お探しのページは見つかりません

wordpressを使い始めてみて、1年以上が経過しました。wordpressには「サイトの統計情報」というのを観察できる機能があります。こんな僻地でも毎日、何かしらお探しの方の訪れがあるというのが分かります。

「サイトの統計情報」の中に、「検索キーワード」というのがありまして。閲覧者の方々がどのようなキーワードで検索して、この僻地へ飛ばされてきたのかが分かります。昨今ではPRISM問題などもあって、大手の検索エンジンなんかだとキーワードをサイト管理者にはシェアしてくれなくなったりもしていますが、まあそれでもぽちらぽちら。

やっぱり一番多いのは「ルーミー」「ルーミー 詩」「詩人 ルーミー」といった、私たちの先生について探しものをしておられる方々のご訪問です。それから「スーフィー」「スーフィズム」。「スフラワルディー」とか、「イブン・アラビー」とか。お役に立てていると良いのですが、などと思います。

そしてwordpressを使い始めてこのかた、いちばん多い検索キーワードはこれです:

「かしずく」。日常生活ではほとんど使用しない言葉です。一日五回の礼拝ごとに二〜四回、最低でも一日に十七回はかしずいてるムスリムだってそうそう「かしずく」なんて言いません。ヴァリエーションとして「かしずかせる」「かしずく男(女)」「男(女) かしずかせる」「男(女) かしずかせたい」等々。何なんだ、あなた方は。

皆さん。目を閉じて机に伏せてください。はいそこ。覗き見しない。ではよく聞いてください。一度だけしか言いませんよ。「かしずく」で検索してここへ来た人はいますか。いたら手を上げてください。怒らないから。正直に手を上げてください。

さて。「かしずく」で検索した皆さんに質問します。皆さんのお探しのものは見つかりましたか。見つかった皆さんには、お役に立てて良かったです。では、「かしずく」で検索したら何か思ってたのと違うページに飛ばされた、と思った皆さんへ。ごめんね。皆さんも残念でしょうが、わたしも残念だよ。

あと「かしずきたい」というのも、まれにあります。「かしずきたい」で検索したそこの貴方。一緒に礼拝しましょう。

映画鑑賞:『マグニフィセント・セブン』

気がついたら2月も終わりかけてるじゃないですか……。

で、『マグニフィセント・セブン』を観に行きました。

長い方のも貼っときますね。

字幕ないけど。でも字幕なくても、ほとんど何の支障もない気もしますが。野郎がいて馬がいて、わるものがいて、酒瓶らっぱ飲みしたり煙草ふかしたり銃をくるくる回したり殴ったり蹴ったりする120分。

そういう西部劇クリシェのてんこもりだけでも多分じゅうぶんに楽しかっただろうと思うのですが、そこはそれ。最初に酒場に登場してきたシーンでは一瞬リチャード・プライヤーに見えちゃったデンゼルさんが、

畳み掛けるように積み重ねるように繰り出してくる技の数々のせいで、茶番のひとつひとつがやたら説得力あふるる必然に!

映画館を後にする時には「サンキュウ、ミスタ・チザム」「サンキュウ、ミスタ・チザム」くらいしか言えなくなっていました。アフロ・アメリカンの俳優がウェスタンの主人公をやることに違和感があるなら、間違っているのは違和感の方です。

それはそれとして、リチャード・プライヤー脚本『ブレージングサドル』も良い映画なので、観たことない人は観てみてください。

ダウンロードしておきたい、メトロポリタン美術館の出版物10選

メトロポリタン美術館。
The Metropolitan Museum of Art

Metropolitan Museum of Art New York
Metropolitan Museum of Art New York – Simon Fieldhouse

行ったことはない。がしかし散々お世話になっています。例えばほら。9月から来年1月はじめまで、イェルサレムをテーマとした企画展示 Jerusalem 1000–1400: Every People Under Heaven が行われているそうですが、

Jerusalem 1000–1400: Every People Under Heaven
Jerusalem 1000–1400: Every People Under Heaven – Metropolitan Museum of Art

展示品のハイライトなどが、おうちにいながらにして閲覧できたりします。

Selected Exhibition Objects
Selected Exhibition Objects – Metropolitan Museum of Art

メトロポリタン美術館(以下MET)、自分とこのMetPublicationsで制作している出版物を、2012年から順次オンライン上で公開するということをやってくれています。先日、ふと覗いてみたところ、400冊弱から始まったのが、今では500冊を超えていました。out of printになっているものはだいたいpdfでダウンロードできます。これがすごくすごいんですよ……。例えばわたしが「先日、ふと覗いてみた」のはこれだったのですが、:

Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s
Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s

Additional resourcesタブをクリックするとですね、:

Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s
Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s

このような具合に、該当出版物に収録されているor関連のある画像がずらっと。(METは2014年から収蔵品のデジタル画像約400000点を無料ダウンロードできるようにしてくれてもいるのだった。)

METの2016年の入館者数はおよそ670万人、5年連続で訪問者数600万人超を記録したそうです。その一方で一般会計1000万ドルの営業赤字も報告されており、雇い止めと数十人単位での職員解雇を余儀なくされているとも。インターネット上が身元確かな画像や資料で豊かにうるおった感じになるのはありがたいことですが、テクノロジーを取り入れるっていうのは即おかねになるかというとそういうわけでもなくて、でもいったん取り入れちゃうと、今度は発展し続けるテクノロジーにあわせて更新、更新、また更新という具合にやっていかないといけなくなるから、入ってくるおかねは未知数でも、出ていくおかねは文字通り日進月歩で出てゆく。たいへんですね。

まあ、無料公開してくれている間はしちゃうけど、ダウンロード。

そうは言ってもあれもこれも全部落としちゃうぜというわけでもなく、それなりに選んだりもしています。個人的に「これはおすすめ」というのを以下に並べてみました。いちおうこの雑記の趣旨に沿って(趣旨とかあったのか)、イスラムしばりで10冊ほど。

Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s

Illustrated Poetry and Epic Images: Persian Painting of the 1330s and 1340s
上記で例として挙げた一冊。14世紀ペルシャの写本2冊を紹介してあり、そのうち1冊はMET所蔵のシャー・ナーメ(後述)、そしてもう1冊がThe Mu’nis al-ahrarという、こちらがわたしの目当てだったのですが、「複雑玄妙な詩の読解のための自由人の友」といった具合のタイトルがついているこの御本、全体的には科学読本的なアンソロジー的なものなのだが、最もユニークなのが29章の部分で、この章は黒字で書かれた文章だけを読んでも何の意味も通じないが、添えられている挿絵と一緒に読み進めることで文意と韻とが成立するように書かれている/描かれているという、一種の絵解き本というか、なぞなぞの御本なのだそう。その29章の英訳が収録されているという、とてもお得感のある一冊です。

A Handbook of Mohammedan Decorative Arts

A Handbook of Mohammedan Decorative Arts
「モハンメダン装飾芸術ハンドブック」。本当は、こちらが最初の一冊となるべき。タイトルで分かる通りの、1930年の古い御本。今なら「イスラム(イスラーム)装飾芸術」と題されるであろうところの、この宗教芸術の一大ジャンルを細密画、書道、写本と製本、石工&ストッコ芸術、木工、象牙や象眼細工、金工にエナメル、セラミック、ガラスにクリスタル、テキスタイルといった具合に技法ごとに大きく分類し、それぞれ時代や地域、成果物ごとに解説してあります。コンパクトによくまとまっていてよいです。図版は白黒ですが、そこはオンラインの便利なところで、例のAdditional resourcesタブのところに画素がみっちり詰まった高品質のフルカラー画像がずらりと並んでいるので、それを眺めながら読めばいいと思うよ。

Following the Stars: Images of the Zodiac in Islamic Art

Following the Stars: Images of the Zodiac in Islamic Art
イスラム美術における星座のイメージ、というピンポイントなところをせめてくる50ページほどの小冊子。これは好きな人は好きでしょう。あくまでも星座をモチーフとした美術工芸品を並べて星座についてあれこれおしゃべりというか解説というか、まあふんわりするという、まさにおほしさまを追いかけるだけのタリスマンティックな御本なので、アストロラーベとか天球儀とか望遠鏡とかといった硬派サイエンスなガチ勢は登場しません。だってそんなんしちゃったら星に追いついて追い越しちゃうからね。追いかけていたいだけなの。

Masterpieces from the Department of Islamic Art in The Metropolitan Museum of Art

Masterpieces from the Department of Islamic Art in The Metropolitan Museum of Art
なぞなぞ本とか星座本とか、そういうんじゃなくてもっとこうさらっとしたのはないの?一般教養としてのイスラ「ー」ム美術をひとなめしておきたいだけなんだけど、という方にはこれを。METのイスラム芸術部門のマスターピースの数々をまとめて解説した御本。「在庫あり」の御本なので(そりゃそうだ)まるっとDLできるものではないけれども、オンラインで試し読みもできるし、画像一覧からもあれこれブラウズできるので便利便利。

The Minbar from the Kutubiyya Mosque

The Minbar from the Kutubiyya Mosque
モロッコはマラケシュに位置するクトゥビーヤ・モスク。ここに置かれている高さ約3.8m、奥行約3.5m、幅約90cmの木製のミンバル(説教壇)。前口上によればこのミンバル、その前身は1137年のコルドバにまで遡れるそうな。ムラービト朝の最後のスルタン、アリー・イブン・ユースフが自らのモスクのために注文したもので、その壮大さと美麗さでたちまち西方イスラム世界じゅうの大評判となり、その後1147年、ムワッヒド朝のアブドゥル・ムウミンがマラケシュを陥落し、アリーのモスクを破壊した時もこのミンバルだけは残したほどで、マラケシュ市民もその処置に喝采を送ったとの由。以来800余年に渡りモロッコの至宝として守られてきたこのミンバルの、METとモロッコ王国文化庁スタッフの皆さんによる9ケ月に及ぶ修復や洗浄、そして調査と新発見の記録。

これだけ古い木製の構造物で現存するのは、このミンバルの他にもあと数点あるかないか、というくらい珍しいそうで、しかもただ残っているというのではなく施された装飾も、その設計も使用された素材や木工技術の種類の数も、何をとってもとてもすごい。どうすごいか(ある部分にはルネッサンスの名工房で開発された技法が用いられているのも確認されていたりする、そういうすごさ)を、使用されている寄木細工や象眼細工、刻まれたカリグラフィーなどの装飾体系から、木工構造から、また保全を目的とした修復プロセスの工程ひとつひとつまで、写真や図面などを沢山使って説明してくれている一冊。執筆者の筆頭に名が挙がっているのは『イスラーム美術』のジョナサン・ブルーム氏。

モスクの名であるクトゥビーヤとは、もともとアル=クトゥビーン(図書館の司書の意)に由来しているのだそうです。

Islamic Jewelry in The Metropolitan Museum of Art

Islamic Jewelry in The Metropolitan Museum of Art
タイトル通りの、MET所蔵のイスラム宝飾品。初期(7-10世紀)、中世前期(11-13世紀)、中世後期(14-17世紀)、近現代(18-20世紀)のフェーズに分けて様々なジュエリーを紹介してある。しかし宝飾品というものは、どうしたっていわゆるトライバル的な造形が色濃く表現されてくるという性格を持っていますね。「イスラミック・ジュエリー」というジャンル分けの仕方が正しいのかどうか、ちょっとあやふやな感じがします(インタリオとかはともかくとして)。宝飾品の方が宗教よりも人類の中では歴史が長いのだから当たり前といえば当たり前のことなのですが、そのあたりを再度ふまえて眺めてゆくのがよいと思いますですよ。

143ページあたりからのメタルワークの解説がおもしろいです。ダーウードの鎖帷子ですよ。それに続く天然石の研磨技術とか、エナメルの話なんかも。

A King's Book of Kings: The Shah-nameh of Shah Tahmasp

A King’s Book of Kings: The Shah-nameh of Shah Tahmasp
「王の王書」。シャー・ナーメ、邦題にして「王書」とは10世紀の詩聖フェルドゥスィーによる全60000対句に及ぶペルシャ民族叙事詩で、その写本や写本部分は数多く存在するが、ここで解説されているのはサファヴィー朝第二代シャー、タフマースブ一世が所有したとされるもので、総計258の質の高い細密画、精緻なイルミネーション、そしてすばらしい装丁技術の施された「持ち運べる美術館」とも形容される一冊。フェルドゥスィーさんについてはもちろん、タフマースプ一世さんについてとか、サファヴィー朝についてとか、サファヴィー朝期の西アジアにおける画家の社会的地位とか、そういう解説もおもしろいのですが、細密画を見ているだけでもじゅうぶんに楽しめます。日本語だと岩波文庫の岡田恵美子氏版と平凡社東洋文庫の黒柳恒男氏版があるので(どちらも抄訳)、それらを片手に、両手でもいいけど、細密画をめくりめくりするといいと思うよ。

Persian Drawings in The Metropolitan Museum of Art
「王書」写本をめくってみて、ペルシャの細密画おもしろいなあ!と思ったら、これもめくってみてください。もっとおもしろくなってきます。たとえばこれとか。「二人の羅漢像」と呼ばれる一枚で、中国の水墨画を模写したものと考えられています。図画の左下の隅っこに「ウスタズ・ムハンマド・***・カレム」と記してあり、(御本ではなくMETサイト本体の方にあった解説によれば)まあ順当に考えればこれってスィヤー・カレム本人なり、スィヤー・カレム派の画家なりの作だよねとの由。中国水墨画が実際にペルシャに伝播したのは13世紀後期から14世紀初期のイル=ハン朝期支配下でのことだそうです。紙作りなんかもモンゴル襲来と共に伝わってきたんですよね。

「モンゴル襲来」とか物騒な話じゃなく、もっとおだやかな東西文化交流が好きだわ、という向きはシルクロードへGO:

Nishapur: Glass of the Early Islamic Period
Nishapur: Metalwork of the Early Islamic Period
Nishapur: Pottery of the Early Islamic Period
Nishapur: Some Early Islamic Buildings and Their Decoration

ニーシャープールよんれんぱつ。上から順にガラス、金工、陶工、それから建築と建造物の壁面装飾や円柱のおはなしなどの解説です。ニーシャープールとは、

ニーシャープール
ニーシャープール(Nishapur)(ペルシア語: نیشابور‎ ネイシャーブール)は、イラン北東部のラザヴィー・ホラーサーン州の都市。人口は270,940人(2005年)。

地理
「ホラサーンの屋根」であるアルボルズ山脈の一部を構成している肥沃なビーナールード山脈(ペルシア語: کوه بینالود‎ – Kūh Binalud)の麓に位置し、州都マシュハドに近い。

歴史
ニーシャープールは地中海やアナトリアと中国を結ぶシルクロードに位置しており、戦略的に重要な町でイラン高原と中央アジアを分ける境界であった。

町は3世紀、サーサーン朝のシャープール1世によって創建され、その名が付けられた。近くに豊富なトルコ石を産する鉱山がアリ・メリサイ山(mount ali mersai)にあった。その後、一時期衰退するが、9世紀にターヒル朝がこの地に生まれるとニーシャプールはその都となり、バグダットやカイロに比肩するほど盛隆し、ヨーロッパに輸出する陶磁器の生産で再び重要な町に返り咲いた。

セルジューク朝の祖・トゥグリル・ベグは1037年、この地に宮殿を造営し、ここでスルタンを名乗った。 1221年、チンギス・カンの娘婿がこの地で殺されると、モンゴルはこの地を破壊、住民を皆殺しにした。陶芸の窯ももちろん失われた。

詩人ウマル・ハイヤームはニーシャープールで生まれ、郊外に葬られている。12世紀の詩人・ファリード・アド=ディーン・アッタールの廟もある。
– Wikipedia

ああすみません、シルクロードに逃げてはみたけれどやっぱりモンゴルにやられてしまいました。インド。インドに逃げましょう。インドを忘れてはいけない。

Anvari's Divan: A Pocket Book for Akbar

Anvari’s Divan: A Pocket Book for Akbar
ムガール王国第三代君主、大帝アクバルが命じて作らせた細密画+カリグラフィーで構成された宝石箱のような御本。細密画はアクバルお抱えの宮廷画家の手によるもので、アクバルのお父さんフマユーンがペルシャから連れてきた人たちだそうです。画家の皆さん、がんばりましたね。えらかったですね。色の選び方とか、クライアントの好みにどれだけ忠実なんだよっていう感じします。まあちゃんとご注文通りに仕上げないとたいへんなことになるというのもあるんでしょうけれども(何しろ「大帝」だから)。「音楽性の違い」とか言っている場合ではない。

執筆者のおひとりがアンネマリー・シンメル氏です。この方はどこの何についても、本当に「フンフンフ〜ン♪」ってハミングが聞こえてきそうに楽しそうに書くなあ。だいすきです。

以上です。よい年末年始をお過ごしください。

ケナン・マリクつまみ食い

インド・オリジンの英国人で、ニューヨーク・タイムス紙などに定期的にコラムを発表しておられるケナン・マリクさんというもの書きの方がいます。御著書も複数冊あり、移民・移民二世、三世・文化・社会・人種(人種問題)・宗教(宗教問題)、あたりをいろいろと論じておられるのですが、その時々のできごとなどを解説というか読み解きというかをブログで、それもかなりの頻度で更新されています。

そのケナン・マリクさんの、昨日(一昨日?)のブログポストを読んでいました:
EDITORIAL INTELLIGENCE COMMENT AWARD 2016

Yay, I won an award. The Editorial Intelligence 2016 ‘Society and diversity’ comment award. (No, I am not quite sure, either, what ‘Society and diversity comment’ amounts to, but I am immensely pleased to have won it.) The Editorial Intelligence awards have grown over the past decade to become perhaps the most important journalistic comment awards in the UK.
pandaemoniumEDITORIAL INTELLIGENCE COMMENT AWARD 2016

Editorial Intelligence主催の、今年いちばん優秀だったコメンテーター(媒体は紙・電子問わず)を表彰するThe Comment Awards 2016で、「社会と多様性( ‘Society and diversity’)」部門を受賞したよとのこと。続けて、「いや、何が〈社会と多様性〉に該当するんだかは自分でもちょっと良く分かんないけど」でも受賞したのはすっごくうれしい、みたいなことを言っていて、そういうところが該当するんだよ、という感じなのですが、

それはさておいて当該エントリの大部分は、昨年の中頃から今年にかけて発表されたコラムの中から「ケナン・マリクが選んだケナン・マリク」的な、えりぬき抜粋集で占められており、それが世情をさらりとおさらいしておくにはまことに都合の良いものであったので、ちょっとつまんでおきたくなりました。

Muslims are not a ‘different’ class of Briton: we’re as messy as the rest
2016.05.15.

ムスリムはブリテン人と何も「違わない」:我々も、その他と同様に乱雑である
2016年5月15日

……フィリップスパンフレットは、彼のドキュメンタリーよりもより慎重でニュアンスがある。その多くは、私も同意できるものだ。言論の自由に対するフィリップスの議論は、歓迎すべきものであり勇敢でもある。怒りを買うような言論は制限されねばらない、という要求は無視するべきだ。フィリップスはこう主張している;制限すべきは暴力を誘発する言論のみだ。同時にフィリップスの、ムスリムと同化についての議論には欠陥がある。英国のムスリムたちは、第一波における移民たちとは異なっている、と彼は示唆する。ドキュメンタリーの中でもそう発言していた通り、彼らは「変化を欲さず」、しかも「未だ自分たちが受け継いできた考え方に固執している」という。実際の問題は、これとは正反対である。英国のムスリムたちは変化した。それも多くの者が、社会的にはより保守的になることによってである。ICMが30年前に世論調査を実施していたなら、結果はおそらく非常に異なっていただろう。1950年代、60年代に英国へやってきたムスリムたちの第一世代は、宗教的ではあっても信仰についてはゆるやかであった。男たちの多くは酒を飲んだ。ヒジャーブをまとう女は少なかった。第二世代 –– 私たちの世代だが –– は世俗的であることが主流だった。私たちの闘いは政治的な信条によって定義されるもので、平等を求めて私たちはその疑問の矛先を、人種差別だけではなく宗教的な反啓蒙主義にも向けた。

これは何も、1970年代または80年代のアジア人コミュニティがとりわけリベラルだった、と言っているのではない。英国社会は同性愛といった問題に関しては保守的だったし、それは少数派のコミュニティにおいてもなんら違いはなかった。しかし同じく保守主義に疑問を呈したラディカルな思潮も、より広く社会に存在していた。ムスリムの文脈において「ラディカル」とは、現在の原理主義や伝統回帰とは違い、左翼的・世俗的であることを意味していた。このたったひとつの単語の意味の変化が、ムスリム・コミュニティの変化を表している。文化的な違いの問題が重要になってきたのは、80年代以降に成人を迎えた世代のおいてのみのことなのだ。「ムスリム・コミュニティ」なるものをムスリムたちが夢想し始めるのも、ようやくこの頃からのことである。ムスリムたちの姿勢と、より広範な社会におけるそれとの間の隔たりが育ち始めるのも、やはりその時に始まったものに過ぎない。

Europe’s immigration bind: how to act morally while heeding the will of its people
2016.01.31.

欧州の移民法:人々の意思を尊重しつつ、道徳的にふるまうには
2016年1月31日

……移民政策においては、道徳的であること、実施可能であること、そして民主的であることのすべてを満たせる応急措置は存在しない。移民の危機は長期に渡るものであり、どのような政策を策定しようとも、一年や二年で解決できることではない。実のところ鍵となる問題は、政策のレベルにあるのではまったく無く、それはアティテュードと認識のレベルに存在するのである。だからこそ、我々はこれをより長期的に考える必要がある。

リベラルな移民政策は、一般大衆の支持を得ることによってのみ実施が可能になるのであって、一般大衆の反対にもかかわらず、ではない。そのような支持を獲得することは決して夢物語ではない。一般大衆は移民に対して絶対的に変わらぬ敵意を抱くものだ、といった鋼鉄の法則など存在しないのだ。一般大衆の大部分が敵対的になったのは、彼らが移民に関して、受け入れ難い変化を連想したからである。だからこそ、逆説的ではあるが、移民についての議論は、単に移民についてのみ議論しているだけでは勝ち目はないし、また単に移民政策を実施するだけでは、移民流入の危機も解決しないのである。移民に関する諸々の不安とは、広い意味における政治的無力感と疎外感の表われなのだ。その根底にある政治的課題に取り組まない限り、ヨーロッパ沿岸への移民の漂着は危機としてみなされ続けることになるだろう。

Why do Islamist groups in particular seem so much more sadistic, even evil?
2015.11.22.

なぜイスラム主義の集団がことさらサディスティックに、邪悪にさえ見えるのか
2016年11月22日

……堕落した行為や邪悪な行為について語るとき、私たちはただ単に、特に嫌悪している何かについてのみ述べているわけではない。私たちは、道徳そのものの境界について主張をしているのである。

人はしばしば、道徳的な問題の最も基本的なところで意見を異にする。例えばある人は、いかなる場合においても拷問は誤っているとみなす。ある人は、不可欠な情報を得るためなら許容できると考える。そしてお互いに、相手を不道徳だと思うかもしれない。それでもどちらもが、自分たちは正しいこと、間違ったことについて議論しているのだという点には共に同意するだろう。しかし誰かが、「人々を拷問にかけることは、純粋に善である」と述べるとしたならば、彼が道徳について議論しているのだみなす人はごくわずかだろう。そして人々の大部分が、そのような主張は「邪悪」だと言うだろう。

言い換えれば邪悪とは、単に行為を特定の悪と定義するだけではない。それは同時に善と悪、美徳、悪徳について有意義な議論が可能な空間を定義することでもあるのだ。ジハード戦士たちの行動をこれほど不可解なものとしているのも、私たちのほとんどが住まう道徳的宇宙とは、はるかにかけ離れたところで起こっているかのように見えているためである。

Terrorism has come about in assimilationist France and also in multicultural Britain. Why is that?
2015.11.15.

同化主義のフランスでも、多文化主義の英国でもテロリズムは起きている。なぜ?
2015年11月15日

……過去においてロンドンが、イスラム主義とテロ集団の中心地として –– 多くの人々はそれをロンドニスタンと呼んだ –– 目されていた頃、フランスの政治家や政策立案者たちは、英国はその多文化政策ゆえの特殊な問題に直面しているのだと提言した。そのような政策は分裂的であり、共通の価値観や国家的感覚を創出することはできず、その結果として多くのムスリムたちがイスラム主義と暴力に引き寄せられたのだ、というのが彼らの主張だった。「同化主義」政策は、多文化主義の必然として生じる対立という結末を退け、あらゆる個人を、特定の人種ないし文化的集団の一員としてではなく、市民として扱うものである、とフランスの政治家は言い放った。

それでは同化主義のフランスにおいてもテロリズムが育てられてきたことについて、私たちはどう説明すべきだろうか?またフランスの同化政策と英国の多文化政策とでは、どれほどの違いがあるのだろうか?

多文化主義に対するフランスの批判の多くは妥当である。英国の政策立案者たちは多様性を歓迎したが、人々を民族的・文化的な箱の中に入れ、個々のニーズと権利を、その人がどの箱に入っているかによって定義し、公共政策を形づくるにあたってはその箱を利用することによってそれ(多様性)を管理しようとした。彼らはマイノリティのコミュニティを、あたかもそれぞれが独特な均質性を有し、単一の声を発し、文化と信仰について単一の見解をもつ人々によって成り立っているかのように扱った。その結果としてより断片化した部族社会が生じ、それがイスラム主義を育てたのである。皮肉なことに、しかし全く異なったところから出発したフランスの政策も、ほとんど同様の終着点を迎えたということである。

As old orders crumble, progressive alternatives struggle to emerge
2015.06.14.

旧体制の崩壊は、進歩的オルタナティブの到来に困難をもたらす
2015年6月14日

……旧秩序への不満が、アラブ世界全体の至る所で反乱を引き起こした。しかしながら広範で世俗的な進歩主義運動の不在の中、旧秩序への反抗はますます派閥的な、あるいは宗教的な形態をとっている。世俗的な近代主義については、それを抑圧と関連づけて考える人々もおり、それがイスラム主義組織に肩入れさせている場合もある。その他のケースであれば権力者たちは、自由のための闘いを宗派的な挑戦として装うことにより、例えばスンナ派対シーア派といった闘争にすり変えてしまうことも可能だった。エジプトではムスリム同胞団の成功は、軍事的抑圧を歓迎する多くの「進歩主義者」たちを生じさせた。

旧秩序への不満と、その秩序に反対する派閥分裂の間にある緊張は、アラブ世界に限られたものではない。インドを見てみよう。その政治的構造や社会制度、そして歴史の展開は、トルコやエジプト、シリアのそれとは大いに異なっている。それでも同様の緊張や傾向が、ここでも散見される。トルコとも、また多くのアラブ諸国とも異なり、インド国民会議派は独立闘争を通じて大衆運動を構築した。独立後のインドでは、多くが国民議会派すなわちインドとみなしていた。独立から最初の半世紀、国民議会派はすべての選挙区において勝利していた。しかしネルー・ガンディー時代には、会派はほとんど家族経営といった状態になり、ますます腐敗し、堕落した組織となっていった。

1990年代に入るまで、議会に対する一般の不満は国民的な声を持たずにいた。野党はほとんど地域的なものに限定されていた。国民的な野党会派が出現したとき、それは派閥的な宗教アイデンティティに根差していた。バラティヤ・ジャナタ党(BJP)、またはインド人民党というヒンドゥー・ナショナリストの会派である。90年代後半に初めて政権入りし、昨年の総選挙ではインド国民会議に圧勝した。

Diversity and immigration are not the problem. Political courage is…
2015.04.05.

多様性や移民の問題ではなく、政治的な英断の……
2015年4月5日

……先週、約2,000マイル離れたところで起きた二つの事象が、多文化的な英国に関する現在の議論がはらむ厄介な性格を捉えている。水曜、ロッチデールを後にした英国人9名が、シリア国境に侵入しようとしたとしてトルコで拘束された。そのうち1名は労働党の地方議会議員シャーキル・アフメドの息子で、彼は(息子の)逮捕の報せを受けて「ショックだ」と述べた。そしてこうつけ加えた。「私の息子は善良なムスリムであり、その忠誠心は英国にある。息子がそんなところで何をしているのか、私には分からない」。

翌夕方、ロッチデールとは目と鼻の先のサルフォードで総選挙のTV党首討論があった。ナイジェル・ファラージは、英国の社会的な悪弊のほとんどすべてを外国人のせいであるかのように述べ、大いに非難を巻き起こした。しかしながら「ヘルス・ツーリズム」とHIV保有者の外国人がNHS(国営保険サービス)を弱体化させるという彼の主張は、たとえリベラルを激怒させるものであろうが、彼の選挙区においてはうまく作用しているように思われる。多くの人がそれをレイシズムとみなして軽蔑すると同時に、それ以外の人々はUkip(イギリス独立党)の党首を、真実を語っているものとみなして称賛する。

サルフォードからシリア国境に至るまで、多文化主義にどのようにして対応するべきかという疑問は、依然として激しく分裂したままだ。一部の人々は、それが英国を活発な、コスモポリタン国家に変化させたという理由で多文化主義を賞賛する。一方で別の人々にとっては、英国は多様になり過ぎた。あまりにも多くの移民に対し、あまりにもわずかに過ぎる同化という組み合わせでは、社会的な求心力が浸食され、国民としてのアイデンティティも公益も徐々に衰替してしまう、というのが彼らの言わんとしていることだ。

先週は二つのグループが、それぞれ全く異なった理由により前景化され、議論を支配する形となった:ひとつはムスリム、そしてもうひとつが「白人労働階級」である。ジハードに引き寄せられる英国人の若者の増加とは、多くの人々にとっては同化を拒むムスリムの象徴であり、多文化主義の失敗をあらわにするものとして捉えられている。先月行われたYouGovの世論調査によれば、人口の55%が「イスラムと英国社会の価値観の間には根本的な衝突がある」と考えている。その一方でUkip支持の高まりが、恐怖と軽蔑の両方を招いている。主流派の政治家たちが厳しい反移民政策を敷かずとも、ポピュリズムへの支持が拡大するだろうというのが大方の懸念である。ここ数ヶ月の間に反移民のレトリックが増加しているのもそのためである。

Ukipに対する懸念は、しばしばUkipに投票する大衆が抱いているであろうとされる人種差別に対する蔑視と混同されがちだ。タイムズ紙のコラムニスト、マシュー・パリスは、昨年10月に保守党から鞍替えたダグラス・カースウェルが当選し、Ukip初の下院議員となった地区であるクラクトンを指して「松葉杖の英国」と評した。「(クラクトンの)有権者には進歩がない」と、パリスはひどく侮辱的だ。「これではジャージとトレーナーの英国、タトゥー・ショップの英国、過去に置いてきたはずの英国ではないか」。

A search for identity draws jihadis to the horrors of Isis
2015.03.01.

アイデンティティの探求が、ジハーディーたちをISISの恐怖に引き寄せる
2015年3月1日

ジハード戦士予備軍の大部分をシリアに引き寄せているのは、まず第一に政治でもなく宗教でもない。それよりもはるかに定義しがたい何かを求めてのことである:アイデンティティ、生きがい、「帰属意識」、リスペクト、などなど、ジハード戦士のワナビーたちは十分に同化していないというわけではない。私たちが従来的な方法で統合を考えている限り、彼らは疎外感を抱え続けるだろう。彼らの抱える疎外とは、はるかに実存的な形態のものなのである。

若者によるアイデンティティと生きがいの探求は、もちろん今に始まったことではない。現代における違いとは、その探求が行われる社会の状況にある。私たちは以前よりもはるかに原子化した社会に生きている;多くの人々が、社会構造の主流から自分だけが他よりも異様に疎外され、道徳の一線がしばしばぼやけて見え、アイデンティティが歪められたと感じる時代である。

これが過去ならば社会的な疎外感は、極左グループから反レイシズム・キャンペーンまで、政治的変革を求める運動への参加を促したかもしれない。現代においてそうした組織は、どれも等しく共感を呼ぶものではない。現代における不満に形を与えるものは、進歩的なポリティクスではなくアイデンティティ・ポリティクスなのである。

以上です。「もの」とか「こと」とか、読むのがわずらわしくてすみません。もとはもっとシャープな感じの文章なんですけれども。

固有名詞とか、これはあったら便利かなというとことかには、原文にはないリンクも足してあります。

おでかけ:セマー@宝生能楽堂

昨晩はこれを眺めにお出かけしました。


日本でこれを目にするのは、これで二度目になります。その前日に、「見にいらっしゃいませんか」とお誘い頂くことがなかったら、たぶん行かずじまいだったと思います(お声がけ下さってありがとうございました)。

能の演目は「羽衣」でした。途中、泣き出してしまった女の子(?)をそのお母さんがあわてて抱きかかえて外に連れ出すなどしていました。白龍と天人の「衣を返せ」「いや、返さない」のやり取りのあたりです。泣きたくなるのも仕方ないです。こわいものね、あの会話。

休憩をはさんで、それからセマー(旋回)のお支度。
img_1397

セマーゼン(旋回する人)の毛皮のおざぶとんをまるく並べて、四角い舞台をむりやりまるくしつらえている。
fullsizerender

おざぶ運び係(係というか。このおざぶはだいじなものなので、えらいひとしかさわっちゃいけないことになっています)。しっかし違和感ないですね。思っていた以上に違和感がないな、いいのかなこれ。

img_1435

img_1436

終わりにさしかかったところ。始まったばかりの時は気になりませんでしたが、中ごろあたりから舞台のきしみがすごかったです。そして終わる直前には、それが舞台のきしみなのかセマーゼンの息なのかが聞き分けられないくらいでした(旋回が終わった後で、その音の半分以上が息だったことが判明しました。おつかれさまでした)。