみたところ『徳田秋聲全集 21: 随筆・評論3』というのが釣針にひっかかってくれました。シューセイが使ってるんなら問題ない、ということにしておきたいと思います。

日本語圏内では大抵の場合、「男女混淆」ではなく「男女隔離」「女性隔離」という言い方がされます。「男女隔離政策が取られている」とか、そういう感じです。その上で、しかし男女隔離政策を擁護するわけではないけれども(ここ大事)、男女隔離政策をいわば逆手に取ったやり方で特定の職業分野では女性の社会進出が進んでいたりもするんだよ、といった感じに続くことも多いです。外部からの言説としてバランスを取ろうとするなら、それが最善とは言わないまでもまあ無難なのかなとも思ったりもします。少なくともここまであからさまに社会全体で男女隔離がなされていないにしても「自分の属している社会における女性の置かれた場所」について多少なりとも視野に入れた上での発言でなければ、「イスラム社会における女性の置かれた場所」を理由にイスラム社会の「後進性」をあげつらうだけで終わってしまいそうだし、それってあんまりプロダクティブではないし。

まあこんな具合にもごもごしているうちは(私自身のことですが)、ひとまずひとのはなしを聞くこと、それも聞くに値するはなしを聞いておくのがいいです。バダウィ氏のはなしは、聞いていてとても「いい」です。

はなしは全く変わりますが、スーフィー見習い的な文脈でいうと「khalwa」は師匠から弟子に課される修行のひとつを指します。いわゆる「参籠」のようなものです。隠遁、と訳されることもあります。ハルワティーヤ、オスマン式発音ではヘルヴェティーヤというスーフィー・タリーカがありますが、このタリーカの名称が「khalwa」に由来すると習いました。ヘルヴェティーヤは17世紀からオスマン帝国末期にかけて、一時期はバルカン半島全体で大いに活発に運動なさっていたそうです。

あ、それと文中で引用されているコーランの句は11章18節です。

R. バダウィ『旅人の結婚、借りてきた羊』


1000 Lashes: Because I Say What I Think

7. 旅人の結婚、借りてきた羊

結婚契約には様々な呼び方や形態がある。中には、シャリーア上は許されていても伝統やロジックとは相容れないものもある。ミシャー婚はそういった悲劇のひとつだ。字義的には「旅人の結婚」を意味する。

ミシャー婚などと呼ばずに、正直になって実際の目的に見合った名称で呼ぶべきだろう。それは「女性の権利を剥奪した上での性交渉」だ。

この結婚は男性と、同意したとみなされる女性との間に交わされる結婚を指す。周囲の人々が証人となり、女性の後見人が立ち会う決まりになっている。契約上では女性の側が、あらゆる経済的な権利を放棄しなければならない。彼女の住まいも月々の生活に必要な費用も、たとえ彼女が妊娠したとしても子供の養育費も認められない。彼女はその他の、宗教的な権利さえも放棄させられる –– たとえば男性の持つ他の妻たちと同等の待遇を受ける権利なども。

喜びを求めて、彼は自分がそうと望んだときに彼女の寝室を訪れる。彼女は、それを自分の役割として受け入れなければならない。一晩じゅうでも愛の行為を楽しんでやろうという気分になれば、めくるめく千一夜にも匹敵する一夜を求めて、彼はこの偽ものの妻のもとへ「旅に出かける」。彼女に与えられるのは無意味な契約の紙切れ一枚だけ。だが彼の方は宗教上も、拘束力のある法的な契約上も何の問題もなく保護されている。

この夫は、自分に暇ができたときにこの妻のもとへ旅をする。彼はほんの数時間、彼女のもとで過ごす。気の向くまま、思いついた気まぐれのまま彼女に対してふるまい、隠していた欲望を満たす。それから、彼は自分のもと来たところへ帰ってゆく。彼女の寝室から一歩外へ出たとき、偽ものの夫としての役割を終える。

こんな話のついでにもうひとつ、けだものじみた結婚についても議論しておこう。これはこれでまた別の、芝居の一幕のようなものだ!「借りてきた羊」が、「貸し出された妻」と一夜を共にする。それから「羊」は「妻」を離縁する。要するに、彼女がもとの夫と再婚するのを法的にセーフにしようというわけだ。彼女はもともと結婚していたのが、夫から離婚されてしまった。でも別の男と再婚してまた離婚したのでなければ、彼女はいったん離婚した男とは再婚できない。そこで「借りてきた羊」の出番だ。こうしてもとの夫は、一度は離婚した妻と再婚できる。15

人間のやることというのは不可思議に満ちている。自分で手錠をこしらえては、自分をつないで苦しんでみせたりする。自分で神話を編み出しては、自分でそれを讃えたりもする。自分でついた嘘なのに、すっかり信じ込んでしまう。結婚の契約だって自分で作ったものなのに、それが合法か非合法かなんてやりあってる。

結婚契約には様々な呼び方や形態がある。けれどどう呼び抜けようが下劣なものは下劣だし、そして誰にでも必ず死は訪れる。後に残されるものごとの本質はひとつだけだ。

15. 女性がその夫から二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合、夫がさらにもう一度彼女と再婚することはイスラム法上許されていない。それはハラーム、すなわち禁じられた行為である。そこでこれを回避するための、異質な形態の結婚が考え出された。表向きには「借りてきた羊」として知られるこの慣習は、さかのぼれば預言者の時代からあったとされている。「借りてきた羊」とは一晩だけ女性と結婚し、翌朝には彼女と離婚する役割をつとめる男性を指す。一度、別の男性と結婚した後であれば、彼女が(すでに二回離婚した)前の夫のもとへ戻るのが再び合法とみなされるようになる。「借りてきた羊」という呼び名は、山羊飼いが雌の山羊を受精させるのに時と場合によっては羊と交配させるところに由来している。同時に羊の性欲は、非常に高いと考えられているのにもよる。


ライフ・バダウィ『1000 LASHES』にはこのような女性や、女性の隔離をめぐる文章が4編ほど収録されています。

いつであったか、どこであったか忘れてしまったのですが何かの折りに目にした、欧州における移民の生活に関するサーベイのとりまとめ記事を思い出しました。多文化共生っていうけれど、実際のところ共生ってどのくらいできているものなの?違和感とかないの?みたいな感じのだったのですが、まあ大体のところはどうにかうまくやっていて、ただホスト側にしてもゲスト側にしても、相手の文化的背景のうち最も違和感をおぼえるポイントというのが結婚に関する慣習であったり性別役割に関する常識であったり、ともかく違和感の中心にセックスに関するあれこれがある、という記事でした。あの記事、なんていうタイトルだったっけか。LAタイムスかなんかだったような気がするんですが、違ったかな(探しておきます)。

「二回離婚され、そのたびに再婚を繰り返した後で夫が三回めの離婚に及んだ場合」のあたりについては、以下コーランから引用:

離婚(の申し渡し)は、2度まで許される。その後は公平な待遇で同居(復縁)させるか、あるいは親切にして別れなさい。あなたがたはかの女に与えた、何ものも取り戻すことは出来ない。もっとも両人が、アッラーの定められた掟を守り得ないことを恐れる場合は別である。……
もしかれが(3回目の)離婚(を申し渡)したならば、かの女が他の夫と結婚するまでは、これと再婚することは出来ない。だが、かれ(第2の夫)がかの女を離婚した後ならば、その場合両人は罪にならない。もしアッラーの起きてを守っていけると思われるならば、再婚しても妨げない。(コーラン2章229-230節から抜粋)

ふだんは中公クラシックスのコーランですが、これは(宗)日本ムスリム協会のもの。何でも近々改訂(か、改正か)がなされるとのことで、何となく久しぶりに手もとにある第6刷をめくってみました。

ところで al-misyar とか、nikah al-misyar とかといった語彙で検索したところ、さっそくどこかのイマムの顔写真に「ムトア婚はNG、ミシャー婚はOK」とでかでかと描かれた(明らかに揶揄する意図で作られている)ネットミーム画像がひっかかってきました。同じようなことを考える人はいるものだ。まあそりゃそうだ、同じひとつの星の上に70億人もいればそれが自然だ。