年表・The A to Z of Sufismから (11)

前回からの続きです。

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18世紀初頭/12世紀 ミールザー・ハーン・アンサーリー没。バーヤズィード・アンサーリーの子孫。アウラングゼーブ治世の末期における一流の神秘詩人。

18/12世紀 バドル・アル=ヒジャーズィー没。スーフィズムの堕落を風刺する作品を著した。イブラーヒーム・ハック・エルズルムル没。トルコのスーフィー、著述家。ハーシム・シャー没。ブッレー・シャーと同時代の人物。民話を用いて神秘主義を表現した。フワージャ・ムハンマド・バンガシュ没。神秘主義の教えをパシュトー語で表現した詩人。チシュティー教団に属した。

1700/1111~2 アブドゥルアハド・ギュル没。インドの指導者。サアドゥッラー・グルシャンの導師。モロッコの新スーフィー、アブドゥルアズィーズ・アッ=ダッバーグの活躍。

1707/1119頃 ワリー・デッカニー(ワリー・モハメド・ワリー)没。南インドの偉大な神秘詩人。

1717/1130 マフムード・バフリー没。インドのチシュティー教団に属した。ペルシャ語・ウルドゥー語詩人。

1718/1130 シャー・イナーヤト・シャヒード没。神秘家、指導者。多くの熱心なスーフィー志望者を惹きつけた。

1719/1132 祁静一(き・じんぎ)没。別名ヒラールッディーン。中国におけるカーディリー教団創始者。

1721/1133 ミールザー・アブドゥルカーディル・ビーディル没。絶えず食事の話題を持ち出すスーフィーを批判した詩人。

1724/1136~7 イスマーイール・ハック・ブルセヴィー没。トルコの神秘詩人。ルーミー『マスナヴィー』の注解を著した。

1728/1140~1 サアドゥッラー・グルシャン没。ペルシャ詩人。音楽を愛好し、デリーの音楽界の一端を担った。

1731/1143 アブドゥルガニー・アン=ナーブルスィー没。シリアのシャフィーイー派学者、詩人。イブン・アル=ファリード注解を著したスーフィー。ナクシュバンディー、カーディリーの両教団に属した。

1738/1151 スライマーン・ナーヒフィー没。ルーミー『マスナウィー』注釈をトルコ語に訳した。

1740/1153 ピール・ムハンマド・ズバイル没。四代目にして最後のインド・ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派カッユーム(高位者)。

18世紀中頃/12世紀 ディーワーン・ギドゥマル没。シンドの英国人牧師。ナーディル・シャーの侵攻に際し、土地の諸聖者たちの塵を献上した。

1747/1160 ナーディル・シャー没。アフガニスタンの軍閥指導者。1722年にペルシャを征服。

1752/1165 シャー・アブドゥッラティーフ・ビターイー没。シンド州ハイデラバード出身の神秘家・詩人。

1754/1167 ジャーナッラー・リズウィー没。シンド出身の卓越したペルシャ詩人。

1759/1172 ナースィル・ムハンマド没。インドのナクシュバンディー教団ムジャッディディー派に属した。ミール・ダードの父。アンダリーブ(ナイチンゲール)の筆名でウルドゥー詩を著した。

1760/1173~4 マクドゥーム・ムハンマド・ハーシム没。「素面(しらふ)」の神秘家。タッター郊外のマクリの丘などにおける舞踊など、宗教の感情的な側面を擁護するスーフィーを攻撃した。

1762/1175~6 デリーのシャー・ワリーウッラー没。インドの学者、改革者。コーランをペルシャ語に訳した。ナクシュバンディーとカーディーリーの両教団に属した。

1766/1180 馬来遅(ま・らいち)没。中国ナクシュバンディー派の著名な指導者。

1767/1181 ブッレー・シャー没。パンジャーブの最も偉大なスーフィー詩人。

1778/1192 アブドゥルラヒーム・ギルホリ没。スフラワルディー派の神秘家、宣教師。

1781/1195 マズハル・ジャーニ・ジャナーン没。ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派(改革派)。インド・シーア派とは軍事的に敵対した。馬明心(ま・めいしん)没。中国スーフィズムの主要人物。

1785/1199 フワージャ・ミール・ダード没。著名なインド・ナクシュバンディー派詩人、著述家。アブドゥルサマド・パリンバーニー(パレンバンのアブドゥルサマド)、スマトラで活躍。

18世紀終わり/13世紀初頭  ワーリス・シャー没。パンジャーブの詩人。

1792/1207 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ没。 近代のスーフィズム批判の中心的人物。

1799/1213~4 ガーリブ・デデ没。古典トルコ語詩人。マウラウィー教団に属し、イスタンブルのガラタ・テッケ(修道場)のシャイフをつとめた。

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人名にしても地名にしても、カタカナ表記を探りあてるのがむつかしいです。こちらなどで作成されている外来語(カタカナ)表記ガイドライン (pdf) みたいなのとか、あちらなどで作成されているJTF 日本語標準スタイルガイド(翻訳用) (pdf) みたいなのがほしいです。

それはともかく、18世紀も18世紀でさらに色々と騒がしく世界が煮えくり返っており、そこまで悟りきれていない身としては色々と付け加えたくなる感じではありますが、ひとまずここまでで。画像を一枚、貼っておきます。メッカのお姿、1889年。南満州鉄道東亜経済調査局蔵書之印入り。

View of the mosque, while congregational Çalat [i.e., Salat] are being held inside
View of the mosque, while congregational Çalat [i.e., Salat] are being held inside
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年表・The A to Z of Sufismから (10)

前回からの続きです。

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18世紀初頭/12世紀 ミールザー・ハーン・アンサーリー没。バーヤズィード・アンサーリーの子孫。アウラングゼーブ治世の末期における一流の神秘詩人。

18/12世紀 バドル・アル=ヒジャーズィー没。スーフィズムの堕落を風刺する作品を著した。イブラーヒーム・ハック・エルズルムル没。トルコのスーフィー、著述家。ハーシム・シャー没。ブッレー・シャーと同時代の人物。民話を用いて神秘主義を表現した。フワージャ・ムハンマド・バンガシュ没。神秘主義の教えをパシュトー語で表現した詩人。チシュティー教団に属した。

1700/1111~2 アブドゥルアハド・ギュル没。インドの指導者。サアドゥッラー・グルシャンの導師。モロッコの新スーフィー、アブドゥルアズィーズ・アッ=ダッバーグの活躍。

1707/1119頃 ワリー・デッカニー(ワリー・モハメド・ワリー)没。南インドの偉大な神秘詩人。

1717/1130 マフムード・バフリー没。インドのチシュティー教団に属した。ペルシャ語・ウルドゥー語詩人。

1718/1130 シャー・イナーヤト・シャヒード没。神秘家、指導者。多くの熱心なスーフィー志望者を惹きつけた。

1719/1132 祁静一(き・じんぎ)没。別名ヒラールッディーン。中国におけるカーディリー教団創始者。

1721/1133 ミールザー・アブドゥルカーディル・ビーディル没。絶えず食物の話題を持ち出すスーフィーを批判した詩人。

1724/1136~7 イスマーイール・ハック・ブルセヴィー没。トルコの神秘詩人。ルーミー『マスナヴィー』の注解を著した。

1728/1140~1 サアドゥッラー・グルシャン没。ペルシャ詩人。音楽を愛好し、デリーの音楽界の一端を担った。

1731/1143 アブドゥルガニー・アン=ナーブルスィー没。シリアのシャフィーイー派学者、詩人。イブン・アル=ファリード注解を著したスーフィー。ナクシュバンディー、カーディリーの両教団に属した。

1738/1151 スライマーン・ナーヒフィー没。ルーミー『マスナウィー』注釈をトルコ語に訳した。

1740/1153 ピール・ムハンマド・ズバイル没。四代目にして最後のインド・ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派カッユーム(高位者)。

18世紀中頃/12世紀 ディーワーン・ギドゥマル没。英国領シンドの説教師。ナーディル・シャーの侵攻に際し、土地の諸聖者たちの塵を献上した。

1747/1160 ナーディル・シャー没。アフガニスタンの軍閥指導者。1722年にペルシャを征服。

1752/1165 シャー・アブドゥッラティーフ・ビターイー没。シンド州ハイデラバード出身の神秘家・詩人。

1754/1167 ジャーナッラー・リズウィー没。シンド出身の卓越したペルシャ詩人。

1759/1172 ナースィル・ムハンマド没。インドのナクシュバンディー教団ムジャッディディー派に属した。ミール・ダードの父。アンダリーブ(ナイチンゲール)の筆名でウルドゥー詩を著した。

1760/1173~4 マクドゥーム・ムハンマド・ハーシム没。「素面(しらふ)」の神秘家。タッター郊外のマクリの丘などにおける舞踊など、宗教の感情的な側面を擁護するスーフィーを攻撃した。

1762/1175~6 デリーのシャー・ワリーウッラー没。インドの学者、改革者。コーランをペルシャ語に訳した。ナクシュバンディーとカーディーリーの両教団に属した。

1766/1180 馬来遅(ま・らいち)没。中国ナクシュバンディー派の著名な指導者。

1767/1181 ブッレー・シャー没。パンジャーブの最も偉大なスーフィー詩人。

1778/1192 アブドゥルラヒーム・ギルホリ没。スフラワルディー派の神秘家、宣教師。

1781/1195 マズハル・ジャーニ・ジャナーン没。ナクシュバンディー教団ムジャッディディー派(改革派)。インド・シーア派とは軍事的に敵対した。馬明心(ま・めいしん)没。中国スーフィズムの主要人物。

1785/1199 フワージャ・ミール・ダード没。著名なインド・ナクシュバンディー派詩人、著述家。アブドゥルサマド・パリンバーニー(パレンバンのアブドゥルサマド)、スマトラで活躍。

18世紀終わり/13世紀初頭 ワーリス・シャー没。パンジャーブの詩人。

1792/1207 ムハンマド・イブン・アブドゥルワッハーブ没。 近代スーフィズム批判の中心的人物。

1799/1213~4 ガーリブ・デデ没。古典トルコ語詩人。マウラウィー教団に属し、イスタンブルのガラタ・テッケ(修道場)のシャイフをつとめた。

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いかにも知ってるもんね的な感じで項目と項目の間に埋まっている「ディーワーン・ギドゥマル」ですが、これ本当にまったく誰のことやら分かりません。なんとなく、賢者の逸話風に記憶されている出来事なのであろうとは思うのですが、まったくの初耳です。南アジア、本当に知らないことばかりだ。南アジアに限ったことではないんですが。うろうろしていて、こんなページを見つけました:Persian Literature in Translation – The Packard Humanities Institute ←ここに置いてあるA History of Sindに登場していました。それと、こんな記事も見つけた:Daya Ram Gidumal of Sindh — a silent servant, a silent sufferer

そうしたわけで、そろそろ植民地化の波がスーフィズム年表上でも表面化し始めました。前回、「淡々としたものですね」などと他人事のようにぬかしていましたが、イギリス東インド会社の設立は1600年ですから油断し過ぎです。第二次ウィーン包囲は前世紀末期の1683年。これが大失敗。1699年カルロヴィッツ条約。明けて1700年コンスタンティノポリ条約。18世紀のキーフレーズとなるのは「イスラム改革運動」というあれですね。試しに18th century Islamと検索窓に打ち込んでみたところ、reform movementとかrevivalとかといった単語をサジェストされました。

「マクリの丘」というのはこんな感じユネスコ世界遺産登録もされているムスリム世界では最大規模の墓所、だそうです。Makliというのは「小メッカ」くらいの意味合いらしい。ここでくるくる踊っていたんでしょうか。アブドゥルワッハーブさんが八つ当たりしたくもなったであろう、その心情は理解できなくはないです。

年表・The A to Z of Sufismから (9)

前回からの続きです。

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17/11世紀 バーバー・ラール・ダス没、ヒンドゥー聖者。ダーラー・シコーとの間に論争があった。サイイド・スルターン没。イブリースでさえかつては高い位階にいた者である以上は尊重されるべきであると説き、師に対してはたとえ悪魔であろうと尊敬し服従すべきであるとした。スンブル・エフェンディ没、イスタンブルのハルワティー教団シャイフ。メルケズ・エフェンディ没、スンブル・エフェンディの後継者。ラール・ウデロ没、ヒンドゥーでもありムスリムでもあると主張し、存在一性論を擁護した(ムスリム呼称はシャイフ・ターヒル)。アダム・オレアリウス没。ヨーロッパ知識人たちの愛好書となる、サアディー『薔薇園』をドイツ語に訳す。ハッジ・ムハンマド没。ベンガルの重要なスーフィーの書『光の書』著者。

1603/1012 フワージャ・バーキー・ビッラー没。 アフガニスタンのナクシュバンディー教団の学者、著述家、アフマド・シルヒンディーの師。

1605/1014 アクバル没。ムガル皇帝、バーブルの孫。頻繁にスーフィーのシャイフと交流し、自らの知るあらゆる宗教の最良の部分を織り交ぜた宗教折衷主義の確立を試みた。

1621/1031 アブドゥルラウーフ・アル=ムナーウィー没、エジプトの伝記作家。バハーウッディーン・アーミリー没、ペルシャのシーア派スーフィー詩人。

1624/1034 アフマド・シルヒンディー没。ナクシュバンディー教団の改革者。

1627/1036~7 ムガル皇帝ジャハーンギール没。ムイーヌッディーン・チシュティーの総本山にあたる町アジュメールを大理石の美麗な建築物で飾った。アフマド・バーバー没。ニジェールのスーフィーに影響をもたらした法学者。

1630/1039 シャムスッディーン・アッ=サマトラーニー没。「パサイのシャムスッディーン」として知られたインドネシアのスーフィー学者で、ウジュード論争に深く関与した。

1631/1040~1 イスマーイール・ルスヒー・アンカラーウィー没。トルコの神秘家。ルーミー『マスナヴィー』の優れた解説書を著した。ムムターズ・マハル没、シャー・ジャハーンの妻。シャー・ジャハーンは彼女の記念碑的な廟としてタージ・マハルを建立した。

1633/1042~3 ムハンマド・ガウス没。シャッターリー教団に属し、五七五名のインド=ムスリム聖者の伝記を編纂した。

1635/1044~5 「ミヤーン・ミール」の愛称で呼ばれたシンドのシャイフ・ムハンマド・ミール没。インド・カーディーリー教団のスーフィー、ムガル統治者の精神的な相談役をつとめた。

1640/1050 サドルッディーン・シーラーズィー(モッラー・サドラー)没。スフラワルディー学派思想に深く影響を受けた主要な哲学者。

1642/1052 ムハッディス・アブドゥルハック・ディフラウィー没。インドの著名なハディース学者、伝記作家。

1646/1056 マドゥーラール・フサイン(シャー・フサイン)没。パンジャーブのカーディリー派詩人。

1647/1057 ビービー・ジャマール・ハトゥン没。インドの神秘家、ミヤーン・ミールの姉妹。カーディリー教団に属した。

1653/1063 ジャアファル・アル=アイダルース没。『Safinat al-awliya(聖者伝)』をアラビア語に翻訳した。

1658/1068 ヌールッディーン・ラーニーリー没。インド・リファーイー教団のスーフィー学者。メッカに居住。ハムザ・ファンスーリー、シャムスッディーン・アッ=サマトラーニーの論敵となった。

1659/1069 ダーラー・シコー没。インド・カーディリー教団に属した。著書『二つの海の交わるところ』で知られる。

1659/1069~70 シャー・ジャハーン没。ダーラー・シコーの父、ムガル帝国君主。タージ・マハルを建立した。

1661/1071~2 サルマッド没。ユダヤ人改宗者のスーフィー。インド=ムガルにて処刑される。悪魔を模倣するよう説き、聴衆に衝撃を与えた。

1661/1072 ムッラー・シャー・バダフシー没。インドの神秘家、詩人。カーディリー教団に属した。ミヤーン・ミールの弟子・後継者。

1668/1078~9 ピール・ムハンマド・マアスーム没。アフマド・シルヒンディーの息子。アフマド・シルヒンディーは息子ムハンマドは神が選んだ四名のクトゥブのうち、彼に次いで二番目の地位にあると主張した。

1669/1079~80 ミラーン・フサイン・シャー没。ビジャープルの聖者。ハマダーニー『Tamhidat』をダッカニー=ウルドゥー語に翻訳した。

1670/1081 劉智、生まれる。中国の学者、伝記作家。スーフィー文献を中国語に翻訳した。

1677/1088 アンゲルス・シレジウス没。ドイツのキリスト教神秘家。

1678/1088 シーディー・マフムード・アル=バグダーディー没。西アフリカのスーフィー、シャイフ。殉教者であり、マフムード教団は彼の名にちなんでいると考えられている。

1681/1092 ジャハーナラー没・ムガル帝の皇女、ムッラー・シャーの弟子。アウラングゼーブ、ダーラー・シコーの姉妹にあたる。

1683/1094 シャイフ・アブドゥッラフマーン・チシュティー没。チシュティー教団のインド人指導者。

1689/1100 カスホール・カーン・カタック没。サアディー、ジャーミーの作品をペルシャ語からパシュトー語に翻訳した。

1689/1100 ゼーブンニサー没。ムガール皇帝アウラングゼーブの娘、才能ある女流詩人。

1690/1102 イブラーヒーム・イブン・ハサン・アル=クラニー没。クルド人の神秘家。

1691/1102 エドワード・ポコック没。イギリスの学者。著書においてハッラージュについての誤ったイメージを描写している。スルターン・バーフー没。著名なパンジャーブの神秘詩人。

1693/1104 アブドゥッラウーフ・アッ=シンキリー没。インドネシアのシャフィーイー派学者。シャッターリー教団に属した。スマトラ島アチェにイスラムを伝播した人物とされる。

1694/1105 ニヤーズィー・ミスリー・エフェンディ没。トルコの詩人、精神的指導者。伝統的解釈の手法を用いて注釈を著した。

1697/1108~9 ナースィル・アリー・シルヒンディー没。インドのナクシュバンディー派詩人、ベーディルの僚友。

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もうちょっと込み入った感じになるかと勝手に思い込んでいましたがそうでもなかった。これスーフィズム周辺の年表なのでそうですね、淡々としたものですね。

本日、iPhoneがだめになった。何もしてないのに、というわけではない。4年近く酷使した上に、今朝つるっと落としてしまった。うちどころがわるかったようです。もうしわけないことをした。

帰り道に電気機器やさんに立ち寄り機種変更+でんき+おうちのネット環境+おうちの電話+引き落とし口座、ぜんぶまとめて手続きしてみたら2時間強かかりました。達成感はすごくあります。ひとりじゃぜったいなしえなかった。ありがとう、おにいさんたち。

しかし疲れてしまったので、この年表に手をつけたところから人名ごとに御本だとか、何かおもしろそうなリンクであるとかをめも保存しているのをもういっこwordpress入れて一覧を作っておきたいなあと思っているのだが、それはもう今日は無理。

年表・The A to Z of Sufismから (8)

前回からの続きです。

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1405/807~8 ティムーリ・ラン(「跛者のティムール」、タメルラン)没。ティムール朝の開祖。1526年、インド北西部の支配を開始したムガール王朝の始まりを確立したバーブルの名高い祖先。彼とその家計は代々、芸術とスーフィズムの主要な庇護者であり続けた。

1406/808~9 イブン・ハルドゥーン没。北アフリカの重要な歴史家、歴史哲学者。著書『歴史序説』はスーフィズムに関する多くの情報をもたらしている。
1408/810 ムハンマド・シーリーン・マグリビー没。ペルシャ人詩人、著述家。クブラウィー教団に属した。

1417/820 イマードゥッディーン・ネスィーミー没。フルーフィー派の抒情詩人。ハッラージュに触発されている。

1419/822 フワージャ・ムハンマド・パルサー没。初期のナクシュバンディー導師。 スライマーン・チェレビー没。預言者を詩に詠んだ著名なトルコ人詩人。

1422/825 サイイド・ムハンマド・アル=フサイニー・ギースー・ダラーズ没。南インドの学者、チラーグ・デリーの弟子、著述家。チシュティー教団に属した。

1425/829頃 サイイド・アシュラフ・ジャハーンギール・シムナーニー没。ペルシャの聖者、神学者、教師。インドに住み、数多くの教団と行動を共にした(主にチシュティー)。アブドゥルカリーム・アル=ジーリー没。イラクの神秘家、『完全人間』著者。

1431/834 シャー。ニマートゥッラー・ワリー没。シリア生まれの著述家。ニマートゥッラーヒ教団を創始し、イブン・アル=アラビー神学を研究した。

1453/857 オスマン=トルコのスルタン、「征服者」メフメト一世によるコンスタンティノポリ陥落。以降、帝国は劇的な拡大を遂げていく。

1459/863 ムハンマド・アク・シャムスッディーン没。「征服者」メフメト一世に影響を与えた神秘家。

1465/869頃 アブー・アブドゥッラー・アル=ジャズーリー没。モロッコの著述家。神と預言者を信ずることを主題とした、名高いスーフィーの祈祷書を著した。
1470/874頃 エシュレフォール・ルーミー没。トルコの神秘詩人。

1490/895 フワージャ・ウバイドゥッラー・アフラール没。中央アジアのナクシュバンディーのシャイフ。アブー・アブドゥッラー・ムハンマド・アッサヌースィー没。マグリブの著述家、学者、禁欲家。

1492/897 マウラーナ・アブドゥルラフマーン・ジャーミー没。ペルシャの詩人、伝記作家。ナクシュバンディーに属した。『七つの玉座』『親愛の息吹』著者。

1492/898 ナスル朝のグラナダ放逐と、ムスリムによるスペイン支配の終焉。

1494/899 アフマド・ザッルーク没。モロッコの神秘家、著述家。

15/9~16/10世紀 インドネシアにおける「ワリ・ソンゴ(ワリ・サンガ、九聖者の意)」による布教と伝播の時代。バリーム・スルターン没。ベクター種教団の第二代導師。

1501/906~1738/1151 1501年のシャー・イスマーイールの権力掌握に始まり、サファヴィー朝がペルシャの大部分を支配する。シーア派がイランの公的な教義となり、サファヴィー朝の支配者は時にスーフィーまたは大サフィーと呼ばれた。スーフィズムと諸芸術の主要な庇護者だったが、アフガニスタンの侵略により終焉する。

1501/906~7 ミール・アリー・シール・ナヴァーイ没。中央アジアのナクシュバンディー。チャガタイ版『鳥の言葉』の著者。チャガタイ=トルコ文学を代表する偉大な文学者、完成された芸術家。

1503/909 ハムドゥッラー・ハムディ没。愛の力の恍惚性を象徴する物語『ユースフとズライハ』のトルコ語版著者。

1505/911 ジャラールッディーン・アッ=スユーティー没。主要な宗教学者、解釈者。カイロの巨大なシャーズィリー・ハーンカー(修道施設)の管理者。
1506/912 シャムスッディーン・ムハンマド・ラーヒジー没。ペルシャの詩人、ヌールバフシュ派のシャイフ。

1511/917 アリー・イブン・マイムーン・アル=ファースィー、シリアにシャーズィリー教団を広める。

1518/924 カビール没。インド人ムスリム、神秘詩人。シークの伝統の始まりにおいて、交流を通してグル・ナーナクに影響を与えた人物。ヒンドゥーのマジャパヒト王国(ジャワ)、ムスリム支配により滅亡。

1530/923頃 ムハンマド・イブン・イーサー・アル=ムフターリー没。モロッコ出身、イーサーウィー教団の創始者。

1524/930 サファヴィー朝のシャー・イスマーイール没。1501年に戦勝し、シーア派をペルシャの公的教義に定めた人物。

1530/936~7 バーブル没。ティムール朝の子孫、最終的にはインドの大半と、現代のパキスタンに相当する地域を支配することになるムガール朝の初代君主。

1532/938頃 アリー・イブン・フサイン・ワーイズ・カーシフィー没。著書『生命の泉の滴』は、フワージャ・アンサーリーを知るための主要な情報源である。

1536/942 ジャマーリー・カンボー没。シカンダル・ ローディーに仕えた宮廷神秘詩人。
1537/944 アブドルクッドゥース・ガンゴーヒー没。インドのチシュティー教団の詩人。イブン・アル=アラビーの擁護者。

1556/963 フマーユーン没。ムガル帝国第二代君主。アクバルの父。イグナチオ・デ・ロヨラ没。スペインの神秘家、イエズス会の創立者。

1560/968 ハムザ・ファンスーリー没。インドネシアの神秘主義著述家、詩人。マレーにおけるシャイル(韻詩)を発展させた。

1562/969~70 ムハンマド・ガウス・グワーリヤーリー没。インドのスーフィー。シャッターリー教団に属した。

1565/973 アブドゥル・ワッハーブ・アッ=シャラーニー没。エジプトの神秘家、伝記作家。

1566/974 「壮麗帝」スレイマン一世没。帝国の劇的な拡大を導いた。スーフィーの主要な庇護者。

1567/975 シャイフ・アリー・アル=ムッタキー没。インドのチシュティー教団の指導者。メッカに居を定めたのちは他教団と親交を深めた。

1572/980 シャイフ・サリーム・チシュティー没。アクバル皇帝の精神的導師。

1582/990 アビラのテレサ没。スペインのキリスト教神秘主義者、魂には七つの部屋があるという比喩を用いて書かれた『霊魂の城』著者。

1585/993 バーヤズィード・アンサーリー(別名ピール・ラウシャン、「輝ける師」)没・ラウシャーニー運動の設立者。ペルシャ語の韻律と作詩法をパシュトー語に取り入れた。

1591/999~1000 ムハンマド・アッ=シーラーズィー・ウルフィー没。アクバルの宮廷詩人の一人。スーフィズムの堕落を嘆いた人物。十字架のヨハネ没。スペインのキリスト教神秘主義者。『カルメル山登攀』著者。

1592/1001 王岱輿(ワン・ダイユー)没。スーフィー概念を中国語に翻訳した最初期の翻訳者。

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16世紀まできた。ヒジュラ暦1000年め、西暦で数えて970年めに中国までたどりついたぞ。17世紀以降は一世紀づつやるぞ。17世紀以降はどんどんややこしく、複雑になっていくから駆け足にも限度があるのだ。

人名、おとなりの国だというのに途端に分からなくなります。キリスト教の人たちのこともほとんど知らないのだなあとも思わされる。さすがにアッシジのフランチェスコくらいは知っていたけれども。恥ずかしながら『カルメル山登攀』の最後の漢字が読めません。そんなおぼつかなさ加減なので、がんばってるつもりでも雑に書き間違いとかしていそうで、こわい。

あと御本見つけた。


中国イスラーム哲学の形成―王岱與研究

すごい。読んでみたい。かたくて歯がかけそうだけど。

年表・The A to Z of Sufismから (7)

前回からの続きです。

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1309/709 アレキサンドリアのイブン・アター・アッラー没。エジプトの著述家、伝記作家。シャーズィリー教団に属した。『ヒカーム(知恵の格言)』著者。

1312/712 スルタン・ワラド没。トルコ人詩人、著述家、ルーミーの息子。マウラウィー教団の創始者。

1316/716 ラモン・リュイ没。 カタルーニャ(スペイン)の神秘家、学者。スーフィー文学の影響を受けている。

1321/721 ユーヌス・エムレ没。トルコの著名な詩人。ダンテ・アリギエーリ没。『神曲』著者。

1324/724 パーニーパットのシャー・アブー・アリー・カランダル没。禁欲生活を送るために神学的学問を捨てたインド人スーフィー。

1325/725 アミール・ホスロー没。インドにおけるムスリム時代の最初期における最も高名な詩人、インド=ムスリム音楽の伝統の始祖。ニザームッディーン・アウリヤー没。インドの学者、指導者。インドにおけるチシュティー教団の伝播者。

1327/728 マイスター・エックハルト没。ドイツ・ドミニコ会の神秘家。 神の言表不可能性を主張し、マイモニデスに影響を与えた。

1328/729 アミール・フサイン・ハラウィー没。スフラワルディー教団の神秘家、著述家。イブン・タイミーヤ没。中世期の主要なハンバリー派の神学者、スーフィズムの批判者。

1330/730 アブドゥルラッザーク・アル=カーシャーニー没。重要なスーフィー用語辞典の著者。

1334/735 サフィー・アッディーン・アルダビーリー没。ペルシャ人、サファウィー教団の精神的始祖。

1335/736 アブー・ル=マファーヒール・ヤフヤー・バーハルズィー没。クブラウィー教団のシャイフ。

1336/736~7 アラーゥッ=ダウラ・シムナーニー没。ペルシャ人神秘家、著述家。ハサン・シジュズィー・ディフラウィー没。チシュティー教団の伝記作家。

1337/737 マフムード・アッ=シャビスタリー没。ペルシャ人の著述家、詩人。『秘密の薔薇園』『至福論』著者。

1337/738 ブルハーヌディーン・ガリーブ没。インドの学者、チシュティー教団におけるニザームッディーン・アウリヤーの後継者。

1350/751 イブン・カイイム・アル=ジャウズィーヤ没。著名な神学者。『定められた礼拝の諸神秘』著者。同書において、讃美する者の口を通して神は自らを讃美すると説いた。ディヤーウッディーン・アン=ナフシャビー没。チシュティー教団と行動を共にしたペルシャ人著述家、詩人。『鸚鵡七十話』の著者(翻訳者)。

1353/754 ムハンマド・トゥグルク没。強大なインド王朝の統治者。1327年、多くの知識人/神秘家たちをデリーからデッカへ追放した。

1356/757 ナスィールッディーン・マフムード・チラグ・デリー没。インドのチシュティー教団の学者、ニザームッディーン・アウリヤーの後継者。

1357/758 ズィヤーウッディーン・バラニー没。 インドの歴史家。ニザームッディーンと彼がチシュティー教団にもたらした影響について著述した。

1368/770 明朝によりモンゴル元朝が滅亡。

1371/772~3 タジャドゥッディーン・スブキー没。奇跡は二十五種類に分類されるとした。

1377/779頃 イブン・バットゥータ没。北アフリカ出身。世界一周の詳細な旅行記を通して、スーフィーの生活と修道生活に関する多くの情報を残している。

1381/782 シャラフッディーン・マニーリー没。インドにおけるフィルダウスィー教団の指導者。多くの書簡を残した。

1384/785 ジャラールッディーン・フサイン・アル=ブハーリー没。 別名「マフドゥーム・ジャハーニヤーン」。あらゆる宗教分野について著述した多作の作家。ムルターン北東のウッチュに居を定めた。

1385/787 ミール・サイイド・アリー・ハマダーニー没。カシミールのクブラーウィー教団創始者として活発な働きをした。

1389/791 ムハンマド・シャムスッディーン・ハーフィズ没。著名なペルシャ神秘詩人。中央アジアのスーフィー、ナクシュバンディー教団の創始者フワージャ・バハーウッディーン・ナクシュバンド・ブハーリー没。アブー・ユースフに連なる第七代フワージャとして尊敬を受けた。

1390/792 イブン・アッバード・アッ=ルンディー没。イベリア=モロッコ系のシャーズィリーヤ教団の精神的指導者。書簡が名高い。

1391/794 バハーウッディーン・ナクシュバンド没。中央アジアのシャイフの名祖。

1394/796~7 ファドゥルッラー・アスタラバーディー没。フルフィー派伝統の開祖、指導者。

15/9世紀初頭 カイグスーズ・アブダール没。トルコの神秘詩人、著述家。ベクターシ教団に属した。

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フワージャって転写すればいいのか、それともハージャかホージャか、ちょっと迷いましたがまあいいや。なんかよくわからんがありがたい感じなんだよ、というのが伝わればそれでいいわけです。

アブドゥルラッザーク・アル=カーシャーニーさんというひとの、「重要なスーフィー用語辞典」ってこれです。


A Glossary of Sufi Technical Terms

今はなきOctagon Pressの御本。アラビア語・英語が一緒に収録されててなんかお得です。しかし「うっ」てなる値段がついている。

ちゃんと辞典なのでアラビア語のアイウエオ順に言葉が並べられています。アイウエオ順というか、いわゆる「アリフ・バー順」ではなくアブジャド順に並んでいるのでイロハ順と言った方があたっているのか(違うと思うけど、雰囲気として)。

伝統的な文字順
「アラビア文字記数法」も参照

現在使われている文字の順序では字形の似たものを1箇所にまとめているが、これとは異なり、アブジャド順というフェニキア文字以来の伝統的な文字順序も存在する。地域によって違いがあるが、もっとも一般的に行われている順序は以下のとおりである(右から左に進む)。アラビア文字を数字として使うときにもこの順序が使われる。

8つに分割して適当な母音を補い、「’abjad hawwaz ḥuṭṭī kalaman sa‘faṣ qurišat ṯaḵaḏ ḍaẓaḡ」のように唱える。 –– アラビア文字 – Wikipedia

ウィキペディア便利だなあ!

「8つに分割して適当な母音を補い」唱えられるそれは、神様のアルシュ(玉座)を支える八天使の名前だと教わりました。

69章17節。