来年の秋に

cnnPrince memoir coming in fall 2017
(cnn)

出すんですって。回想録を。

Questions and thoughts about Prince’s memoir due in 2017
(Star tribune)
Prince Will Tell His Own Unbelievable Prince Stories in Newly Announced Memoir
(Slate)
Prince to release memoir in 2017: publishers made ‘an offer I can’t refuse​’
(The Guardian)

Prince said at an event in New York City on Friday night that the book’s working title is The Beautiful Ones and that the publishers made him “an offer I can’t refuse”.

He added that the book will start with his first memory.

“This is my first (book). My brother Dan is helping me with it. He’s a good critic and that’s what I need. He’s not a ‘yes’ man at all and he’s really helping me get through this,” Prince told the audience, which included Harry Belafonte, Trevor Noah, journalists and music industry players.

“We’re starting from the beginning from my first memory and hopefully we can go all the way up to the Super Bowl,” he said.

At one point Prince asked the crowd: “You all still read books right?”

The audience roared loudly.

金曜日にNYで開催されたイベントで発表された。ほにゃらほにゃら。仮題『The Beautiful Ones』。出版社(Spiegel & Grau × Random House)から提示されたオファーが「断りがたい」ものだったので。ほにゃらほにゃら。「スーパーボウルあたりまでを書けたらいいなと思ってる」。ほにゃらほにゃら。途中、「本って、みんなまだ読んでるよね?」とプリンスに声をかけられた観客が大歓声で答える場面もあった。ほにゃらほにゃら。

本、まだ読んでますよ。

それに、聞いたりもしてますよ。

“Mizan al-haqq”にさらにさらに追加

これで残り1/3くらいです。

十四. ラガーイブ、ベラート、カドルなど、余剰の礼拝について
十五. 握手について
十六. お辞儀について

そろそろ、誤字・脱字だとか省略したままの注などが気になってきました。

「十四. ラガーイブ、ベラート、カドルなど、余剰の礼拝について」の、「カドル」については日本語で書かれた言葉もあれこれ見つけることができましたが、

ライラト・アル・カドル|laylat al-qadr
断食月であるラマダーン月の後半のある一夜をいう。この夜にコーランが下されたというから、それは歴史上の一夜でもあるが、コーランによると、この夜は祝福された夜で1000ヵ月にも匹敵する夜、つまり一年中で最上の夜である。また天使と精霊(ルーフ)が天下り、夜明けまで地上に平安がみなぎるとも述べられている。この聖夜は正確には特定できないが、ハディースによると月末の10日間の奇数日の夜とされ、中でも27日の夜が最も多くそれと信じられている。またこの夜起きて勤行に励む者は過去の罪をすべて許されるともハディースは伝えている。
イスラムは元来禁欲主義を奨励していないが、この10日間は別で、ムスリムは毎夜モスクに参集して長い礼拝とコーランの読誦と神の名を念じつつもっぱら勤行に励む。このお籠りは預言者のスンナであるが、これにならってムスリムは1ヵ月間の断食の苦行の最後を全うするための精神力を高めようと努力する。
(『新イスラム事典』平凡社)

御稜威(みいつ)の夜(ライラト=ル=カドル) Laylat-l-Qadr
預言者ムハンマドに初めてアッラーからの啓示があった夜のこと。ラマダーン月の後半の十日間の奇数日(二十一、二十三、二十五、二十七、二十九日)がこの夜に該当するといわれるが、多くの学者は特に二十七日に集中している。『クルアーン』第九七章はこの夜について次のようにいっている。
「我らはこれをみいつの夜に下した。みいつの夜とはそもなんぞやとなんで知る。みいつの夜こそ千の月にもまさるもの。この夜、諸々の天使、ならびに精霊、主のお許しを得て、すべての神勅をたずさえしずしずと降臨し給う。ああなんたる平安ぞ、黎明の光たち昇るその時まで。」
(『イスラーム辞典』東京堂出版)

ライラ・アル=カドル [layla al-qadr]
預言者ムハンマドに初めて啓示が下されたとされる夜。力の夜、御稜威(みいつ)の夜、定命の夜ともいう。クルアーンでは、<われらは、これを御稜威の夜に下した。御稜威の夜が何であるかを、何が汝に知らせるか。御稜威の夜こそ千か月にもまさる。この夜、もろもろの天使と精霊とは、主のお許しを得て、すべてのご命令をもって降臨する。夜の明けるまで平安あれ>[Q97:1-5]とされ、また<祝福された夜>[Q44:3]ともいわれる。ハディースでは、ラマダーン月の最後の10日のうちの奇数日の1夜であるといわれているが、27日の夜とする学者が多い。ムスリムにとって特別な夜であり、敬虔なムスリムは、ラマダーン月の月末の奇数日には、モスクにこもって礼拝やクルアーン読誦などを行なう。
(『岩波イスラーム辞典』岩波書店)

しかしラガーイブやベラートについてはちょっと難しかったのであきらめました。いわゆる「記念日」的な、宗教的モチベーションをあげてこー的な何か、という意味では上記に引用したカドルとも、やることそれ自体はほぼ似たようなものです。日付とか、記念されるものごとの中味が違うだけで。

「ラガーイブ」は、預言者ムハンマドの受胎を記念する日、とされています。イスラム暦第七月の最初の金曜。の、前夜に皆で集まってお祈りしたりとか、宗教的な講話を聞いたりとか、おやつを食べたりとかします。「ベラート」の方はこれ何て説明すればいいの……、ざっくり言うと向こう1年分の運命が決められる日でもあり、過去の罪がひょっとするとひょっとして帳消しにしてもらえるかもしれない、とされる日です。こちらはイスラム暦第八月の14ないし15日め。これも前夜に集まってお祈りしたりとか、宗教的な講話を聞いたりとか、おやつを食べたりとかします(おやつだいじ)。

これの他に、預言者ムハンマドが天馬に乗ってエルサレム経由で天界を旅した「イスラーゥ(夜の旅)とミゥラージュ(昇天)」を記念する夜だとか、「預言者ムハンマドの誕生日(マウリド)」を記念する夜だとかもそこそこワールドワイドに実践されています。これ以外にも地域ごとに色々あるのだろうことは想像に難くないですね。


個人的なことですが、「カンディリ/カンディル」にあてられた「灯明祭」という訳語がわたしは好きです。更に個人的なことですが、「ラガーイブ」というか、わたしとしては「ガーイブ」としたいところです。ついでに書いておくと「アッラーフ・アクバル」は「アッラーフ・ル」だし「バスマラ」は「メレ」としたいところです。

好みの問題です。あなたのそれと違っても、あんまり気にしないで下さい。

「”穏健なムスリム”って、つまり何なの?」

散々、言い古されていることではあるけれど、ある特定の文化についてのメディアでの露出のされ方というのはすごく重要な問題だ。それによって、大衆の間でのその文化に対する議論のあり方が形づくられてしまうのだから。そういうわけでムスリムに限らず誰であろうが、たとえばどこかの放送タレントが自分のTV番組でムスリム排斥運動の十字軍をやってたりすれば、それを見て大騒ぎするのも当然のことだったりする。

そうは言っても、そうしたあちらこちらで出回っているあの「穏健なムスリム」とか「まじめに信仰していないムスリム/信仰熱心じゃないムスリム」とかというフレーズ。どちらもサム・ハリスみたいな連中がよく口にしている。ああいう決まり文句が問題の理解に役に立っているのかどうか、ぼくには何とも言いようがないが、それにしてもこのフレーズにいったいどれほどの意味があるのか、北アメリカに生まれてムスリムとして育った身としてはさっぱりわからない。

それにはいくつか理由がある。

第一に、ぼくは非暴力と平和を標榜するムスリムだが、自分の信仰についてはまじめに考えている。事実、ぼくの非暴力・平和主義は、そもそもぼくの信仰が元になっている。ぼくの親友たちにしても、困ってる友人を助けたりホームレスを支援したり、チャリティにものすごく沢山の時間を割いているけれど、彼らだって自分の信仰についてはすごく真剣だ。同時にぼくは怒れるムスリムの人々も見てきた。険悪で下劣だったら信仰熱心かといえば、決してそういうわけでもない。皆それぞれまったく違うのに、「まじめに信仰していないムスリム/信仰熱心じゃないムスリム」というフレーズによってぼくたちは、まるで誰も彼もが信念を同じくしているかのように、ひとくくりにされてしまうのだ。

ここで問題にしておきたいのは、ムスリムとして識別することと、たとえばカナダ人として識別することとは違う、という点だ。なぜなら後者には地理的な境界がある。ぼくはイギリスのカルチャーが大好きだけど、イギリスの系譜に接点があるわけじゃない、だから自分で自分のことをイギリス人と名乗るわけにはいかない。イスラムは宗教だ。そして普通に考えれば、特定の宗教に属していると自称するというのは、自分の宗教に対して、ある程度まじめに重きを置いている、ということだ。

第二に、これはぼくが最近になって学んだことだけれど、信仰については皆それぞれ違った考えを持っている。誰かに「あなたはどれくらい宗教的ですか」などと質問するのは見当違いもいいところで、なぜなら精神性とのつながり方は人それぞれ違うからだ。ぼくが宗教的だと考えることでも、他のムスリムにとってはそうじゃない。それは主観的なことだ。なぜなら宗教それ自体、そのあり方が主観的なものだからだ。それなのにこういうフレーズは、ムスリムをテロリストか、そうじゃなければ穏健かの二極に分類してしまおうとするものだ。個々人の主義を決定づけるものごとは沢山あって、そういうのの全部がぜんぶ宗教かと言ったらそうじゃない。これは第三の、そして最後のポイントにも関わってくる。

「穏健なムスリム」なんてものは存在しない。そんなもの、最初からあり得るわけがないのだ。神との個人的な関係性に基づいて打ち立てられているのがイスラムだ。何であれ、やることなすことの全てが主に喜んでもらうためというのが根本にある。イスラムとは、文字通りに訳せば「服従」だ。信仰というのがどれほど個人的なことであるかの、これは本質的な証明になるはずだ。もちろんコミュニティに根ざした側面というのもあるにはある。けれどぼくたちの審判の日について見ればわかる。審判の場では、自分の行為は自分ひとりで説明しなくてはならない。それを思えば「穏健」なんていう役回り、引き受けていられるはずがない。宗教の範疇は人によって異なる。たとえば考えてみてほしい。「穏健な無神論者」なんてものがあるだろうか?あるとしたら、「穏健な無神論者」の定義って何?もしもぼくが仏教徒だったら、何をもって「穏健」とか「信仰熱心」とかという具合に区別されるんだろう?それより何より、Buzzfeedクイズでもあるんだろうか?質問に答えていくとぼくの本当の「穏健度」がわかっちゃう、みたいなやつが。

でもそんなのは無意味だ。だって「穏健なムスリム」なんて、存在しないのだから。

批評家たちに理解できていないのは、それは宗教の話じゃなくて特定の個人の話だということだ。ぼくはムスリムとして育ったカナダ人だが、ラディカルな思想や極端な思想は一切もったことがない。文化的な価値観だとか地理的な問題だとか、考慮に入れるべき事柄は他にも沢山あるはずだ。どうしてラディカリズムやテロリズムが存在するのか、ぼくには答えを出すことはできない。だからと言って、千四百年の歴史を持つ宗教にひも付けようとも思わない。イデオロギーに影響を及ぼす要因が他にもどっさりある中で、イスラムにばかりこだわっていても意味がない。全部を全部イスラムで説明しようだなんて、自分の信仰を実践して人生を歩もうとしているだけの、何の罪もない人々に責めを負わせるということだ。

 


元のコラムはMuslim Vibesのこちら→What exactly is a ‘moderate muslim’?

筆者のMateen Manek君はヨーク大学の学生さん(コミュニケーション・スタディーズ専攻)。ちょうど先月、かわいらしい詩集を作ったばかりだったりします。

で、「”穏健なムスリム”って、つまり何なの?」。

“Mizan al-haqq”に追加

『天秤』、追加しました。↓

十一. ヤズィードの呪詛
十二. ビドアについて
十三. 墓参の巡礼について

読んでいて、ガッザーリーとかイブン・タイミーヤといったビッグネームを含むいろいろな人名や書名が登場するあたりもポイントになってくるわけです。とりあえず、「十一. ヤズィードの呪詛」で言及のあるガッザーリー、ハッラースィー、イブン・ハッリカーンとその著Wafayatについてなど。

イブン・ハッリカーン [Shams al-Din Abu al-Abbas Ahmad ibn Muhammad ibn Ibrahim ibn Abi Bakr ibn Khallikan al-Barmaki] 1211-82
著名な人名辞典『貴顕たちの伝記』の著者。シャフィーイー学派の法学者。ジャズィーラ地方のイルビルでバルマク家の後裔と称する家系に生れる。アレッポ、モースルなどで学んだのち1237年頃エジプトへ移り、のちエジプトの大カーディー(法官)代理。シリアの大カーディーなどを歴任。同時にカイロのマドラサでも教えた。『貴顕たちの伝記』は、教友やカリフなど以外で没年の知られていた重要人物の伝記を、著者の時代にいたるまで集成し、本名(イスム)のアラビア文字順に全855項目にまとめあげた貴重な文献。
(『岩波イスラーム辞典』)

『貴顕たちの伝記』、つまりWafayatですが、これもまたarchive.orgに英訳全4巻がありました。すごーい。
Wafayat al-Ayan (The Obituaries of Eminent Men) By Ibn Khallikan

ヤズィードについては斯様な記事がwikipediaにあった。べんりべんり。キャーティプ・チェレビーのヤズィード観(と、いうのがあるとして)と比較してみてもおもしろいかもしれない。

アル=キヤー・アル=ハッラースィーについての項は第2巻に。ヤズィードを罵ることの是非についてのハッラースィーのファトワはこんな感じでした。

……彼は教友の一人ではなく、何故なら彼はウマル・イブン・ハッターブの時代に生まれている。本件に関する初期のイマムの意見としては、アフマド(・イブン・ハンバル)によるこれについての二度に渡っての主張について述べておこう。一度め、彼は(ヤズィードに対する)悪態が暗に示されることはあり得る、と発言した。二度めには、悪態は公然と表わされるべきである、と発言している。マーリク(・イブン・アナス)も、アブー・ハニーファも同様の意見を述べている。しかし私の意見はただひとつしかない。つまり、悪態は公然と表わされるべきである。そうしない理由があるだろうか?ヤズィードはナルドに興じる遊び人で、豹を訓練して狩猟を行ない、しかも常習的なワイン愛好家だったことは彼の詩を見れば一目瞭然ではないか。その一部など、以下の通りである。

「ワインの杯を中心にわが友人たちが集えば 愛の喜びを高めんがために楽師は歌い われは告げる、存分に楽しみ喜べと どれほど長く続くものでも いつかは終りを迎えるのだからと」

……紙幅さえ許せば、この男の非行ぶりを暴くための文字を惜しむものではないのだが。
署名:アリー・イブン・ムハンマド

うーん。すごい。

著者のイブン・ハッリカーンはこの後に続けて、ガッザーリーのファトワを紹介しています。両論併記というには長い。そもそもこれはハッラースィーの項なのに、という気もしなくもないですが、しかしそれでもここでこっちのファトワも引用しておかないと絶対まずい、みたいなイブン・ハッリカーンのきもちもわかる。

……かつてイマーム・アブー・ハミード・アル=ガッザーリーが同じ主題について意見を求められた。彼の与えた返答は前述とは全くの逆であった。彼に宛てられた質問は以下の通りである。「ヤズィードを公然と罵った者はならず者として扱われるべきか、あるいは寛大に処遇するべきか?ヤズィードにはアル=フサインを殺害する意図があったのか、あるいは自己防衛としてのことか?ヤズィードについて語る際に、彼の上に神の慈悲があるよう発言するのは許されるのか、あるいは祈りは抑制されるべきか?われわれの疑念を晴らす法学者に神の報奨があらんことを!」。

これに対する彼の返答は以下の通りである。「ムスリムを罵ることは絶対的に禁じられている。ムスリムを罵る者は自らが罵られるべき者である。祝福されし預言者は以下のように述べている。『ムスリムは罵らない』。野山のけものを罵ることさえ許されていないのに、どうしてムスリムを罵ることが許されようか。われわれには、そのようなふるまいの禁止が下されているのである。

更に祝福されし預言者の明白な宣言によれば、ムスリムの尊厳はカアバの尊厳よりも大きい。さて、ヤズィードがムスリムであったのは確かなことである。しかし彼がアル=フサインを殺害したか、あるいは彼の死を命じたのか、あるいは関わったのかは不確かなことである。そしてそれらの状況が確定的でない限り、彼がそれを行なったと考えるのは許されることではない。

また全能の神が命じている以上、ムスリムについて悪く考えるのは禁じられている。(他者についての)好ましからぬ意見を受け入れるような真似はしてはならない。何故なら時にそうした意見が罪である場合がある。そして祝福されし預言者はムスリムの血、財産、そして評判は神聖なものであり、ムスリムについて悪く考えるべきではないと宣言している。更に、もしもヤズィードがアル=フサインの殺害を命じたか、あるいは関わったと主張するならば、極めて愚かしいその主張の明白な証明を提示すべきである。何故ならこれが同時代の出来事であったなら、それが自分の近隣や自分の目の前で起きたことでなくとも、かような偉大な人物、宰相、スルタンが殺害されたとなれば、実際の状況がどうであったかを解明する努力をしなければならず、誰がどのような意図をもって命じたのか、誰が反対したのかといった詳細を論じない限り、主張は成り立たないはずである。で、あるならば、どうして遠い異国で起きた、それもはるか昔の出来事の詳細をさも知っているかのように論じることができようか?またどうしてほぼ四百年も経過した今になって、(ヤズィードの行ないの)真実だの、遠く離れた場所で殺人が犯されただのを知ることができるというのか?

加えてこの出来事に関する話題は党派心に端を発しており、党派を重んじるあまりの虚偽の弁明が至るところに多く見られる点も考慮されねばならない。従って、本当の状況がどうであったのかは知られようもないのである。またこういう事情がある以上、そうするに値するムスリムについては良い方向に考えるということが、われわれに貸された義務となる。

これについてはいくらかの観察が加えられよう。一人のムスリムが別のムスリムに殺害されたという確証がある場合、正統な法学者の釈義からすれば殺害者すなわち不信仰者とはならない。不信仰とは行為それ自体にあるのではなく、神への不服従にあるからである。殺害者が死ぬ前に悔悟することも起こりえるだろう。更に不信仰者が信仰者に改まることもありうる。その場合、彼を罵ることは許されない。で、あるならば殺人を犯したことを悔悟する者を罵るなど、どうして許されうるだろうか?加えて、アル=フサインの殺害者が悔悟せずに死んだなどとどうして知りうるだろうか?主はその被造物の悔悟を受け入れたもう。

従ってムスリムをその死後に罵ることは合法ではなく、また彼を罵る者はならず者であり神に服従しない者である。たとえ彼を罵ることが許されたとしても、それを慎むことは罪ではないというのがイマームたちの一致した見解である。否、生前に悪魔を罵らなかった者が審判の日に、なぜ悪魔を罵らなかったのかなどと審問されることはない。むしろ悪魔を罵った者たちの方こそ自分たちの動機を審問され、それにより何ゆえに悪魔が拒絶され、呪われたのかを知る羽目に陥るのである。呪われた者とは全能の神から遠くへ追いやられた者であるが、しかしそれが誰であるかについては秘されている、上述のように不信仰者として死ぬことが明白な者を除いては。

ヤズィードに神の慈悲があるよう祈ることについては、これは許されている。否、これは(神の御目には)推奨されることである。否、それはわれわれがあらゆる礼拝において口にする言葉にすでに含まれていることである。「神よ!信仰する男女をお赦しください」。何となればヤズィードは信仰者の一人であったのだから。私の意見の正誤については、神が最もよく御存知である。
署名:アル=ガッザーリー」