halal sex shop

「ハラールのセックスショップって何だよ?!(意訳)」っていう記事を見かけました。
“Turkish delight: What makes a sex shop halal?”

学者ポジションからはハムザ・ユースフ氏が、電話インタビューに応じてコメントして(させられて)います。

「もともと、ハーブやらを使用した催淫剤みたいのは昔から(イスラム圏には)存在してたし、それこそ何でもあると言っていい。ただ、今まではそれを広告したりしなかっただけ」「だから変化したのは資本主義に合致した方法が採用されるようになったという点であって、性的な商品がトレンドになったということではない」「宗教のマネタイズですね」「豚由来のコンドームはハラームです」「いや、バイブレーターがハラームっていうか異物を体内に入れるのがハラーム。そういう意味では浣腸もだめ」

ムハンマドが信者たちに対して、奥さんをちゃんと大事に扱え的な(それもかなり具体的な)説教をした、という記録について問われたハムザせんせいは「(性的な意味で)お上品ぶるというところのない文化というか……、それでも礼儀作法が重要なことにはかわりがないです」と答えている。ハムザせんせい、ぜんたいてきにちょっとつらそうです。つらそうなんだけど、でも頑張ってる。そこでわたしも頑張って、件のショップ(ネットショップ)を閲覧してみたらちょうハラールでした:http://bayan.helalsexshop.com/

香水とか、マッサージクリームとかオイルとかが売られています。

記事によれば、ここで取り上げられている38歳のトルコ人起業家氏が立ち上げたネットショップ、日曜の一日だけでも33000アクセスを稼いでるそうです。何もこれがハラールを謳った初のセックスショップというのではなく、他にもあちこちに色々と複数あるとのこと。オランダ在のムスリム氏が2010年頃から運営する同様のネットショップでは、「イスラムの教えに従って」購入者のログインページを男性用・女性用と別々に用意していたりもするのだそう。

と、ここで気がついたのだけれど、↑のショップのurlにある”bayan”というのは「婦人」という意味なので、もしかすると”bayan”を”bay”(紳士)に変えたら殿方向けサイトが閲覧できるのかも知れないという重大事に気がついたのですが、わたしは閲覧していません。閲覧していませんからわかりません!



トロントで開催されたハラールフード・フェスタの予告動画。”Foodies”っていうのは”Hoodies”にかけてるのかな。


アズハル・ウスマンがちょろちょろしている。こういうのはいいな。なんか楽しそう。自分たちでやってる感が漂ってるからだろうか?「○○億円市場!」だの「16億人の購買者!」だの、そういうのを聞かされると「いやん」ってなっちゃうのは仕方が無いよね。何て言うの。それこそお上品ぶるわけじゃないけど礼儀作法は大事、みたいな感じだわ。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

読んでもいない御本について

歴史学者のデニス・スペルバーグさんによる『トーマス・ジェファーソンのコーラン:イスラムが建国の父に与えた影響』という(ようなタイトルの)御本についての記事。
Thomas Jefferson’s Quran: How Islam Shaped the Founders

米国独立宣言の初稿執筆者であり「建国の父」の一人に数えられるトーマス・ジェファーソン(米合衆国第3代大統領)が、その独立宣言執筆の11年前にコーランを買い求めていたこと、以降も生涯に渡って中東の言語や文化、イスラム教に関する書籍や旅行記などを熱心に収集し続けていたことを踏まえて、彼のイスラム教に対する興味や造詣が、のちの独立宣言や彼の政治活動にどのような影響を及ぼしたかを検証する御本、なのだそう。

“Not Even Past”というサイトで、この御本について著者のデニスさんのインタビューが視聴できる。

デニスさんのご専門はイスラム史。この御本の主題は、でもイスラム史というか「アメリカ合衆国と宗教」で、合衆国は建国当時「キリスト教国」としてデザインされたわけではなく、むしろ多宗教国家がイメージされていたことや、当然イスラム教徒もまた将来的には合衆国の市民となるだろうことは1700年の建国当時から予測されていたのだ、というような構成とのこと。ホワイトハウスで最初にイフタールを開催したのはジェファーソンさんで、招待客はチュニジアからの使節のひとだった、とか、そういう「ちょっと面白い話」なんかも。


トーマス・ジェファーソンが所有していたコーランについては、2007年にミネソタ州代表の連邦議員に選出されたキース・エリソンさんが就任式の際にこれを用いて宣誓したことでスポットライトが当たった:米国初のイスラム教徒下院議員、コーランで宣誓

そういうものがある、ということがそれまで全く知られていなかったというわけでもない。とは言うものの、例えばネイション・オブ・イスラム(後述)であるとか(キースさん自身、ネイション・オブ・イスラムとはつながりの深い人物)、在米のイスラム教徒たちの間ではわりかし引き合いに出されることはあったとしても、「どうだ、イスラムはすごいだろう」的なごじまんのねた程度のものであって、その前後関係であるとか、アメリカの歴史における意味合いといった点にまでは、あんまり考えられてはこなかったように思う。キースさんの宣誓の際の話題も、集まった注目の半分以上は「初のイスラム教徒の連邦議員が!」「聖書じゃなくコーランで宣誓!」の方であって、合衆国第3代大統領がコーランを持っていた、の方についてはスルーされてるぽいかった。


デニスさんの御本は読んだことがないけれど、お名前だけは知っている。

何年か前、ある女性の小説家がムハンマドとアーイシャをテーマに長編小説を書いた。それを出版予定だったランダムハウスが、やはりアーイシャを中心にイスラム初期を描写した御本を既に出版していたデニスさんとこに持ち込んで推薦文をお願いしたところ、デニスさんはがっつり歴史考証を加えて「ここ間違ってる」「ここ間違ってる」と駄目出しをした上で「下らない」「ばかばかしい」「神聖視されている歴史上の人物をソフトコアポルノ(これも後述)に書き換えるようなお遊びはするべきではない」「国家の安全保障を考えろ」と断った、っていう:Prophet Muhammad novel scrapped

2008年の出来事ですね。デニスさんの発言が「センサーシップだ!」って批判されたりしていた。

多分アメリカが中心だと思うんだけど、「ヤング・アダルト」という文芸ジャンルがある。日本で言うところの「ラノベ」とかそういう感じの。2001年9月11日以降、この「ヤング・アダルト」のジャンルに中東ものがものすごく増えた。それ以前からも、例えばディズニーのプリンセス・シリーズのようにコケイジャンではない主人公が活躍する物語を増やしていこうみたいなのはあったけど、2001年9月11日以降はそれが特に顕著になった感があった。

そうなればなったで、日本で言うところの「塩野七生問題」「司馬遼問題」みたいのも起きてくる。そういう感じ。結局、件の小説はランダムハウスではなく別の出版社から出版された。でも小説そのものは、その後あまり話題にもならなかった。ように、記憶している。


「ネイション・オブ・イスラム」について。
彼らについては色々と言うひとは言うけれど、まあ世の中には色々なひとたちがいるんだよ、と思う。とは言っても自分も以前は「ちょっとどうなの」と思ってたこともあったことは告白しておかなくては。

私がイスラムのお勉強(ごっこ)を始めたばかりの頃、今はもう天国の住人となってしまった義理パパが御本を一冊くれた。モハメド・アリの直筆サイン入り(!)の、ネイション・オブ・イスラムで発行しているイスラム解説書。当時の私はネイション・オブ・イスラムにあんまり良い印象を持っておらず、それで義理パパに「ネイションってどうなの」的なことを言った。そしたら義理パパに「きみはルイス・ファラカーンがどれくらいコミュニティに貢献したかを知った上でそういう意見を述べているのかね」と諭された。かなり恥ずかしかった。

先日、アントニオ猪木がイスラム教徒になった、というのが局所的に話題になっていた。最初に彼に宣教をしたのはモハメド・アリだったという話も聞いた。10年~15年くらい前まで、ネイション・オブ・イスラムは異人種婚には否定的な態度だったし、非黒人に宣教するということもしなかった。変化って起きるんだなあと思った。ネイション・オブ・イスラムに限らずどんな集団でも腐るときは腐るし、同時にどんな集団にもイノベーターはいる。

「ソフトコアポルノ」
ついでに告白すると、日ムス協会で取り扱ってる『預言者の妻たち』ってのがありますね。あれ、わたしすんごい苦手なんですよ。まさにソフトコアポルノという感想しかない。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

ダンボ、マララ

NYのあちこちで落書き巡業中のバンクシーが何やら動画を公開していた:

「Rebel rocket attack」というタイトルの、1分30秒の中に色々詰まっている(ように見える)動画。左下に(ごていねいに)アルジャジーラのロゴが映った状態で始まって、rebel(反乱軍)が空に向ってロケット砲をぶっぱなすと命中して落ちて来たのはダンボ。「アッラーフ・アクバル!」「アッラーフ・アクバル!」と大喜びの男たち。小さな男の子が心配そうにダンボを覗き込み、後ろからやって来たもう一人の大人にケリを入れる。おしまい。

この動画が、あっと言う間に400万view超の視聴数を稼いでいる。あちこちのメディアでも取り上げられているけれど、でもバンクシーがこの動画を通して何を言おうとしているのかっていうのはなんかまだ解釈がほとんど出ていないというか。「これは一体どう解釈すれば……?」みたいな感じになってる。

youtubeのコメント欄を見ると、結構な数の人が「ダンボ、RIP」とかとやっている。こういう目に合うはずがない、合わせちゃいけないキャラなんですねダンボは。ダンボにあまり思い入れのない文化圏にいるわたしには、むしろ「そこが君らのツボなのですか」と新鮮に映る。

シリア内戦(って、もう呼んじゃって良いだろう)について。政府軍も反体制派も、ものすごい数の動画や写真を次々にネット上にアップロードしている。戦争当事者がここまであけっぴろげに情報発信しちゃうってどういうことなんですか、っていうくらい。そしてそれをまた多くの人が見ている。見ているはずなんだけれど、アメリカが参戦するかも?ってなった時だけは「瞬間視聴率」がものすごい上がったものの、なんかもう全体的にダれにダれてるというか何ともならない感じで、それでも毎日毎日ものすごく夥しい数の写真やら動画やらが出回り続けている。

そういう動画の中で、どれかひとつでも公開してからたった3日で400万viewを集めるほど注目を浴びたものがあっただろうか。匿名グラフィッカーが作成した1分30秒の「おふざけ」の中で殺された非実在ダンボと同じ量の「RIP」を受け取った実在の死者はいただろうか?

FP誌はこの動画を「バンクシー、反乱軍とアルジャジーラとディズニーのパロディを作成」という見出しで取り上げていたけど、いやあ。パロディにされてるのはどう考えてもおれたちの方だよなあ、と思ったのだった。


というか、何も↑の動画が目的でガーディアン紙のサイトを開いたのではなかったのだった:Malala Yousafzai: ‘It’s hard to kill. Maybe that’s why his hand was shaking’

マララ嬢のインタビューが掲載されている。彼女を狙撃したのは20代の、「まだ男の子と呼ばれるような年頃の人物」で、彼女を撃つとき彼の手は震えていた、という見出しの記事。「人を殺すのは怖いことだったろうと思う。だから、彼の手は震えていたのだろう」と言っている。

インタビューのページの右側カラムにバンクシーの動画へのリンクがあったため、ついつい先にそっちを視聴してしまったものだから、記事を読みながら最初はマララ嬢がダンボに見えて仕方がなかったのだけれど、読み進めてみたら腹が座っててなんかすごい。「かよわい少女がけなげにがんばってる」とかという程度のはなしではない。「政治家になりたい」という彼女の発言があちこちの報道で取り上げられていたけれど、その発言にしても、一連の出来事について政治臭がすると言われていることについても、「だって私自身が政治家志望なんだから当然だと思います」と、批判になっていませんよ、と言っている。「金を稼ぐのが目的で外国に行ったんだ、汚い、狡い、アメリカの手先だ、CIAに違いない、……皆同じことを言う。気にしない。私には目的がある」。つよい。


マララさん:ノーベル賞期待、住民は報復恐れ沈黙

御一家が現在イギリス在だからか何だか、英紙はどこも一団となってマララ、マララとやっている。ノーベル賞誘致じみている。取っても取らなくても、どっちにしてもバックアップはし続けてあげてほしい。持ち上げた以上、引きずり降ろすみたいなことはしないであげてほしい(例:アヤーン・ヒルシ・アリ)。何て言うか。

これはあれだな、初めて『風の谷のナウシカ』観たときにほんのり感じたもやもやと一緒だなあ。

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。

週末の読書

土曜日にお出かけした帰り道に出来心で古本屋さんに入ったら、「八木亀太郎論文集」というのがなんだか良いにおいがした。箱にI・IIと2冊入ってるののうち、Iをひっぱりだして目次を見たらこんな感じでした:

第1巻<目次>
言語学と宗教史
波斯スーフィー教義の発達
ルーミーの長詩について
回教におけるTasawwufの分類に関する考察
回教思想
古代波斯社会制度の文献学的考察
ゴレスターンの一異本について
ペルシヤ神秘思想の特質
波斯語に現れる土耳古語について

じいさんあんた誰なんだ、ってなった。来いよ亀太郎、って連れて帰ってきた。


1巻は昭和19年から28年にかけて発表された論文を集めたもの、2巻は昭和34年から54年のそれ、という構成で、1巻は縦組、2巻は横組になっている。2巻がなんだか「へえ……」ってなるようなおはなしが色々あって、思いのほかおもしろい。波斯、じゃなかった、イランの現代国語教育についての報告とか。

それと、米国現代俳句事情なんていうのが!「米俳句の歴史、現状及び問題点」ですって。俳句好きのアメリカ人。時々見かけるけど、HaikuっていうかZenがほんとうにだあい好きですよね。

読んでいると、ちょこちょことアメリカ人の日本学者ハロルド・ヘンダーソンさん、というお名前が出てくる。かめたろうはこのヘンダーソンさんという人とおともだちだったようだ。彼とお手紙をやり取りしつつ、この文章を書いていらっしゃるんだけど、読み進めていたらこのヘンダーソンさんという人について、「かつてコロンビア大学の日本語教授だった頃は、度々日本に来ており、とくに、戦時中、日本美術の研究家であった故Warner博士と協力して、奈良、京都の爆撃をせぬようルーズベルトに進言してこれを諌止せしめたことで有名である」とあった。

亀太郎は昭和14年から満鉄東亜経済調査局で西南アジア班の研究主任をやっておられたそうだ。昭和21年まで、とあるから、つまり調査局解散まで見届けた人のひとりなのでしょうか。

「イランの現代国語教育」というのもおもしろうございました。現代と言ってもここで扱われているのは革命前、王制時代の教育制度のことで、そういう意味で興味深いです。当時の王制がやっていた「文盲撲滅運動」についてであるとか、とにかくもう色々な外国製品(工業製品)が入ってくるじゃん?それをペルシャ語に訳すの?訳さないの?とか、それを言い出したらアラビア語から借りてる単語なんて昔から沢山あるじゃん、そういうのはどうするの、とか、当時のイランがどういう方向にイランを持って行こうとしていたかが国語教育から見えてくる、というようなお話。この文章が書かれたほんの1、2年後がアルゴ。

ちなみに近隣諸国の国語教育についても少しだけ触れられていた。亀太郎、さらっとふつーに「独裁者ケマル・アタ・トユルク」って書いてる。笑。

……独裁者ケマル・アタ・トユルクは、トルコの民族主義戦線を指揮して、トルコ民族の歴史的意義を強調すべく、歴史教育の変革を企図し、オスマン帝国以前の民族史を重視するとともに、トルコ人征服以前に住んでいたアナトリヤ人が、ツラン人を祖とするものであったことを、国民に周知せしめることに努め、……(中略)……このような官選歴史編纂が、正当な史学的な見解に立ってこれを見たとき、従来の史実と史実との間隙を充填する上においての十分な理論的根拠を与えるに足るものでなかったことは、史家の認めるところであり、…(中略)…新しい国民的結合の重要な拠点の一つを歴史的関繁に求めようとする為政者の露骨な態度がうかがわれる。人為的、擬態的な史観が無理に正当化されんとするところに、問題があり、これは近東諸国の新しい政策に見られる共通の行き過ぎである。

これの後でイランについて、「種々の観点において、トルコに酷似したものをもっている」と亀翁はおっしゃっている。繰り返しになるけれど、ここで言われるイランというのはシャーのイランで、宗教色を一掃してペルセポリスだ、アケメネスだ、と民族主義路線をやっているけれども、

……過去への憧憬が科学的考証に基ずくというよりも、むしろ、恣意的独善的な歴史的事実の再構に逸脱したかの観があるが、これも政治的考慮を参酌して考えると、やむを得ざるに出でたものと解せられる。

この「恣意的独善的な歴史的事実の再構に逸脱」というのの、民族主義ヴァージョンではなく宗教ヴァージョンをやっているのがサウジアラビアですねわかります


人よ、恋人よ、浮世より旅出の時は来たりぬ。
心の耳朶を打つは出発の太鼓の音か。
見よ、駱駝引は起ちて綱を飾り。
惜別を告げぬ、何故に眠るやカラバンよ。
前に、後に、響くは旅出の音と駱駝の鈴の音のみ。
時々に、又刻々に、霊と、又霊は虚空に消へ。
倒燭の天地より、青藍の幕より、去りゆく。
何故に眠る…おゝカラバンよ、この貴き眠りを。
嗚呼、心よ、心に行け、嗚呼友よ友にゆけ。
天さかる日の彼方に浄土の法悦ぞあらん。
あゝ、駱駝引よ、起きよ、眠るべからず。
汝は土なりしも魂となり、愚なりも賢となりたり。
かくの如く汝を惹きし無形の力は。
又汝を惹きて幽遠の至境に導かん。
其惹きゆく力にこそ苦悩の妙諦を観ずべし。
行け、火は水にも似たり。天来の苦痛を嘆ずる勿れ。
(シエムセ・タブリーズ)

亀太郎……カッコイイ(;;)

別のところに書いたのを、こちらに保存しました。にしても亀太郎……カッコイイ(;;)

サルマン・ラシュディvsジョナサン・フランゼン

そういやサルマン・ラシュディ氏って今どうしてるのかな、と思って検索したら「サルマン・ラシュディvsジョナサン・フランゼン ツイッターを巡る文学っぽい戦争」と題された記事を見つけた。
Salman Rushdie Vs Jonathan Franzen: Twitter wars of the literary kind

ガーディアン紙でジョナサン・フランゼンというアメリカ人作家氏が、

3581「紙の書籍」というものについて、「すっかり絶滅危惧種になってしまった」と嘆き、アマゾンやフェイスブックやツイッターあたりを批判して、その流れでラシュディ氏について「すっかりツイッターべったりになっちゃっててもうほんと残念。もっとものの分かってる人だと思ってたのに」と書いている。

それに対してラシュディ氏が、

rushdie520「フランゼンさんへ。ぼくらはツイッターで十分楽しくやってます。あなたは象牙の塔で楽しくやってて下さい」とツイートして、それが500回以上RTされてるんだけれど、「フランゼン氏はツイッターをやってないので反論のしようがない。なので今のところラシュディ氏の勝ち。」と、いう記事でした。

「一方そのころ、ネオ・クルクシェトラであるツィッターのオーナーは笑いが止まらない。何しろこのサービスは現在100億ドルの資産価値があることになっている。100億ドルの戦場で、紳士淑女が毎日お互いに罵り合っている」。

勝ち負けはともかく、ラシュディ氏もフランゼン氏もどっちも文学地獄にいることには変わりがない感じするよな。


フランゼン氏がガーディアン紙に寄稿したという記事も読んでみたんですけど長い。長いよ。それはそれとして、これを「ツイッターを巡る論争」と要約しちゃうのはちょっと気の毒かなあという気もした。なんか、「世紀末ウィーンの代表的文化人」カール・クラウスに関する新刊を出すらしい。とっても長いんだけど、なんか“what’s wrong with the modern world”っていうタイトルだけでもう中身は読まなくて十分だったかも知れない。

……左翼の極北にいる人々は宗教を憎み、イスラエルは甘やかされ過ぎだと感じている。右翼の極北にいる人々は不法移民を憎み、黒人たちは甘やかされ過ぎだと感じている。同時に、今現在のこれほどまでにグローバル化した市場における経済のあらまほしき姿なんて誰一人として正解を知る者もいないし、我々の日常は混乱まみれで実質的な問題それ自体に辿り着くことも出来ていない。イラクの、ありもしない問題解決に何兆ドルも注ぎ込んだかと思えば、保険制度の問題については合意に至ることすらできていない。

やー。がんばって下さいよ。よっ、近代人。


年に一度か二度くらい、「そういやラシュディ氏ってどうしてるのかな」と検索するんですけれど、そうすると必ず何かしら誰かしらと喧嘩をしています。いつ検索しても、だいたい投げられた球を打ち返している。ちょう律儀。だもので、わたしにはラシュディ氏はなんかちょっと「いいひと」に見えてます。

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