「心の負担を減らしつつ、ガザをサポートするために」

Mental Health 4 Muslims (MH4M)というウェブサイトがあります。ふたりのムスリム女性が中心となって運営している「ムスリム・コミュニティ周辺のメンタル・ヘルスに関わるイシューについての情報を発信する」ことを目的としたサイト、というもので、時折、閲覧したりしています。興味深く、有用と思えるトピックスがたくさんあります。

その中からひとつ、サイト運営者のひとりであるNafisa Sekandari氏のエッセイから、昨年(2014年)7月17日に公開された“Supporting Gaza While Reducing the Psychological Stress on the Self”というタイトルの記事を以下に日本語に読み下しておくことにしました(氏の承諾は得てあります)。

 


心の負担を減らしつつ、ガザをサポートするために

ここ数週間というもの、わたしたちはメディアを通じてガザから届けられる映像の攻撃にさらされ続けています。どれもひどく悲しくもあり、また怒りを覚えずにはいられないものばかりです。わたしたちは、犠牲者の家族になったかのように胸を痛めています。彼らが日々、味わわされている恐怖と脅威は想像を絶するものです。彼らのために祈りつつ、ニュースフィードに流れてくる陰惨な画像から目を離せずにいます。無力を思い知らされながら、そうした画像を「シェア」します。イスラエル軍による、罪なき子どもたちや一般市民の虐殺に対する、世間の関心を高めることこそ自分たちの使命なのだ、といわんばかりに。無数の報道や記事に目を通し、凄惨なミサイル攻撃の映像を視聴し、情勢について家族や友人に話します。そうこうしているうちにわたしたちは、やがてそれが肉体的にも精神的にも、自らの人生にどれほど多大な影響を与えているのかを理解することもないままに、争いに引きずり込まれていたことに気づきます。ここで言う「影響」は、肉体面においても精神面においても、長期的には重大な帰結をもたらします。わたしたちの心理上におけるこの影響を、研究者たちは「集団的トラウマ(心的外傷)」と呼んでいます。

カリフォルニア大学の心理科学者Roxane Cohen Silver教授、Irvin教授とその研究チームは、メディアを通じた鮮明なトラウマ的イメージに繰り返しさらされ続けていると、精神面のみならず肉体面でも長期に渡って健康上のネガティブな結果を引き起すおそれがあるとの仮説を提示した。こうしたメディア摂取の仕方が長引くほど、健康面での問題と関係するさまざまな生理的プロセスを誘発するストレス反応の引き金になりえるとしている。カリフォルニア大学Irvine教授は「毎日、メディア報道に6時間かそれ以上さらされている人々の方が、直接さらされている人々 –– つまり、爆撃の現場にいる人々 –– よりも急性ストレス下にある徴候を示すという報告が実際に確認されている」、と述べている。
(参照:Repeated Exposure to Media Images of Traumatic Events May Be Harmful to Mental and Physical Health)

過去に精神的疾患やトラウマを負った経験のある人が、一日じゅうメディアとフェイスブックに向き合えば、実際にストレス反応を悪化させるおそれがあります。傷つきやすい人ほど、自身のトラウマ的経験を投影するかのように、ソーシャル・メディアに映し出される世界から離れがたくなりがちなのです。こうした関わり方は、最初のうちこそ有益なように思えますが、しかし繰り返し身をさらしていれば、それは自分を苦悩のサイクルに「いつまでもとどまり続ける」者として固定化してしまうことになります。子供たちが殺されたり、重傷を負ったりしているグラフィック・イメージに、自らを終始さらし続けたところで、精神的な益は何ひとつ得られない、と認識することが重要です。おそらくそうしたイメージが意識の中で現れては死に、死んではまた現れるということが、長期に渡ってくり返し引き起こされるでしょう。

イスラム的な視点から言うならば、わたしたちは皆「視線を下げる」という考え方について、十分に承知しているはずです。その対象は、不適切な異性間交遊や露骨な性的イメージといったもののみに限られません。目は魂への入り口である、と言われています。人間は目も、身体のあらゆる部分についても、常に善良なるものにふれさせるべきであり、非道や暴力、衝撃的なものに、四六時中ふれさせるといった状態は避けねばなりません。

神はコーランにおいて、こう伝えています。「男子の信者に、目を伏せて隠し所を守るように言え。……(24章30節)」。

イブン・アル=カイイム(彼に神の平安がありますように)はこう伝えています。「目、耳、口、陰部、そして手足は身体の七つ道具である。それらは破滅を招くこともあれば、救済をもたらすこともある。この七つ道具を無視し、これを守ろうとしない者は滅びるが、これを守り、大切にする者は救われるだろう。この理由から、これら七つ道具を守ることがあらゆる善の基礎となる。これらをないがしろにすることが、あらゆる悪の根底にある」。

さらにまた、わたしたちは、死者と向き合う際には敬意を持って丁重に取り扱うよう命じられていることも忘れてはなりません。犠牲者の画像を眺めたり、彼らの死にゆく様子を撮影した動画を眺めたり、焼かれたり傷つけられたりしている彼らの遺体や、彼らの死に際に直面した家族の反応を眺めたりというのは、プライバシーのはなはだしい侵害であるというだけではなく、わたしたちの伝統の一部分ですらありません。そのような行為は、ソーシャル・メディアの時代にありがちな、予想外の、もしくは不運な出来事です。人によっては、世間に現状を知らしめ、良い変化をもたらすためには必要な行動なのだ、と、主張しさえするかもしれません。しかし一人ひとりの個人としてわたしたちは、いついかなる状況であろうとも死者の尊厳は守られねばならず、死者に対しては敬意をはらうよう神に命じられていることを、思い起こさねばなりません。

人がこの世を去るときには、希望や優しさ、親愛の情をさし示してくれる家族と友人(世界中の、全く見ず知らずの赤の他人ではなく)に見守られ、それから神以外に崇拝するべき者もいないことを確認するための言葉、「シャハーダ」を唱えるようはげまされるのが通常のあり方です。死が訪れたとき、周囲の人々は「本当に、わたしたちは神の有であり、わたしたちはみな神の御許へ帰ります」と唱えるよう教わっています。それから死者の目と下あごを閉じ、清潔な布で覆ってやらねばなりません(立ったまま遺体を見下ろして写真を取り、それと分かるよう世界じゅうに向けてインターネットに投稿し、更にそれを「シェア」するのではなく)。それから神に、死者が生前に犯した罪をゆるしてくれるよう、ドゥアを捧げねばなりません。

これが死者に対し、わたしたちがはらうべき最低限の配慮と敬意であり、それはたとえインターネットが発達しようが戦争の時代であろうが、変えてよいことにはならないでしょう。

あなた自身を守るために

1. できる限り、暴力的な画像(や映像)を避けるようにしてください。ガザの犠牲者を哀悼するのに、写真を見る必要はありません。

2. 率先的であろうとするなら、実際に行動を起こしてください。ボイコット、抗議、意見書、政治的な公的機関にコンタクトを取る、犠牲者のために祈りを捧げる、そして助けを必要としている人たちのために金銭を寄付する、などです。

3. ガザの犠牲者を援助する組織をサポートしましょう。

4. 家族や友人を大切にし、彼らと良質な時間を過ごしましょう。ニュースに夢中になるあまり、自分にとって最も近しい人々を無視するようでは本末転倒です。ニュース番組を消し、フェイスブックを閉じ、親しい人々と時間を過ごしてください。

5. 他人ではなく、自分自身の宗教実践に集中してください。ラマダン月最後の十日間は、特に意識してそうしてください。もっとコーランを読み、タフスィールを読み、ハディースを読んで過ごしましょう。

6. 自分の感情をきちんと観察してみてください。自分に近しい間柄の人に対して怒りをぶつけるという行為について、もっと慎重になってください。ソーシャル・メディア上で感情的にふるまうのは簡単なことです。誰に対する怒りや不満を、誰に対してぶつけているのか、よくよく考えて心に留めてください。フェイスブックでイージーな標的探しをするよりも、実際に戦争に加担している人物たちに対して抗議文を書くことで、そのエネルギーを有効に活用しましょう。

7. トラウマ的な画像や映像に自分がどう反応しているか、その時の感情を言語化してみてください。日記に書いてみるなり、友人や家族と話し合うなりしてみてください。もしも話し相手がいないなら、しっかりとした訓練を受けたメンタル・ヘルスの専門職に話してみてください。

8. 何か楽しめることをしてください。散歩に出かけたり、自然とふれあったりしてください。あなたの助けを必要としている人々がいます。ボランティアに参加してみてください。

9. 深呼吸をしてみましょう。リラクゼーションのためのエクササイズを、日常生活に取り入れましょう。

10. ガザの犠牲者のために、以下のドゥアを唱えてください。

اللَّهُمَّ اغْفِرْلَنَا وَ لِلْمُؤْمِنِيْنَ وَ الْمُؤْمِنتَ
وَ اَصْلِحْهُمْ وَ اَصْلِحْذَاتْ بَيْنِهِمْ وَ اَلِّفْ بَيْنَ قُلُوْبِهِمْ
وَ اجْعَلْ فِىْ قُلُوْبِهِمُ الاِيْمَانَ وَ الْحِكْمَةَ
وَ انْصُرْهِمْ عَلى عَدُوِّكَ وَ عَدُوِّهِمْ

Allahumma aghfir lana, wa lil mu’miniina, wal-mu’minaati,
wa aslih-hum, wa salih dhati bayynihim, wa allif baina quluubihim,
waj’al fi quluubi-himul imaana wal hikmata,
wa-nsurhum ‘ala’ ‘aduw-wika wa ‘aduwwihim.

アッラーよ、わたしたちをおゆるしください。
かれら信仰する男女をおゆるしください。
あやまちを取り除いてください。
心に、平安と愛をもたらしてください。
心に、しっかりとした信仰と知恵を注いでください。
かれらを、あなたの敵とかれらの敵の勝利者たらしめてください。

 


Sekandari氏はアフガニスタン出身。日本でいうところの(たぶん)臨床心理士の資格を取得し、現在は米国アリゾナ州でカウンセラーをされているそうです。


Afghan Cuisine: A Collection of Family Recipes

Sekandari氏によるアフガニスタン家庭料理レシピ・ブック。子供時代にアフガニスタンを離れた氏が「ちゃんと作り方をまとめておかないと、この先アメリカでアフガニスタン料理が食べられなくなってしまう」と考え、お母さまからの聞き書きで手製のレシピ・ノートを作ってみたのがこの御本の成り立ちだとのこと。成人してのちに再びカブールその他を訪問した、アフガニスタン里帰りの記録なども収録されています。

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猫珈琲

友人が旅のおみやげにコーヒー豆を持って帰ってきてくれました。
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パッケージに大きくKopi Luwakとあります。おお、これってあれじゃないか。コーヒーはコーヒーでも、「世界一お高い」とかいわれる例のあの。猫珈琲。

コピ・ルアク
コピ・ルアク(インドネシア語 Kopi Luwak)とはジャコウネコの糞から採られる未消化のコーヒー豆のことである。「コピ」はコーヒーを指すインドネシア語、「ルアク」はマレージャコウネコの現地での呼び名である。日本では, コピー・ルアークやコピ・ルアック、ルアック・コーヒーとの呼称も通用している。独特の香りを持つが、産出量が少なく、高価である。

インドネシアのコーヒー農園ではロブスタ種のコーヒーノキが栽培されており、その熟した果実は、しばしば野生のマレージャコウネコに餌として狙われている。しかし、果肉は栄養源となるが、種子にあたるコーヒー豆は消化されずにそのまま排泄されるので、現地の農民はその糞を探して、中からコーヒー豆を取り出し、きれいに洗浄し、よく乾燥させた後、高温で焙煎する。

世界で最も高価なコーヒーとして知られており、500グラムにつき300から500米ドルの価格で販売されている。かつては主にアメリカ合衆国と日本に出回っていたが、現在は、なお供給量こそ限られてはいるものの、世界各地で入手することが出来るようになった。世界最大の消費地は日本や台湾、韓国などのアジア諸国である。

ウィキペディアって本当に便利だなあ。

持って帰ってくれた友人に、でもこれ頂いちゃっていいんですかお高いんでしょう?と慎みのない水を無遠慮に向けてみたところ、「うーん、そうでもなかったです。まあ他のコーヒーに比べれば高いかな、というところでしょうか」とのお答え。なるほど。

いや、こう言っては何ですが『希少品』とか『王様』とか言われる割りにはこう。パッケージの作りもかなりカジュアルなような気もします。どうなっているのでしょう。すると友人が「以前に比べて効率よい生産方法が確立されたので大量のコピ・ルアックが安定供給されるようになり、庶民にも手が届かないこともない、というくらいには値下がりしている」と、大筋ではそのようなことを言いました。効率よい生産方法。大量に安定供給。これだけでおなかがふるふるしてしまいます。Holy C**p!

希少価値も価格も世界一お高いとされる猫糞、というのもいい笑いばなしですが、更にそこから一歩進んで大量生産されて値崩れする猫糞、というのもこれもこれでゆかいな話です。

***

そうとう細かめに挽いてありましたが、いつも使っているメタルプレス式のサーバーで淹れてみました。
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せっかくなので拙宅でいちばんブルジョワっぽい感じのカップでお迎え。ふつうに、おいしいの部類に入る珈琲です。味にしろ香りにしろ、全体的にとてもやわらか。でもそれが猫の働きなのかどうかは良く分かりません。もともとの豆が良いんではないかとか、ついそういうことを考えてしまう。独特の香りというのも、すみませんいまひとつよく分かりません。独特というか、「コーヒーの良い香り」という感じです。

で、マグカップ一杯ぶんくらい淹れて半分はそのまま頂いたのですが、残りは目先を変えて牛乳など足してみたのです。そうしたら「あらっ!」というくらい甘みを強く感じた。驚きました。おもしろいなあ、これ。

***

ひっくり返すとハラールマークが右肩上のあたりについております。
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そもそもこの猫珈琲について知ったきっかけというのが数年前、これってイスラム法上どうなのか、というのでインドネシアのウラマー評議会がファトワを出すの出さないのとやっている、というのを取り上げたAP通信の記事でした。検索してみたところ、Jakarta Post紙のウェブ上に当時の記事が残ってた。

Indonesian Muslim group may ban civet coffee
コーヒー豆が清潔であるか否かが問題で、「コーヒー農家の従事者たちが挽く前の豆を清潔にしていればハラール(合法)であるし、何の問題もないはずだ」とウラマーのえらいひと。

で、その翌日の記事が
MUI declares civet coffee ‘halal’
当初は「夜行性の動物が排泄した豆はナジス(不浄)と考えられる」としていたウラマーのえらいひとが「イスラムで定められているような水による七回の洗浄も不要。豆に汚れがついてさえいなければOK。ただし、割れていたりする豆は清潔ではないし消費されるべきではない」。

なんで意見が変わったのかとか、そう言われるとむしろ七回洗浄してほしくなってくるんですがとか色々ありますが、ともかくめでたし(?)。

ところで非常にどうでもいいんですが、これ以降もJakarta Post紙はことあるごとに猫珈琲を取り上げています。猫珈琲生産者の日常だとか猫珈琲、売れ行き絶好調!だとか、品質管理のための絶え間ない努力だとか、ライバル出現!迫り来る熊猫茶とか失われし幻の豆の何たらかんたらとか、本当に非常にどうでもいいんですがくっそおもしろい(くそだけに)。

いちばん緊張感あふるる山場はやはり動物愛護団体PETA来襲!!のあたりでしょうか。これに対しては学生たちが考案したケージ無しファームで解決だ的な新たな展開もあったりしてちょっとしばらくの間は目が離せません。少なくとも、おみやげの猫珈琲が残っているうちは。

引用:『大旅行記』3巻

『大旅行記』。この「マルコ・ポーロと並び称される,イスラム世界最大の旅行家イブン・バットゥータの旅行記」、寝転がってだらだらしながらめくるのにもってこいな御本のひとつです。全8巻ありますので、いつまででもだらだら・ごろごろしていられます。

出てくるはなしと言えば「どこそこのメロンすごいおいしい。干したのもほんとおいしい」「なんとか族の作る馬の腸詰ちょううまい」「魚いっぱい食べた。あとココ椰子の蜜にスパイス混ぜたの飲んだ。いい島だ」「ゆうべの食後の果物はざくろだったんだけど、ただ持ってくるんじゃなくて一粒づつほぐしてスプーンと一緒に持ってきてくれたからどこそこの王様のおもてなしは最高」みたいな感じなので(いや、もちろん食いだおれ以外のはなしもいろいろと出てきますよ)、どの巻のどこから読んでもだいたい問題ありません。

今日はその「イスラム世界最大の旅行家バットゥータが,14世紀のイスラム世界をあまねくめぐる空前の記録」3巻に登場する、クーニヤ(コニヤ)滞在の記述を。


大旅行記 (3) イブン・バットゥータ 編:イブン・ジュザイイ 訳注:家島彦一

……クーニヤは、壮大な規模の町で、華麗な建物と豊富な水、幾つもの河川と果樹園、果物類も多い。町には、〈カマル・ウッディーン〉と呼ばれる杏がある。そのことは、すでに説明したことであるが、その杏もまた、そこからもエジプト地方とシリアに輸出される。そこの街路は実に広々として、そこの市場は見事に整然とし、各職種の人たちが決まった区劃に分かれて住む。伝えるところでは、この町はイスカンダル(アレクサンドロス)による建設であると言う。そこは、スルタン=バドル・ウッディーン・ブン・カラマーン(カラマーンの子息スルタン=バドル・ウッディーン)の所領に属している。彼について、われわれは後に述べるとしよう。しかしイラクの支配者は、かつて様々な機会に、そこがこの地方一帯イクリームにある彼の土地から距離が近いという理由で、征服したことがあった。

われわれは、その町の法官のザーウィヤに宿泊した。彼は〈イブン・カラム・シャー〉のなまえで知られ、若者集団に属した。彼のザーウィヤは、ザーウィヤのなかでも最大規模のもので、門弟たちの大集団が彼のもとに所属する。彼らには[集団を律する]フトゥッワ(徳目)において、敬虔信徒たちの指導者(カリフ)アリー・イブン・アブー・ターリブ –– 彼に、神の平安あれ! –– まで遡る正しい権威の連続的伝承経路がある。

彼らのフトゥッワに基づく[正式の]服装はズボンであり、それは丁度、スーフィー(イスラム神秘主義者』たちがぼろ服ヒルカを着るのと同じである。この法官のわれわれに対する寛大なもてなしとわれわれ客人への接待は、先のいずれの人にも劣らぬほど寛大であり、かつまた手厚いものであった。彼は、われわれと一緒に公衆浴場に入るために彼に代わって、自分の息子を派遣した。

この町には、シャイフ、イマーム、善行に勤しんだ信者、聖柱クトゥブ、そして〈われらの主マウラー・ナー〉として知られたジャラール・ウッディーン[・ルーミー]の[聖]墓がある。彼は[神より授かった]知徳に優れていたので、ルームの地には、彼の教説に従う人たちの一つの教派ターイファがあって、彼の名前で知られており、彼ら[教団]を〈ジャラーリー派(ジャラーリーヤ)〉と呼ぶ。それは丁度、[アフマド・アッリファーイーによる]イラクのアフマディー派(アフマディーヤ)や[クトブ・ウッディーン・ハイダルによる]ホラーサーンのハイダリー派(ハイダリーヤ)が知られるのと同様である。彼の墓の傍らに、一つの壮麗なザーウィヤがあって、そこでは道往く旅人に食事が[無料で]提供される。

「彼の土地から距離が近いという理由で、征服したことがあった」。近場だから征服。すごい。こんな説得力のある大義名分ってなかなかない。

イブン・バットゥータがコニヤを訪れた1300年代、あの人たちはメヴレヴィーヤではなくジャラーリーヤと呼ばれていたのですね。メヴラーナがお亡くなりになってから約1世紀ほど後のことなわけですが、

挿話
伝えられるところでは、彼の早い時期には、法学者、教授ムダッリスであって、クーニヤにあった彼の高等学院には、生徒たちが彼のもとに集まった。ある日のこと、その高等学院に菓子売りの一人の男は頭の上に菓子の入った皿をのせて入って来た。その菓子は、一片ずつ切ってあり、男はその一切れを一枚の銅貨ファルスで売った。その男が教室に現れた時、シャイフは「おまえの皿を持って来なさい」と、彼に言った。そこで菓子売りはその一切れを取って、シャイフに渡した。シャイフは、手でそれを取って食べた。それからその菓子売りは出ていったが、シャイフ以外の誰にも与えなかった。シャイフは授業をそのままにして、生徒たちを待たせたまま、菓子売りの後を追って外に出た。彼らはシャイフをずっと待ち続け、シャイフを捜しに出たが、何処に居留しているのが全く分からなかった。結局、彼は数年後に彼らのもとに戻ったが、その時の彼の精神は錯乱状態になっていて、詩句の半句ムタアッラクずつを連ねた訳の分からないペルシャ語の詩句だけを唱えるようになった。しかし生徒たちは彼の教えに従い、彼の口から出るそうした詩句を書き取って、それをもとに『マスナウィー』と呼ばれる一冊の書物を編纂した。そして、その地方の人々は、この書を聖なるものとして崇敬し、そこに書かれた言葉を通じて見習い、それを[人々に導きの言葉として]広く弘め、金曜の夜には彼らのザーウィヤで、その章句を唱えた。

この町には、さらに法学者アフマドの[聖]墓がある。彼は、前述したジャラール・ウッディーンの先師であったと伝えられる。その後、われわれはラーランダの町に向かった。そこは、多くの水流と農園に恵まれた華麗な町である。

その約1世紀のあいだに、すでにこんな言い伝えが仕上がっているのだから現世はたのしいところです。

「菓子売りの菓子食ってどっか行っちゃって、帰ってきたときにはおかしくなってた」というのは、何ともなまなましくてすごくよいです。「流浪のダルヴィーシュと出会って文学的才能を開花させた」とかというのはある程度の時間が経過して評価も定まってからだから言えることなのだな。「訳の分からない」というのは詩句のことなのかペルシャ語のことなのか、それとも両方なのか。たぶん両方だ。詩グルイ。

念のため家島氏の注も引用しておきますと、

……この菓子売り( al-halwani )が他ならずジャラール・ウッディーンの運命に決定的な影響を与えた放浪のスーフィズムの修道者シャムス・ウッディーン・ムハンマド・アッタブリーズィーであった。

……ジャラール・ウッディーンとシャムス・ウッディーンの出会いについては、別の逸話も伝わっている。すなわち一二四四年に放浪のデルウィーシュ=シャムス・ウッディーンはコンヤに来て、砂糖商人たちの店に泊まっていた。そこでジャラール・ウッディーンは彼と出会った。

犠牲祭

アドハー・ムバーラク。犠牲祭おめでとうございます。

Timurid_Anthology
犠牲祭のそもそものあらましを描いた細密画、何かあるかなとフォルダをごそごそしてみて出てきたのがこれでした。慣用句的にカジュアルに「おめでとうございます」と言ってはみたものの、これだけを見ると「……で、どのへんがめでたいの」ってならなくもないです。でも同じ故事を題材にしたカラヴァッジオの作品( その1 その2 )などと比べれば、これでもまだほのぼのしている方だと思います。してないか。ああ、羊さんがりりしい。

イード・アル=アドハー
イード・アル=アドハー(عيد الأضحى 、Eid ul-Adha)はイスラム教で定められた宗教的な祝日。イブラーヒーム(アブラハム)が進んで息子のイスマーイール(イシュマエル)をアッラーフへの犠牲として捧げた事を世界的に記念する日。ムスリムのラマダーン明けのイード(祝祭)の1つである、イード・アル=フィトルと同様に、イード・アル=アドハーは短い説教をともなう祈祷(フトゥバ)から始まる。イード・アル=フィトルより長期間にわたるため、大イードなどとも呼ばれる。また、日本では犠牲祭と意訳される。(ウィキペディアから引用)

便利だなあ、ウィキペディア。それはそれとして、「犠牲として捧げた」のではなく「犠牲として捧げようとした」ところ、神がそれを「大きな犠牲」と引き換えにやめさせた、というのがコーランの伝えるところです。


コーラン〈1〉 (中公クラシックス)

99. 彼は言った、「私は主のみもとへ参ろう。主は私をお導きくださる。
100. 主よ、私に義(ただ)しい人となる子を授けたまえ」
101. そこでわれらは、彼に、聡明(そうめい)な男子の福音を伝えてやった。
102. この子が成長し、彼といっしょに働くようになったとき、彼は言った。「おお、息子よ、おまえを犠牲としてささげよとの夢を見たが、どう思うか」。息子は言った。「おお、お父さん、命ぜられたとおりにお振舞いください。神のご意志なら、私が忍耐強い男であることがわかっていただけるでしょう」
103. 二人がご命令に従って。まずアブラハムが息子を地面に顔を伏せるようにして倒したそのとき、
104. われらは彼に呼びかけて、「おお、アブラハムよ、
105. おまえは夢に忠実であった。このようにしてわれらは、善行にはげむ者たちに褒賞を授ける。
106. これこそ明白な試練というもの」とつげた。
107. われらは、彼を大きな犠牲で購(あがな)ってやった。
108. われらは、のちの世の人々がアブラハムを讃えて、
109. 「アブラハムに平安あれ」と言うようにしてやった。
110. このようにしてわれらは、善行にはげむ者たちに褒賞を授ける。
111. まことに彼は信ずるわれらの僕であった。
112. われらは彼に、義しい人の一人となる預言者イサクの福音を伝えてやった。
(『整列者の章』99-110節)

コーランには、犠牲に捧げられかけた息子さんがイシュマエルだったとは明示されていません。引用した藤本・伴・池田氏訳では、102節に、創世記に倣ってイサクと解釈しているらしき註が加えられています。井筒訳も同様。

(宗)ムスリム協会から刊行されている三田氏訳での同節には、「イスマーイールはイブラーヒームが86歳のときに授かった最初の子でアラブ民族の始祖とされる」という註がなされています。ちなみに112節の註には、「イスハークはイブラーヒームの次男で、イブラーヒームが百歳のときサラーで生れた。イスハークはユダヤ人の始祖とされる」とあります。

個人的には「とされる」のあたりが、こう。非常に気になります。これがウィキペディアなら[誰によって?]とか[要出典]とか絶対やられてるところだ感は否めません。まあこう書いてて自分でも[おまえ何様?]っていう感もありますが。気になるものは気になるんだから仕方ないです。いいじゃないですか、みんなアダムの子ってことで。

アドハー・ムバーラク。犠牲祭おめでとうございます。

散漫なめも

[散漫なめも・ひとつめ]
アリー・アブデル=ラーゼクの御本に1こだけついてたアマゾン.comのレビューがおもしろかったのです。
Worth every dollar — and that’s saying something

「近代イスラムとかイスラム政治思想とかに興味があるやつは必読。72ドルするけどね」というレビューでした。この方はハードカバーのをお買い上げだったんですね。「高いよ」「いい本だけど高いよ」「高いけどいい本だから読めよ」「読めよ、高いけど」っていうレビュー。

「ページ単価50セントする」っていう賢くてばかっぽいフレーズについふきそうになりました(一応、その後に「けど、その価値はある」、と続くんですけども)。ふとこのレビュアー氏の他のレビューも気になってページをのぞいたら、なんかヒューストン大学の政治学の教授だとかいう人でした。そんなに沢山あるわけじゃないけど、他の御本のレビューも面白い。特に「作りが安い」というタイトルの、Omar Dahbour “The Nationalism Reader”の超短文レビューとか。「読みはじめてすぐに装丁からページのかたまりがごっそり大量に抜け落ちた。化学療法中の患者の髪の毛かと思った」。アンソロジーかなんかだったらしく、収録されてる文章の「セレクトは悪くないんだけど長持ちするもんでもないね、持ってるだけでだめになっちゃうようじゃあね」だって。

必読であることには違いない。しかし72ドルですからね。イスラムという宗教には解釈のあり方は一般的(ムスリム・非ムスリム問わず)に思われているように、特に一方向にのみ限定されているわけでもなさそうだ、というのはもう少し知られてもいいと思うし、実際にトライした人もいたというのも知られてもいいと思うのですが、それにしても72ドルですからね。ちなみにわたしが購入したのはペーパーバックなので30ドルちょっとだったのですが、これでも高いと思うひとは思うのでしょう。うーん。

それでも出してくれてるだけでじゅうぶんありがたいと思うんですけどもね。

[散漫なめも・ふたつめ]
War on the Rocksというサイトに「で、結局ISってどのくらい兵士を抱えてるの」というのがありました。
How Many Fighters Does the ISLAMIC STATE Really have?

2014年終わり頃のCIAの分析では、20000から31500人。
英国に本拠地のあるシリア人権監視委員会の報告では、シリアだけでも50000人。
ロシアの分析では全体で70000人。
クルド系指導者に言わせると200000人。

ずいぶん幅があるよね、っていうことで

Turning to ISIL’s holdings, it’s worth reviewing the territories that ISIL is believed to occupy in Syria, along with their population sizes:

じゃあISILが実際に実行支配している地域の人口はどのくらいなの?

ラッカ 944000人
ダーイル・アル=ザウル地方(シティの人口を除く) 746566人
シャッダーディー、マルカダ、ハサカのアル=アリーシュ地域 90045人
アレッポのジャラーブルスとマンビージュ地区 467032人

シリアだけでも計2247693人がISILの支配下にあるという計算。シリアの全人口がだいたい2240万だそうですから10%くらいでしょうか。今年2月時点でのまとめ記事なので、この半年の間にどう変わっているのか・いないのかは分かりません。

Syria Regional Refugee Response
UNHCRのシリア難民カウントは9/17現在で4086760人。うち2.1百万がエジプト、イラク、ヨルダンとレバノン、1.9百万がトルコ、24000人はその他の北アフリカ。ヨーロッパへの亡命者は2015年8月までで428735人。

頭数だけで見ても、ISはぜんぜん人を集めることができていないです。