読んでもいない御本について

歴史学者のデニス・スペルバーグさんによる『トーマス・ジェファーソンのコーラン:イスラムが建国の父に与えた影響』という(ようなタイトルの)御本についての記事。
Thomas Jefferson’s Quran: How Islam Shaped the Founders

米国独立宣言の初稿執筆者であり「建国の父」の一人に数えられるトーマス・ジェファーソン(米合衆国第3代大統領)が、その独立宣言執筆の11年前にコーランを買い求めていたこと、以降も生涯に渡って中東の言語や文化、イスラム教に関する書籍や旅行記などを熱心に収集し続けていたことを踏まえて、彼のイスラム教に対する興味や造詣が、のちの独立宣言や彼の政治活動にどのような影響を及ぼしたかを検証する御本、なのだそう。

“Not Even Past”というサイトで、この御本について著者のデニスさんのインタビューが視聴できる。

デニスさんのご専門はイスラム史。この御本の主題は、でもイスラム史というか「アメリカ合衆国と宗教」で、合衆国は建国当時「キリスト教国」としてデザインされたわけではなく、むしろ多宗教国家がイメージされていたことや、当然イスラム教徒もまた将来的には合衆国の市民となるだろうことは1700年の建国当時から予測されていたのだ、というような構成とのこと。ホワイトハウスで最初にイフタールを開催したのはジェファーソンさんで、招待客はチュニジアからの使節のひとだった、とか、そういう「ちょっと面白い話」なんかも。


トーマス・ジェファーソンが所有していたコーランについては、2007年にミネソタ州代表の連邦議員に選出されたキース・エリソンさんが就任式の際にこれを用いて宣誓したことでスポットライトが当たった:米国初のイスラム教徒下院議員、コーランで宣誓

そういうものがある、ということがそれまで全く知られていなかったというわけでもない。とは言うものの、例えばネイション・オブ・イスラム(後述)であるとか(キースさん自身、ネイション・オブ・イスラムとはつながりの深い人物)、在米のイスラム教徒たちの間ではわりかし引き合いに出されることはあったとしても、「どうだ、イスラムはすごいだろう」的なごじまんのねた程度のものであって、その前後関係であるとか、アメリカの歴史における意味合いといった点にまでは、あんまり考えられてはこなかったように思う。キースさんの宣誓の際の話題も、集まった注目の半分以上は「初のイスラム教徒の連邦議員が!」「聖書じゃなくコーランで宣誓!」の方であって、合衆国第3代大統領がコーランを持っていた、の方についてはスルーされてるぽいかった。


デニスさんの御本は読んだことがないけれど、お名前だけは知っている。

何年か前、ある女性の小説家がムハンマドとアーイシャをテーマに長編小説を書いた。それを出版予定だったランダムハウスが、やはりアーイシャを中心にイスラム初期を描写した御本を既に出版していたデニスさんとこに持ち込んで推薦文をお願いしたところ、デニスさんはがっつり歴史考証を加えて「ここ間違ってる」「ここ間違ってる」と駄目出しをした上で「下らない」「ばかばかしい」「神聖視されている歴史上の人物をソフトコアポルノ(これも後述)に書き換えるようなお遊びはするべきではない」「国家の安全保障を考えろ」と断った、っていう:Prophet Muhammad novel scrapped

2008年の出来事ですね。デニスさんの発言が「センサーシップだ!」って批判されたりしていた。

多分アメリカが中心だと思うんだけど、「ヤング・アダルト」という文芸ジャンルがある。日本で言うところの「ラノベ」とかそういう感じの。2001年9月11日以降、この「ヤング・アダルト」のジャンルに中東ものがものすごく増えた。それ以前からも、例えばディズニーのプリンセス・シリーズのようにコケイジャンではない主人公が活躍する物語を増やしていこうみたいなのはあったけど、2001年9月11日以降はそれが特に顕著になった感があった。

そうなればなったで、日本で言うところの「塩野七生問題」「司馬遼問題」みたいのも起きてくる。そういう感じ。結局、件の小説はランダムハウスではなく別の出版社から出版された。でも小説そのものは、その後あまり話題にもならなかった。ように、記憶している。


「ネイション・オブ・イスラム」について。
彼らについては色々と言うひとは言うけれど、まあ世の中には色々なひとたちがいるんだよ、と思う。とは言っても自分も以前は「ちょっとどうなの」と思ってたこともあったことは告白しておかなくては。

私がイスラムのお勉強(ごっこ)を始めたばかりの頃、今はもう天国の住人となってしまった義理パパが御本を一冊くれた。モハメド・アリの直筆サイン入り(!)の、ネイション・オブ・イスラムで発行しているイスラム解説書。当時の私はネイション・オブ・イスラムにあんまり良い印象を持っておらず、それで義理パパに「ネイションってどうなの」的なことを言った。そしたら義理パパに「きみはルイス・ファラカーンがどれくらいコミュニティに貢献したかを知った上でそういう意見を述べているのかね」と諭された。かなり恥ずかしかった。

先日、アントニオ猪木がイスラム教徒になった、というのが局所的に話題になっていた。最初に彼に宣教をしたのはモハメド・アリだったという話も聞いた。10年~15年くらい前まで、ネイション・オブ・イスラムは異人種婚には否定的な態度だったし、非黒人に宣教するということもしなかった。変化って起きるんだなあと思った。ネイション・オブ・イスラムに限らずどんな集団でも腐るときは腐るし、同時にどんな集団にもイノベーターはいる。

「ソフトコアポルノ」
ついでに告白すると、日ムス協会で取り扱ってる『預言者の妻たち』ってのがありますね。あれ、わたしすんごい苦手なんですよ。まさにソフトコアポルノという感想しかない。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

ダンボ、マララ

NYのあちこちで落書き巡業中のバンクシーが何やら動画を公開していた:

「Rebel rocket attack」というタイトルの、1分30秒の中に色々詰まっている(ように見える)動画。左下に(ごていねいに)アルジャジーラのロゴが映った状態で始まって、rebel(反乱軍)が空に向ってロケット砲をぶっぱなすと命中して落ちて来たのはダンボ。「アッラーフ・アクバル!」「アッラーフ・アクバル!」と大喜びの男たち。小さな男の子が心配そうにダンボを覗き込み、後ろからやって来たもう一人の大人にケリを入れる。おしまい。

この動画が、あっと言う間に400万view超の視聴数を稼いでいる。あちこちのメディアでも取り上げられているけれど、でもバンクシーがこの動画を通して何を言おうとしているのかっていうのはなんかまだ解釈がほとんど出ていないというか。「これは一体どう解釈すれば……?」みたいな感じになってる。

youtubeのコメント欄を見ると、結構な数の人が「ダンボ、RIP」とかとやっている。こういう目に合うはずがない、合わせちゃいけないキャラなんですねダンボは。ダンボにあまり思い入れのない文化圏にいるわたしには、むしろ「そこが君らのツボなのですか」と新鮮に映る。

シリア内戦(って、もう呼んじゃって良いだろう)について。政府軍も反体制派も、ものすごい数の動画や写真を次々にネット上にアップロードしている。戦争当事者がここまであけっぴろげに情報発信しちゃうってどういうことなんですか、っていうくらい。そしてそれをまた多くの人が見ている。見ているはずなんだけれど、アメリカが参戦するかも?ってなった時だけは「瞬間視聴率」がものすごい上がったものの、なんかもう全体的にダれにダれてるというか何ともならない感じで、それでも毎日毎日ものすごく夥しい数の写真やら動画やらが出回り続けている。

そういう動画の中で、どれかひとつでも公開してからたった3日で400万viewを集めるほど注目を浴びたものがあっただろうか。匿名グラフィッカーが作成した1分30秒の「おふざけ」の中で殺された非実在ダンボと同じ量の「RIP」を受け取った実在の死者はいただろうか?

FP誌はこの動画を「バンクシー、反乱軍とアルジャジーラとディズニーのパロディを作成」という見出しで取り上げていたけど、いやあ。パロディにされてるのはどう考えてもおれたちの方だよなあ、と思ったのだった。


というか、何も↑の動画が目的でガーディアン紙のサイトを開いたのではなかったのだった:Malala Yousafzai: ‘It’s hard to kill. Maybe that’s why his hand was shaking’

マララ嬢のインタビューが掲載されている。彼女を狙撃したのは20代の、「まだ男の子と呼ばれるような年頃の人物」で、彼女を撃つとき彼の手は震えていた、という見出しの記事。「人を殺すのは怖いことだったろうと思う。だから、彼の手は震えていたのだろう」と言っている。

インタビューのページの右側カラムにバンクシーの動画へのリンクがあったため、ついつい先にそっちを視聴してしまったものだから、記事を読みながら最初はマララ嬢がダンボに見えて仕方がなかったのだけれど、読み進めてみたら腹が座っててなんかすごい。「かよわい少女がけなげにがんばってる」とかという程度のはなしではない。「政治家になりたい」という彼女の発言があちこちの報道で取り上げられていたけれど、その発言にしても、一連の出来事について政治臭がすると言われていることについても、「だって私自身が政治家志望なんだから当然だと思います」と、批判になっていませんよ、と言っている。「金を稼ぐのが目的で外国に行ったんだ、汚い、狡い、アメリカの手先だ、CIAに違いない、……皆同じことを言う。気にしない。私には目的がある」。つよい。


マララさん:ノーベル賞期待、住民は報復恐れ沈黙

御一家が現在イギリス在だからか何だか、英紙はどこも一団となってマララ、マララとやっている。ノーベル賞誘致じみている。取っても取らなくても、どっちにしてもバックアップはし続けてあげてほしい。持ち上げた以上、引きずり降ろすみたいなことはしないであげてほしい(例:アヤーン・ヒルシ・アリ)。何て言うか。

これはあれだな、初めて『風の谷のナウシカ』観たときにほんのり感じたもやもやと一緒だなあ。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

週末の読書

土曜日にお出かけした帰り道に出来心で古本屋さんに入ったら、「八木亀太郎論文集」というのがなんだか良いにおいがした。箱にI・IIと2冊入ってるののうち、Iをひっぱりだして目次を見たらこんな感じでした:

第1巻<目次>
言語学と宗教史
波斯スーフィー教義の発達
ルーミーの長詩について
回教におけるTasawwufの分類に関する考察
回教思想
古代波斯社会制度の文献学的考察
ゴレスターンの一異本について
ペルシヤ神秘思想の特質
波斯語に現れる土耳古語について

じいさんあんた誰なんだ、ってなった。来いよ亀太郎、って連れて帰ってきた。


1巻は昭和19年から28年にかけて発表された論文を集めたもの、2巻は昭和34年から54年のそれ、という構成で、1巻は縦組、2巻は横組になっている。2巻がなんだか「へえ……」ってなるようなおはなしが色々あって、思いのほかおもしろい。波斯、じゃなかった、イランの現代国語教育についての報告とか。

それと、米国現代俳句事情なんていうのが!「米俳句の歴史、現状及び問題点」ですって。俳句好きのアメリカ人。時々見かけるけど、HaikuっていうかZenがほんとうにだあい好きですよね。

読んでいると、ちょこちょことアメリカ人の日本学者ハロルド・ヘンダーソンさん、というお名前が出てくる。かめたろうはこのヘンダーソンさんという人とおともだちだったようだ。彼とお手紙をやり取りしつつ、この文章を書いていらっしゃるんだけど、読み進めていたらこのヘンダーソンさんという人について、「かつてコロンビア大学の日本語教授だった頃は、度々日本に来ており、とくに、戦時中、日本美術の研究家であった故Warner博士と協力して、奈良、京都の爆撃をせぬようルーズベルトに進言してこれを諌止せしめたことで有名である」とあった。

亀太郎は昭和14年から満鉄東亜経済調査局で西南アジア班の研究主任をやっておられたそうだ。昭和21年まで、とあるから、つまり調査局解散まで見届けた人のひとりなのでしょうか。

「イランの現代国語教育」というのもおもしろうございました。現代と言ってもここで扱われているのは革命前、王制時代の教育制度のことで、そういう意味で興味深いです。当時の王制がやっていた「文盲撲滅運動」についてであるとか、とにかくもう色々な外国製品(工業製品)が入ってくるじゃん?それをペルシャ語に訳すの?訳さないの?とか、それを言い出したらアラビア語から借りてる単語なんて昔から沢山あるじゃん、そういうのはどうするの、とか、当時のイランがどういう方向にイランを持って行こうとしていたかが国語教育から見えてくる、というようなお話。この文章が書かれたほんの1、2年後がアルゴ。

ちなみに近隣諸国の国語教育についても少しだけ触れられていた。亀太郎、さらっとふつーに「独裁者ケマル・アタ・トユルク」って書いてる。笑。

……独裁者ケマル・アタ・トユルクは、トルコの民族主義戦線を指揮して、トルコ民族の歴史的意義を強調すべく、歴史教育の変革を企図し、オスマン帝国以前の民族史を重視するとともに、トルコ人征服以前に住んでいたアナトリヤ人が、ツラン人を祖とするものであったことを、国民に周知せしめることに努め、……(中略)……このような官選歴史編纂が、正当な史学的な見解に立ってこれを見たとき、従来の史実と史実との間隙を充填する上においての十分な理論的根拠を与えるに足るものでなかったことは、史家の認めるところであり、…(中略)…新しい国民的結合の重要な拠点の一つを歴史的関繁に求めようとする為政者の露骨な態度がうかがわれる。人為的、擬態的な史観が無理に正当化されんとするところに、問題があり、これは近東諸国の新しい政策に見られる共通の行き過ぎである。

これの後でイランについて、「種々の観点において、トルコに酷似したものをもっている」と亀翁はおっしゃっている。繰り返しになるけれど、ここで言われるイランというのはシャーのイランで、宗教色を一掃してペルセポリスだ、アケメネスだ、と民族主義路線をやっているけれども、

……過去への憧憬が科学的考証に基ずくというよりも、むしろ、恣意的独善的な歴史的事実の再構に逸脱したかの観があるが、これも政治的考慮を参酌して考えると、やむを得ざるに出でたものと解せられる。

この「恣意的独善的な歴史的事実の再構に逸脱」というのの、民族主義ヴァージョンではなく宗教ヴァージョンをやっているのがサウジアラビアですねわかります


人よ、恋人よ、浮世より旅出の時は来たりぬ。
心の耳朶を打つは出発の太鼓の音か。
見よ、駱駝引は起ちて綱を飾り。
惜別を告げぬ、何故に眠るやカラバンよ。
前に、後に、響くは旅出の音と駱駝の鈴の音のみ。
時々に、又刻々に、霊と、又霊は虚空に消へ。
倒燭の天地より、青藍の幕より、去りゆく。
何故に眠る…おゝカラバンよ、この貴き眠りを。
嗚呼、心よ、心に行け、嗚呼友よ友にゆけ。
天さかる日の彼方に浄土の法悦ぞあらん。
あゝ、駱駝引よ、起きよ、眠るべからず。
汝は土なりしも魂となり、愚なりも賢となりたり。
かくの如く汝を惹きし無形の力は。
又汝を惹きて幽遠の至境に導かん。
其惹きゆく力にこそ苦悩の妙諦を観ずべし。
行け、火は水にも似たり。天来の苦痛を嘆ずる勿れ。
(シエムセ・タブリーズ)

亀太郎……カッコイイ(;;)

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。にしても亀太郎……カッコイイ(;;)

サルマン・ラシュディvsジョナサン・フランゼン

そういやサルマン・ラシュディ氏って今どうしてるのかな、と思って検索したら「サルマン・ラシュディvsジョナサン・フランゼン ツイッターを巡る文学っぽい戦争」と題された記事を見つけた。
Salman Rushdie Vs Jonathan Franzen: Twitter wars of the literary kind

ガーディアン紙でジョナサン・フランゼンというアメリカ人作家氏が、

3581「紙の書籍」というものについて、「すっかり絶滅危惧種になってしまった」と嘆き、アマゾンやフェイスブックやツイッターあたりを批判して、その流れでラシュディ氏について「すっかりツイッターべったりになっちゃっててもうほんと残念。もっとものの分かってる人だと思ってたのに」と書いている。

それに対してラシュディ氏が、

rushdie520「フランゼンさんへ。ぼくらはツイッターで十分楽しくやってます。あなたは象牙の塔で楽しくやってて下さい」とツイートして、それが500回以上RTされてるんだけれど、「フランゼン氏はツイッターをやってないので反論のしようがない。なので今のところラシュディ氏の勝ち。」と、いう記事でした。

「一方そのころ、ネオ・クルクシェトラであるツィッターのオーナーは笑いが止まらない。何しろこのサービスは現在100億ドルの資産価値があることになっている。100億ドルの戦場で、紳士淑女が毎日お互いに罵り合っている」。

勝ち負けはともかく、ラシュディ氏もフランゼン氏もどっちも文学地獄にいることには変わりがない感じするよな。


フランゼン氏がガーディアン紙に寄稿したという記事も読んでみたんですけど長い。長いよ。それはそれとして、これを「ツイッターを巡る論争」と要約しちゃうのはちょっと気の毒かなあという気もした。なんか、「世紀末ウィーンの代表的文化人」カール・クラウスに関する新刊を出すらしい。とっても長いんだけど、なんか“what’s wrong with the modern world”っていうタイトルだけでもう中身は読まなくて十分だったかも知れない。

……左翼の極北にいる人々は宗教を憎み、イスラエルは甘やかされ過ぎだと感じている。右翼の極北にいる人々は不法移民を憎み、黒人たちは甘やかされ過ぎだと感じている。同時に、今現在のこれほどまでにグローバル化した市場における経済のあらまほしき姿なんて誰一人として正解を知る者もいないし、我々の日常は混乱まみれで実質的な問題それ自体に辿り着くことも出来ていない。イラクの、ありもしない問題解決に何兆ドルも注ぎ込んだかと思えば、保険制度の問題については合意に至ることすらできていない。

やー。がんばって下さいよ。よっ、近代人。


年に一度か二度くらい、「そういやラシュディ氏ってどうしてるのかな」と検索するんですけれど、そうすると必ず何かしら誰かしらと喧嘩をしています。いつ検索しても、だいたい投げられた球を打ち返している。ちょう律儀。だもので、わたしにはラシュディ氏はなんかちょっと「いいひと」に見えてます。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

夢辞典

わたしの本棚に、『イブン・シーリーンの夢辞典(”Ibn Seerin’s Dictionary of Dreams”)』という御本がある。


Ibn Seerin’s Dictionary of Dreams: According to Islamic Inner Traditions

何て言うか、たたずまいからして「いかにも」な感じの。printed in Indiaとなっている。

イブン・シーリーンさんというのは8世紀ごろの人物で、ハディースの語り手の一人であるアナス・イブン・マーリクさんと同世代。御本にもよるがシーリーンさんは、サハーバ(ムハンマドの生存中に彼と宗教を共にした、いわゆる「教友」と呼ばれる人々)の一人に数えられていることもある。

ここでちょっと説明を入れると、(ここから)

歴史を通じて、ムスリムたちは夢を非常に重要視してきた。ムスリムたちによる夢判断の歴史は、ほとんどイスラムという宗教の始まりと同じ頃くらいまで遡ることができる。ハディースにも「夢判断」の項があるくらいだ。

コーランの一部は、夢を介してムハンマドに啓示されたとも信じられてきた。生前のムハンマドは、コーランとして啓示されたもの以外にも預言的な夢を数多く受け取っていたし、天に召される直前には「わたしが死ねば預言という(かたちでの)吉報は届かなくなる。ただし、『正夢』を除いては」という言葉を遺している。それも相まって彼の死後、夢はますます大切にされるようになった。神さまとのコミュニケーションの、唯一かつ主要な手段が夢の他に何も無くなってしまったからだ。

ムハンマドはまた、「夢の中で私に出会った者は、実際に私に会ったのだ。シャイターンも、夢の中では私のふりをすることが出来ないから(偽物の生じる余地がない)」とも言い残している。それで彼が出現する夢は、他のどのような夢とも違って別格の扱いを受けた。

ここで「誰が見た夢なのか」というのが重要になってくるのは自然なことで、そこを利用して…と言っては言葉が悪いけど、まあそのようなわけで「こんな夢を見た」「あんな夢を見た」という報告が沢山収集されるようになった。ことに禁欲主義者/のちのスーフィーの皆さんは、こうした夢に関する報告の収集に大変熱心で、時としてそれが権威付けの根拠になるようなこともあった。


The Early Muslim Tradition of Dream Interpretation (Suny Series in Islam)

(ここまで、ジョン・ラモローちう学者せんせいの御本の受け売りな)

ここで最初の御本に戻るが、

「夢判断」と言えばシーリーンさん。夢判断関連の御本でシーリーンさんの名に触れていないものはないというくらいの、この分野の第一人者と呼んで差し支えないような人物。と、「されている」。

シーリーンさんの名が冠されている夢判断の御本は巷に沢山あふれている。いるのだけれど、 大層な博学者さんだったというシーリーンさんが、実際に夢判断の分野でもとても優れていたのは本当だとしても、彼の名が冠されていようが何だろうが、シーリーンさん自身が実際に何かしら御本を執筆したとは考えにくく、大体が後世の聞き書きだったりするそうだ。これを最初に知ったときはちょぴっとだけがっかりした。

それはそれとして、『夢辞典』はとても面白い。全部を全部読んだわけじゃないけど。辞典なので、例えば「蟻」とか、「黒色」とか「青色」とか、そういうふうにひょこっと気になるのをめくってはながめ、めくってはながめしている。ちなみに蟻は(蟻の夢は)、 「弱い者」を意味するんだって。夢の中で蟻のおしゃべりの意味が分かったら、それは「権力」を意味するんだって。夢の中で蟻を踏んじゃったら、「弱い者いじめ」を意味するんだって。「黒色」はとにかく金!財産!売上倍増!とかそんな感じらしい。でも普段は黒い服を身につけない人が夢の中で黒い服を着てたら、それは悲しい出来事という意味なんだそうだ。「青色」も、悲しいとか寂しいとかそういう意味の何かなんだって。

この御本、一応「イブン・シーリーン」の名が冠されており、「テンプル大学宗教学部マフムード・アイユーブ教授」のご推薦の一文なんていうのもついている。これが「後世の聞き書き」である可能性には全く触れられていない。でもおもしろい。出来過ぎている感じも含めて。やっぱり偽作なのか。そうなのだろうな。面白いけど。ぬーん。

と、なっていたところに『オリエントの夢文化』という御本があるのを見つけた。


オリエントの夢文化―夢判断と夢神話

第二章「中世オリエントの夢判断」の2、「アラブの夢判断とイブン・シーリーン」の項で、著者の矢島せんせいはトゥーフィーク・ファハドという現代の学者氏の御本を引用しつつこう仰っている:

……イブン・シーリーンの項目はなんと三ページ半しか割かれていない。イブン・シーリーンがきわめて篤信の敬神家であり、学識の深いイマームであったことを記してから、著者は次のように言っている。

私の知る限り、イブン・シーリーンの唯一の夢判断はイブン・サアドが伝えるもので、彼と同じ年(110年=西暦728年)に亡くなったアルハサン・アルバスリーに関するものである。(それによると)ある男がイブン・シーリーンに言った。「私は鳥が飛んでいて、アルハサン(イブン・アビー・アルハサン・アルバスリー)を捕らえ、小石のようにモスクに落とすのを見ました」。彼は答えて言った。「あなたの夢が本当ならば、アルハサンは(じきに)死ぬ」。アルハサンはそののち僅かしか生きなかった。

イブン・シーリーンの「超能力」をたたえるこの種の逸話は広大に数多く作られたようだが、イブン・シーリーンに「夢判断」に関する著作はなかったようであり、かなりの大学者であったこの人物への尊敬の念が最大の夢判断者という俗説を作り上げたというのが真相のようだ。それはあたかも、日本において多くの奇蹟的な出来事を弘法大師に帰するようなものであった。

矢島せんせいはこの項でイブン・シーリーンの名に帰されている『タフシール・アルアフラーム』について解説なさった上で、結論づけつつ最後のとこで「…一篇の小文学作品の趣があり」としつつ「今これらを取り出す余裕はないので別の機会にゆずることにする」としめくくっておられる。

が、この御本は矢島せんせいの遺稿でもあるそうで。と、いうことは、別の機会は(少なくともこの世では)もう無いのであった。あー。

シーリーンさんご自身はとにかく御本が好きじゃなかったらしい。どうしても読まなきゃいけないもの(手紙とか)はしぶしぶ読んでも、読み終わったらすぐに捨てちゃう。お友達に「ちょっと引越しするんで、その間だけでも荷物預かってくれない?」と頼まれても、「本以外なら預かるけど、本は絶対やだ。本なんかにおれんちの敷居をまたがせない。引越しなら、良い機会だからおまえも捨てろ」と断った。と、いう話が、これはEncyclopedia of Islam & the Muslim Worldに出ていた(気がする。要確認)。

ちなみに『夢辞典』には「本」の項もある。けっこう長々、細々と書かれている。例えば夢の中で、子どもが(御本を)持ってきてくれたら近いうちに良い知らせが届く。 右手に持って歩いてたら幸運が舞い込む。左手に持って歩いてたら災難が舞い込む。

そして御本を破ったり捨てたりしてたら、「災難が解消し、試練から解放され、邪悪な敵対者が消え去る」んだそうだ。あー。

秋ですね。