“More Nuanced View”

4/19付 NYTの記事。「若い連中が過激化してる、過激化してると言ったって、よくよく見ると一概に『若い連中』とも言えないよねえ、というお話。
A Close Look at Brussels Offers a More Nuanced View of Radicalization

パリでもブリュッセルでも、それぞれで発生した大量無差別殺人に関連して検挙されている連中が全員、移民の家系出身の若いムスリムであったのは事実であるにせよ、注目すべき彼らの共通点は信仰ではなくむしろそのルーツにある –– ありていに言ってしまえば北アフリカ、特にモロッコ。

ブリュッセルが移民を引き寄せるようになったのは60年代、ベルギー政府が労働力として積極的に移民を誘致したのがはじまりで、その時に大量にやってきたのがモロッコ系とトルコ系。今ではどちらもがムスリム人口の二大マジョリティとなっている。そしてどちらの母国も、サウジアラビアやその他のアラブ諸国のような反動的教条主義国家ではなく、比較的”relaxed form”なイスラムを実践する国でもある。

では何故モロッコ系の若者だけがこうも怒りと疎外感を抱え、時として「過激化」するのか?これに対してモレンビーク市長のFrançoise Schepmans氏は、モロッコ・オリジンのコミュニティにある「倦怠感」だと述べ、テロは宗教の副産物、といった類いの議論を退ける。左翼系政治家やコミュニティ・リーダーたちは、若いモロッコ系ベルギー人たちを「成功のチャンスを持たない被害者」として扱うことで問題解決の機会を先延ばしに逃してきた。「強烈な被害者意識の感情が蔓延している」「トルコ人たちも同様に差別を耐えてきた。だが彼らのコミュニティ内には活力がある」。

この「活力」の大部分を担っているのが、トルコ政府管轄下にあるモスク。多くのトルコ系ベルギー人がここに集う。トルコ本国で訓練され、公費で派遣されてくるイマムと地元のリーダーたちによって確立されたネットワーク。コミュニティ内に少しでも不穏な要素がないか、常に目配りがされている。トルコ宗務庁が管理するモスクに行けば、(トルコ語しか話さない)イマムが出てきてテロを糾弾し、真のムスリムであれば過激思想とはなじまないはずだと述べ、信者たちには法を尊重し、法に従うよう強調する。

一方、モロッコ系で運営されているモスク近くでは報道陣は怒れる信者たちから追い払われる。「イスラムフォビア」とあおり立てられる。近隣一帯が、ジハーディストの温床とレッテルを貼られる。トルコ系と比較してモロッコ系のコミュニティははるかに分断されており、かつ反権威的。移民の第一世代は主にモロッコの君主制としばしば対立を繰り返したベルベル語族で、「彼らがモロッコから移民として出ていったとき、体制は大喜びだった」とは若いモロッコ系労働者の言。

もうひとつの要因として、トルコ系は仏語も独語もあまり話さず(どちらもベルギーの主要言語)、その意味ではトルコ・アイデンティティにしがみついているわけだが、モロッコ系はだいたいにおいて仏語を流暢に操れる。そのためトルコ系よりももっと差別を鋭く感じとれるし、特にここで対象となっている若者たちにしてみれば、社会システム全体が彼らを阻害しているように受け止めているとも考えられる。そういうわけで、「トルコ系はアイデンティティ・クライシスに苦しむことが少ない。自分たちのアイデンティティに誇りを持てている分、過激思想に誘惑されずにいられるとも言える」。

トルコ系やその他の移民は概して警察にそれほど敵意を持たない。警察署近くで雑貨屋 を営むあるトルコ人経営者は、警察は怖くないが北アフリカ系の若者は怖いと言う。彼らは店にやって来てアルコール飲料を販売するのは罪だ、おまえは悪いムスリムだと言う。だが彼らは窃盗を働く。窃盗も罪なのだが。

サン=ジョス=タン=ノード地区の市長でトルコ系ベルギー人のEmir Kir氏。彼の知る限り、シリアへ渡ろうと試みたトルコ系の若者はたった一人で、それもイスタンブルで発覚して未遂に終わった。この若者には恋人がいた。モロッコ系の少女だった。「あれは過激派の行為などではなく、単なるラブ・アフェアだったんだ」。

……と、いうような内容でした。過激化を促す/防ぐ要因は「宗教」ではなく「文化的なつながり」にあった(あるんではないか)。かなり乱暴に要約してしまったのですがそういうことです。

「イスラム」とか「ムスリム」とか、その主語は若干でか過ぎやしないか、ということはもうそろそろ周知、周知というか再確認され始めていい頃合い。アフリカ大陸からユーラシアまでを一括りにして「イスラム、イスラム」「ムスリム、ムスリム」と言い続けるのはかなり無理があります。

『聖地の民話』から、「われらが父、アダム」を

『聖地の民話:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒(仮題)』から、先日は天地創造のお話を読んだのですが、今日は人類の始祖であり最初の預言者アダムについてのお話を。

Angels bow before Adam and Eve in Paradise, Folio from a Falnama
Folio from a Falnama – Angels bow before Adam and Eve in Paradise

楽園のアダムさんとイブさん(アーダムさんとハッワさん)。天使の皆さんがちやほやしてくれるのは、別にアダムさんとイブさん(人類)が天使の皆さんよりえらいから、ではなく神様がそうせよと命令したから。背後から天使が後光を注ぎ足してくれている!あれ(後光)って、そういう仕組みになってたのか。

Folio from a Falnama - Expulsion of Adam and Eve
Folio from a Falnama – Expulsion of Adam and Eve

ややあって、楽園からの追放。まあご承知の通り、追放されてからが本番ですよ。


アッラーは、一握りの塵からアダムをお造りになった。ある者は、この一握りというのはサフラ、つまりバイト・エル=マクディスから取られたものだと言う。しかしこれについては、最初の人間は、世界じゅうの異なる土地から集められた、いろいろな種類の塵を混ぜて造られたのだ、と述べる者たちの方が正しいかもしれない。それなら、男にも女にも様々な肌の色をした者がいることの説明になっている。

アッラーがアダムをお造りになったとき、その体は四十日、また別の者の話では四十年、生命を与えられることもなくそのままにしておかれた。その間にアッラーは天使、ジン、そしてジャーンたちに、アダムの鼻孔からアッラーが呼気を吹き込んだなら、その場ですぐに彼にむかって崇拝を捧げ、彼の名誉を讃える準備をしておくようにと布告なさった。彼らのほとんどはこれに従ったものの、だが誇りと妬みにこり固まったイブリースだけはそれを拒んだ。そしてそのために天の庭園から追放され、石つぶての悪魔となり、すべての人間の苦難の因となった。

アダムは、最初は男でもあり女でもあった。ひとつの体の半分が男、もう半分が女だった。やがて時が満ちて、女の側の部分が男の側の部分から分かれて、一体の完全な女になった。残ったアダムの方も、完全に男になった。こうして二人は、一組の男女として結ばれた。しかし彼らは幸福ではなかった。女が、男に従うのを拒んだためである。二人は共に同じ塵から造られたのだから、男には女にいちいち指図する権利はない、というのが女の言い分だった。こうして女は楽園を去ることになり、そしてイブリースの仲間になって悪魔たちの母となった。アラブたちは彼女を「エル=カリーネ」と呼び、ユダヤたちは一般に「リリス」と呼ぶが、セファルディムたち、すなわちスペイン系のユダヤたちからは「エル=ブルーシャ」と呼ばれている。彼女はあらゆる女たちの敵である。とりわけ最近、子を産んで母になったばかりの女にとっては命取りとなる。母と子は慎重に見守り、用心に用心を重ねて注意深く世話をしてやらねばならない。

そういうわけで彼女たちは、生まれたばかりの赤ん坊と一緒に魔除けや聖なる護符、ニンニク、ミョウバンの結晶、青いビーズ、等々でぐるりと囲まれることになる。さもなければ赤ん坊がカリーネの嫉妬深い怒りに絞め殺されるか、あるいは脅かされた母親が狂気に陥れられてしまう。ヨーロッパの医者たちは、まるでこの世に知らないものはないかのようにふるまうが、しかし産褥にある女を人目にさらすことが、いかに恐ろしく危険であるかについては何もご存知ではない。ここでは他の女たちがお見舞と称して遊び半分、見世物半分で彼女らを訪ねるのは固く戒められている。

「エル=カリーネ」が楽園を出て行ったとき、アッラーは、アダムが眠っている間に抜き取った一本の肋骨から、われらの母ハッワ、つまりイヴをお造りになった。蛇の牙のくぼみに隠れたイブリースが、再び楽園に忍び込むまでの間は、アダムとハッワの二人はとても幸福に暮らしていた。悪魔の王は蛇に賄賂を握らせて、食べものの中でも最も美味で最もすぐれたものをくれてやろう、とささやいた。その食べ物とは、イブリースが言うには人肉であるとのこと。いかにして蛇がこれに騙され、信じ込んでしまったのかについてはインシャーアッラー、いずれ本書に後述されることとなろう。

さて楽園の庭に入り込むと、悪魔はハッワに取り入って禁断の木の実を食べさせることに成功した。この「禁断の木の実」とは、ある学者によれば小麦であったという。妻に説得されて共に罪を犯したアダムは、罰としてハッワ、イブリース、そして蛇もろとも楽園から追放されることとなった。しかし地上に追いやられる際にも、鍛冶仕事に使う鉄床、火箸、鍛冶ばさみ、それに金槌を二本と針を一本、持ち出してくるだけの分別がアダムにはあった。

彼は「悔悟」という名の門を通って楽園から閉め出された。ハッワが通った門は「慈悲」、イブリースは「呪詛」、そして蛇は「災難」だった。こうして四名は全員、地上の別々の場所に降り立った。アダムはセレンディップもしくはセイロンに、ハッワはジッダに、そしてイブリースはアイラもしくはアカバに、蛇はペルシャのイスファハーンに。

アダムとハッワがメッカ近くのジェベル・アラファト、すなわち「認識の山」で再び出会うまでには、実に二百年の歳月が経っていた。そしてその間にも新たな脅威が生じていた。つまり、呪詛ゆえにハッワは悪魔の種を宿してその子を多く産んでいたし、アダムはアダムで、女のジンたちとの間に沢山の子をなしていたのである。このおぞましき怪物たちの子孫はアフリート、ラサド、グール、マリッドといった名で呼ばれている。彼らもまた地上の住人であって、人間を害しようと試みる。

二世紀が過ぎ去った終わりに何が起こったのか、いかにしてアダムが悔悟に至ったか、またいかにしてガブリエルに連れられ、アラファトでハッワを見出すに至ったのか、またいかにして許されし二人がセイロンに赴き、そこで暮らすようになったのか、これらについては語るまでもなく、また彼らの息子ハビール、カビール、そしてセスについても、ムスリム、クリスチャン、ユダヤの民の別なく、啓典の民であれば誰しもが知るところであろうと思われる。

そうは言ってもアッラーがアダムに、彼の時代からその後代、復活の日に至るまでに彼が授かるであろう子孫たち一人ひとり、生まれてくる者の全員を見せたもうことについては、あまり知る者もいないようだ。それはこのようにして行なわれた。つまり、アッラーがアダムの背を撫でると、たちまちアダムの腰から無数の人間が出てきた。

数千、数万、数十万と、蟻よりも小さな人間が後から後から出てくる。そして全員が出揃うと彼らは、アッラーの他に神はないことを証言し、更にムーサーはアッラーがじかにお言葉をかけた者であること、イブラヒム・エル=ハリールは神の友であること、マルヤムの子イーサーはアッラーの精神的な息吹によって生まれた者であること、そしてムハンマドはアッラーのみ使いであることを証言した。それから一人づつ、来世と復活の日に対する信仰を告白し終えると、再びアダムの腰の中へ帰っていった。

アダムは身長の高い男で、どんな椰子の樹よりも背が高かった。頭髪も、とても長かった。天使ガブリエルは合計で十二回、彼を訪れた。彼が死んだとき、彼の子孫は四万人に達していた。

最初にバイト・エル=マクディスを建てたのは彼だと主張する者もいれば、その主張を否定する者もいる。彼が葬られた場所に関しても、いろいろな異なる意見が存在する。ある者は、彼の墓はヘブロンの近くにあると言い、またある者は、かれの頭はヘブロンに横たわっていても、彼の足先はエル=クドゥスにまで達していると言う。知るはアッラーのみ!

他のお山の石としたいと思った話

「連邦裁判決『空飛ぶスパゲッティ・モンスター崇拝は宗教とは認められない』」という記事を読んでいました。
“Worshipping the Flying Spaghetti Monster is not a real religion, court rules”

「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」で検索してみたら、↑のできごとと前後して「空飛ぶスパゲティモンスター教会、世界初の「パスタ婚」執行 NZ」なんていうのを見ました。あとこれとか:「【海外発!Breaking News】「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教会」ついに正式な宗教に(オランダ)」

でもネブラスカ州では、ニュージーランドやオランダと同じようなわけにはいかなかったみたい。州刑務所で銃器の不法所持のかどで服役中の受刑囚氏が、刑務所内での「パスタファリアニズム実践」が阻害されたと500万ドルの損害賠償請求に加えて、「教義に沿った服装とアクセサリー類の着用、週に一度の典礼儀式と信者同士の集会の実践」を認めるよう求めて裁判を起こしたのがはなしの始まりで、それに対する連邦裁の判決がこちら(PDF)。

要するに「せっかく出来のいい作品だというのに、おまえのような読解力のない読者がつくと傑作が台無しになるからやめろ」みたいなことが書いてある。

FSM(フライング・スパゲッティ・モンスター)イズムは、インテリジェント・デザイン論に対する反撃として、カンザス州教育委員会がこれ(の教育課程への導入)を検討していた際に提出された公開質問状と共に始められたものである。これについてはボビー・ヘンダーソン「フライング・スパゲッティ・モンスターの福音書(2006)」111-13参照。インテリジェント・デザインに対する主要な –– また、これを学校教育における科学の授業からこれを除外すべきとする基礎的な –– 批判とは、それが「科学的である」と自称するも、実のところは科学ではなく「興味深い神学的論争」であるというものである。これについてはKitzmiller, 400 F. Supp. 2d at 745-46参照。FSMイズムの自負すべきところとは、インテリジェント・デザイン論が「偉大なる知性」と呼ぶところのデザイナーを特定していないがゆえに、ユダヤ=キリスト教の神と同様、単なる「フライング・スパゲッティ・モンスター」でも構わないだろう、それに事実、他のどんな創造者とも同様の科学的な証拠がフライング・スパゲッティ・モンスターには存在する –– このように主張したその機智にある。これについては「フライング・スパゲッティ・モンスターの福音書(2006)」3-4参照。(……)

これは神学上の問いではない。基本的な読解能力の問題である。FSMの福音書は明らかに風刺作品であり、鋭い政治声明にエンターテインメント性を持たせようとの意図を持ってなされたものである。それを宗教的教義と解釈していたのでは、その他のどのようなフィクション作品に「宗教的実践」の基礎を置いてもほとんど構わない、ということになる。囚人がヴォネガットやハインラインの作品を読んで、それを自分の聖書だと主張し、ボコノン教だの、チャーチ・オブ・オール・ワールズだのに便宜をはかるよう要求できてしまう。これについてはカート・ヴォネガット『猫のゆりかご』 (Dell Publishing 1988) (1963)ならびにロバート・ハインライン『異星の客』(Putnam Publ’g Grp. 1961)参照。当然のことながら、 –– そしてカヴァノフ原告もその一人であると推察されるが –– 聖書やコーランもそうした書籍と同様にフィクションに過ぎない、といった反論を述べる者もあるだろう。こうした線引きは、必ずしも簡単になしうるものではない。しかしそれでも何らかの線引きはなされねばならず、原告がそう主張しているからというだけで、それが「宗教的」な実践の範疇であるとすることはできない。FSMイズムは、その範疇のはるか埒外にあるものと法廷は結論する。

判決文を書いたひと、書いてて楽しかったろうなと思いました。

教団(?)公式サイトにも「おれたち、ちゃんとした宗教じゃないって言われた」みたいなブログがあがっていました。そして「色々なメディアで取り上げてくれてるけど、これがいちばん好き」とオレゴニアン紙の記事が紹介されていた。
Bad news, Flying Spaghetti Monster followers: Judge ruled Pastafarianism isn’t a real religion

判決文を書いた判事氏は「フライング・スパゲッティ・モンスターの福音書」を相当に読み込み、FSMイズムの「雰囲気を感じとる」ために、自分の下す判決の文書に裏書きとして同書から以下を引用していたのだと。

What drives the FSM’s devout followers, aka Pastafarians? Some say it’s the assuring touch from the FSM’s Noodly Appendage. There are those who love the worship service, which is conducted in Pirate-Speak and attended by congregants in dashing buccaneer garb. Still others are drawn to the Church’s flimsy moral standards, religious holidays every Friday, and the fact that Pastafarian Heaven is way cooler. Does your Heaven have a Stripper Factory and a Beer Volcano?

「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」を最初に言ったひとはかっこいいかな。でもなんかそこにぶらんぶらんぶらさがってるだけで何か言ってやった、みたいな気になってるひとはあんまりそうでもないかな。他のお山の石としたいところであります。

どうでも良いのですが、判決文読んでて「こういうときにはどう反応するのがムスリムとしてポリティカルにコレクトなんだろう」などと、みみっちいことを考えてしまった。深夜過ぎになって自責の念にかられておるところです。迷わず「相対主義者に逢うては相対主義者を殺せ」路線を走れるよう、常に意識を高く持っておけるようになりたいものです。

“Orientalist & Middle Eastern Week”と銘打たれたオークションのあれこれを眺めて過ごす

クリスティーズじゃない方の大手競売会社が4/19から開催するというオークションのロットを閲覧していました。
“Orientalist & Middle Eastern Week”

「オリエント」ではなく「オリエンタリスト」。あ、ドラクロワの素描みっけ。

デイヴィッド・ロバーツの水彩画もみっけ。

SAIDA. ANCIENT SIDON David Roberts
David Roberts R.A. “SAIDA. ANCIENT SIDON”

こういう、生真面目な絵筆が好きです。

それから、同オークションの“The Library of Mohamed and Margaret Makiya”コレクションというのを眺めてみたりなど。Mohamed Makiyaさんというのは、どうやら建築家の方?なのらしい。御本がいっぱい。誰それの何とかの初版、とか。そういうふうな具合。

サー・リチャード・バートンの御本がいくつか出ています。これなんかどうですか。見ただけでどんなにおいがしてるか、だいたい想像ついちゃいそうなルックスです。ああ、嗅ぎたい(変態

読むだけだったらできちゃうんですよ。→ PERSONAL NARRATIVE OF A PILGRIMAGE TO EL MEDINAH AND MECCAH

でもにおいはさすがに嗅げないからなあ……

あとこれもサー・バートンの御本ひとそろい。の、中の挿絵だそうなのですが、

Burton, Richard Francis "H. H. Ahmed Bin Abibakir, Amir of Harar"
“H. H. Ahmed Bin Abibakir, Amir of Harar”

色合いが何か。何かを彷彿とさせる。

これであるとか、これであるとか、これなんかもう猛者っていう風情です。何か知らんがすっごいつよそう。

こうして、真に見るべきもの・労力その他を払うべきものはごまんとあるはずのところを、かろうじて御本のかたちをしているかつて御本であった何かがスクリーンの向こうで朽ちかけているのをだらだら閲覧しつつ「うーんたまらん」「嗅ぎたい」なんつって、マウスをかちかちしているわけです。そりゃあ E. サイードが怒るのももっともなことである。

『聖地の民話』から、いちばん最初の第1章のところを

Folk-lore of the Holy Land : Moslem, Christian and Jewish
『聖地の民話:ムスリム、クリスチャン、ユダヤ教徒(仮題)』という御本があります。約110年ほど前に出版された、パレスチナ/イスラエルに滞在してそこに住まう人々に話をきき、言い伝えであるとか、故事であるとか、口承であるとかと呼ばれるものを集めた西アジア版『遠野物語』のような御本で、とてもおもしろくお気に入りの一冊です。

以前にも、この御本からヒドルについての箇所を読み下したことがありますが、今日はいちばん最初のところ、天地創造の話を読みました。ムスリムの古老らしき人物が一人称で語るふうに書かれてあります。

ムスリムのコスモロジーあるいは天地の成り立ちというと、このような感じのものがわりと知られているようです。

cosmogony

アメリカ議会図書館のサイト、“heavens and Earth”コレクションの中にありました。大地があって、山々が取り囲み、それを雄牛が担いでいて、さらにそれを背負って鯨が泳ぐ海があり、さらにさらにそれを天使がまとめて面倒を見ているの図(なんという豪勢なラザニア)。

以下、『聖地の民話』でも同じような天体観が語られています。ラザニアの重なり具合が上記の図版とはちょっと違ったりして、そういうところも読んでいて楽しいです。


『聖地の民話』第1部

I. 知識あるムスリムが語る天地創造の話

アッラーが最初にお造りになったものというのが、摩訶不思議な運命の碑板であったことを、まずは知っておかねばならぬ。この碑板には、過去に起きた出来事や、現在や未来に起きる出来事について書かれている。それだけではない、生まれてくるすべての人間についても書かれている。その人が幸せになるのか、あるいは不幸に見舞われるのか。現世では金持ちになるのか、それとも貧乏になるのか。それから、その人がほんとうの信仰者になって来世では楽園を受け継ぐことになるのか、はたまたカーフィルとなってジェヘンヌムに行くことになるのか等々。運命の碑板は限りなく大きな真珠でできており、ちょうど両開きと同じような二枚の扉がついている。ある学者たちが言うにはこの扉、並ぶものなき大きさと美しさのルビーでできているという話だが、しかし彼らが真実を語っているのかどうか、それはアッラーのみがご存じのこと。

アッラーはその次に、ひと塊の宝石から大きな筆をお造りになった。筆はたいそう長く、一方の端からもう一方まで旅をすればゆうに五百年はかかる。一方の端はいわゆる筆らしく、割れ目があってとがっている。そしてふつうの筆からインクが流れ出るように、あるいは泉から水があふれ出すように、この筆の筆先からは光があふれ出る。それからアッラーの一言、「書け」のお声がとどろくと、それを聞いた筆にはすっかり命と知性が宿り、震え上がって大急ぎで碑版に向かい、右から左へ筆先を走らせ、かつての出来事、そののちの出来事、そしてこれから復活の日までの出来事を書き記しはじめた。碑版がすっかり文字でいっぱいになり、筆も乾くと、碑版と筆は片づけられ、アッラーの宝物蔵に保管された。何が書かれているのか、それはアッラーのみがご存じのこと。

その次にアッラーがお造りになったのは水で、それから天界と地球と同じ寸法の、並はずれて大きな白い真珠をお造りになった。真珠が形づくられるや否や、アッラーがそれに話しかけると、雷鳴のようなそのお声に真珠は震えて溶け、先に造ってあった水と出会って太洋となり、深いくぼみは更に深く、高い波はさらに高くなった。それからアッラーが再び命令すると、すべてはたちまち鎮まった –– 純粋そのままの水が、大波も、さざ波も、泡ひとつ浮かべることなく静かに大きく広がっていた。

それからアッラーは、ご自分の玉座をお造りになった。座りどころは二つの大きな宝石でできており、アッラーはこれを水面の上に浮かべた。

しかしこれには異論もあって、玉座が造られたのは水と天界と地球よりも先のことだ、と主張する者たちもいる。彼らは、人間の大工なら先に建物の土台を用意して、それから屋根をその上に載せるところだが、アッラーの場合はご自分の全能の威力を示すため、最初に屋根、つまりご自分の玉座をお造りになったのだと言う。

その次に造られたのは風で、アッラーはこれに翼をお与えになった。いったいいくつの風があるのか、また大気がどれくらい遠くまで広がっているのか、それはアッラーのみがご存じのこと。アッラーは風に、水が玉座を支えるのと同じ方法で、水を運ぶようにとお命じになった。

その後でアッラーは、玉座のまわりを輪になってとぐろを巻く大きな蛇をお造りになった。この蛇、頭は大きな白い真珠、体は黄金、両目は二つのサファイヤでできている。この蛇がどれほど大きいものか、それはアッラーのみが知りたもう。

さてこれで、玉座は威力と偉大さを示す玉座となり、栄光と威厳の座すところとなった。アッラーは、これを必要としておられたわけではない。ただ大いなる永遠からそこにおられたご自分の、偉大さと栄光を示すのにふさわしかろうとお造りになったのである。

それからアッラーは、海を打ちたたくよう風にお命じになった。すると大きな泡の波が巻き起こり、霧としぶきが上がった。アッラーのご命令により、泡は水上の表面に浮かぶ堅い大地となり、霧としぶきは雲になった。これらすべてを行うのに、アッラーは二日の時間をかけたもう。そののちに、波はめくれ上がって固まり山々になった。大地がふわふわと浮いて流れてしまわぬよう、しっかりと守るためである。山々の土台はすべて大いなるカーフ1とつながっている。それはかまどの天板のような、縁を高くした円い盆の形をしており、中身が宇宙に落ちてしまわないよう世界を取り囲んでいる。

その次にアッラーは、大地の表面に残っていた水が中心を同じくする七つの大海になるよう多くの大陸で区切りながら、それでも岬や湾、海峡でつながるようにし、それから数えきれないほど沢山のさまざまな種類の生きもので満たし、彼らが生きていくための滋養もたっぷりとお与えになった。

同様に、それぞれ気候や環境の異なる七つの大陸も、その場に見合った植物や動物でいっぱいに満ちた。アッラーは更に二日の時間をかけて、これらをきちんと整えたもう。

さて、大地がまるで海の上の船のように揺れに揺れたものだから、生きものたちはみなとても具合が悪くなってしまった。そこでアッラーは力持ちの天使に、行って大地を下から支えるようにとお命じになった。天使は言われた通りにし、一方の腕を東に、もう一方は西に伸ばして世界を守った。それから、何か天使が立っていられる台があるのがよかろうと、アッラーは緑色をしたエメラルドの巨大な岩をお造りになり、天使の足許にもぐり込んで支えるようお命じになった。それから今度は、岩の土台が何もないというので大きな雄牛が造られ、行って岩を下から支えるようにと命じられた。ある者は、岩は雄牛の角の上だと言うし、またある者は背中の上だと言う。角の上だと言う者は、地震というのは雄牛が頭を動かして、岩を一方の角からもう一方の角の上に移すときに起こるものなのだ、と説明する。雄牛の目は燃えるような赤い色をしており、覗き込んだ者は目がつぶれて見えなくなってしまうほどだという。雄牛はベヘモスの名で呼ばれており、巨大な鯨の背中の上に乗っている。そして鯨は、アッラーがそのためにお造りになった大海を悠々と泳いでいる。

大海の底とその周囲、それに世界を取り巻いているのは大気である。これは定められた季節に従って動く太陽、月、星々の光を大地に届けるためにのみ造られており、それ以外のときは暗闇で休んでいる。

ときどき、日食や月食が起こることがあるが、どちらの場合も理由はしごく単純である。月が満月になると、その光が鯨の泳いでいる大海に降り注ぐ。するとそれを見て、あの海獣ときたら口を開けて月をくわえこんでしまうのだ。アッラーのお許しさえあれば、あやつはそのまま月を丸のみにしてしまうに違いない。しかし<ひとつ>なる神をあがめ奉ずる者たちが、盛大に声高く哀悼して祈りをささげるならば、たちまちにしてあやつは餌食にしかけた月を逃がす他はなすすべもない。日食の理由はこれとは異なる。それはアッラーの厳粛なる御しるしであり、罪に対する警告である。神の友イブラーヒーム –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の教えに耳傾けるよう、人々に知らしめるために起きたのが、これまでで最初の日蝕である。二度めは、マルヤムの子イーサー –– 彼の上に平安あれ ––の教えを広めるために起きた。その後のわれわれの時代には、この驚異は立て続けに起こるようになり、それはすべての人々が、アッラーのみ使い –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の教えを心に刻むようになるまで続く。2

そうしたわけで、すでに説明した通り世界は天使の肩の上に、天使は巨大なエメラルドの岩の上に、岩は雄牛の角か、あるいは背中の上に、雄牛は大鯨の上に、大鯨、または竜は宙に高く掲げられた大海を泳ぎ、その周りを闇が取り囲んでいる。そして天体は、定められた季節になると闇を通して光り輝いてみえる。闇の向こう側に何があるのか、それを知るはアッラーのみ!

「こうした数々の驚くべき不思議は、いったいどのようにして人々の知るところとなり、また受け入れられるようになったのか」とお尋ねなさるか。では答えよう。こうして世界をお造りになったのちに、アッラーは生きものの中に理性と知性を呼び覚ましたもうた。それから知性に「知識を得よ」と命じたもうた。すると心はそれに従った。それから「物事をとりしきる力を受け取れ」とお命じになり、心はこれにも従った。それからアッラーは告げたもう、「われがわが栄光と威力により造ったものの中で、われが愛しているのは汝の他に何ひとつない。汝がためにわれは奪い、汝がためにわれは授ける。汝がためにわれは確かめ、汝がためにわれは罰する」。そうしたわけでアッラーは、その預言者 –– 彼の上に祈りと平安あれ –– の口を通じてこうも告げておられる。「賢い者とは、正直で、感情に流されず忍耐づよい者のことである。そして人間を悪から救うのは、その知性である」。それゆえ知性に対しては、アッラーは楽園の入り口を開き、あらゆる不思議を解明するのを許しておられる。そして復活の日、アッラーは賢き者を罰することはないが、同様に、口先だけでものを言い、その舌をもって嘘をつき、自分たちには関わりのない物事にくちばしを挟みたがり、自分たちにはとうてい理解が及ばぬ問題について問いを発したがる無知な者には罰を与えたもう –– たとえ彼らが、読み書きを身につけていようとも。


原注1. カフカス、コーカサス。
原注2. これ以外にも、太陽と月は婚姻をかわした夫婦で、月に一度の新月のとき、つまり月が見えなくなるときは夫婦で過ごしているのだという話も伝えられている。